episode・40  甲府 盗人宿


 歳三たち一行が、甲府に到着した、まさにその日、捨五郎も甲府の町に入っていた。


 おつるが百姓代の家に入ったことを見届けたあと、結局、八王子には宿泊せず、駒木野関が閉まっているため、真っ暗な高尾山に登り、金比羅神社の西側にある蛇滝を経て、行ノ沢を下り、裏高尾から甲州道中に出た。

 そして、夜を徹して歩き続け、黒野田の盗人宿に一泊しただけで、わずか二日で甲府まで歩いたのだから、たいした健脚と言わねばなるまい。


 捨五郎が、新家道場の裏手の小屋に入ったのは、深夜に近い刻限だった。

 小屋のなかでは、御子神一味の五名が、すでに顔を揃えていた。

「速かったな……おぬしが戻るのは、てっきり明日の夕刻だと思っておったわ」

 御子神が、捨五郎に言った。

「へえ。八王子本郷宿の盗人宿に泊まってから……と、思っていたんですが、どうにも気が急いて、高尾山を抜けて、夜旅をしちまいやした」

 御子神一味は、盗んだ金の一時的な隠し場所や中継点として、黒野田と八王子本郷、そして飯能に、盗人宿をもうけていた。

 歳三が推理したとおり、御子神一味は、川越でひと仕事をしたあと、飯能の盗人宿で身を潜めていたのだ。

 盗人宿は、武州を荒らし回るのに都合がよく、なおかつ、よそ者が目立たない、甲州道中の黒野田のような、にぎやかな宿場にもうけてあった。


 八王子本郷宿は、甲州道中の北側で、八王子十五宿の中心部、八幡宿の裏手にあり、いまは場末だが江戸初期には、代官屋敷の一部が置かれていた。

 飯能宿は、秩父往還吾野道の宿場である。奥武蔵の入り口であり、西川材と呼ばれる木材や、絹の集散地として、相州と武州、そして上州を結ぶ街道の宿場として、にぎわっていた。こういった賑やかな町ならば、よそ者がいても気にする者などおらず、なにかと都合がよかった。

「小頭……それで、押し入るのは、いつになさるんで?」

「おぬしが早く戻ったので、予定を早めて、五日後にしよう」

「拠点は、本郷宿の盗人宿ですね」

「うむ。目立たぬよう、ばらばらに時をずらして、ここを出立するのだ」

「へえ。わかりやした」


 おつるが出て行ったので、小屋のなかで話をする一味の声は、いつものような小声ではない。

 御子神も小屋の外で、まさか前澤が、聞き耳をたてているとは、思ってもみなかったからだ。

「あの御家人崩れの前澤には、いつ知らせましょうか?」

「まだ信用がおけるかは、心許ない……本郷宿に発つ前の日がよかろう。ところで、新家の女房はどこに……」

「おっと、いけねえ。肝心の用件を、忘れるところだった。おつるは、弟が養子に入った八王子の子安宿の百姓代、松村って家に、落ちつくようです」

「すぐにバラすんですか?」

 捨五郎の言葉に、松蔵が口をはさむと、御子神がにやりと笑った。

「そのことだがな……よいことを思いついた。祐天には、四日後に殺るように伝えるつもりだ」

「なるほど。そいつあいい思案だ。あっしたちの仕事の前の日……役人の注意を引いて、目眩ましにするんですね」

「最後に拙者たちの、役にたってもらうのもよかろうて」


 部屋のなかから、一味の哄笑が響きわたると、小屋の外に身を潜めていた前澤の口元にも笑みが浮かんだ。


(ここまできけば充分だ……)


 前澤は息を殺して、ゆっくりと後退り道場に戻った。

 女房が家を出たので、新家はさっそく陰間茶屋に出かけていたので、戻るところを気付かれる心配はなかった。


 山口は、退屈を持て余していた。

 懐が暖かいので、賭場に行く気にはならなず、芝居には興味がない。倉本に釣りに誘われたが、釣りにもまったく関心がなかった。

 なにより甲府に来てからは、虚脱感に囚われ、夕方まで離れの部屋でごろごろして、顔馴染みになった新家の道場の前の茶店まで散歩をして、団子を食べることが、唯一の楽しみであった。


 その日も午後遅い時刻に、いつもの茶店に出向くと、奥の席に前澤がいるのが目に入った。

「おまえが団子とは珍しいな」

 団子を手にした山口が、席に腰かけると、前澤が言った。

「ここの団子は、なかなか食わせる……おぬしこそ、茶店など柄ではあるまい」

「ああ。どうやら四日後に仕事らしい……しばらく甲府を離れるので、おまえに言っておこうかと思ってな。ここで待っておった」

「ふん。例の仕事だな。で、どこに押しこむのだ?」

「武州の和田村、大宮神社門前町の米穀問屋らしい。質屋もやっていて、たんまり貯めこんでいるという話だ」

「おい、ちょっと待て……などと、ずいぶん曖昧な話だな」

「ああ、そのことか。知らされたのではなく、盗み聞きしたのだ」

 前澤が、しれっと言うと、山口が吹きだした。


「くっくっく、盗み聞きか。いかにもおぬしな」

「怪しげなやつらと組むのだ。それぐらいの用心は、して当然だ」

「たしかにな……ところで、一昨日だったか、朝早く道場から、美形の年増が旅支度で出てきたが、あれは誰だ?」

「ふふふ、山口……おまえにしては、珍しいことを訊くな。なんだ、さては惚れたか」

 前澤が茶化すと、山口が憮然とするが、構わず続ける。

「あの女は、新家の女房だ。旦那の陰間狂いに嫌気がさし、三下半を突きつけたあげく、八王子の子安宿の松村とかいう、弟が養子に入った家に行ったようだ」

「女が出て行ったあと、商人ふうの怪しげなやつが、裏の小屋から出てきて尾けていったぞ」

「口封じさ。祐天仙之助とかいう博徒に、三日後に始末させるそうだ」

「ははあ、居どころを確かめるために尾けたのか……」

「そうだ。女房は、新家が盗人の仲間とは気付いてはおらぬようだが、念のためというやつさ……」


 そう言いいながら前澤は、串から団子を、三ついっぺんにかじりとった。

「…………」

 山口は、返事もせず黙りこむと、不意にに立ちあがり、小銭を卓に置く。

「――おい、ちょっと待て」

 前澤がそう口にしたときには、山口はすでに、店を出ようとしているところであった。

「ちえっ……いったい、なんだっていうんだ……」

 鋭く舌打ちすると前澤は、残りの団子にかじりついた。

「ふむ……やはり、ここの団子は旨い。羽二重団子の上をゆくな……」


 山口は、間借りしている、倉本の屋敷の離れの部屋で寝転がり、身動ぎもせず天井を睨んでいた。

 しかし、その目が見ていたのは、もちろん天井などではない。

 目を閉じると、あの夜の襲撃で死んだ、矢場女の顔が浮かぶ。

 新家の女房の面差しは、さして女には似ていなかったが、印象的なまなざしと、醸しだす雰囲気が、なぜかよく似ていた。

 いつもねぐらに帰ると、女は不機嫌な顔をして山口を出迎えたが、思い出すのは、時折見せた無垢な笑顔だった。


――だが、その女はもういない。

「くそっ」

 山口は、よどみない動作で起きあがると、刀を腰に差した。

「やっ!!」

 烈迫の気合いをかけ、白刃が空を斬り裂く。

 いまさらどうにもならないが、女を死なせてしまったのは、おのれの未熟さと油断がもたらした結果だった。

 二度、三度と抜刀したが、自分に対する怒りは、一向に鎮まる気配がなかった。


 倉本が勤めから帰ると、山口は式台に腰掛け、草鞋を履いているところであった。手甲脚絆を身につけ、旅支度である。

「おい、おぬし……そのような格好なりをして、こんな夕方から、旅にでも出るつもりか」

「ああ。いまおまえに、置き手紙を書こうかと思案していた」

 倉本の問いに、ぶっきらぼうに山口がこたえた。

「なんだ、急な話だな。まさか江戸に帰るのか?」

「いや。ちょっと野暮用で八王子にな……七日ばかりしたら帰ってくるつもりだ」

「しかし、このような刻限に発ったら、石和に着くころには、真っ暗だぞ」

「かまわん。そのまま夜旅をするまでだ」

「おいおい。東海道ではないのだ。やめておけ。無茶をするにも、ほどがある」


 当時は、むろん街灯などはない。灯りは宿場の入り口の常夜灯ぐらいである。よほど旅馴れたものであっても、夜旅などはめったにしなかった。ましてや、山ばかりの甲州道中である。

「ふふっ、心配するな。追い剥ぎが出たら、逆に身ぐるみ剥いでくれるわ」

「いや、そういう心配は、しておらぬ。むしろ、おぬしに出くわした夜盗のほうが災難だろう。俺が心配しているのは、暗い夜道のほうだ」

「なあに、そちらも馴れたものだ。明日までに、犬目か野田尻……できれば、上野原までゆきたいところなのだ」

「やけに急ぐのだな。まあ、それなら止めぬが……金はあるのか? 少ないが餞別を……」

「大丈夫だ。金ならたっぷりとある。気持ちだけ受けとっておこう」


 呆れる倉本の視線を背中に浴びながら、山口は、甲州道中へ向かった。

 柳町に出ると、先ほどの茶店に立ち寄り、団子を十串購う。

「あれまあ、お武家様。ずいぶん食べなさるね」

 すっかり顔馴染みになった娘が、すっとんきょうな声をあげた。

「いまからちょっと旅にでるので、飯がわりにな……団子は経木に包んでくれ」

 娘が団子を包んでいる間に、茶店の客に何気なく目を向けると、まるで役者のような容貌をした商人と、剣客ふうのふたりが目についた。

 剣客のひとりは、驚くような美形で、残りひとりも整った顔立ちであるが、自分や前澤と同類の匂いを感じる。

「お待たせしました。お武家様、お気をつけて、いってらっしゃいませ」

 娘の声に、山口の思念は中断し、奇妙な三人組から目を逸らし、そのまま茶店をあとにした。


「トシさん、なにをそんなに、ぼんやり見ているんですか?」

  峯吉の声に、歳三は我に帰った。

「ああ……なんでもねえ。いま団子を買ってた野郎に、思わず気をとられちまった」

「あの男……ただ者ではありませんね。身のこなしは、明らかに武芸者。なにやらキナ臭い匂いを感じました」

  八郎がつぶやいた。

「怪しい野郎だ。あれで背丈が小さかったら、間違いないところなんだが……」

「小男どころか、背丈はトシさんより高かったですね。それよりも、これからどうするんですか?」

 峯吉が歳三にきいた。

「いまから発ってもしかたねえしな……明日の朝七つ発ちということで、これから緑町で一杯やろうぜ」

 そうこたえながら歳三は、勘定の小銭を置くと席を立った。

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