第167話 友好


 目を伏せてらず君の光りだけを感じておく。


 熱く腫れた右腕は指先すら動かすことが出来ず、らず君が乗ってくれた時すら呻きかけた。らず君は凄く軽いのに。不甲斐ない。


 ギプスの役割をしてくれるのはりず君。優しく巻き付いて骨の位置を支えてくれる。


「ありがとう」


「触んな馬鹿!!」


 りず君を摩ったら腕に響いて怒られた。ごめん。


 メタトロンさんは私達を招待して直ぐに消えた。


 少し時間が経てば私の緊張の糸は切れてしまったのだろう。時沼さんに支えられながら座り込み、痛みが増した気がした腕に悩まされるのだ。


 時沼さんと翠ちゃんが一体どんな同盟を組んでいるのかとか、招待についてとか、話すことは沢山あったがその日の連絡会からは抜けさせてもらった。「無事です」と言っても信じてもらえないことくらい理解出来るから。


 これは療養しないといけない。一週間後を万全の体勢で迎える為にも。梵さんがアルフヘイムで合流しようと言ってくれたのは確かな救いだ。ありがたい。


 額から脂汗が滲んでいるのが分かる。肩を貸してくれる時沼さんは私の背中を壊れ物を扱うように摩ってくれていた。申し訳ない。


 しかし安心させられるような声を出せる気もしない。いや違う、意地でも出せ。一人で大丈夫だと伝えるべきだ氷雨。


 人に頼るしか出来ない自分を叱責した。深呼吸して目を開けて、預けていた体を起こす。


 時沼さんは背中に手を添え続けてくれて、私は彼を見上げるのだ。顔が自然と笑みを浮かべてしまう。口角を上げて、目を細めて。もう大丈夫だと、ありがとうございますと伝えたくて。


 しかし私が口を開くより先に、眉を下げた時沼さんに言われてしまった。


「まだ大丈夫じゃないだろ。俺のことは気にしなくていいから……休もう、凩」


 私の頭を自分の肩に寄せてくれる時沼さん。私は笑顔のまま何も言えず、体全体に力が入るのが分かっていた。らず君は輝き続けてくれる。


 時沼さんの時間を貰ってしまっている。急に呼んで助けてもらって、今までだって何回も救われて、それなのにまだ頼らせてもらうのか。


 悶々と考えていれば、時沼さんの肩に緊張が走ったのが伝わってきた。それから慌てた声が降ってくる。


「いや、あの、この体勢が楽かなって勝手に思っただけで、居座って悪いって言うか、俺が出来るの肩貸すくらいだし、無理に動かない方もいいと思うけど、えと、」


「落ち着けよ相良、氷雨は実際助かってんだから」


 ギプスのりず君が口を作ってくれる。忙しなく動いていた時沼さんの腕は落ち着いたようで、私も息を静かに吐いてみた。


 うん、大丈夫、力抜けた。


「ありがとうございます、時沼さん……お時間いただいてすみません」


「いや、俺が勝手にいるだけなんだ、別に予定も何もないし。てか腕折れてる凩置いて、それじゃって帰れねぇよ」


 申し訳ない。


 心底そう感じて再び謝りそうになる。しかしそれでは謝り合戦で、良い空気なんて作らないって分かってるから言葉を選ぶのだ。


 彼は、いることを申し訳ないと言ったから。


「……時沼さんがいてくれて、良かったです」


 また目を伏せる。もう少しだけ甘えていよう。申し訳ない空気を作ればそれこそ彼に失礼だ。


 あぁ、頬を汗が流れる感覚がする。ひぃちゃんの尾が汗を拭ってくれて、頭に留まったお姉さんからは心配する空気が伝わってきた。


 左手を伸ばしてひぃちゃんを撫でる。そうすれば小さく喉を鳴らしてくれて、私は笑い続けてしまうのだ。


「ありがとう、ひぃちゃん」


「私には……これくらいしか出来ないので」


「十分過ぎるよ。いてくれるだけで心強いんだから」


 ふと、ひぃちゃんが膝に降りてくる。見ると両目いっぱいに雫を溜めたお姉さんがいて、驚いた私の左手は緋色の眼の下を撫でていた。


 零れていく大きな雫。私は時沼さんに体を預けるのをやめて背筋を伸ばし、ひぃちゃんを見つめた。お姉さんも私を見上げて、震える声で伝えてくれる。


「氷雨さん」


「……なに? ひぃちゃん」


「……氷雨さん」


「大丈夫、聞くよ」


 ひぃちゃんを見つめる。お姉さんは咽び泣きながら私に言葉をくれるのだ。


「私は、貴方を守れる心獣でありたいんです」


「……うん」


「でも、私にはりずのような変身能力も、らずのような補助も出来なくて、それが悔しくて」


「うん」


「私は弱いんです。あと一週間だと決められた今も、その時が来た時に貴方の翼であれるかどうかも。この牙で貴方の力になれるかも、私は不安で不安で、堪らない」


「うん」


「氷雨さん、大好きです。貴方が、貴方が大好きで、生きていて欲しいから頑張りたいのに、私はあまりにも、ッ無力だ」


 苦しいと叫びそうなひぃちゃんの言葉。それを一言一句漏らさず拾う。


 お姉さんは大粒の涙を零し、受け止めた雫は私の掌から流れ落ちていった。


「ひぃちゃん」


 左腕でひぃちゃんを抱き上げる。慌てて降りようとしていたお姉さんを無理に抱き締めて。ひぃちゃんは抜け出せないと気付いて直ぐに落ち着いてくれた。


 ありがとう……ごめんね。


「ひぃちゃんがいてくれるだけで、どれだけ私が救われてきたか――貴方は知らないんだね」


 笑いながら伝える。ひぃちゃんの目は大きく見開かれて、私の腕に涙が落ちてきた。


「誰かになろうとしなくていいよ。誰かのようになりたいだなんて、思わなくていいよ。ひぃちゃんはひぃちゃんで良いんだから。りず君はりず君だし、らず君はらず君だから」


 誰かになりたいと、誰かのようになりたいと思ったことがないなんて嘘だ。誰かのようになってしまった時、自分はどこにいってしまうのかと不安を抱いているのも本当だ。


 だからひぃちゃんにはひぃちゃんのままでいて欲しくて、誰かになんてならないでって願うんだ。


 ひぃちゃんの顔に頬を寄せて鱗の硬さを感じる。お姉さんは泣いて、私の左腕にはより力が入っていった。


「私はひぃちゃんがいないと飛べないから。りず君がいないと戦えないから。らず君がいないと直ぐに折れてしまうから。だからそのままでいて、ひぃちゃん」


 不安で震えるお姉さんに届けと願いながら言葉を送る。ひぃちゃんは静かに泣き続けて、私は目を伏せて笑うのだ。


「貴方の翼は私を何処までも運んでくれる。牙は私の道を開いてくれる。他の翼でも牙でも駄目だ。貴方じゃないと駄目なんだよ、ひぃちゃん」


 ひぃちゃんの背中を指先で撫でる。思い切り抱き締めてあげたいところではあるが、それは右腕が治った時にしよう。


 お姉さんの尾が私の左腕に巻き付いて、しがみついている。


 悔しい思いをさせてごめん、苦しいに気づかなくてごめん、伝えきれていなくてごめん。


 そう謝罪しようとして、飲み込んでおく。伝えればお姉さんを傷つけてしまうだろうから。そんな未来しか見えないから。


「ひぃは真面目過ぎるんだよ。俺なんか自力じゃ飛べねぇし、らずはいっつも自信ねぇし。ひぃがひぃをやめたら誰が俺らのこと叱ってくれるんだか」


 りず君が独り言のように呟く。見るとギプスに口を作っている彼がいて、けれどもそっぽを向くような喋り方だから可愛いと思うんだ。


「だってさ、ひぃちゃん」


「……はい」


 ひぃちゃんの尾が私から離れてりず君を撫でてくれる。黙ったりず君はやっぱり可愛くて、らず君は嬉しそうに輝き続けてくれた。


「……やっぱ、凩だな」


 時沼さんの言葉を聞く。彼は酷く穏やかに笑ってくれて、私は言葉を詰まらせた。


 どういう意味だろう。どういうことだろう。


 その時チャイムが鳴る。私は反射的に立ち上がりかけて、時沼さんに止められた。


 優しく肩を押される。代わりに時沼さんが立ち上がってくれて、私は「時沼さん」と反射的に呼んでしまった。


「代わりに見てくるよ。宅配便とかだったら呼ぶから」


「ぁ、ありがとうございます」


 絞り出すように伝えて、時沼さんは頷いてくれる。彼が出て行った後には一瞬で静けさが蔓延まんえんし、私は意味もなく息を吐いてしまったのだ。


「……氷雨、どうする気だ」


 今しかないと言うようなりず君の声を聞く。私は茶色い彼を見下ろして、質問の意図を考えた。


 どうする気、どうする、どうする。そのどうするは今のことではない。これからのことだ。


「招待されたのは……私達だけなんだよね」


 考えて黙る。


 中立者さんは気づいていた。私達が誰を生贄にしようとしているか。気づいて招待してきた。日は一週間後。招待されたのはディアス軍の私達だけだ。それなのにルアス軍の彼らを巻き込むのか。思惑がバレたから協力しないでって言うか。言うべきか。


 ――もう傷つくお前の傍にいられないのは、十分だ


 兄さんの言葉が頭に浮かんでくる。私は奥歯を噛んで自分の立場に立つことを止めた。


 兄さんならどうだろう。私が「招待された、バレてた、だから来ないで」なんて言ってあの人は引いてくれるか。協力しないでいてくれるか。諦めてくれるか。


 ――死ぬな


 あぁ、無理だろうな。


 私はベッドを背もたれに天井を見上げる。


 兄さんは頑固だ。どれだけ押しても動かない岩も同然だ。彼の意思は誰であっても曲げられない。


 なんて言い訳をする。巻き込みたくないのに、一緒に来て欲しいと思う自分がいるのも確かだから。


 けれどやっぱり危ない目にあって欲しくないとも思って、そこで気づく。


 きっと兄さんも、同じ考えなんだって。


 私が一方的に心配して遠ざけているのと同じ気がした。兄さんは一方的に心配して私に近づこうとしている。


 考えたら笑えてきて、私はひぃちゃんの背中を撫でたのだ。


 兄さんも時沼さんも、闇雲さんも屍さんも。どれだけこっちが来るなと言っても来るんだから、本当に年上って狡い。


 泣語さんは同乗者。危ないと知っていて、危険だと立て札がしてある穴に飛び込んできた。そんな、優しい人。彼はもう突き放せない。突き放してしまったら彼は壊れてしまうのだろうから。


 それでもどうか、私を守ることはしないでくださいって伝えよう。一週間後になりましたってことも一緒に。


 そこで早蕨さんを思い出す。


 ……正直言えば、私は早蕨さんにだけ「巻き込みたくない」と言う感情が沸き起こらない。何故かは大体検討が着く。彼は「そう言う人だ」って知ってしまったからだ。


 突き放されることを怖がって、必要とされいと切願し、自分がもっと頑張れば済むと考える臆病な人。


 その臆病な正義感は確かに輝いている。多分私達が「来るな馬鹿」って言っても倍以上の言葉を並べて、結果的に自分が認められる道を突き進むのだ。


 脆くて強固な正しい人。


 そんな彼だから「着いて行きたい」と言ったら「勝手にどうぞ」に落ち着くわけだ。


 息を吐いた時、時沼さんの足音を聞く。


 出てもらってしまって申し訳ない。誰だったのかは知らないが一人の足音ではないな。時沼さんとあと一人、誰かいる。お客さん。時沼さんが一言聞かずに上げる人って誰だろう。共通の知り合い。誰。


 姿勢を正す。ノックされたので「どうぞ」と伝えれば、時沼さんの後ろに凛とした彼女がいた。


「氷雨、無事ではないわね」


「……翠ちゃん」


 肩から斜めに鞄を提げた翠ちゃん。彼女はため息混じりに部屋に入り、私の前に座った。


 なんでいるのとか、どうしたのとか。聞く前に翠ちゃんの視線が動いて察してしまう。


 彼女が見るのは私の右腕。「馬鹿」と呟いた翠ちゃんは私の左肩に額を寄せてくれた。


「心臓、止まるかと思ったのよ」


「……ごめんね」


 心配させたことが申し訳なくて、謝罪する。


「貴方が謝ることないわ」


 軽く頭を撫でられて、それが嬉しいから安心出来る。少しだけ汗で冷えた背中もあやすように叩かれて、翠ちゃんは顔を上げてくれた。


「この怪我、病院に行く訳にもいかないわよね」


「流石に、ね」


「今日アルフヘイムで梵が合流してくれるらしいから、貴方は向こうで動かず待ってなさい」


「申し訳ない……」


「その言葉は無しよ」


 翠ちゃんが鞄から包帯やガーゼを出して、最後には保健の教科書まで出てきた。


 驚いた。なんで保健。


 理解出来ずに首を傾げてしまう。翠ちゃんは応急手当のページを開き、りず君の上から包帯を巻いてくれた。そのまま大きなガーゼで腕を包んで首から吊るしてくれたのだ。


 テキパキとした動きで私の首後ろでガーゼが結ばれる。


 あ、これは腕を怪我した人がしてる、典型のあの形だ。


 ガーゼと包帯の中にいるらず君と目を合わせる。包帯に巻かれたりず君は「お、おぉぉ」と驚いており、ひぃちゃんも目を丸くしていた。


「こんなもんでしょ、応急手当は」


「すご、ありがと翠ちゃん」


「別に。素人がしたものだから当てにしないで。梵と会うまでの繋ぎにでも」


 翠ちゃんは鞄を閉じる。私は目を瞬かせてしまい、喉の奥に溜まっていた質問を吐き出した。


「これをする為に、わざわざ?」


「そうよ。氷雨と時沼で出来るとは思ってないし、会える距離にいるのに来ないなんて出来ないわ。出来てたら出来てたで心配だったしね」


 翠ちゃんの当たり前と言わん口振りに私は目を見開いてしまう。ひぃちゃんは翠ちゃんの肩に留まり、私は自然と左腕を広げてしまった。


「翠ちゃん、ハグ、ハグがしたい」


「えぇ、喜んで」


 無意識というか、感情のままに言葉を吐く。翠ちゃんは仕方が無さそうに笑ってくれて、私は抱きつくのだ。


 柔らかい彼女の香りがする。それに安心感を抱き、私は声を漏らしていた。


「翠ちゃん好きだぁ、そういうところ。本当ありがとう」


「光栄ね。私も大好きよ、氷雨」


 私の右腕を気遣いながら翠ちゃんは頭と背中を叩いてくれる。私は彼女の肩口に額を押し付け、ひぃちゃんの笑い声も聞こえてきた。


 こうやって抱き締めて、顔を寄せても大丈夫だって思える関係。友達だと思うではなくて、確かに友達だって言える人。


 それが嬉しくて、私は堪えきれずに笑うんだ。


「時沼、間に合ってくれて良かったわ。ありがとう」


「あぁ、こちらこそ連絡ありがとな」


 翠ちゃんと時沼さんが頷き合う姿を見る。


 この二人は一体いつからこんなに仲が良かったのか。友達が仲良いのは私も嬉しい。何同盟か聞いてもいいのかな。野暮やぼかな。


 考えて二人を見つめてしまう。時沼さんと翠ちゃんは揃って首を傾けていた。同盟なんて何でもいいかって思ってしまうんだな、これが。


「どうしたの、氷雨」


「痛むか? 腕」


 眉を八の字に下げた二人に心配される。私は首を横に振って破顔した。


「良い友達を持ったって、再確認中、です」


 伝えれば翠ちゃんと時沼さんは顔を見合わせて、力が抜けるような笑顔をくれたんだ。


 * * *


 時沼さんと翠ちゃんが帰宅され、晩御飯は切ったり掴んだりの作業が少なめのぶっかけうどんにした。ひぃちゃん達がいてくれるので日常生活が出来ない程の支障にはならなかったわけだし。


 問題だったのは両親への説明だ。


 腕のことをお父さんとお母さんに説明するのは本当に骨が折れた。既に折れてるだろって言われたらそれまでだが、そんな気分だったのだ。


 二人が帰ってきた時、うどんを湯がしてたら叫び声が上がった。病院とか原因とか弾丸の勢いで聞かれたが、「アルフヘイム関係でちょっと」と答えたら余計に顔色を悪くさせたし。逆効果だったな。ごめんなさい。


 ――あぁ、氷雨、氷雨ぇ、なんで、そんな、腕、腕なんて……


 ――お母さん、お母さん、無事だから、今日アルフヘイムで梵さんって人が治してくれるから


 ――誰がこんな酷い……


 ――お父さん、顔、怖、顔、だ、大丈夫だから、私、無事、元気、ファイン、ほら


 ……思い出しても、やっぱり惨事だったって反省する。


 フォカロルさん宅近くの大木。その根元に座って梵さんを待っている時。


 私はふと、強力な戦力になってくれるのではないかと思う方の存在を思い出したのだ。


 あの人協力してくれるかな。してくれたら助かる気がする。でもその場合あの人にメリット無いんだよな。どうするかな。何かこう、あの人が「その条件なら」と動いてくれる何かあるかな。


 駄目だ直ぐに思いつかん。最後が最悪だったからな……。


 一人唸りながら待つこと一時間。遠くから走って来てくださった梵さんと、空の中に浮かんだのは祈君の黒い翼。反対方向からはラートライに乗っている翠ちゃんと、一直線に風に乗っている帳君。


 彼ら四人を目視で確認して立ち上がった。


 うん、らず君の補助とりず君ギプスと、応急手当が緩和してくれてる。嬉しい。


 感動しながら立ち上がった時、目の前で足に急ブレーキをかけて止まってくれた梵さん。彼は汗一つかくことなく、直ぐに私の右腕に触れてくれた。


「すまない、氷雨、遅れた、すぐ、治そう」


「ありがとうございます梵さん。本当に助かります」


 無表情の梵さんが力を使ってくれる。降り立った祈君はルタさんと分かれ、翠ちゃんはラートライから颯爽と飛び降り、帳君は音も無く着地していた。


 久しぶりに対面する顔ぶれ。画面越しでは無い。手が取り合える距離での再会が嬉しくて、私は自然と目尻を下げてしまうんだ。


「久しぶり、祈君、帳君」


「久しぶり氷雨さん、腕の調子は……」


「梵さんやらず君達のお陰で大丈夫。りず君もギプスになってくれてるし、翠ちゃんは応急手当してくれたし」


 肩から力を抜いてくれた祈君とルタさん。私は首を何度も縦に振り、引かれた左の袖に驚くのだ。


 見る。


 無表情で立っている帳君は何も言わずに私を見下ろしていた。


「帳君、久しぶり」


「……久しぶり」


 覇気のない声で返事をくれた帳君。彼は私の顔を見て、腕を見て、また顔を見て。深いため息を吐きながら頭に額を寄せてくるのだ。


 大きい猫みたいとは、言いませんよ。


「……早く治して」


 震える声が聞こえる。


 私は目を瞬かせてしまい、梵さんが口角を微かに上げる様子を視界に入れた。


「大丈夫、だ、帳。もうすぐ、治る」


「……後遺症とか」


「綺麗に折られてますので大丈夫ですよ。神経に傷はありません」


 顔を上げた帳君に目を青く輝かせたルタさんが答えている。私は笑ってしまい、帳君を見上げるのだ。


「ありがとう帳君。心配かけてごめん」


「……別に。メタトロンは次会ったらタダじゃおかない」


「わぁ……」


 顔を背けてしまった帳君。それでも袖は離されなくて、私の顔は笑みを浮かべ続けてしまうのだ。


「過保護で気持ち悪いわね」


「同意する」


「毒吐きちゃんと雛鳥、後で空から突き落とすからな」


「その前に貴方の特性の宝石を抜いてあげるわ」


「俺の羽根で串刺しにした方が早くない?」


「す、翠ちゃん、祈君……帳君も、そんな」


「元気、だな」


 罵詈雑言ばりぞうごんとまではいかないが、やっぱり口が悪くなる三人と穏やかに頷いている梵さん。


 この距離が、この関係が温かくて、私は右腕から消えた痛みに感激するのだ。


 ひぃちゃんが包帯を取ってくれて、りず君が針鼠に戻ってくれる。らず君は肩に上ってくれて、私は右手を開閉させるのだ。


 痛くない。動く、動く、痛くない。


 その感覚を噛み締めて。


 握った右手を振って、最初にしようと思っていたことを私は実行するのだ。


「ひぃちゃん」


 お姉さんを呼んで、目を輝かせてくれた彼女を両手で思い切り抱き締める。りず君もらず君も一緒くたにして。足は自然と跳ねて、私は梵さんに頭を下げるのだ。


「ありがとうございます、梵さん!」


「あぁ、良かった、よ、氷雨」


 ゆったりと笑ってくれる梵さん。私はひぃちゃんをこれでもかと抱き締めて笑ってしまう。


 その時ため息を吐いた帳君に気づき、私は右手を差し出した。


 そうすれば彼は目を瞬かせて、口角を上げて握手してくれる。


 翠ちゃんは抱き締めてくれて、祈君には背中に頭突きされた。梵さんは柔らかく頭を撫でてくれて、私は破顔し続ける。


「さぁ、それじゃあ生きる為の話をしようか」


 帳君に肩を組まれて会話が始まろうとする。


 私達は揃って首を縦に振り、私は思いつきの戦力を口にした。


 それには皆さん目を見開いていたが、帳君は口角を思い切り上げて頭を撫でてくれたのだ。


「さすが氷雨ちゃん」

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