第7話

 昼休み。

 新之助は牛島、有希とともに、三階建て校舎三階にある三年A組

の教室の真上の屋上にいた。

 昼食の後、新之助が氏家に相談したいことがあるから屋上に来て

くれないかと誘ったら、氏家はふたつ返事でOKした。購買部で買

い物して行くから、先に行って待っていてくれと。だからもうすぐ

氏家はここに来るはずだ。有希には黙っていようと思っていたのだ

が、屋上に上がるところを見られ、ついてきてしまい、しつこく尋

ねられた牛島が訳を話してしまった。

「氏家のやつ、どうして黙っていたんだろう?」

 金網のフェンス越しに校庭を眺めていた有希が不満そうにつぶや

いた。校庭では十数人の生徒たちがサッカー遊びをしている。

「水臭いやつだ。親友のおれたちに黙っているとは」牛島が言った。

「よほどの理由があったんだろう」と新之助。

 校庭を眺めていた有希が振り返り、やや緊張した白い顔で尋ねた。

「まさか、氏家が殺したんじゃないよな? 山際が何時頃に死んだ

とか、分かっているのか?」

「氏家は無関係だと思いたい」牛島が辛そうな顔で答えた。「山際

が殺された時刻はさっき早川に訊いたんだが、五月十四日の夜、十

時から翌日午前一時の間だと言っていた」

 屋上の鉄の扉が開く音がして、新之助が振り返ると、氏家が外へ

出てくるところだった。氏家は片手を上げて、にっこり微笑み、弾

むような足取りで近づいてきた。

 身長百八十五センチ、体重七十キロのスリムな体型に、丹念に育

てられた白バラのように甘いマスクの氏家は、いつ見ても格好が良

いと新之助は思った。学年トップの成績で人当たりの良い氏家が、

ドン・ファンやカサノバにならないのが不思議だった。容姿普通、

学業普通の自分が氏家と親友付き合いをしているというのも、異次

元世界の話のような気がした。

「皆さん、おそろいで」傍へ来た氏家は素敵な笑みを見せた。そし

て新之助を見た。「相談事って、まさか借金の申し込みとかじゃな

いだろうね?」

 新之助は苦笑いして、首を振った。「違う」

「実はお前に確認したいことがあったんだ」牛島がやや緊張した表

情で切り出した。氏家は怪訝そうに牛島を見た。

「おれたちの中学時代の同級生で北島って覚えているか? 柔道部

にいたデブ」

「城南高に行った北島?」

「そうだ。そいつだ」

「覚えている。中学二年のとき、同じクラスだった」

「昨日、城南高で柔道部の連中と合同練習したんだが、練習が終わ

って、主将の北島と色々話しした。その中でお前のことが出た」

「どんな?」

「北島は山際涼子が殺された日の夜、お前と山際が一緒にいるとこ

ろを見たと言っていた」

「そんなはずはないよ」氏家は空を見上げ、おかしそうに笑った。

「あの日は塾が終わって、真っ直ぐ家に帰ったから山際に会えるわ

けがない。北島の見間違いだよ」

「おれもそう思って、何度も北島に確認した。しかしやつは絶対に

見間違いじゃないと言うんだ。五月十四日の夜十一時過ぎ、ゲーム

センターに行った帰り、上通り商店街の喫茶店オアシスでお前と山

際が一緒にいるところを見たと」

 氏家は両腕を組み、首をかしげた。「世の中にはおかしなことが

あるんだな。北島の話が本当なら、五月十四日の夜、おれは自分の

部屋にいながらにして、上通り商店街の喫茶店オアシスにもいたこ

とになる。幽体離脱でもしたのかな」

「お前が超能力者ならそういうことも可能だろうが、残念なことに

お前は普通の人間だ。ということはお前か北島、どちらかが嘘をつ

いていることになる」

 氏家は眩しそうに空を見上げたまま言った。「嘘をついているの

は北島だな」

「北島は毎日日記をつけているそうだ。五月十四日の欄には夜十一

時過ぎ、上通り商店街の喫茶店オアシスにいるお前と山際を見たと

書かれている」

 氏家の右の目尻の下の筋肉が、まるで生き物が蠢くようにぴくり

と痙攣した。氏家はふんと鼻を鳴らし、不快そうな顔をした。「北

島はおれのことが嫌いなんだろうな。話を作って、おれを陥れよう

としているんだ」

「おれは城南中の柔道部で三年間北島と一緒に汗を流したから、あ

いつの性格は分かっている。あいつは遊び人で間の抜けたところは

あるが、基本的には正直な人間だ。嘘をついてまで人を陥れようと

はしない」

「ということは、おれが嘘をついているということになりますなあ」

 氏家はひょうげた顔をして、下を向き、くっくっとひきつけたよ

うな笑声を漏らした。それから顔を上げ、幼児が大人にすがるよう

に牛島を見た。

「まさか、そのことを警察に報告しないだろうね?」

「警察に報告されたら困るのか?」

「困る」

「どうして?」

「察してくれ」

 牛島の狭い眉間の縦じわが深く刻まれ、十キロ四方まで聞こえそ

うな大音声が炸裂した。「お前が殺したのか? 山際涼子を」

「ああ」氏家は首を垂れた。「殺すつもりはなかったんだ。気がつい

たときには、両手で山際の首を絞めていて、山際は既に死んでいた」

「殺すほどの恨みがあったのか?」

「ない。全くない」

「じゃあ、どうして殺した?」

「分からない」美しい氏家の顔が醜く歪み、両目から大粒の涙が滴

り落ちた。氏家は両手指で涙を拭い、空を見上げた。「恨みも憎しみ

もない山際をどうして殺したのか、自分でも本当に分からない。分

かっているのは頭の中のもやもやがある限度を越えると、もう一人

の自分が動き出すということだけだ」

「もう一人の自分? 何だそれは?」

「正直なおれだ。この正直なおれは、普段は仮面を被ったおれの後

ろに隠れていて、表には出てこない。しかし、仮面のおれのもやも

やが臨界点を越えると、背中から姿を現し、動き出す。そうなると、

おれの周りで不思議なことが起きる」

「不思議なこと?」

「ああ、城西小学校事件覚えているだろう? あんなことだ」

「お前、まさか!」

 牛島は絶句して、呆然とした顔で新之助を見た。新之助は膝がが

くがく笑いそうになるのを、足指に力を入れ必死になってこらえた。

城西小学校事件とは、今年一月、市内の城西小学校に通う小学校一

年生の男児が殺害され、その切断された頭部が学校正門に晒され、

その残虐さと異常性から県内のみならず日本中を震撼させた未解決

猟奇殺人事件のことである。

「嘘だろう? お前がやったのか?」

 氏家は煩わしそうに首を振った。「分からない。いつものおれは違

うと言っている」

「正直なおれはどう言っている?」新之助は尋ねた。

「正直なおれ?」氏家は不思議そうに新之助を見た。含み笑いして、

「鳥小屋事件を覚えているか?」と言った。

「鳥小屋事件?」

 氏家はにやりと笑った。

「野鳥観察クラブの鳥小屋事件だよ」

「お前・・・・・・」

 新之助は暗澹たる思いで氏家を見詰めた。

 鳥小屋事件とは、去年の十月、第二高校の野鳥観察クラブの鳥小

屋で飼育されていたメジロ、ウグイス、ヒヨドリなど十数羽全てが

鋭い刃物で切り刻まれ、殺された事件のことだ。

「お前がやったのか?」

「そんな気がする」

「どうしてそんなことをするんだ? 氏家らしくないぞ」有希が言

った。

 氏家は有希を見、悲しそうに笑った。「氏家らしくね。おれは品

行方正で学業優秀、皆から好かれる氏家が本当のおれなのか、鳥を

いじめる氏家が本当のおれなのか分からない」

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