第5話

「鞘師警部、実は昨日から亜依ちゃんに何度も電話をかけているんですけど、まったく繋がらないんです」

 と、僕は言った。

「繋がらない? それは、心配だな」

「はい」

「明宏君、清水さんの住所は知らないの? 電話が繋がらないなら、家に直接行ってみたらいいんじゃない?」

 と、明日香さんが言った。

「住所ですか? 住所は、聞かなかったですね」

「そう。実家の連絡先とかは、知らないの?」

「いえ、知らないですね」

「同級生――なのに?」

 と、明日香さんが、なにやら意味ありげに聞いてきた。

「ただの同級生ですよ。同性ならともかく、異性の同級生に、住所とか自宅の電話番号なんて聞けませんよ」

 特別に親しいわけでもないのに、そんなことを聞いたら、変態扱いされてしまう。

「ふーん、そうなんだ。もっと、すごく親しい間柄なのかと思っていたわ」

「ですから、昨日からただの同級生ですって、言ってるじゃないですか」

「そうか……、そうよね。明宏君が、そんなにモテるはずがないわよね」

 と、明日香さんは言って、クスッと笑った。

 な、なんだ、今の『クスッ』は――

 めちゃくちゃ、かわいいじゃないか!!

「そ、そんな、失礼な。これでも高校時代は、そこそこモテモテだったんですよ」

 と、僕は見栄を張った(そこそこなのか、モテモテなのか、どっちだという話だが)。

「はいはい。それは失礼しました」

 と、明日香さんは、何故かご機嫌だ。

「私は、お邪魔のようだし、そろそろ失礼しようか?」

 と、鞘師警部が笑顔を浮かべながら言った。

「す、すみません、鞘師警部」

 と、明日香さんが、慌てて言った。

「いや、本当にこれで失礼するよ。これから、また署の方に戻らないといけないんでね。また何か分かったら、すぐに連絡をするよ」

 と、鞘師警部は言うと、帰っていった。


「明宏君も、本当にもう帰っていいわよ」

「はい、そうします」

 僕がこれ以上いたら、明日香さんも帰ることができない(まあ、帰るといっても、明日香さんは階段をちょっと上がるだけだけど)。

 僕は探偵事務所を出ようとして、ハッと思い出した。

「明日香さん、そういえば今年の正月に、亜依ちゃんから年賀状がきたんです。それに、亜依ちゃんの住所が書いてあったかもしれません。帰って、探してみます」

「そう。それじゃあ、明日も清水さんと連絡が取れなければ、直接行ってみましょうか」


「確か、年賀状は――」

 机の引き出しに、まとめて(まとめてといっても、そんなにたいした枚数ではないが)入れたような気がする。

 僕は、机の引き出しを探してみた。

「あった」

 僕は、輪ゴムで束ねた(束ねたといっても、そんなに――以下略)年賀状を取り出した。

「えっと、亜依ちゃんからの年賀状は――」

 一番上のは、実家の母親からだ。

 他には、鞘師警部からの達筆の年賀状。

 そして、明日香さんと明日菜ちゃんからの、連名での年賀状。連名になってはいるけど、書いているのは明らかに明日菜ちゃんだ。明日香さんが、僕なんかに年賀状をわざわざ書くわけがないのだ。

 そして、地元の友達から数枚。

 ――あった。亜依ちゃんからの年賀状だ。

 年賀状には、新年のあいさつと、また同窓会をやりたいというようなことが書いてあった。そして、亜依ちゃんの東京の住所も、ちゃんと書かれていた。明日は、この住所を探して、訪ねてみよう。

 ――実は、僕は明日香さんに嘘をついてしまった。

 亜依ちゃんとは、ただの同級生ですよと言ったけど、本当は違うのだ。


 あれは確か、高校最後のバレンタインデーだった――

 放課後の教室、夕日がめちゃくちゃ眩しかったっけ。

 他に、生徒がまだ数人いる中で、僕は亜依ちゃんからチョコレートをもらったのだ。

 チョコレートといっても、ただの義理チョコなんかじゃない。

 亜依ちゃんは、『義理だからね』と、笑っていたが、亜依ちゃんの頬は赤く染まっていた。

 それは、手作りのチョコレートだった。義理で、わざわざ手作りなんてしないだろう。

 きっと、あのチョコレートは――

 本命チョコレートだったのだ!

 小さなチョコレートだったけど、ハートの形をしていた。

 だから間違いない! あれは、絶対に本命チョコレートだ!

 亜依ちゃんは恥ずかしくて、義理だと言ってしまったのだろう。

 僕は、嬉しさと、なんだかよく分からない感情で、まわりが見えなくなっていた。

 気が付いたら、教室には誰もいなかった。

 そして、僕は戸惑ってしまった――

 生まれて初めてもらった、本命チョコレートだ。明日から亜依ちゃんと、どう接すればいいのか分からない。

 今まで亜依ちゃんを、そういう目で見たことはなかったのに、いきなりどうすればいいのか……。


 次の日、学校に行くと、他の男子が、『清水に、義理チョコをもらったよ』と、浮かれながら話していた。

 僕は本命チョコだと、優越感に浸っていたが、この日から数日間、亜依ちゃんは学校を休んだ。どうやら、風邪だったらしい。

 数日後に登校してきた亜依ちゃんは、普通だった。『あっくん、おはよう』と、あいさつしてきたくらいで、特に話し掛けてくることもなかった。


 ホワイトデーに、返事をしなければいけないが、どうしよう――と、思っている内に、僕たちは高校を卒業した。

 卒業して気が付いたのだが、卒業したということは、もう高校には行かないということである。もう高校には行かないということは、亜依ちゃんにも会わないということだ。

 ――やってしまった……。

 どうしよう?

 僕は、亜依ちゃんの住所を知らない。

 まだ、どう返事をするのか決めかねているのだが、会わないことには返事ができない。

 亜依ちゃんは、今どきの女子高生にしては珍しく、携帯電話を持っていないみたいで、電話連絡もできない。

 そうこうしている間に、ホワイトデーは過ぎ去った――

 その後、聞いた話では、亜依ちゃんは高校卒業後すぐに、上京したようだった。


 そして、月日は流れ、地元の成人式で亜依ちゃんと再会した。

 しかしこのときは、亜依ちゃんは他の女子たちとずっと一緒にいて、話し掛けることができなかった。


 そうして、さらに月日は流れ、去年の同窓会で再会したのである。

 このときは、亜依ちゃんも携帯電話を持っていて、電話番号を交換したのである。

 そして、僕の住所も教えたような気がする。まあ、年賀状が届いているのだから、教えたのだろう。

 しかしこのときも、チョコレートのことは聞けなかった。

 あれから6年も経っているし、亜依ちゃんも何も言わないし、今さらという思いもあって聞かなかった。

 それにこのときは、僕は既に明日香さんひとすじだったので。


 翌日――


「明日香さん、おはようございます」

 僕は亜依ちゃんからの年賀状を持って、探偵事務所に出勤した。

「明宏君、おはよう。その様子じゃ、清水さんとはまだ連絡が取れていないみたいね」

「はい。年賀状を持って来たので、さっそく行ってみましょう」


 僕たちは、明日香さんの白い軽自動車に乗って、亜依ちゃんの住んでいる住所を探して行ってみた。

 明日香さんの車にはカーナビが付いていないので、探すのにかなり手間取ってしまい、そのアパートに到着したときには、午前10時30分を少し過ぎていた。

「明日香さん、このアパートみたいですね」

 さすがに、若い女性が一人暮らしをしているだけあって、山元さんたちの住むボロ――いや、ちょっと古いアパートと比べたら、比較的新しく綺麗な4階建てのアパートだ。一つの階に5部屋、合計20部屋ある。

「亜依ちゃんの部屋は、4階ですね。エレベーターで行きましょう」


 僕たちは、エレベーターで4階に上がってきた。

「亜依ちゃんの部屋は、405号室です。亜依ちゃん、いますかね?」

 僕は、亜依ちゃんの部屋のチャイムを鳴らしてみた。しばらく待ってみたが、亜依ちゃんは出てこなかった。

 僕は、ドアを強めにドンドンとノックしてみたが、誰も出てくる気配はなかった。やはり、部屋にはいないのだろうか?

「亜依ちゃん! いないの! 明宏だけど!」

 ドアの隙間に向かって、僕は叫んでみた。

 すると、その瞬間、静かにドアが開いた――


「亜依ちゃんなら、お留守みたいですよ」

 ドアが開いたのは、亜依ちゃんの部屋の隣の404号室だった。

「留守ですか?」

「ええ、昨日のお昼から、戻られていないんじゃないかしら?」

 と、隣人の30代くらいの女性は言った。

「どこに行ったか、分かりませんか?」

「あの、失礼ですけど、どちら様でしょうか?」

 と、隣人は、少し怪しむような目付きで僕を見た。

「えっと、僕は――」

 なんて言おう? 探偵だと、名乗るべきか?

 探偵とはいっても、僕は助手だけど――って、そこはどうでもいいか。

 と、僕が迷っていると――

「私たち、清水さんの高校時代の同級生なんですけど、同窓会の打ち合わせをしていたんですけど、昨日から連絡が取れなくて直接訪ねてきたんです」

 と、明日香さんが笑顔で言った。

「ああ、そうなんですね」

 と、明日香さんの笑顔を見ると、隣人も笑顔になった。

「清水さんがどこに行かれたか、ご存じでしょうか?」

「さあ、そこまでは分からないですけど。でも、少し大きめのカバンを持っていましたけど。私が、旅行にでも行くんですか? って、声を掛けたら、『ええ、ちょっと――』って、急ぎ足で出て行かれましたけど」

「清水さんに、会われたんですか?」

「ええ、私、昨日は、お昼から出勤だったので。1時頃ですね。ちょうどその頃に、いつも郵便が届くので、受け取ってから出勤するんです。郵便受けに入れたままでも問題ないんでしょうけど、不安なので。昨日も、郵便受けに郵便物が入る音が聞こえたので、外に出たんです。そのときに、会いましたよ」

「清水さんに、何か変わったところはありませんでしたか?」

「変わったところですか? 特には――ああ、そういえば。私が外に出たとき、郵便局の人が、亜依ちゃんの部屋の前にいて、封筒を直接受け取っていましたね。そのまま封筒をカバンに入れて、急いで出て行かれましたよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る