第160話 盲信


 泣語音央は加減が分からない男である。


 自分が好きなものを守る為にはどうするべきかと言う奉仕精神で生きてきた人間であり、それは善悪の判断よりも優先されるのだ。


「せんせー、音央君の花がまた枯れてるー」


 小学生の頃。生徒一人一人に渡された種子を音央は唯一咲かせることが出来なかった。誰よりも沢山水をやって世話を焼いてきたのに、花はそれに応えなかった。


「え、また死んでる、先生ちょっとー」


 中学生の頃。理科室で観察用に飼われていた魚を音央は何度も死なせてしまった。誰よりも丁寧に世話をして餌やりも欠かさなかったが、どうやら魚は窒息してしまったらしい。


「あれ」


 高校生の頃。育成ゲームが流行り、例に漏れず音央も自分の携帯でキャラクターを育てた。しかし、ことごとく全キャラクターが肥満と病気になり死んでいった。音央は何度もリトライをしたが、彼が甲斐甲斐しく世話をすればするほどキャラクター達は育たなくなった。


 音央にはそれらの原因が分からなかった。彼は毎日毎時毎秒守るべきもののことを考えて行動しているのに、その想いを与えられた対象は音央に応えないのだ。


 花は根腐れを起こし、魚は餌の食べすぎと毎日変わる環境にストレスを覚え、キャラクター達は拒むことが出来ないが為に限界値を超えていく。


 音央は加減が出来なかった。相手の為に、相手の為に、相手の為にと奉仕を続けなければ、彼は自分が保てない気がしてならなかったのだ。


 しかし彼はそんな考えを口にすることは無く、社交的とは言えない性格も相まってよく嫌がらせを受けた。


 花を育てられない奴、魚を殺してしまう奴、暗くて何を考えているか分からない奴。小中高エスカレーター式の学校であったことが連鎖の原因でもあるだろう。


 時には無視され、時には「育ててみろ」と花瓶を机に置かれ、時には水を被せられ、時には物がなくなり、その都度音央は口を結んだ。


(自分が悪い、自分がおかしい、誰でも出来ることが出来ない自分がおかしい)


 音央は自分に言い聞かせた。そうしないと彼は彼でいられない。彼でいなくなった時にはきっと、彼の中から生きたい欲さえなくなってしまう。


 音央にとって誰かに優しさや愛情を注ぐことは、自分が生きている証明に近かったのだ。


 だが世界は彼に優しくなかった。


 嫌がらせを受けたと知った両親は音央の性格の問題だと言い聞かせ、立ち向かえと言われた少年は黙り続けた。


 黙って、黙って、その時育てていた花が枯れた時、音央の中の感情も枯れた。


 彼はパソコンを使ってプログラムを作り上げた。匿名のメールを開いた瞬間、携帯の中のデータが全て初期化されるだけのプログラムだ。それを今まで同じクラスになった者全員の携帯に送り付けた音央は何も感じていなかった。


 ここでもやはり彼は加減を知らなかったのだ。メールを開いた生徒達は一気に青ざめ、教師に呼び出された音央は言った。


「立ち向かっただけです」


 その日から音央に対する嫌がらせは無くなった。


 同時に、誰も音央に近づかなくなった。


 呼び出そうとした者もいたが、音央の情報収集力によって個人情報がインターネットにバラまかれそうになった為に手を出すことは無かった。


 音央は何も思わなかった。何も思わずに生活した。彼は他人に興味を無くし、応えてもらえない愛情を注ぐことにも疲れていた。そしてその奉仕精神を捨てた時、彼には何も残らなかったのだ。


 だが彼は飼っている猫だけは変わらず世話をし続けた。皿が空になっていれば餌を山ほど入れて、猫が求めれば抱いて歩いたし、毎日毎日シャワーをして毛づくろいまで完璧だった。


 学校に溶け込めなくなった息子を見た両親は、猫にだけ見せる彼の輝くような横顔に不安感を募らせた。


「音央、そんなに餌をあげないで」


「音央、止めなさい」


 そう言って両親は音央から猫を取り上げ、世話をさせなくなった。遊び相手をさせることはあったが餌は音央が出せない場所に置くようになったのだ。


 少年はそれに耐えられなかった。自分が大事に大事にしてきたものを取り上げられた。元々共働きで家にいることが少ない両親がそう言った時だけ親の顔をし、性格矯正を望むことが音央は大嫌いだったのだ。


 彼はますますパソコンに向き合うようになった。愛情をどれだけあげても潰れることなく、自分にその愛を返してくれるプログラムを作りたくなったのだ。


 音央はいつも与えるだけ与えるのに、それが自分に返されないことが堪らなかった。周囲が自分から離れていく感覚が気持ち悪かった。誰も音央を見ずに気味悪がって近づきもしない。頼むから普通にしてくれと大人は言うが「普通」の定義が個々で違っていては意味が無い。


 彼の心には隙間風が吹いていた。いつもいつも、彼を凍えさせてしまいそうになる冷たい風が。


 彼はそれを埋めたくて、進学先はエスカレーターの延長ではない専門学校に行った。唯一自分でも出来るプログラミングの力を培う為に。


 願望の塊であるプログラムを完成させようと講師にも相談し、彼は何とか作り上げて見せた。色々な動物に模したキャラクターが愛情を与えれば与えるだけ自分を好きになり、決して拒まず死にもしないプログラム。


 彼は自分のパソコンでプログラムを起動し、やはり毎日毎時毎秒、世話を焼いた。


 ある日、そんな音央に制作に知識を貸した講師からプログラムの評価シートを渡された。特に提出物として作った訳ではなく、構造過程で相談しただけだが。それでも評価を与えられるのかと音央は首を傾げつつ並んだ文字を見て固まった。


 〈都合がよすぎるプログラム。好かれるだけの選択肢では面白みがない為、別の反応も考えましょう〉


「泣語君」


 音央は講師が「貴方の為だ」と話す何かを聞き取らなかった。その思考は危ないだとか、与えてもなかなか返されないからこそだとか、音央は吐き気がする思いで立ち尽くしていた。


「きっといつか、貴方の考え方は相手を不幸にしてしまう。依存に近いんだよ」


 そう諭してきた講師が音央は嫌いだった。人が作ったプログラムに横から口を出すことも、どこかに発表するわけでも無いのに勝手に評価してくるところも、音央自身の性格を心配するところも。


 帰宅して評価シートを破り捨てた音央の元に現れたのが、ルアス軍の兵士だった。


 少年は何も思わなかった。祭壇にも生贄にも、死すらもどうでもよかった。


 誰もが音央を「変」だと言う世界に興味はなかったし、希望もなかった。


 誰もが彼を遠ざけて、彼の内にある隙間を埋めてくれる存在はいない。


 それは危ない考えだとまで言われた中、彼はこの先ずっと自分を偽って生きなくてはいけないのだから。


 やる気が無い音央の初日はグウレイグの泉に放り出された所から始まった。与えられた能力の為に種子を集めようかと歩けば、フォーン・シュス・フィーアのフォーンに捕まって縛り上げられた。


 その過程で彼は抵抗と言うものを一切しなかった。


 彼はもう、どうでもよかったのだ。自分の事も、空しいだけの隙間も、生きることも何もかも。


 だから目の前で灯された炎も黙って見つめた。何か願望があったとすれば、苦しまない死に方をしたかったことくらいだ。


 ただ彼は加減が分からなかっただけだ。


 大事に大事にしていた筈なのに気づけば壊れているだなんて、音央は理解が出来なかった。慈しみが毒だなんて思いたくなかった。優しくしなければ音央の中には何も残らない。


(どうして大事にすることがおかしいんだ。どうしてやり過ぎだってみんな言うんだ。どうして愛することが駄目なんだ。どうして大切にしたかったものは全部、壊れるんだ)


 音央は全てを諦めた。疲れ果てた少年はただ黙って死を待った。


 そんな時――彼は羽ばたきを聞いたのだ。


 木の枝が爆ぜる音の向こう。


 空から近づいてくる黒を。


 音央は顔を上げ、一人の少女と目が合った。目が離せなくなった。


 黒く、一心に自分の元へ向かってくれる彼女の瞳が――あまりにも綺麗だったから。


 燃え盛る炎に飛びこんで茶色い武器を振り抜き、十字架を砕き壊した彼女は美しかった。


 鎖が解け、自由になった音央に差し伸べられた手が。


 自分にかけられた、ただ一言が。


「手を!!」


 音央の世界を色づかせた。


 細い手を取れば固く掴んで飛び上がった緋色の翼。


 音央の世界に降りてきた輝かしい光り。


 彼女はどれだけフォーンに襲われても音央の手を離さず走り続け、少年の心臓は破裂しそうだった。


 走るしんどさや緊張感だけではない。必死に自分の手を引いて救ってくれる存在に出会えた感動があったのだ。


「怪我とか……されてませんか?」


 そう言って笑った少女に音央は胸が締め付けられた。


「ぁ、ぁの、もしかして私が入ってしまったことは、蛇足だったのでしょうか」


 見当違いな心配をする姿に愛おしさが込み上げた。


「その、私なんかが行かずとも貴方一人で逃げる予定だったのでは。あぁ、いや、何か考えがあってあの場におられたのでしょうか、それとも……」


 音央は死ぬことを何とも思っていなかった。死んでもいいか位の気分で捕まっており、しかしそれを目の前の少女に伝えるのはあまりにも酷だと気づいていた。


「ち、違うよ!」


 だから口を挟んだのだ。柄にもなく、言葉を必死に紡ぎながら。


「あ、あそこで捕まってたのは俺が愚図で、捕まっちゃったからで。本当、何も出来なくて死ぬんだって思ったんだけど、そこに君が来てくれたから助かって、えーっと、あー、そう、そう!」


 不安そうに握られていた少女の手をとったのは、咄嗟とっさのことだった。心配しなくていいと伝えたくて、感謝よ伝われと叫びたくなって。


「助けてくれて、本当にありがとう!」


 音央の最大限のお礼。輝かしい姿が少年の目には焼き付いていたから。


 一瞬目を丸くした少女はふと花が綻ぶように、心底安心したという顔で笑っていた。


「良かった……」


 瞬間。


 音央の体が雷に打たれたような衝撃を受ける。


 頭の先から指先まで痺れた彼は立ち上がった少女を見つめることしか出来ず、飛び立つ彼女の言葉を聞き漏らすことはしなかった。


「……ここからはまた、敵軍と言うことで」


 空に舞い上がった彼女が纏う服の色は、黒。


 音央は緋色と黒が見えなくなるまで見つめ続け、自分の白い服を握り締めた。


 少年は立ち上がる。


 再び暗く、寒くなってしまわないように。やっと見つけた光りを求めて。


 彼は追った。どれだけ見失っても、どれだけ遠くに彼女が行こうとも。


 敵対はしたくなかった。彼女の為になることをしたいと願いだした。纏う色を白ではなく黒にしようとすれば流石に兵士に渋られたが、音央はめげずに灰色を取った。


 彼は少女を「メシア」と呼んだ。凍えて凍えて、生きる灯火が消えかけた自分に笑ってくれた一筋の光り。絶対普遍の救世主。


 彼はモーラの孤島と陸地にリフカで橋を作った。その時の彼はまだ飛べなかったから。メシアが人を抱えて海上を飛ぶのではなく、歩いて帰ってこられるように。


 メシアのことが知りたくなった彼は出会った日の少女の服装を思い出した。そのまま靴のロゴやTシャツのマークを参照した。そして一部地域にしかまだ開店していない服屋だと知り、少女が住んでいる県を特定してみせる。


 その後の音央はしらみつぶしにインターネット上を進んだ。


 体躯は少し幼いが、喋り方や考え方はきっと高校生くらいかと想定して。ホームページや行事の写真を逐一見ていった音央は恐ろしい集中力を発揮し、数日で少女を見つけた。


 行事の写真の端に映っていた少女。掲載許可を出していたことに感動し、SNSなどは全くしていない点にも好感を覚え、音央は柄にもなく跳ね回った。


「あ、印刷しなきゃ」


 そう言ってホームページの写真を印刷して壁に貼った音央。瞬間、もっと彼女を知って彼女の為になることをしたいと強迫観念に近い勢いを持った少年は、ゴールデンウィーク前日に電車へ飛び乗った。


 在宅アルバイトの貯金を全部はたくつもりでメシアが住む県にホテルを取り、放課後に高校の周囲に立って少女を見つけ、歓喜した。学校から出た彼女が取っていた名札に「凩」と書いてあるのを見落とさなかった彼は記憶にその名字を刻みつける。


 雰囲気で本が好きそうだと思い、彼女の家の方向とその近辺の書店や図書館に「凩さんいますか」と聞き周ることで彼女のバイト先も特定した。設定は中学時代の友人として、ちょっと話がしたかったのだと嘘をついた。


(話せなくていい。見つめられるだけで良い。自分なんて見てくれなくて良い。ただ守っていたいだけだから)


 彼は彼女を撮る為に一眼レフカメラを買っており、図書館から出てきた少女を撮っていた。


 青すぎる空を見上げたメシアの横顔を。


 それがあまりにも綺麗だったから、彼は無意識にカメラを落としてしまったのだ。


「大丈夫ですか?」


 そう言って転がったレンズキャップを拾ったメシア。笑った彼女をフードの奥から見上げた音央は、やはり雷に打たれたような気がしていた。


 自分の中から溢れ出しそうになる感情を少女に注げば、きっとまた枯れさせてしまう。


 だから彼は深く頭を下げるだけでその場を走り去り、飛び込んだ曲がり角でうずくまったのだ。


 心臓が早鐘を打って顔が熱い。


「あぁ……尊い」


 呟いた彼は、やはりずっと見つめていた。アルフヘイムではどれだけ彼女が飛ぼうとも着いて行き、タガトフルムにいる時も頭の中はメシアのことだけ。


 その時だけ彼は生きた心地がしていた。体も軽く、世界が輝いていた。


 壁にメシアの写真が増える度に音央は心酔していく。


 愛しい愛しい自分だけの救世主。


 体が宝石に変えられようとも、恐れる存在を前にしても、炎の中に飛び込んでも、何をしていても。失われないその目の輝きが音央は一等愛しいのだ。


 彼女を泣かせる者が嫌いで、傷つける者が大嫌いで、手足のように使う者が憎くて、それでも音央は近づかなかった。


 彼は恐れていたからだ。自分が近づいて少女が枯れてしまうのではないかと。


 けれども彼女がペリの天園から飛び降りた時、その考えは取り去った。


(生きていて欲しい。貴方に、貴方だけに、俺は)


 そう願ってしまった彼はメシアの傍にいることにした。


 守って、守って、守り尽して生かしてみせる。


 一度捨てたも同然の命を捧げるのは当然のこと。


 しかしメシアはそれを拒んだのだ。


「死なせる為に助けたんじゃないッ」


 頭を抱えた少女を見て、音央は息を止めかけた。


「生きていて欲しいから、私は手を伸ばしたんだッ!」


 その言葉と瞳が音央の覚悟を固めた。


 どこまでも着いていく。何があろうとも守ってみせる。彼女の前では決して自分の命を投げ出したりしない。


 だから彼はどんなことでも手伝った。どれだけメシアが「自分たちは敵なのだ」と言っても、頑なに。


 敵であるより以前に、音央にとってメシアは絶対だったのだから。


「……あの、泣語さん、恐縮なんですが……協力はここまでで大丈夫ですということを、お伝えしたくてですね……」


 生贄を中立者にすると決めたメシアはそう、申し訳なさそうに言っていた。言葉の最後が無くならないように声を張り、その裏には「巻き込みたくない」と言う思いがあると音央はきちんと知っていた。


「……今まで、本当にありがとうございました。私は貴方に何も返せないのですが、どうか、どうかここまででお願いします。貴方と私は敵だから。敵でなくては駄目だから……だからもう私に付き従うようなこと、してくれなくて良いんです。泣語さん、貴方は貴方の道を行ってください」


 少女は優しいのだ。どこまでも、どこまでも人のことを考えて言葉を選び、時には突き放す物言いだって出来るようになった。


「メシア」


 音央はそんなメシアが――凩氷雨が、愛おしくて堪らない。


「貴方は俺の光りだ。貴方だけが俺の生きる糧なんだ」


 彼はあることを調べていた。時雨が調べると言った中立者の塔の内部構造についてだ。それが氷雨の為だと思って、氷雨の為になることをしたくて。


 だが、知ってしまった彼は――氷雨を止めたくなった。


(死んで欲しくない。死ぬかもしれない確率がある道を選んで欲しくない。死なないで、死なないで、死なないで、生きて)


 そんな彼の願望は少女に体感系の力を向けるという形で表された。


「だからメシア、俺は貴方を生かす為ならなんでもする。例えそれが、貴方の道を阻むものだとしても」


 反応が遅れた氷雨をリフカが縛り上げる。痛くない程度に、苦しく無い程度に、それでも自由は与えない強さで。


 音央は藻掻く氷雨と飛べないひぃを見て、りずとらずをリフカで林に投げた。


「氷雨ぇぇぇ!」


 りずの声が響いたが音央には氷雨がいればよかった。氷雨だけでよかった。彼女の心獣すら彼にとっては二の次だ。


 口を塞がれた氷雨を音央は見上げる。


 その顔には本当に、心の底から幸せだと言っている笑みが浮かんでいた。


「あぁ、メシア――愛してる」


(だから、貴方を死なせてしまうかもしれない道になんて進ませない)


 音央はそんな言葉を飲み込んで、目を丸くする氷雨を見つめていた。

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