第5話

 新之助と牛島は学校の面会室で体育教師の古賀と向き合っていた。

 前夜、牛島の自宅へ早川から電話があり、山際が殺された五月十

四日の午後、早川の妻が街で古賀と山際が一緒にいるところを目撃

したと話した。

 一緒にいただけで怪しいとは限らないが、古賀は教師同士の懇談

の場でも山際の話題を持ち出すことが度々あり、山際に好感を持っ

ていたみたいだから、自分は古賀が犯人だとは全く思わないが、犯

人を推測する何らかの手がかりを持っているかもしれないから、話

だけでも聴いてみたらと早川は勧めたという。その後、昨夜のうち

に牛島から新之助へ電話があり、二人は今日の昼休みに古賀と面会

すると決めた。

 古賀は教師二年目の二十四歳で独身。去年の春、東京の体育大学

を卒業して、第二高校へ赴任してきた。大学時代は砲丸投げの選手

で、各種大会で度々入賞した経歴を持つ。筋骨隆々で牛島同様の体

格をしているが、牛島よりはるかに優しい顔立ちで、氏家ほどでは

ないが、女生徒には人気があった。

 牛島から五月十四日に山際と会ったか訊かれた古賀は、端正な顔

をしかめ、憤懣やるかたない表情を見せた。

「そのことは警察にも話して、ぼくに対する疑いは晴れたはずなん

だけど、どうして話を蒸し返すのかなあ。君たちはぼくが犯人だと

思っているの?」

 牛島が慌てて否定した。「とんでもないです。おれたちは犯人逮

捕につながる手がかりを捜しているだけです」

「君たちはいつから警察官になったんだ? 事件を捜査するのは警

察の仕事、君たちの仕事は勉学だ。余計なことに首を突っ込まない

方がいい」

「それがそうも言っていられないんです。この鹿島が犯人だと嫌な

噂が流れていて、こいつは今にも自殺しかねないほど悩んでいます。

こいつの濡れ衣を晴らすために、犯人をつかまえようなんておこが

ましいことは考えていません。犯人に迫る手がかりだけでも欲しい

んです。協力してください。お願いします」

 牛島はガラステーブルに両手をつき、頭を下げた。

「噂が流れている?」古賀は新之助を見た。「山際さんの殺害現場

に君の靴が落ちていたそうだが、犯人の心当たりはないだろうね?」

 新之助は込み上げる怒りを堪えて言った。「あの靴は四月にぼく

の靴箱から盗まれたものです。このことは刑事さんたちが学校に来

たときに説明して、納得してもらいました。どうして今頃になって、

ぼくが犯人だと噂が立つのか不思議です。先生は噂の出所を知りま

せんか?」

 古賀は首を振り、「知らない」と答えた。

「五月十四日の午後五時頃、先生は繁華街を山際さんと歩いている

ところを目撃されています。二人でどこに行かれたのですか?」牛

島が尋ねた。

「警察に話したから、警察に訊いてくれ」

「そう言わずにお願いします」

 牛島は再びガラステーブルに両手をつき、深々と頭を下げた。

「もうしょうがないなあ」古賀は子供みたいに頬っぺたを膨らませ

た。「あの日は午後六時から市役所で高校総体の準備会合が開かれ

たんだ。ぼくはそれに出席するため、市電で市役所に向かった。市

電の中で山際さんと一緒になり、話しをしたら、市の書道コンクー

ルに出品した自分の作品が入賞して、市役所の一階ホールに展示さ

れているからそれを見に行くという、それでは一緒に行こうと、市

電を降り、市役所まで一緒に歩いているところを早川先生の奥さん

に見られたという、それだけの話だ」

「帰りは一緒になりませんでした?」

 古賀はうんざりした顔をした。「おい、いいかげんにしてくれ。

準備会合の後、二次会に出て、二次会が終わったのは十一時を過ぎ

ていたんだ。どうしてその時間まで山際さんは、ぼくを待っていな

ければならないんだ?」

「山際さんは誰かに会う予定があるとか、言いませんでした?」

「言わなかった」

「先生は山際さんの交際相手に心当たりはありませんか?」

「どうしてぼくが山際さんの交際相手を知っていなければならない

んだ?」

「先生は女生徒に人気があるから、そういう情報が入っていないか

と」

「そういう情報は入ってないね」

 古賀が話しは終わりだと立ち上がったところへ、午後の授業開始

を告げるチャイムが鳴った。

 放課後、新之助と牛島は部活を早めに終え、学校正門前にある喫

茶店「コンチキ号」へ向かった。

 授業の休憩時間に有希が山際涼子殺害事件について氏家と牛島を

交えた四人で話し合おうと提案して、新之助が氏家と牛島の承諾を

取り、六時半に喫茶店集結を決めた。

 新之助と牛島が雑居ビルの階段を上がり、二階の喫茶店「コンチ

キ号」の扉を開けると、カウンターの内側にいた主人が「いらっし

ゃい!」とドスの利いた声で挨拶した。

 角刈り頭の四十代の主人は、色浅黒く精悍な顔をした冒険家で、

これまでにヨットによる単独世界一周航海を二度達成している。寡

黙で黒曜岩のような威厳のある風貌は、第二高校の生徒からは「ゴ

ルゴ13」みたいだ、と畏れ、敬われていた。

「遅刻だぞ」

 窓際のボックス席に座っていた氏家がなじった。

 新之助が腕時計を見ると、六時三十五分を指している。「悪い」

と牛島が答え、主人にナポリタンとアイスコーヒーを注文した。新

之助も同じものを注文した。

 五分後、「コンチキ号」の扉が開き、制服姿の有希が右手に黒のカ

バンを提げ、入ってきた。第二高校の夏の制服は、男は白のワイシ

ャツにグレーのスラックス、女は水色のブラウスとスカートである。

氏家は一度自宅に戻ったのか、一人だけ白のポロシャツにブルージー

ンズ姿だった。

 有希は主人にレモンスカッシュを注文し、「おれより先に来ている

とは、皆さん感心感心」と言った。新之助の隣に座り、新之助のアイ

スコーヒーを一口すすった。

 新之助は苦笑した。「ここに集まろうと言ったのはお前だろう? 

提案者が遅刻してどうするんだよ」

 有希は両手を合わせ、「ごめんちゃいね」とお辞儀した。

 牛島が笑い、桜をめでるような眼で有希を見た。

「有希ちゃん、何時間も遅刻したわけじゃないから、気にしなくてい

いよ」

「牛島は朝丘には甘いな」氏家が言った。

「おれの女王様だからな。鹿島には悪いけど」

「何だったら、熨斗紙つきでお前に進呈するよ」新之助が応じると、

「おれは贈呈品か」

 有希が新之助の背中を叩いた。

 ナポリタン二つとレモンスカッシュが運ばれてきて、新之助と牛

島はナポリタンを食べ始めた。部活の後は何を食べても美味しく感

じるが、この店のナポリタンは格別で、二人は週に最低三回は食す

る常連になってしまった。主人は新之助と牛島には量を多めに盛り

付けて出してくるので、他の客から不平が出たが、一徹ものの主人

は営業を度外視しているのか、えこひいきを改めようとはしなかっ

た。

「そんなに食って、夕ご飯食べられる?」

 有希が呆れ顔で言った。

「もちろん」新之助は答えた。

「クマちゃんは?」

「もちろん。夕食、夜食も平気」

「いったいどういう胃袋しているんだろう」有希は氏家を見た。「氏

家は何か食わなくて良いのか?」

「大丈夫。おれは部活やっていないし、小食だから」

 主人がレコードをセットして、店の中に哀愁を帯びたクラシックの

旋律が流れ始めた。途端に有希が眼を輝かせた。「おれ、この曲好

き。何ていう曲?」

「ブラームスのハンガリー舞曲」間髪を入れず氏家が言った。

「さすが! 秀才の氏家は何でも知っている」

「鈍才のおれたちとはえらい違いだ」牛島が面目なさそうに言った。

「小学校の頃、バイオリンを習っていて、先生がこの曲が好きでレ

ッスンの後、良くこの曲を聴かされた。それで覚えていただけ」

 氏家は謙遜した。

「今もバイオリンやっているのか?」

「中学二年でやめた。自分の才能のなさに気づいてね」

「優等生の氏家にも挫折があったんだ」

「そりゃあるさ。何でもこなせる完璧な人間なんて、この世にはい

ない」

「そろそろ本題に入ろうか?」ナポリタンを食べ終え、グラスの水

を飲み干した牛島が切り出した。

「昨日、山際と仲の良かった戸田と今村、担任の早川、今日は体育

教師の古賀と話したんだが・・・・・・」牛島は昨日から今日まで

の一連の経緯を有希と氏家に説明した。

 有希はミス・マープルを思わせる真剣な眼差しで聴き入っていた

が、牛島の話が終わると、「古賀が市役所の帰りに山際と待ち合わ

せでもしていたら、かなり怪しいとなるんだが、帰りは山際と別行

動だったんだな?」と確認した。

「会議が終わって、二次会に出て、二次会が終わったのが十一時を

過ぎていたらしい。そんな時間まで山際はどうして自分を待つ必要

があるのかと、怒り顔で逆質問してきたから、それ以上は訊けなか

った。警察には事情を説明して、疑いは晴れたはずだと言っていた

から、帰りは山際と会っていないと思う」

「早川はどうして自分で直接古賀に訊かないで、お前らに訊かせた

んだ?」

「気軽に訊くほど仲が良くないのだろう」

「五月十四日に古賀と山際が一緒に歩いているところを早川の奥さ

んが目撃して、そのことを警察に報告したのも早川だろう?」

「早川か奥さん、どちらかだな」

「警察に事情聴取させて、疑いは晴れているはずなのに、生徒まで

そそのかして、訊かせるってのは、古賀に恨みでもあるのか?」

 牛島はにやりと笑った。

「古賀が男前だから嫉妬でもしているのかな」

「十以上も歳の離れた後輩に嫉妬して、どうするんだよう」

「全くだ」

「さて、昨日、今日と牛島君、鹿島君は訊き込みご苦労さんだった

けれど、犯人逮捕につながるような手がかりは全く挙がりませんで

した」有希は氏家を見た。「氏家、犯人は誰だと思う? お前の優秀

な頭脳で推理してくれ」

 氏家は腕組みをほどき、眩しそうに有希を見、微笑んだ。

「警察の捜査はどのくらいまで進んでいるのかな?」

「早川の話ではほとんど進展はないらしい」と牛島。

「捜査のプロが苦労しているんだから、素人で高校生のおれたちが

簡単に手がかりをつかめるわけがない」

「となると、鹿島君の辛い状態は当分続きますね」有希は新之助の

横顔を覗き込み、「辛い?」と訊いてきた。

「ああ、辛い。毎日、大きな岩石を背負って、終わりのない坂道を

登っているような気分だ」

「シーシュポスみたいだな」氏家が笑って言った。

 牛島が目を丸くした。「何だ。シーシュポスって?」

「ギリシャ神話に出てくる際限のない苦役を強いられる人物で、ノ

ーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュのエッセイのタイトル

にも名前が使われている」

 有希は左手で新之助の背中をばしっと強めに叩いた。「終わりのな

い苦しみはありません。男なら毅然と耐えましょう」

「もちろんだ。しかし腹が立つなあ。五月は何の噂も立たなかった

のに、今頃になって誰が噂を流したのか」

「警察じゃないのか?」氏家が言った。

「警察はそういう回りくどいやり方はしないと思う。疑いがあれば、

堂々と訊いてくるはずだ」

「警察の捜査が正攻法ばかりとは限らん。成果を上げるためには別

件逮捕もするし、計略も弄するかもしれん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る