episode・57  追跡 甲州道中

 歳三は、煙管屋の二階に上がると、障子を細めに開けて、青梅に続く道を見おろした。

 陽が傾き、そろそろ晩飯の支度時なので、通りには忙しげに人びとが行き交っている。しばらく眺めていると、八郎と峯吉が部屋に入ってきた。

「トシさん、見張りの順番はどうしますか?」

 峯吉の問いに、歳三が考えをめぐらせる。

「一刻半ごとに交代しよう。まずは、俺がいろいろ様子を見て、どこに注意したらよいか、考えておく」

「でも、例の小男が、はたしてこの道を通るのでしょうか?」

 八郎の疑問は、もっともだったが、

「やつは甲州道中を避けています。となると、おのずと道筋は限られてきます。たしかに青梅道以外にも、細い裏道がないことはありませんが、いまは、ここに賭けるほかに、手立てがありません……

こういうのは、どこまで粘れるか、そこが肝要だと思います」

 八郎は、筋道が通った歳三の思考と、これと決めたときの決断力に瞠目した。


(トシさんには、ひとを宰領する資質がある)


 平吉に尋ねたところによると、背丈の半分もあるような刀を差した小男などは、見たことはない……という話しだった。

 商人や農夫に変装しているのか、あるいは、日中に出歩くことを、避けているのかもしれない。


(子どものような背丈の通行人を、すべて尾け回すわけには、いかねえし……さて、どうしたもんかな……)


 歳三が、考えあぐねていると、峯吉が道を指差した。

「あっ、いまそこを歩いてるやつも小男ですよ」

 すると、おりしも籠を背負った農夫が、甲州道中を左に曲がってゆくのが目に入る。

「わたしには、特に怪しいとは思えませんでしたが……」

 八郎がそうこたえると、歳三が、

「とにかく……商人姿だろうと、百姓姿だろうと、怪しいと思ったら、俺に言ってくれ」

「わかりました。じゃあ、トシさんの次は、俺が見張りますね」

 峯吉が陽気にこたえるが、先が思いやられ、歳三は、ため息をついた。

 じつは、その農夫こそ田無宿に向かって歩く、御子神紋多そのひとであったことは、さすがの歳三たちも、気付いてはいなかった。

 本郷宿は、甲州道中ほどではないが、交通の要衝である八王子の一角だけあって、ひと通りは絶えない。

 最初のうちは、通行人を観察することによって、多少は気をまぎらわすことができたが、それにも次第に飽きが来る。

 日が暮れて、提灯の明かりが行き交うころには、三人は、早くも倦怠感に包まれていた。


 見張り役が一巡して、峯吉の二巡めに入る。歳三は寝息をたて、八郎は横になり、冴えない表情で、黙然と天井を見上げていた。

 峯吉は、すっかり集中力をなくし、眠い目をこすりながら、あくびを噛み殺す。

 本郷宿の通りには、居酒屋が二軒あったが、九つ半ごろには店を閉めた。

 駒木野関・番人見習の徳太郎が通いつめている小料理屋の瀬川も、ついさっき暖簾をしまったが、まだ片付けが残っているのか、真っ暗な通りに、そこだけ明かりが灯っている。

 峯吉のまぶたが、くっつきそうになったそのとき……。

瀬川の明かりが、ひとつの影を浮かび上がらせた。


(子どものような背丈!)


 峯吉の眠気は、瞬時に吹き飛んだ。

「八郎さん、怪しい小男が、甲州道中のほうから……」

 峯吉が小声で告げると、八郎は音もなく窓辺に寄って小男の姿をたしかめ、刀を腰に差し、素早く階下に降りてゆく。

「トシさん、怪しいやつが……」

 峯吉が振り向いたときには、すでに歳三も立ち上がっていた。

「もう起きてる。峯吉、おまえは、まだそこにいろ。俺と八郎さんであとを尾ける」

「わかりました」

 峯吉が障子の隙間から見ていると、八郎が軒下の影の中に身をひそめながら、小男のあとを追うのが目に入った。

 歳三は勝手口から忍び出る。ふたりとも、まったく音を立てないので、家主の平吉は、起きだしては来ない。


 通りに出て、あたりの様子を伺うと、軒下の影を伝わりながら、八郎が戻って来るのが目に入り、歳三は怪訝な表情を浮かべた。

「八郎さん、やつは……」

「尾けるまでもありませんでした。あの小男は、一町も行かないうちに、向かいにある翠古堂とかいう店に入りました」

 先ほどまでの気怠げな様子は消え失せ、八郎の表情に、生気が戻っていた。

「翠古堂……ああ、あの骨董屋ですね」

 歳三の眼に鋭い光がさした。


 同じころ……翠古堂の居間では、捨五郎と御子神が向かいあい、ひそやかに話しをしていた。

「で、田無の様子は、いかがでござんしたか?」

「表側は、鉄壁の護りでござった。あれでは、いくさ支度でもせねば破れまい」

「そいつぁ難儀ですね」

 捨五郎の表情が険しくなる。

「だが裏手は、手薄でござる。生け垣に低い板塀があるだけで、あれなら梯子もいらぬ」

「では、簡単な仕事ですか」

「ところが、そう上手い話しは、転がってはおらぬようだ」

「……?」


 屋敷の裏手は、玉川上水の田無分水が流れているが、橋が架かっていないため、それが堀のかわりとなって、侵入者を拒んでいると、御子神が説明する。

「拙者は、軽く飛び越えることができるが、普通の者には、無理な相談でござろう。あの用水を、越える手立てを工夫せねばなるまい」

「ふうむ……堀ですか。そいつぁ、やっぱり難儀な話しですね」

 思わず捨五郎が考えこむ。

「明るい昼間に見れば、何か思案が浮かぶかもしれやせん。明日、あっしも様子を見てきやす」

「うむ。苦労をかけるが、そうしてもらおうか」


 見張りの一夜が明けた。

 歳三は、朝陽のまぶしさに目を細め、本郷宿の通りを見下ろす。

 通りはすでに、人びとが忙しなく行き交っている。

 宿場町は、旅人が出立する朝と、到着する夕方が混雑するが、それにくわえ、本郷宿では、近郊から野菜を売りに来る百姓の姿も多く見られた。

 居酒屋や小料理屋を除き、ほとんどの店がすでに開いているが、翠古堂は、表戸を閉ざしたままだ。

 部屋のなかでは、峯吉と八郎が寝息をたてていた。


「朝飯を持ってきました」

 そこに平吉が、握り飯と沢庵漬を持って、二階に上がってきた。

「おう、気を使わせて悪いな」

「とんでもない。ひと晩じゅうご苦労さまです」

「平吉。向かいの翠古堂って骨董屋だが、どんなやつがやっているんだ?」

「ああ、あの店ですか……」

 平吉の話によると。

 翠古堂は、髪の白い無口な年寄りが、ひとりきりで切りまわしており、手代や小僧などは使っていない。訪れる客が少ないので、その必要もないらしい。

 扱う商品が高額なため、客筋は名主や豪農などが多く、少ない客でも、経営は成り立っているようだ。

 そして、近所付き合いはほとんどないが、祭りなど、町内の祭事には気前よく金を出すので、疎まれているわけではなく、単に、ひと付き合いが苦手な主人と、見られているそうだ。


「古道具屋じゃなく骨董屋なんて、八王子では、あの店だけですからね。

町のみんなは、骨董を扱うようなやつは、変わり者が多いんだろう……と、妙に納得しています」

「なるほど……ところで、ゆうべたのんでおいた着替えは?」

「用意しておきました。菅笠と草鞋は、うちに買い置きがありますので、ご自由にお使いください」

「すまねえな。この借りは、いつか返す」

「トシさん、借りなんて、やめてください。役に立って、俺も嬉しいんですから……」


――そのとき。

 翠古堂の潜り戸が開いて、きちんとした身なりの商人が顔を出した。

「あいつは誰だ。平吉……見たことはあるか?」

「いえ。あんな男は、初めて見ました」

 歳三たちは、昨日の夕方から翠古堂に出入りする客は、すべて目にしていたが、この商人を見た覚えはない。

 つまり、歳三たちが八王子に来る以前から、翠古堂に滞在していたことになる。

 それよりも歳三が気になったのは、商人が店から顔を出したとき、左右を見回した油断のない目付きだった。


(あの野郎、堅気じゃねえな。おそらく盗賊一味……)


 歳三は、素早く考えをめぐらせる。目当ての小男ではないが、商人がどこに行くのか知っておきたい。しかし、自分と八郎がここを離れるのは避けたかった。

「峯吉、起きろ。仕事だ」

「と、トシさん、いったい……」

 峯吉が、寝ぼけまなこで起きあがった。

「あの商人を尾けるんだ。ただし、気付かれちゃならねえ。じゅうぶん距離をとって、決して無理はするな。気付かれるぐらいなら、見失ったほうがいい」

 峯吉が、平吉の用意した服に着替えると、

「あの格好からして、野郎は遠くまでは行かないはずだ。いいか、決して無理はするなよ。ほら、もってけ」

 歳三が小銭の入った小さな革袋を投げてよこした。

 あわただしく着替えを済ませた峯吉が通りに出ると、商人は、ちょうど甲州道中を左に、つまり江戸の方向に曲がった。


 峯吉は、菅笠を直しながら、そのあとを追う。

 甲州道中は、相変わらず人びとが行き交いごった返しており、これなら尾行に気づかれることもないだろう。と、峯吉が商人との距離を詰めようとした、そのとき、いきなり声をかけられた。

「おい、峯吉つぁん。そんな商人みたいな格好なりをして、何してんだい」

「おっと、驚いた。佐助じゃねぇか。おまえこそ、こんな朝っぱらから、ぶらぶらしてて、いいのかよ」

 佐助と呼ばれたこの男、峯吉や歳三とは昔馴染みの不良仲間で、いまは八幡の伊之助の手伝い、つまり、下っ引きをしていた。

「昨日の真っ昼間、山田川の河原で浪人者が斬られてさ。何か見たやつはいないか……って、あちこち訊いて回ってたんだけど、これが、さっぱりなんだ」

「ふうん……そんな騒ぎがあったのか。ちっとも知らなかった」

「そういうおまえは何を……」

 と言いながら、佐助がいっしょに歩き出す。

その問いにはこたえず、峯吉が前方を見つめ、真剣な表情で黙々と歩みをすすめる。


「ははあ、わかったぞ。おめえ、あの商人のあとを、尾けていやがるな」

「えっ、よくわかったな」

「おい、こう見えてもおいらは、八幡の伊之助の子分だぜ。そういう話なら本職だ」

「そういやぁ、そうだったな」

「だが峯吉……おめえは素人だ。そんな尾けかたじゃあ、あの野郎に、気づかれちまうぜ」

「えっ、これじゃあ駄目かい?」

「あたりめえだ。そんな険しい目付きで歩いてるやつが、どこにいるよ?」

「そんなに険しい目付きをしてたかなぁ……」

 峯吉が首をかしげると佐助が、

「いいかい。相手に気取られないようにするには……」


 まず、尾行対象に視点を合わせたりせず、相手を風景全体の一部として捉えるようにする。

 そして、相手が振り向いたとき、視線が合わないように、下半身を見るようにして、決して顔を見たりしない。また、相手が立ち止まったりしても、歩みぶりを変えたりしない。

「――と、まあ、それが基本だ」

「なるほどなあ……おい佐助。しばらく会わないうちに、おめえ、すっかり下っ引きらしくなったなあ」

 峯吉が感嘆する。

「当たりめえだ。もう八幡の親分に仕込まれて、二年も経つんだぜ……

いいか。尾けているんじゃあなく、おめえが行く先を、たまたま相手が歩いているって、心持ちにならないと、たいてい相手に気づかれちまうもんなんだ」

「なあ、ここでおまえに出会ったのも何かの縁。ちょっと手伝ってくれよ」

「ばか、何言ってやがる。おいらは親分の仕事を……」

「たのむよ。こいつを失敗しくじったら、トシさんに合わせる顔がねえんだ」


「ちょ、ちょっと待て。もしかしてこれは、トシさんにたのまれた仕事なのか?」

「ああ。峯吉、おめえにたのむ、って、トシさんにまかされた」

「馬鹿野郎! 最初にそれを言えよな。よし、引き受けた。尾けるのは、ふたりひと組が定石だ……まず、おいらが奴の先を行くから、おめえは距離をとって、あとから来るんだ」

 佐助は峯吉に、細かい指示をあたえると、先回りするため、甲州道中の人混みを掻きわけるように、足を速めた。


 峯吉は、張りきっていたが、歳三は、尾行が上手くいくとは思っていなかった。八郎と自分が、小男から離れるわけにはいかないので、これはやむを得ない選択だったのだ。

 しかし、峯吉が偶然、下っ引きの佐助に出会ったことによって、事態は、歳三が思ってもいない方向に動き出していた。


 峯吉は、玄人である佐助の指示にしたがって、相手の姿が確認できるギリギリの距離を保って、あとを尾ける。

 商人が渡し舟に乗ると、同じ舟には乗らずに、岸辺から見送った。対岸には、すでに佐助が先回りして商人を待ちうけているからだ。

 舟着き場は、江戸に向かう旅人でごった返している。ありふれた商人姿の峯吉を気にする者は、ひとりもいなかった。



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