第3話

 パトカーが僕たちの前で停まると、数人の警察官たちが降りてきた。

「明日香さん、鞘師警部がいませんね」

 と、僕は警察官たちの顔を見ながら言った。

「そうね。ここは、管轄が違うんでしょう」

 なるほど、そういうことか。

「通報したのは、お前たちか?」

 と、30代半ばくらいの刑事が、僕たちに聞いた。

「はい。僕が、電話をかけました」

「お前が、鞘師の言っていた、桜井とかいう探偵か?」

「あっ、いえ。僕は、助手の坂井です。こちらが、探偵の桜井です」

「うん? なんだ、女か」

 と、その刑事は、明日香さんをチラッと見ると、あからさまに見下したような表情を見せた。

「探偵の、桜井明日香です」

 明日香さんは、そんな刑事の表情など気にすることもなく、名刺を差し出した。

「そんなもの、いらん。探偵ごときが、偉そうに」

 と、刑事は、受け取りを拒否した。別に、僕たちは偉そうにしているつもりはない。

「それで、お前たちが遺体の第一発見者か?」

「いえ、違います」

「違う?」

「僕たちは、このアパートの2階の依頼人の部屋に来ていただけで」

「あ、あの……。私が、そうです」

 と、亜依ちゃんが、震える声で言った。どうやら亜依ちゃんは、この刑事に怯えているようだ。

「そうか。あんたには、署の方で話を聞かせてもらう」

「えっ? 亜依ちゃんを、連れて行くんですか?」

「第一発見者が、犯人かもしれんからな」

「そ、そんな……。私じゃないです」

 亜依ちゃんは、今にも泣き出しそうだ。

「誰も、逮捕するとは言っていない。詳しく、話を聞くだけだ。すぐに、帰らせてやる。もちろん、そうならない可能性もゼロではないがな」

「それじゃあ、僕たちも一緒に――」

「関係ない奴らは、とっとと帰れ! 俺は、鞘師みたいに、甘くないぞ。民間人が、殺人事件に首を突っ込むんじゃない!」

「でも――」

 僕は、必死に食い下がった。

「しつこいぞ!」

「明宏君」

 明日香さんが、やめなさいというように首を横に振った。

「明日香さん――分かりました」

「分かったんだったら、さっさと帰れ。もしも、お前たちに話を聞く必要があれば、後で呼んでやる。探偵だって、人を殺すからな」


「明日香さん! あの刑事の態度、むかつきませんか?」

 と、僕は机を、ドンと叩いた。

「明宏君、うるさいわよ。コーヒーでも飲んで、落ち着きなさいよ」

 と、明日香さんが、熱いコーヒーを入れてくれた。

 時刻は、午後5時を過ぎていた――

 僕たちは、明日香さんの探偵事務所に帰ってきていた。

 今、僕たちがいる白い3階建ての古いビルが、明日香さんの探偵事務所だ。

 1階は駐車場になっていて、車が3台停められる。今は、明日香さんの白い軽自動車が停まっている。

 2階が探偵事務所で、3階が明日香さんの住んでいる部屋だ。

 明日香さんの部屋には、僕は入ったことがない。いつか、入ってみたいものだ――って、今は、そんなことを言っている場合ではない。

「落ち着いてなんか、いられませんよ! 亜依ちゃんを犯人みたいな扱いをして、僕たちまで疑っているんですよ!」

「清水さんのことが、とても心配なのね」

「当たり前じゃないですか! 同級生ですよ。亜依ちゃんが、殺人なんかするわけがないですよ!」

「――どうして?」

「えっ? 何がですか?」

「どうして、清水さんが犯人じゃないって、言い切れるの?」

 明日香さんは、いったい何を言い出すんだ? 明日香さんまで、亜依ちゃんを疑っているのか?

「犯人っぽくない人が犯人だったというケースを、明宏君も何度も見てきたはずよ」

 と、明日香さんは、冷静に言った。

「それは――そうですけど……」

「明宏君――私情を挟んじゃだめよ」

「――はい」

 確かに、明日香さんの言うことは、探偵助手としては理解できるが――

 同級生としては……。

「ただ――私も、清水さんは、殺人の犯人ではないと思うわ」

 と、明日香さんは言った。

「どうしてですか?」

「明宏君も、遺体を見たでしょう? ブルーシートに、かなり血が流れていたわ。でも、清水さんの服にもスカートにも、返り血は付着していなかったわ」

「そういえば――亜依ちゃんは、白いTシャツに水色のスカートでした。血が付着していれば、分かりますよ!」

「清水さんが、あそこで着替えたとは思えないし。凶器も見当たらなかったけど、あの小さなバッグに入っていたとも思えないしね」

「そうですよね! やっぱり、亜依ちゃんは犯人じゃありませんよ」

 僕は、だんだん嬉しくなってきた。

「明宏君、でもね――」

「でも?」

「清水さんは、嘘をついているわ」


「う、嘘をついている? どういう意味ですか?」

 明日香さんは、さっきから何を言いたいんだ?

「清水さん、言ったわよね。人が、殺されているって」

「はい、言っていましたけど、それが何か? 実際に山元陽子さんが、胸を刺されて殺されていたじゃないですか。誰がどう見ても、殺されているようにしか見えないですよ」

 亜依ちゃんは、嘘なんて言っていない。

「ええ、そうね。誰が見ても、そう思うでしょうね。でもね、清水さんは、こうも言ったわ――『下駄箱の上に、バッグが置いてあったから、部屋には上がらずに、バッグを取って慌てて出てきた』ってね」

「それは、びっくりしたからじゃないですか? 普通の人なら、遺体を見ただけでもびっくりするでしょうし、ましてや他殺ですからね」

 僕は、亜依ちゃんが山元さんの遺体を発見したときのことを想像した。亜依ちゃん、怖かっただろうな。

「びっくり――ね。明宏君も、当然気付いたと思うけど。玄関からは、倒れている山元さんの足しか見えなかったわ」

 足しか見えなかった?

「あっ!」

 そう言われて、思い出した。確かに、玄関からは、山元さんの足しか見えなかった。

「部屋に上がらなかった清水さんに、山元さんが死んでいたなんて分かるはずがないのよ。ただ、寝ていただけかもしれないし、気を失っているだけかもしれない。ましてや、殺されているなんて、部屋に上がってみないと分からないのよ。それに、山元さんの部屋から外に出てきたときの清水さんの様子は、遺体に驚いて、慌てて出てきたようには見えなかったわ」

 確かに、よく思い出してみれば、あのときの亜依ちゃんの様子は、少しおかしかったような気もする。

「あのとき、清水さんは、一度ドアを閉めようとしたように見えたわ。たぶん、外にいたのが明宏君だったと気付いたから、出てきて明宏君に――抱き付いたのね」

「えっ? 僕に、何ですか?」

 最後の方が、急に明日香さんの声が小さくなって、聞こえなかったな。

「明宏君に、助けを求めたのね」

 今度は、はっきりと聞こえた。

「そうなんですかね?」

 それじゃあ、あのとき外にいたのが僕ではなかったら、亜依ちゃんはどうするつもりだったのだろうか? あのまま、やり過ごして、立ち去るつもりだったのか?

 考えれば考えるほど、僕には分からなかった。

「ちょっと、亜依ちゃんに電話をかけてみます」

 僕は、携帯電話を取り出すと、亜依ちゃんに電話をかけた。

 しかし、呼び出しはするが、亜依ちゃんが出ることはなかった。

「出ませんね。まだ、警察にいるんでしょうか?」

「そう。あの、バッグを拾ってもらったっていう話も、できすぎているような気がするし――ちょっと、鞘師警部に聞いてみましょうか」

 と、明日香さんは言うと、探偵事務所の電話を取った。


「もしもし」

「鞘師警部、お疲れ様です。桜井です」

「ああ、明日香ちゃんか。事件のことかい?」

「はい。その後、どうなりましたか?」

「すまないが、私たちの管轄ではないので、詳しいことは私も知らないんだ」

「そうですか。清水さんが、どうされたかは分かりませんか?」

「清水?」

「ええ、遺体の第一発見者です。警察の方に、連れていかれたみたいなので」

「ああ、荻野おぎののことだな」

「荻野さんと、いうんですね」

「ああ、荻野警部。私の同期だ。君たちに、失礼なことを言ったんじゃないか?」

「まあ、私はそんなに気にしていませんけど、明宏君がね」

「そうか。荻野は、昔からああいう奴でね。どうも、私のことが好きではないようなんだ。それで、清水さんだったね」

「はい。彼女、明宏君の高校時代の同級生なんです」

「そうか。それじゃあ、明宏君も心配しているだろう」

「――そうですね」

「分かった。荻野に、それとなく聞いてみよう」

「お願いします」

「ただ、荻野が私に素直に話してくれるかは、分からないがな」


「明宏君、今日は帰ってもいいわよ」

「でも――」

「ここで待っていても、何もないわよ。鞘師警部から連絡があったら、電話をしてあげるから」

「分かりました」

 僕は、不安な気持ちのまま、探偵事務所を後にした。

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