episode・15  小仏峠・前 邂逅

「――永倉さん!」


 青梅宿の外れの勝沼町にある、新之助の道場に一泊して、翌朝出立すると、宿場の棒鼻にさしかかったところで、いきなり声をかけられ、新八は、思わずぎょっとした。

 江戸の町ならともかく、こんな場末の宿場で、知り合いに会うなどとは、思ってもみなかったからだ。

「おっ……なんだ野口じゃねえか。脅かすなよ。いったい誰かと思ったぜ……」

「永倉師範代こそ、こんな山奥で、何をしているんですか?」

 この男は、野口健司。

 水戸から出てきて、百合元道場に通う、いわば新八の弟弟子である。

 ひょろりと、背ばかり高く、あまり目立たない男だが、見かけによらず剣術の才能があり、昨年、百合元から免許を授けられていた。

「ああ、俺は、武者修行で、あちこちとな……」

「武者修行って……よく、松前家から許しがでましたね」

「いや、許しはでてねえ。だから、思いきって欠落ちした」

 これには、野口も驚いたらしく、ぽかんと口を開けて呆れている。


「そういうおまえこそ、しばらく見ねえと思ったら、こんなところで何をやってるんだ?」

「はい……ひと月ほど前に、水戸で世話んなった方から、甲府までこないかって、誘いがあったもんで、しばらく甲府におりました」

「甲府くんだりで、何をしてたんだ?」

「代稽古です。その方は、柳町で道場を開いているのですが、近ごろ忙しいらしく、教えている暇がないから、代わりに弟子に稽古をつけてくれって……」

「ふん、おまえが代稽古かよ。出世したなあ、おい」

 新八が茶化すと、

「永倉さん、勘弁してくださいよ」

 野口は、顔を赤くした。

「まあ、こんなところで立ち話もなんだ……俺の奢りだ、そこの茶店に入ろうぜ」


 時分刻なのか、茶店は、たいへんな混雑だった。

 新八は、団子を三人前注文する。

「しかし、甲府に我が流儀の道場があるとは、ちっとも知らなかったぜ。あんな田舎で道場を開いて、商売になるのかね?」

「それが……甲府には直参がけっこういるし、道場は、そこそこ流行っているのですが……」

 野口が言いにくそうに、口を閉ざした。

「はっきりしねえやつだな。なんだよ!」

「はあ……永倉さんは、想像もつかないと思いますが、甲府の町ってのは、どうにもガラが悪くていけません……」

 野口が口ごもる。

「――で?」

「武家の弟子なんて数えるほどで、ほとんどが、やくざもんばかりで、ほとほと嫌んなりました」

「でもまあ、金になりゃあ、いいじゃねえか」

 新八が笑いとばした。

「いや、笑い事じゃあないですよ……」

「そんなにひどいのか?」

「はい。今年の正月に、小天狗亀吉に殺された三井の卯吉。黒駒の勝蔵を筆頭に、卯吉の後釜を狙う祐天仙之助、さらに、こないだ遠島になった、吃安どもやすこと武居安五郎、伊沢の万五郎、甲府の玉五郎……数えあげたら、きりがありません」

「へえ、群雄割拠、まるで戦絵巻だ。で……太閤になりそうなやつぁ、誰だ?」

「道場には、祐天仙之助が通っていましたが、こいつが度胸もあるし、腕もたちます。わたしも三本に一本はとられました。そこいらの武士より、よっぽど強い。いずれ、甲府の町を牛耳るかもしれません」

「おもしれえなあ。江戸じゃあ見られねえ見世物だ」

 新八が手を叩いて喜んだ。


「わたしは、いい加減、に剣術がしたいので、兄弟子がかえってきたのを機に、強引に引き揚げてきました」

「なるほどなあ。じゃあ、ここで俺に出会ったのは、天の采配かもしれねえな……

おまえは、運がいいぜ。この青梅宿には、俺の撃剣館の先輩が、道場を開いていらっしゃる。ここだけの話、百合元先生よりは、ちょっとばかり腕が上だ」

「本当ですか! そりゃあ、ぜひとも紹介してください!」

「おう。じゃあ、今から案内するから、ついてきな」

 新八が、もごもごと団子を頬張りながら言った。

「はい。お願いします」

「ところで、甲府の道場主は、なんてやつだ?」

「新家粂太郎さんです」

「ふうん。聞いたことねえなあ……」

 新八は、そうつぶやくと、しばらく宙を睨んでいたが、

「あっ!」

 思わず大きな声をだした。

「永倉さん、なにか思いあたることでも?」

「いや、何でもねえ……俺の勘違いだ」


――新家粂太郎


 それは、たしかに、怪しい人物六名のなかにあった名前だった。

 新八は、野口を新之助の道場に預けると、八王子横山宿に引き返すため、再び山道に足を向けた。


 八王子に戻ると新八は、真っ先に八木宿名主の岩田文七を訪ね、青梅宿での経緯を報告した。

「いやあ、永倉殿。たいした成果ですなあ……八州様のお調べでも、なんの手掛かりもなかったのに、怪しい人物を、六名も見つけてくるとは」

「なあに、運がよかっただけさ……まさか、青梅宿で、兄弟子が道場をやってるなんて、ちょっと出来すぎなぐらいだ」

「ご謙遜を……」

「といっても、こいつらが盗人だってわけじゃあなく、怪しいってだけの話だけどな……」

「しかしこれで、手前も八州様に、面目がたちます」

「名主ってのは、八州廻りの手先も務めるのかい?」

「はい。手前ども名主をはじめ、代官所の手代や、宿場の道案内と呼ばれる手先(十手持ち)が、八州様のお手伝いを、いたしております」

「この名簿のなかで、俺が怪しいと思っているのは、新家ってやつだが、こいつの道場は、甲府の柳町にあるそうだ」

「はあ。甲府ですか……残念ですが甲州は、関八州ではないので、八州回りの管轄外。代官支配になります」

「ふうん。そうなのか……不便なもんだな」


 天明の飢饉以来、東日本から北日本にかけて、農業を棄て、逃散するもの、無宿になるものが、あとをたたなかった。

 特に関八州は、大名領、旗本領、天領、寺社領などが複雑に入り組み、犯罪者にとって都合がよく、大量の無宿人があふれた。

 松平定信の自伝によると、その数たるや、百四十万人に及んだそうだ。

 そうした無宿者のなかから、やがて博徒が横行するようになった。

 なかでも上州は、無法地帯に近く、二十七もの博徒が一家を構え、先年処刑された国定忠治などは、大名さえ凌ぐほどの勢いだった。

 次いで上総、下総、そして甲州も、博徒たちの勢力が強く、ここ数年は、富士川水運でつながる、駿府の博徒との勢力争いに明け暮れており、清水の次郎長と黒駒の勝蔵が、激しく対立していた。


 後年、教育にもちからを入れて、地域の発展に尽くした人格者の次郎長も、このころは、まだ若く、凶暴なやくざであった。


 そういった、無宿人や浪人、博徒を取り締まるために作られたのが、関八州取締出役である。

 この役目は、八州廻りともいわれ、御家人などが、その役についた。

 身分は軽輩だったが、その権勢は強く、駕篭を乗りまわし、何人もの小者を引き連れ、博徒の取り締まりにあたった。

 大きな宿場や村には、道案内と呼ばれる手下がおり、さらに宿場の名主も、捕物に協力していた。

 八州廻りは、犯罪者や無宿人を、大名領、旗本領、天領の区別なく取り締まる権限を与えられていた。


「へえ。そいつは豪儀だ。なのに甲府は、支配違いなのか……」

「はい。甲府だけではなく、水戸や、川越も支配違いでございます」

「そうなると、いくら新家が怪しくても、調べようがないってわけか……」

「ともあれ、まことにご足労を、おかけしました。手前としては、八州様に面目が立てばよいので、それで十分でございますよ」


 八木宿の名主宅を出ると、新八は、増田蔵六の道場に向かった。

 もうひと月ぐらいは、道場に滞在して、腕を磨くつもりでいたが、どうにも甲府の道場が気になってしかたないので、いったん暇乞いをするつもりだった。


 そのことを蔵六に話すと。

「なるほど。その甲府の道場主の、素性をたしかめにゆくとな。ならばしかたあるまい……」

「はっ。もう少し師範の教えを受けてから……というのが本当でしょうが、どうにも気になってしかたありません」

「はっはっは、おぬしらしいのお。まあ、それも良かろう」

「申し訳ありません」

「なに……甲府の用事が済んだら、また来るがよい。おぬしなら、いつでも歓迎しよう」

「ありがとうございます」

 新八は、その日、龍尾剣の教授の仕上げをすると、一泊して、翌朝、甲州道中に道をとり、甲府を目指して歩きだした。


 甲州道中は、東海道や中山道とちがい、参勤交代に利用するのは、わずか三藩。そして、八王子から先に、大きな宿場もなく、急に寂れて田舎じみた山道になった。

 男の手形は調べがない、駒木野の関を抜け、小仏峠を登り、山頂までくると、三軒の茶屋が並んでいた。

 朝から歩きどおしで、さすがに腹が減っていたので、新八は、端の茶屋に入った。

「婆ちゃん。なんか食べるもんは、できるかい?」

「へえ。うどんなどは、いかがでしょう」

「いいね。それを三人前たのむ」

「あらまあ。お武家さん、ずいぶん食べなさるね」

「朝から歩きっぱなしで、もう腹ぺこなんだ。たのむぜ」

「へえ。茹でるのに、ちょっとかかります。しばらくお待ちくだせえ」


 新八が、ようやくひと息ついて、一服しようと、腰の煙草入れに手をのばすと……。

「やい、こらっ! てめえの邪魔な荷物が、俺様の足にあたったじゃねえか!」

 明らかに暴力を生業なりわいにしている者に特有の、凄みのある怒声が、耳に飛びこんできた。

 どうやら、むしろで隔てられた、隣の茶店から聞こえてきたようだ。

「そいつは、大変失礼しました。このとおり。申し訳ありません」

 落ち着いた声が、それにこたえる。

「口で謝るのは、誰にでもできる……本当に悪いと思ってるなら、気持ちを、で表してもらおうじゃねえか。なあ、おい」


――と、ここまで耳にして、むらむらと怒りがこみ上げてきた。

 どうやら、堅気の人間が、悪党者に難癖をつけられているようだ。

 新八は、立ちあがると、隣の茶店に向かって歩きだした。


「てめえ……とっとと、おもてに出やがれっ!」

 隣の茶店からは、ひと目でその筋の人物とわかる、三人のチンピラと、まだ若い商人あきんどが、茶店をでるところだった。

 新八は、商人を助けようと、一歩近付き、そこで動きを止めた。

 なぜならば、恐怖で青くなっているとばかり思っていた商人が、不敵な薄ら笑いを浮かべていたからだ。


(こいつ……ただの商人じゃあねえな)


 商人は、彫りの深い造りの顔に、涼しげな眼をした、まるで役者のような甘い顔立ちをしていた。しかし、かもしだす雰囲気には、妙な貫禄があり、その眼は、獲物を追う肉食獣のように冷たく鋭い。

 背中には、葛籠つづらと風呂敷に包んだ荷物を背負っていたが、風呂敷には、竹刀がくくりつけられている。

 新八は、手出しはせず、傍観の構えをとった。


「おい、兄さん……もう、こうなったら、てめえが詫びに銭をだすか、土下座でもしなきゃあ、おさまらないぜ」

 派手な柄の着流しが凄みを効かせると、

「さあ、どっちにするか、さっさと決めな」

 額に刀傷のある男がたたみかける。

「困ったなあ。どちらも、あまり、気がすすまねえんだが……」

 ちっとも困ってなさそうな声で、商人がこたえた。

「じゃあ、しかたねえ。俺たち祐天一家の若い者が、なめられて、はい、そうですか……って、帰すわけにもいかねえ。ちょいとばかり、痛い目にあってもらうしかねえようだ」

「ちょっと待ってくれ」

 男は、そう言うと、しゃがみこんで荷物をおろした。

「いまから土下座しても、もう間に合わないぜ」

 額の傷の男がせせら笑った。

「勘違いするな。いまから俺が、破落戸ごろつき退治をしてやろうってのさ」

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