第169話 優先


「八階まで全員で辿り着くって考えは捨てた方がいいよ」


 夜来さんにほぼ拒否権無く同行してもらう形となった時、彼は右手を鉈に変えて言っていた。一人生贄が減った祭壇の前で。息をするように、当たり前の態度で。


 私は反射的に帳君達に視線を向ける。そうすれば全員がお互いの顔を見合わせることなり、一番に口を開いてくれたのは翠ちゃんだ。


「まぁ、そうでしょうね」


 体の芯が揺れかける。それを押し止めて頷けば、祈君の指先が袖を引いてきた。だから一度解いていた手を再び繋ぐ。握った手は微かに震えており、彼の不安が流れてくるようだった。


「死な、せない、ぞ」


 答えたのは梵さん。彼の目は翠ちゃんを見つめており、有無を言わせない威圧感が存在する。私は反射的に祈君の手を握る力を強めてしまい、それは彼も一緒だった。


 ルタさんは「梵さん」と無表情の彼を呼んでいる。梵さんの目はゆっくりとルタさんへ向かい、祈君の頭にいる梟さんは言っていた。


「誰も死ぬ予定なんてありませんよ。ただ八階に辿り着ける人数は限られる可能性が高いと言うだけです。それぞれの階にいるメタトロン並みの怪物を潜り抜けて上階へ進むというのは、そう言うことです」


 ルタさんが凛とした口調で梵さんに伝えている。私は口を静かに結び、拳を握り続ける梵さんを見つめるのだ。


「塔の中を通らず空から向かうのも中立者は許さないでしょうしね」


「それは、いけない、ことか」


「成功率が下がるのよ。私達の中で安定して飛べるのは氷雨と闇雲、エゴの三人。私と梵と、そこの死にたがりを連れて飛べば戦力も行動力も半減だわ」


 翠ちゃんが梵さんの腕を軽く叩いて息をつく。無表情の彼はゆっくり瞬きをして、静かな言葉を零していた。


「そうか……だが、中から、行くに、しても、誰も、欠けは、」


「するよ。理想通りにはいかない」


 梵さんの言葉を遮った帳君。私は隣に視線を移し、帳君は平坦に現状を整理していた。


「俺達の最優先は中立者を生贄にすること。その為に七階分駆け上がる必要があるけど、各階を突破して最上階に辿り着く方法として最も現実的なのは――それぞれの階で誰かが怪物の気を引き付けることだ」


 その言葉を聞いた瞬間、梵さんの手が帳君の胸倉を勢いよく掴む。祈君と私の肩は跳ねてしまい、ひぃちゃん達も揺れていた。夜来さんはため息を吐いて、翠ちゃんも何も言いはしない。


 帳君は目を細めて、梵さんの目元には微かに青筋が浮かんでいた。


「犠牲は、いらない」


「覚悟はいるだろ」


 帳君が梵さんの手首を掴む。その目は酷く静かで、私は息を詰めるのだ。


「全員無事に、簡単に捕まえられる相手なわけないじゃん」


「誰かを、残して、進めと、言うのか」


「誰かを優先して先に進めさせろって言ってんの」


 梵さんの目が丸くなる。それは祈君や私も同じで、帳君は投げ捨てるように梵さんの手を離させていた。


「残るのは犠牲になれってことじゃない。満足して生きたいから中立者を捕まえるんだろ。その為に、確実に誰かを王の間に進ませろってこと」


 帳君は梵さんから目を離しはしない。梵さんも帳君から目を離すことはなく、静かに息を吐いていた。


「……一人でも、辿り、着くことを、優先、すると、言う、ことか」


「そうだよ。鉄仮面がその考え方をしてなかったってことには結構驚いたな」


 帳君は息を吐き、梵さんは目を閉じる。それから片手で一度顔を覆い、けれどもすぐに腕を下ろしていた。


「ちょっと、いや、大分、驚いて、る」


「みたいだね」


「はい、しっかり」


 不意に翠ちゃんが梵さんの背中を思い切り叩く。乾いた音は大きく響き、梵さんから「お、」と声が漏れていた。翠ちゃんは何度か梵さんの背中を叩き、落ち着かせるような声で伝えていた。


「梵、貴方はここから進める?」


 確認している翠ちゃん。梵さんは目を瞬かせると、間を開けずに答えていた。


「進め、ないと、俺は、俺を、許せなく、なる、からな」


 梵さんは翠ちゃんの頭を撫でて、撫でられた彼女は黙っている。珍しい。とても珍しい。梵さんが翠ちゃんの頭を撫でるのもそうだが、翠ちゃんが黙って撫でられるのも珍しい。なんなら止めさせないのも珍しい。


 私は目を丸くしてしまい、梵さんは帳君の方を向いていた。


「すまない、慌て、た」


「別に。俺だって言ったことなかったし、勝手に全員理解してると思ったんだよ」


 帳君はピアスを触りながら視線をずらし、夜来さんが欠伸をしているのがその向こうに見えた。


「そろそろ話し終わった? 立ち話とか退屈なんだけど」


「もう少しよ。この際だから決めときましょうよ。誰を最も優先させて王の間に行かせるか」


 翠ちゃんは梵さんの手を頭から下ろさせる。茶色い瞳と視線が交わった私は首を縦に振り、考えるのだ。


 ――八階までみんなで辿り着ける可能性は低い。帳君が言うように気を引いてくれる人を各階に残して、最優先に選んだ誰かに上まで行ってもらうのが長期戦にならなくていいだろう。


 何時間も、何日もかけて神様の塔なんて攻略出来ない。私達の気力や体力がもたないし、これ以上ルアス軍の人を眠らせて神隠しニュースを大きくさせるのも避けたいところだ。


 他のディアス軍の人だって生贄を集めても祀れる祭壇が少ないことは事実。今、最も多く生贄を集めている私達が六人集めきるのが勝ちへ繋がる筈だ。


 他のディアス軍の人の進度がかんばしくないのは、帳君がラキス・ギオンを渡した時の印象で予想が出来る。


 顔も名前も知らない同軍の彼らはもう、疲れ切っているのだ。


 集めても壊され、捕まえても逃がされ、無理やり生贄にしようものなら恨まれたこともあっただろう。翠ちゃんのように意識を抜ける能力でもない限り、生贄にした人が騒いで泣けば、それはこちらにも大きな痛みを伴わせると考えてしまう。知りはしないが予想は出来る。


 追い打ちをかけるのは祭壇作成の停止。ディアス軍に優しくない現状が、希望が無いに等しい状態がどれだけ酸素を奪うことか。


 ――ラキス・ギオンはお守りだって言って渡したよ。危ない目にあった時に地面に落とせば花が咲いて守ってくれる


 決めていた嘘を並べたと教えてくれた帳君。渡した何人かの中にはその場で花を咲かせたいと、逃げたいと泣いた人も居たと言う。


 泣語さんがラキス・ギオンに送ってくれた命令は「私達が中立者さんを捕まえに行く間だけ開花すること」


 同時に、帳君がつくと決めていた嘘を本当にする為の「地面に落とせば開花する」という命令も種には付与されている。もちろん私達の計画が終われば解除されるのだが。


 きっと落とした人はいるだろう。そうでなくては、神隠しの人数がルアス軍の残数以上になる筈がない。


 海堂さんの報道と並んで異彩だったニュースを思い出し、意識を戻す。


 私は私の事を考えなくてはいけない。誰を優先して王の間に進めさせるか。誰ならば神様を捕まえられる確率が最も高いか。


 私の中で答えが出るが、同時に不安が募っていく。これは私が最初に言い出したことだ。だから私が行く必要がある。私が捕まえなければいけない。けれどもその想いとは裏腹に、私の力よりも成功率を大きくしてくれる人を知っているから。


 私の申し訳なさよりも、可能性が大きい方を私は提案しなくてはいけない。自分を置いて、進んでもらいたいと思う人に。


「……決まってる? 氷雨さん」


 祈君に確認される。私は彼を見上げ、赤い前髪に隠れぎみの黒い目と、その上にいる青い目の心獣さんを確認した。


 顔が勝手に笑ってしまう。それは確かに返事となったようで、祈君は頷いてくれた。


 それから視線を動かして、翠ちゃん、梵さん、帳君の順に視線を向ける。夜来さんは「俺は道中の役割で」と後退されたので私は首を縦に振ったのだ。


「はい。夜来さんはお手伝いいただけるだけで、本当に助かります」


「……相変わらず真面目だね、君は」


 また欠伸をした夜来さん。なんだ、真面目だと思われていたのか。知らなかったわ。


 驚きつつ、「さっさと決めよー」と言う帳君の声を聞く。それと同時に祈君と繋いでいた手は茶髪の彼に叩き切られ、五人で円形に並んだのだ。


 叩かれた手がちょっと痛い。祈君も痛そうで、じとりと効果音がつきそうな目で茶髪の彼を見つめている。通常運転ですな。


 帳君は祈君の視線を諸共せずに言っていた。


「誰がいいか指させば決まるよね、五人だし」


「だね。中立者さんを捕まえられる可能性が一番高い人を」


「恨みっこ……なしだよ?」


「恨む要素がないわよ」


「……やろう、か」


 それぞれに頷いて、帳君が間延びした声で「せーの」と言ってくれる。


 指を立てて、動かして。


 中立者さんを捕まえられそうな人。


 可能性が大きい人。


 最上階まで行ける人。


 生きる希望を託す人


 私は――貴方がいいと思う。


 五人揃って指を向ける。


 四本の指は一人に集まり、集まる人の一本は違う人を指している。


 その人が指したのは――私だった。


 けれども私は貴方を指した。他の三人も揃って。揺るぎなく、迷いなく。


 託そうとしてくれてありがとう。でも、ごめん。


 私の可能性よりも、貴方の可能性が選ばれた。


「……は?」


 選ばれた人の声が漏れる。本当に、無意識に発したんだって分かる声色。


「決まりね」


 翠ちゃんは腕を組んで息を吐く。


「そう、だな」


 梵さんも頷いて手を下ろす。


「恨みっこなしって言ったからな」


 祈君はルタさんを腕に抱く。


 私も指を下ろして、目を今までに無いほど見開く彼――帳君を見つめたのだ。


 選ばれたのは、結目帳君。


 四人で同時に一箇所を指した。誰もが彼を選んだ。彼ならばと思ったのだ。


 帳君は体の末端まで固まってしまったようで、私を指してくれる指が動かない。石像みたいとか思ってごめん。


 彼は見開かれた目で私を見下ろし、痙攣けいれんした頬を引き上げていた。


「いや、いやいやいや、ちょっと待ってよ。なんで俺? どう考えても今までの実績とか考え方からして氷雨ちゃんでしょ。百歩譲っても戦闘センスで鉄仮面。全員頭煮えてるわけ?」


「往生際悪過ぎだろ無頼漢ぶらいかん


「諦めなさいよエゴイスト」


 祈君と翠ちゃんがため息交じりに肩を竦める。帳君はぎこちない動作で頭を掻き乱し、らず君がジャンプして彼に張り付いてくれた。


 仲間の肩で淡く輝いてくれる硝子のパートナー。帳君は深呼吸を繰り返し、梵さんと私は両側から彼の腕を叩いてみた。


「光栄、だ。けど、帳。俺は、駄目だ。俺は、お前の、ような、柔らかい、頭も、思慮ある、考え方も、出来ない」


「いや、だから俺じゃなくて氷雨ちゃんなら全部持ってるから。この子が、この子ならって」


 帳君の手が私の手首を掴む。その手は嫌に力が入って、私は空いている片手を彼の手の甲に添えたのだ。


 茶色い瞳と目が合う。私は彼に安心して欲しくて、ごめんねと伝えたくて笑ってみせた。


「選んでくれてありがとう。でも、ごめん、駄目だよ帳君。私は駄目。私は貴方ほど周りをよく見られないし、力を操れる範囲だって広くない。現実的に考えて、可能性が一番あるのは帳君だと思う」


 貴方の力は強いから。空気を操れて、風を巻き起こし、自在に飛べる貴方なら。そんな力を持っていても私を背に庇ってくれる、優しい貴方なら。死にたかったと気づいて泣いていた貴方なら。


「やめて氷雨ちゃん、俺はそんな立派な奴じゃない。誰かの命を背負えるような生き方してない、してきてない、俺は……」


 言葉を詰まらせ、口角が上がり続ける帳君。私は彼の手の甲を叩くように撫でて、梵さんは頭をゆったりと撫でてあげていた。


「背負わ、せる、つもりは、ない。託す、だけだ」


「全員最上階まで行くつもりではあるもの。けどきっとそれは叶わないから、その時最優先するのは貴方ってだけ」


「……死ぬ為に行くわけないじゃん。生きる為に行くんだから、お前がそんな顔してどうすんだか。調子狂うな」


 三人の言葉に肯定する為、首を縦に振る。


 最上階まで行って中立者さんを捕まえたい。その気持ちは勿論あるし、死ぬ気だって毛頭ない。私達は生きる為に、この感情を吐く為に神様の元へ行くのだから。


 その道中で足止めしなくてはならなくなった時、最後まで前に進ませるのは誰かを決めただけ。その意見が四対一で一致した。


 帳君は下を向いて、私の目を食い入るように見つめてくる。不安に揺れたその目は風雨に残された子鹿のように自信が無い。


 私は無意識に帳君の頬を撫でてしまう。彼は目を伏せて息を吐き、らず君が肩で輝き続けてくれた。


「……選んでごめん。言い出したのは私なのに」


「賛成したのは俺もだから、いいんだよ。ただ選ばれたことなんてないから……混乱しただけ」


 撫でている私の掌に擦り寄ってくれた帳君は猫のようだと思う。可愛くて笑ってしまい、揺れた瞼が開かれた。


「あーぁ……選ばれたからには頑張るか」


「選ばれる前から頑張れよ」


 祈君がすぐさま毒づき、「うるっさいなぁ」と帳君が離れていく。梵さんと私は彼から手を離し、帳君の指はらず君の額を撫でてくれた。仲良し可愛い。


「決まりね。優先はエゴを最上階まで向かわせること。予想される各階の足止めは死なない程度ってとこかしら?」


「だね。死ぬのはその時じゃないってことで」


 そこで私はフォカロルさんに確認したことを思い出す。それから四人と夜来さんを呼んで、棒になってくれたりず君で地面に文字を書いて提案した。


 神様はどんな話も聞いている。


 けど、見ているわけではないんだろ。


「……氷雨ちゃんって、ほんと用意周到だよね」


「それに何回も救われたわ」


「氷雨さんのそう言うところ、安心させられます」


「だな。ありがとう、氷雨」


「こんなこと出来るんだ」


 五人からそれぞれ言葉を貰って髪を引く。お恥ずかしい。


 不安だった。各階の獣がどんな力か分からない中で突き進むのが。用意出来るものはしておきたかった。知らないを無くしておきたかった。


 だから聞いたのだ。教えてもらったのだ。散らかったサラマンダーのお城の中で、水の縄が詠唱無しに私達を転移させてくれた方法を。


 不安の種を潰そうと思った。潰せるかもしれないと思った。私はそれしか出来ないから。それが私の性格だから。


 私は周りがくれた評価に髪を引き、照れてしまったのを隠す為に笑っていた。


「ただの、心配性なんです」

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