episode・39  天然理心流 陰勇剣


 心形刀流の道場『勇心館』は、甲府の城下町の東の外れ、金手町にあった。

 金手町は、かつては繁華街として知られていたが、にぎわいは、緑町や西一条町に移り、いまではすっかり寂れている。

 そのおかげで店賃が安く、比較的少ない門弟でも、道場の経営は成り立っているようだ。

 勇心館のあるじ杉浦織部は、先々代の伊庭軍兵衛(秀淵)に学び独立した。当代の勘兵衛も、以前は下谷の伊庭道場に留学していたが、それはまだ八郎が生まれる前の話だ。

 歳三たち三人を、勘兵衛は丁重に迎えた。

 勇心館に拠点を定めると、早速勘兵衛と付き合いのある道場を回り、背丈の低い剣客のことを探るが、めぼしい成果はなかった。

 というのも、御子神は甲府では昼間の外出を避け、主に夜間に活動しており、さらに新家の道場以外には、まったく出入りしていなかったからだ。盗賊ならではの用心深さである。


「これで主な道場は、だいたい回りましたが、何も出ませんでしたね」

 ため息まじりに、八郎が言った。

「あとは、杉浦さんと付き合いのない道場だけか……」

 めずらしく歳三の表情も冴えない。

「柳町の新家道場は、博徒の門弟が多いという噂ですが、どうやって探りましょう?」

「下手に嗅ぎ回って、怪しまれたらまずいですね……

八郎さんと峯吉は、旅の修行者のふりをして道場を訪ね、それとなく探ってください。俺は行商をしながら、近所で話を訊いて回ります」

 八郎の問いに、歳三が間髪を入れずにこたえた。

「善は急げ。じゃあ、早速行きましょうかね!」

 嬉しそうに、峯吉が立ちあがる。


「――それと。峯吉はともかく、八郎さんの名前を出すのはまずい。ふたりとも、天然理心流の修行者……

ということにして、なるべく平凡な腕前を、よそおってください」

「八郎さんと俺が本気をだしたら、道場破りになっちまいますからねえ」

 峯吉が得意げに言うと、歳三が鼻で笑う。

「ふん、おい峯吉、おめえは大丈夫だ。本気でやれ」

「トシさん、また俺のこと馬鹿にしてますね」

 峯吉が口をとがらせるのを見て、たまらず八郎が吹き出した。

 歳三は、知らん顔で、なにやら帳面のようなものに、一心不乱に文字を書いていた。


「本当にここですかね? 看板はないけど、お店にしか見えないですよ……」

 峯吉は、呆けた顔で柳町の新家道場を見ながら、八郎に言った。

「峯吉さん……でも、竹刀をうちあう音がきこえてきますよ。あっ、ほらそこに」

 八郎の指さす先を見ると、入り口の脇の板壁に『神道無念流指南・雲陽館』という、小さな看板があった。

「あっ、本当だ……八郎さん、では参りましょうか」

「わたしは、伊庭八郎ではなく、天然理心流、山本満次郎の門弟の高山八郎という名前です。お間違えなく」

「やだなあ、わかってますって。八郎さんもトシさんも、俺のことを、馬鹿にしすぎですよ」

「失礼……わたしも身分を偽って探りを入れるなど、はじめてのことです。気にさわったら、ご容赦ください」

「あ、いや、責めてるわけじゃあ、ありません。さあ、気を取り直して行きますか!」


 新家道場は、味噌醤油問屋を元にして、道場に改装しているので、あとから町屋の造りには不相応な、玄関と式台がしつらえられていた。

 峯吉は、道場の玄関をくぐると、式台の前に立ち、口上をのべる。


「たのもう! 拙者、武者修行にて罷り越した、天然理心流、山本満次郎門弟、武州浪人・中島峯吉と申す者でござる。当道場の師範に、一手御教導たまわりたく、お取りつぎ、お願い申し上げます!」

「同じく天然理心流、高山八郎。――共々、よろしくお願い申し上げます!」

「どおれ!」

 峯吉と八郎を出迎えたのは、全身に精気をみなぎらせた、中年の六尺豊かな大男である。

 男は武家ふうの髷を結い、精悍な面構えだが、どこか崩れたものを感じさせた。

 道場では、十数名の門弟が稽古しているが、三人にひとりは、博徒のように見える。

 峯吉が目配せすると、八郎が目で同意をしめす。


「山本。お通ししなさい」

 新家がふたりを、にこやかに招き入れる。山本と呼ばれたその門弟が、ふたりを、師範席の前に案内した。

「手前が当道場の師範、新家粂太郎です。ようこそ参られた。存分に修行してゆくがよろしい」

 若いふたりに対して、いたって穏やかな新家の物腰に、峯吉は戸惑う。

「あ、ありがとうございます……それでは、こちらを、お願いいたします」

 ふたりは新家に、うやうやしく修行帳をさしだす。

 武者修行者は、この修行帳に、訪ねた道場で試合をした相手の署名をもらうのが、当時のしきたりであった。

「うむ……では、山本。高山殿の胸を借りなさい」

「承知しました」


 山本が修行帳を手にとると、表紙には、八郎の筆で『剣術試合帳・安政四年丁巳・春正月吉日』と、あり、裏表紙には『天然理心流・山本満次郎徒・高山八郎秀斉』と、記されていた。見事な米庵流である。

 表紙をめくると、筆跡の違う文字で、いままで対戦した相手の名前と流派が、ずらりと並んでいるが、それは先ほど歳三が書いたものだ。

 古びて見せるため、うっすらと濡らして紙をよれさせたり、竈の灰などで古色を入れている。歳三は、なかなか芸が細かい。

 山本が流暢な文字で『神道無念流・新家粂太郎門下・山本仙之助源幸正』と記した。


 試合がはじまると、新家をはじめ、見ている者たちは、いかにも華奢に見えた八郎が、山本の猛烈な攻撃に対して、意外と善戦していることに、驚きを隠せなかった。

 しかし、いちばん驚いていたのは、峯吉だった。

 八郎は、天然理心流の初伝の技のみを使い、山本と対戦していた。

 天然理心流の門弟を装っても、必要最小限の動きで、攻撃に対処するやり方は、かわらない。

 その技は、天然理心流の修行者をよそおうため、わずか半刻ばかりの短時間に、歳三と峯吉が八郎に教えたにすぎない。


 それなのに、明らかに新家の高弟と思われる、力強い山本の攻撃を、見事にいなしている。

 八郎は、何度も追いこまれていたが、身につけた心形刀流の技は、ひとつもださず、峯吉の目から見ても、天然理心流の修行者にしか見えない、巧みな竹刀捌きを見せていた。

 試合は膠着状態をむかえた。激しい連続攻撃を、ことごとくかわされた山本は、汗だくになり、肩で息をしている。


 一方、八郎は、慣れない天然理心流の技を使用したやりとりに、汗こそ流しているが、まだ余裕の表情である。


(なるほど。トシさんの読みは深い……八郎さんが、本当の実力を出して戦ったら、ドサ廻りの修行者には見えないが……)


 八郎に、あえて慣れない天然理心流を使って戦わせることで、天才というには遠い、必死に試合を運ぶ、の腕前に見せていた。

 膠着状態をうち破るため、山本は、鋭く気合い声を発すると、竹刀を八双に構えた。

 八郎は、天然理心流の基本的な構え平晴眼。

 ふたりは、相手の出方をうかがい、動きを止めている。

 山本が、うちかかろうとした瞬間。


「やっ!」

 八郎がその起こりを捉えて、真っ向から竹刀をうちこんだ。

「一本! それまで!」

 新家が宣言する。八郎の竹刀は、見事に山本を捉えていた。


(天然理心流・陰勇剣!)


 峯吉は戦慄していた。陰勇剣は、陰、つまり、八双に構えた相手の起こりを捉えてうちこむ、天然理心流の基本的な技のひとつである。

 間合いとタイミングがすべてのこの技は、初伝で習う技ではあるが、使いこなすのが難しい。

 実際、一年以上修行している峯吉ですら、このように、陰勇剣を見事に使うことはできない。

 それを八郎は、わずか半刻の練習で、自分のものにしていた。


(やはり八郎さんには、天賦の才がある。俺なんぞとはが違う……)


 峯吉は、大きくため息をついた。が、この男に剣才があることは、本人だけが気がついていない。試合の細かい機微が読めていることが、それを証明していた。


 その後、八郎は七名と試合をしたが、新家に負けた以外は、すべて勝ちをおさめていた。

 峯吉はというと、八郎の試合ぶりに衝撃をうけ動揺したのか、八名と対戦して、明らかに実力の劣る四名をくだしただけで、同じような実力の相手にも負けていた。

 道場を辞するときも、八郎のように演技ができず、不満げな表情を浮かべているが、それがむしろ、リアルに修行者を演出していた。

「新家師範。御教導いただき、深謝にたえません。中島共々、おかげで、よい勉強になりました」

 八郎がへりくだった挨拶をし、峯吉も頭を下げた。

「高山殿、そして中島殿。我が門弟たちにも、よい経験になりました。これは、ほんの気持ちです。お受けとりください」

「かたじけない。それでは、遠慮なく頂戴いたします」

 道場に修行者が訪ねてきた場合、相手の格に合わせて寸志をわたすのが、当時のしきたりである。

 武者修行者は、この金で旅を続けることができたのである。


 道場をあとにすると、ふたりは、歳三と待ち合わせていた茶店に足を向ける。

 夕暮れまでには、まだ刻があるので、茶店は、かなりにぎわいをみせていた。

 歳三は、紺の着物に尻っ端折りの、いかにも旅から旅への商人のなりで、ふたりを待っていた。

「おう、来たか……峯吉。で、道場の様子はどうだった」

「それが……」

 峯吉は新家が、いたって穏やかだったこと。やくざふうの門弟は多かったが怪しげなやつは見当たらず、特に態度が悪いようなこともなく、真面目に稽古していたことなどを語った。

「ふうむ……八郎さんの感想はどうですか?」

「わたしの感想も峯吉さんと同じですね。すべての門弟を、見たわけではありませんが、真面目な門弟ばかりで、例の小男に関わっているとは、思えませんでした。そういうトシさんのほうは?」

「こっちは、完全に空振りです。このあたりで、怪しい小男を見た、などという話は、まったく耳にしませんでした」

 歳三が続ける。


「でも、石田散薬は、全部売れちまいましたがね」

 歳三が笑うと、峯吉と八郎もつられて笑うが、八郎が、ふと真剣な表情になった。

「わたしたち素人では、調べるにしても、限界がありますね」

「このまま甲府にいても、埒があくとは思えません。いったん多摩郡に戻って、体制を立て直しませんか?」


 歳三の提案に、黙ってふたりがうなずいた。

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