第168話 開眼
中立者さんの塔には八つの階がある。
塔に行く方法は探さなくて良くなった。招待されたから。けれどもメタトロンさんの口ぶりからして、中立者さんは
来れるものなら来てみろ、という意味合いだと勝手に捉える。
だから戦力がいる。
時沼さんが兄さん達に伝令してくれたならば今のこちらの人手は十人。二桁にギリギリ乗ったところだが、それでは心許ないのもまた事実。皆さんそれぞれに強い方だが、相手はメタトロンさんやサンダルフォンさんに匹敵するだけの獣と言うではないか。
もう少し力がいる。戦力が。けれども
一瞬だけ海堂さん達が浮かんだが直ぐに取り消した。それは危ない。彼らはもう戦士ではない。近づかせてはいけない。この世界に関わらせてはいけない。
グレモリーさんもそうだ。何があっても彼女の居場所をメタトロンさんに教えないって決めている。アミーさんとエリゴスさんが守った人達を消させはしない。もうフォカロルさん達にお墓を作らせはしない。
その未来に繋げる為にも神様を生贄にしてみせる。
その為の数が、力が一つ増えるだけで確率が大きくなるのだから。
私は悪でいい。
自分達が選んだ悪を目覚めさせる、悪でいい。
「どういう交渉をしたら引き受けてくれるのかしらね」
「孤島、に、三十分、だけ、帰す、とか、か」
「それ最後引き離すの大変そー」
自分達の祭壇にやって来て十字架で眠る彼を見る。
恋した人の近くにいたかった人。愛する人を守っていたいと謳った人。
「でも、梵さんの案は効果ありそうだよね」
やんわりと梵さんの案に賛成してみる。帳君は「そうだけど」と答えながら、私の髪を風で揺らしてきた。その揺れる髪を掴んでおく。慣れたものだ。
「住人が半狂乱になるよ。島の上で眺めさせるだけの方が良くない?」
「それだとコイツのモチベーションが上がらないわよ。梵の案でいきたいけど、時間は十五分位が妥当じゃないかしら」
「そう、か」
「鉄仮面と毒吐きちゃんの意見に賛成するのは
「エゴに賛成されるのはこっちだって嫌よ。貴方は別に着いて来なくても良かったわけだし」
「遠回しにどっか行けってことかな」
「理解してくれて助かるわ」
「嫌味しか言えないのかな、女王様は」
「自分中心に考えるんじゃないわよ独善者」
「す、翠ちゃん、帳君、ストップしよう」
久しぶりの
なんでだろう。人間サンドイッチ。違うか。
「離れろよ毒吐きちゃん」
「貴方が離れなさい、エゴイスト」
「お、おぉ……ぇっとぉ……」
「いや、氷雨さん困るから。話進めようよ」
仲裁してくれたのは祈君。彼はルタさんを抱いて私の服の裾を引いていた。
翠ちゃんは「そうね」と祭壇に近づいて、帳君は髪を揺らす方向に変える。確認してから祈君を見上げれば不安そうな目を見つけた。
彼は自信が無さそうな声で確認してくる。
「……怖い人?」
「んー……ある意味では」
苦笑してしまう。
祈君は知らない人だからな。不安も当たり前。ルタさんは祈君の頭に移動していた。
「死んで住人になった元戦士。興味深くはありますが、それ程お強いんですか?」
思い出すのは太陽が昇らない小さな孤島。遠くて懐かしい記憶は私を鼓舞する糧になる。
私の口角は上がり続けて、確かに首を縦に振った。
「強いですよ。四人がかりでやっと捕まえることが出来た人ですから」
再び十字架を見上げる。
黒い髪と赤黒く汚れた白い服。その赤は愛する人を誰にも見せたくない、彼なりの愛情表現の結果。
どれだけ愛を叫んでも、大好きだって笑っても、守りたいのだと走っても、その行動を私達は悪だと思う。
モーラさん達を苦しめて怖がらせた、元ルアス軍戦士。
「強い方です――夜来無月さんは」
四人でかかってやっと動きを止められた人。
戦いの経験値が桁違いの人。
戦士を殺せる強さを持っている人。
私は笑い続けて、翠ちゃんが意識と特性の宝石を持ち上げる姿を見つめたのだ。
彼を悪だと思って捕まえた。それは今も変わらない。夜来さんは私達の生贄で、最後には殺す人だ。
その人に中立者さんを捕まえる手伝いをさせようとするなんて非道だ。非道で、最低で、最悪だ。
そうだよ、私は悪だ。悪でいい。仲間の為になるならば、この煮えた感情を消化出来るならば、私は悪だと思う人を利用する。自分は悪だと笑って肯定してやろう。
祭壇の鎖が緩んで夜来さんが地面に下ろされる。梵さんは夜来さんの背中を支え、翠ちゃんの手裏剣が眠る彼の足首を地面に縫い止めた。
帳君が私の斜め前に立って少しだけ距離を取らされる。私はハルバードになってくれたりず君を掴み、祈君もルタさんと同化してくれた。
「さぁ、鬼になるか蛇になるか、見ものだね」
帳君の口角が上がっている。その目は何を考えているか分からない色をして、私の足元が揺れた気がした。
大丈夫、慣れろよ氷雨。
帳君の横に並ぶ。言い出したのは自分なのだから、私が下がってどうすると叱咤して。
帳君は何も言わず、私の頭を軽く叩いてくれた。それに力が抜けて笑い続ける。
視線は夜来さんに宝石を埋める翠ちゃんに向いた。彼女の真剣な横顔も何を考えているかは分からない。波打ちながら沈み込んだ宝石と、翠ちゃんに下がるよう合図した梵さん。
この提案をした時、みんな目を丸くして笑ってくれた。笑って承諾してくれた。危ないとか却下とか言われることを覚悟したのに。
そうも伝えた。「反対、しないの」と。
そうすればまた笑われた。
――反対して欲しかった?
――いや、そういうことではないけど……いつもみんな肯定してくれるから
――良いと思うから肯定する。それだけよ、氷雨
――駄目、だと、思ったら、駄目だ、と、言う、さ
――大丈夫だよ、氷雨さん
そう言って肯定されるから、甘えたくなるのではないか。
言わないで、言えないままで今がある。不安は尽きないが、肯定されたならばグダグダ言うなと言い聞かせる。自分の言葉だ。自分の発信物だ。それが進行されているならば責任を持て。
夜来さんの瞼が揺れたのを見る。らず君は私の肩で輝いて、ひぃちゃんが背中に掴まってくれた。
夜来さんの瞼が突如開く。勢いよく見開かれる。
同時に。
彼の口が開いて銃口が見えたから私は地面を蹴ったのだ。
梵さんが首を捻じる前に夜来さんの顔が上を向く。避けかけていた翠ちゃんは目を見開き、元々の狙いが違ったと知るのだ。
梵さんに銃口が向く。
私はハルバードを突き出して、素早く後ろに跳んだ梵さんと敵意を向ける夜来さんの間に斧部を突き入れた。
刃に当たった銃弾の勢いが腕を揺らす。
奥歯を噛み締めた私に瞬時に顔を向けた夜来さん。反射的に刃では無い部分で彼の頭を叩き落としたが、連動するように上がった両腕の鎖鎌を見た。
上、鎖、避け、体勢、反射、間に合わ、いや間に合う。
瞬きの間に思考して体重を後ろに無理やり戻す。夜来さんもそれを感じたのだろう。勢いよく鎖鎌になっている腕を振り下ろし、私はりず君の変形を願うのだ。
刃ではなく盾に。
ハルバードではなくカエトラに。
しかしりず君が変わってくれた瞬間に突風が吹き、パートナーに衝撃がかかることはなかった。
風が髪を揺らしていく。
目の前には竜巻に肩と刃を止められた夜来さんがいて、彼の首は真後ろを向いているのだ。体はこちらを向いているのに、首だけが。
梵さんの指が鳴った音を聞く。帳君が私の肩に腕を勢いよく回してくる。
「なんだ、思っていたより元気なんだね、せーんぱい」
平坦な声。感情を何処かに置き忘れたような、不安にさせられる声。それは笑みの中から零される。
「年上は敬えって言わなかったっけ、後輩」
答えたのは静かな声。連なるように鼓膜を揺らしてきたのは折れた骨が元に戻る固い音。私の腕には鳥肌が立ち、夜来さんの顔がこちらを向いた。
口に銃口はない。
確認してりず君を下ろせば、夜来さんは鎌を腕へ戻してくれた。
ため息混じりの声がする。全てどうでもいいとでも言うような無気力な声が。
「なんで起こしてんだよ、ほんと」
夜来さんは足の自由を奪う棒手裏剣を見て、解かれた竜巻に笑うのだ。
彼の手は顔を覆う。歪に上がった口角は黒い髪と不健康な手に隠された。
「……寝かせてくれよ」
その呟きはどんな感情からなのか。
私は目を伏せて、針鼠に戻ったりず君を肩に乗せて撫でたのだ。
* * *
「へぇ、中立者を生贄にねぇ。うん、馬鹿だろお前ら。巻き込まれるとか勘弁だからさっさと意識抜いてくれる?」
自由になった夜来さんに状況と考えをお伝えしたら、考えることも無く拒否された。それもそうだよな、手伝ったところで夜来さんのメリットが一つもない。
だがしかしこちらも戦力が欲しい。目覚めたばかりであれだけ動ける彼は敵だと厄介だが、味方になってくれたら心強いと思うのです。
と言う勝手なこちらのの自論を押し付けても意味は無いだろう。
苦笑が顔に張り付いて、夜来さんは翠ちゃんの手首を掴んでいる。それから自分の鳩尾に当てさせていたが、翠ちゃんはため息混じりに「嫌よ」と首を横に振った。
「手を貸してくれないなら意識は抜けない」
「は、ふざけてる。生贄に何言ってんだか」
「生贄、で、いたい、のか? 協力、して、くれた、ら、モーラの、孤島に、十五分だけ、帰して、やれる、が」
梵さんが夜来さんの手首を掴み、翠ちゃんを離させる。
「情けなんていらないよ。俺は生贄でいたい」
夜来さんは舌打ちし、私は奥歯を噛んだ。
「モーラに受け入れられなかったから? 女々しいな」
帳君が口角を上げて目を細める。
同時に夜来さんの雰囲気が鋭くなり、腕が斧に変わっていた。
横から殴るように振り抜かれる凶器。私はカエトラになってくれたりず君を掴み、帳君の首横で構えるのだ。
「いいよ、ありがとう」
そんな声が降ってくる。
りず君に斧がぶつかる前に夜来さんの体が風で叩き潰される。私の喉は締められたような音を零し、地面に押し付けられた夜来さんを見下ろした。
帳君に腕を掴まれ、りず君が針鼠に戻ってくれる。ひぃちゃんは首に尾を巻いてくれて、帳君は笑っていた。
祈君が震えて、夜来さんが藻掻く声がする。斧の腕は震えながら上がり、祭壇の床に打ち付けられる前に梵さんに止められた。
「傷は、つけ、ないで、くれ」
「ッ、どいつもこいつも!」
夜来さんの唇が噛み締められ、苦々しい声が吐かれる。私は口を結び、悔しげな夜来さんの目を見下ろした。
「眠らせろよ、眠らせてくれよ。俺はもう、生きていたくない」
震える声。強く吐かれたのに揺れた声。
生きていたくないと貴方が言うのか。
「フラれた程度で大袈裟な」
「お前に分かってたまるかよ!!」
笑う帳君の声に酷い剣幕で答えた夜来さん。祈君は私の袖を弱く握って、私は彼と手を繋いだ。そうすれば震えが収まってくれるから。
夜来さんは風に抵抗して上半身を無理に起こしている。梵さんは手を離し、翠ちゃんの前に立っていた。
「俺は、あの子達の……あの人の為に、今までやってきたのに」
言葉と一緒に夜来さんの頬を涙が流れていく。滲んだ両目は瞬きをせず、懇願するような表情で帳君を見上げていた。
「受け入れてもらえなかった。怖がらせた。俺が生贄になることを、喜ばれた。それならもう俺は生贄になるしかない。あの人を抱き締めることが出来ないなら、死ぬ事が喜ばれるなら、俺は死にたい。生贄になりたい。だからッ」
「なら一緒に中立者捕まえたら、生贄に戻してやるよ」
帳君の顔から笑みが落ちる。剥がれたと言うより落ちる。
チグハグな彼はそうだ。笑っている時は分かりづらくて、真顔の方が言葉は真っ直ぐだなんて。
「今までお前が殺した戦士の分、働いてもらう。中立者の塔で死のうが生贄になって死のうが、そんなの誤差だろ。お前はどう転がったって最終的には祀られるんだから。今は黙って協力しろ」
「は、お前ほんと、」
「口の利き方がなってない? 残念だね、俺はそういう奴だ。矯正なんて出来ないよ。女々しく泣いて死を待つくらいなら、自分で死に挑戦してみろ狂愛ゾンビ」
帳君の目が細められる。
あぁ、彼――怒ってるのか。
感じて、握り締められた帳君の拳を見る。それは震えるほど固く握られていた。
「どうせ行き着く先は一緒なんだ。中立者を生贄にしたらお前も生贄に戻す。失敗したら道中で死亡。なら別に遠回りしようが寄り道しようが関係ないだろ」
「ッ、そりゃそうだけど」
「ならこれ以上グダグダ言うな。死にたいとか目の前で言われても反吐が出る」
夜来さんの口が結ばれる。帳君は握り締めた手を解いて、無表情のまま夜来さんの周りの風を消していた。
私の髪が揺らされる。
「夜来無月。死にたいだなんて望むのは、生きたい俺達への冒涜だって知れよ」
その言葉で。
祈君は息を吐き、翠ちゃんの肩から力が抜ける。梵さんも警戒を解いたようで、かく言う私も呼吸が楽になっていた。
「……ほんと礼儀がなってないよ、お前は」
呟く夜来さん。
落ちた涙は祭壇の床に染み込み、彼は深いため息と共に立ち上がっていた。
「……分かった。行けばいいんだろ……戦力になんてならないだろうし、俺は戦士に選んで貰えたことを神様に感謝すらしてたのに」
「起き抜けの戦闘センスがあのレベルで、何が戦力にならないよ」
翠ちゃんが「嫌味だわ」とも続けている。夜来さんは腕を組み、横目に翠ちゃんを見ていた。
「そこからおかしいよね。俺を起こすなら意識だけ戻せばいいのに。なんで力も戻してくれたんだか」
「戻さないと貴方が本当に使えるかどうか分からないでしょう?」
何も間違っていないと言う雰囲気の翠ちゃん。夜来さんは目を瞬かせ、梵さんが言っていた。
「止め、られる、自信は、あったし、な」
「夜来さんはお強いです」
私も自然と言葉を続ける。住人である彼は唖然とした表情で、今日一番のため息を吐いていた。
「なんだ、最初から試されてたわけか……あーぁ、ほんと、もーさー……」
「すま、ない」
「ご、ごめんなさい」
梵さんと揃って謝っておく。祈君は繋いでいた手を離していき、私の横で同じように会釈してくれた。夜来さんは会釈を返して、呆れたような声が聞こえてくる。
「……子どもの成長、こっわいなぁ」
なんてね。
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