第150話 血盟
競争を乱す者は許されない。
ルールを守らぬ者は許されない。
許されない、許されない、許されない。
「歯車を乱す奴は許さない」
そう、壁一面に歯車を敷き詰めた部屋で呟く者がいる。全身を灰色のローブで隠し、塔に篭もる小さな神。ズレた動きをする二つの歯車を彼は握り締めており、その背を見つめる存在も二つあった。
一つは最初の五種族、白き長――サンダルフォン。
一つは最初の五種族、黒き長――メタトロン。
二人は床に片膝を付き、今にも歯車を砕いてしまいそうな中立者に
「サンダルフォン、メタトロン。もういいよ、結局は全て収まるべき所に収まるんだ」
低い声が部屋に響き、中立者は噛み合わない歯車が他の歯車を邪魔している様を睨んでいる。無理やり噛み合うようにさせられている歯車は今にも叫び出しそうな軋みを上げていた。
「殺してきて。あの戦士達はもういらない。するべきことをしていない。戦士は生贄を集めるか救うかでいいんだ。誰が仲間を救えなんて言ったんだ」
中立者の手が歯車に動きを無理強いさせる。軋みは大きくなり、メタトロンとサンダルフォンは顔を上げた。
「意見するぜ、我らが主」
「なに、メタトロン」
「殺すのは今じゃなくてもいいんじゃねぇのか? ディアス軍の戦士が五人に、ルアス軍の戦士が……何人だ?」
「九人だ」
「そうだそうだ。どっちも合わせりゃ十と四人。一気に殺すには多過ぎるぜ」
砕けた口調で話すメタトロンと、静かに口を挟むサンダルフォン。
中立者は歯車に爪を立てていた。
「メタトロン」
空気を震わせる声にメタトロンは目を細める。壁の方を向き続ける中立者は、無理に嵌め込んだ歯車で視点を止めていた。
「良いから殺せ。二人には告げ鳥の痣をもう付けてるんでしょ。なら後の連中にも付けたらいい」
「我が王は何をそんなに焦ってんだ、らしくねぇ」
メタトロンが息を吐く。中立者は歯車を敷き詰めた壁を殴り、全ての歯車が再び噛み合い始める様を見ていた。
サンダルフォンは穏やかな口調で目を伏せる。
「王よ、主よ。悔しいですが今回ばかりはメタトロンの意見に賛成致します。殺すと仰られても我が軍の戦士はルールを犯した訳ではございません。その者達をどのような罪状で裁けと言うのか」
「競走の放棄。それでいい。罪状なんて後付でいいんだ」
中立者は呟き、そこで初めて二人の長の方を向く。フードの奥から覗く紫の双眼は感情を読み取らせず、静かに細められていったのだ。
「戦士はみんな最後には死ぬんだ。死ななきゃいけない。戦士はみんな死んでこそだよ。それが早まるだけのこと」
「王よ、確かに戦士は、」
「もう喋り疲れた。出てって」
サンダルフォンの言葉を聞かず、再び壁へと向かってしまった世界の王。嘆息したサンダルフォンの肩を叩いたのはメタトロンであり、二人の長は歯車の部屋から転移した。
「……また覗いたな、アミー」
そんな中立者の呟きは、長達の耳に届くことなく落とされた。
長達が転移した先は同じ塔の地下。光りなど入らない、楼台に灯された炎だけが
足を踏み入れたサンダルフォンとメタトロンは、ほとんど使われることがない地下牢にいる兵士達の前で足を止めた。
一つの牢に鎖で繋がれているのは褐色の肌と銀の短髪を持つ兵士。筋骨隆々の体を繋ぎ止めるのは太く、固く、不純物を最大限まで取り除いて作られた強固な鎖。何重にも巻かれた拘束具に繋がれているのは
メタトロンはエリゴスを入れている牢に近づき、威風堂々たる雰囲気で笑っていた。
「よぉエリゴス、調子はどうだ? そろそろ普通に兵士の仕事をする気になったんじゃねぇか?」
「……お言葉ですが、我が長よ。梵は間違ったことなどしていないと俺は思っています。アイツは良い奴だ。言葉が足りないが、それでも仲間を想える強い奴なんだ。なのに、どうして告げ鳥の痣を……ッ」
「俺に拳を向けた。それだけでいいだろ?」
エリゴスの銀の瞳に怒りの炎が浮かんでいる。メタトロンはそれを見ながら目を細めて笑うのだ。
「エリゴス、お前の戦士とその仲間は競争を掻き乱す危険因子だ。競争を望んでないと口にした。今最も多くの生贄を集めているにも関わらずその先へは進まない」
「それは!!」
「それは、あの子達が優しく、正しいからだ……」
鎖を鳴らしながら反論しようとしたエリゴス。彼の言葉の先を言ったのは向かいの牢の者だ。メタトロンは笑ったまま振り返り、水色の髪と右目を潰された兵士を確認した。
壁に腕を杭で
彼は右目から茹だる血液を体内で生成した炎で燃やし、傷を塞いでいた。
これで何度目かも分からぬ行為。何十、何百と繰り返した、それは罰。
アミーは美しい青の瞳でメタトロンとサンダルフォンを見上げていた。
「こんな競争、間違ってる。今回の変革の年で、子ども達が何人死んだ? 何人泣いた? アルフヘイムに平穏を、平等を。その為に流れた血は多過ぎる」
「それで良いんだよ。戦士はみんな死ぬ事が正しい」
「そんな正しさ反吐が出る」
メタトロンの言葉に反論し、突如アミーの回りに青い業火の海が広がる。それはアミーの腕に刺さった杭と牢の檻を溶かし、メタトロンは笑い続けた。
サンダルフォンは目を細める。
「アミー、また王の部屋を覗いていましたね」
サンダルフォンが業火を踏みながら檻に近づき、首を傾ける。アミーは左目を細めて「そうですよ」と悪びれなく答えていた。
「貴方の目はそのようなことに使うものではありませんよ」
「そんなの僕の勝手です。この目は僕の物。僕だけの物なんだから、何を見て何を知ろうが自由な筈だ」
「自由、ですか」
サンダルフォンは目を伏せながら呟き、アミーの杭が完全に溶け落ちる。
「僕を止めるかい? サンダルフォン様」
「止めて欲しいですか? 炎のアミー」
そんな返答にアミーは鼻で笑ってしまう。
「止めて欲しくはないです。メタトロン様は? 止めますか?」
「そうだなぁアミー。お前は問題児だが優秀だからな。出て行くのはやめて欲しいところだ。だが止める気もない。何せお前の道だからな」
メタトロンは青い業火を臆せず踏む。アミーは腕に開いている傷痕を焼いて止血し、目を伏せた。
「僕、メタトロン様のそういうところ……好きだったよ」
「そりゃ嬉しいね」
アミーは転移し、エリゴスの牢に入る。
そこには体の筋肉全てを倍増させ、倍増させ、倍増させる兵士がおり、鎖に亀裂が入っていた。
高い音が地下に響く。メタトロンは感心する声を零し、エリゴスを繋いでいた鎖が砕け飛んだ。
エリゴスはふらつきながらも立ち上がる。彼の服の下には多彩な青痣が浮かんでおり、骨もいくつか軋んでいるのだ。アミーはそんな友に肩を貸してサンダルフォンで目を止めた。
自分を見つけた白い存在。誰もいなかった場所から世界へ連れ出してくれた初めての人。
アミーはサンダルフォンに伝えていた。
「サンダルフォン様がくれた笑顔も、僕は好きだった」
初めて自分に体が与えられた時。歯車の部屋から外へと歩き出した時。確かに笑いかけてくれたサンダルフォン。
アミーがそれを忘れたことは一度もなかった。
サンダルフォンが目を見開く。それは数少ない彼の表情の変化で、アミーはもう白の彼を見てはいなかった。
アミーとエリゴスが転移して牢から消える。メタトロンは青の残炎を見下ろしながら檻に
「……罪人を見逃してしまいました」
「別にいいだろ。また直ぐ会いそうだ」
サンダルフォンを笑うメタトロン。黒は腕を組み、自分の軍の兵士がいた檻を見つめた。
「俺達ディアス軍は己の道を己で切り開く。幸せは自分の手で掴み、強く賢い者こそが上へと進む。アミーとエリゴスはそうしたまでだ」
「ならば私達はそれを阻む者でいなくては」
「そうだな」
メタトロンは歩き出し、サンダルフォンもその後に続く。地下牢を後にした二人は罪人達の罪状を思い出していた。
ディアス軍兵士、エリゴス。
同軍兵士、アミー。
両者共に自軍長に対しての反乱及び、罪人隠しの疑いによって投獄。
メタトロンは鬼のような剣幕で自分に迫ってきたエリゴスとアミーを思い出し、口角を歪に上げていた。
アミーとエリゴスは名もなき泉へと転移を完了し、
閉じ込められた状態で目を閉じている氷雨と梵。二人の呪いは止まっているようで、アミーはそれに安堵した。
そして日にちを数える。
今日は一体何日目か。何日目であっても構わない。残りの祭壇数は二十三まで減っている。このままではいけない。いけない。いけない。
アミーは眠る氷雨を見つめ、優しい檻に額を寄せたのだ。
「うん、そうだ、そうだよ――決めた」
アミーの伏せられた睫毛が揺れる。
梵が眠る強固な檻に拳を当てたエリゴスは目を細めて笑っていた。
「安心しろ、梵――大丈夫だ」
アミーとエリゴスの考えが一致する。
一つの答えを確定させる。
「アミー、エリゴス」
そんな二人の背後に現れたのは三人の兵士。
三人の兵士は血を流していたと分かるアミーとエリゴスを見つめ、氷の中にいる氷雨と梵も直に確認した。
「久しぶりだね、ストラス、ヴァラク、オリアス」
アミーは振り返って三人を見る。顔の右側が焼けている兵士は一体どれだけ苦行を繰り返したのか。
オリアスは目を細めて、ストラスは王冠のズレを直していた。
「何をする気なんだ、お前達は」
「言葉にはしない。だから察して」
アミーは答え、ストラスの目を見つめる。王冠に触れたままの兵士は眉間に皺を寄せ「馬鹿が」と零していた。
「お前達、そろそろ大人しく出来ないのか。きっともう次の許しはないぞ」
「いらねぇよ、許しなんて」
エリゴスは悪戯っぽく笑い、アミーは腰に手を当てて息を吐く。既に感覚が繋ぎ止められなくなった左腕は長年の仕事をよく果たしてきたものだ。
「僕はこの子達の――未来が欲しい」
アミーの顔がヴァラク達を捉える。その目には諦めも悲観も迷いもなく、あるのは純粋な願望だった。
「だからごめんね」
「覚悟をした奴が謝るな」
ヴァラクは頭を掻きながら息をつき、アミーは苦く笑った。
「……相変わらず笑うのが下手だな、お前は」
オリアスは息をついてアミーを見る。炎の彼は自分の口角を指で引き上げ、やめていた。
「練習したんだけどなぁ」
太陽が昇っていく。
兵士達の覚悟が固まっていく。
アルフヘイムで真昼が来ればタガトフルムは真夜中となり、空と大地から子ども達が吐き出される。
――結目帳が空から飛び出し、同じように空から吐き出されるりずを掴んだ時。目の前に現れたのはオリアスだった。
「え、オリアス?」
鍵からの映像ではなく目の前に実在するオリアスは、帳の腕を掴んで転移する。
転移先は氷雨と梵が眠る場所。誰もが忘れた泉の畔。祭壇と共に二人が誰かに見つけられないようにと選ばれた静寂の場所。
理解が追いつかない帳は目を瞬かせ、自分と同じように転移させられた祈と紫翠を確認した。
ヴァラクとストラス、オリアスは自分の戦士達を確認し、ストラス以外の兵士はまた消えた。
そして今度は、白の子ども達を連れて来る。
泣語音央をヴァラクが。
時沼相良、屍出雲と白玉、凩時雨、闇雲鳴介をオリアスが。
早蕨光、鷹矢暁とイーグをアミーが。
淡雪博人と恋草茉白をエリゴスが。
ストラスはそれを確認して、目を白黒させている戦士達に背を向けた。少し離れた場所に彼は膝をついて地面に掌を触れさせる。
「さんざめく
ストラスの掌から薄水色の光りの線が地面を走り、その場にいる戦士と兵士全員を囲む大きな円が出来上がる。
その線から天に向かって膜が広がり、緩やかなカーブを描きながら空間が作られていった。
「
幕の全てが繋がりドームが消える。暁達は唖然としたまま兵士達の動向を見ており、紫翠は直ぐに聞いた。
「何をしているの、ヴァラク」
その声には微かに
ヴァラクは美しい金の睫毛を揺らし、自分の戦士の頭を撫でていた。柔く柔く、壊さぬように。
「君達を見えなくした。この円の外にいる者から僕らの姿は視認出来ないんだ」
「なんでそんなことしてんの、こっちは色々切羽詰まってるわけだけど」
帳が口角を上げながら問いを重ねる。オリアスは自分の戦士の頭を撫でると、声を出さないまま目を伏せたのだ。
その表情が帳の神経を逆撫でする。
少年は奥歯を噛み、氷雨と梵に近づくアミーとエリゴスに気づいたのだ。
「……ねぇ、まさかさ、二人を殺すなんてことしないよね」
帳は声を低くして確認する。
反射的に顔を上げた時雨はアミーと氷雨の間に入り、口を結んでいた。
その顔を正面から見て、アミーは無表情に呟いている。
「まさか、そんなことしないさ」
顔の右側を火傷した兵士。彼を見つめる時雨の手では静電気が増えており、アミーはそれを察していた。
「大丈夫、二人を呪いから解放するのが僕らの目的だから」
「いいかお前ら、絶対にこの円から出るなよ。生贄を集めも救いもしねぇお前達を異端児認定した奴らがいる」
エリゴスはそう前置きして梵が眠る氷を掴む。
豪傑の肩書きを持つ彼にかかれば氷の檻など、何の障害にもならないのだ。
アミーはアミーで時雨を超えて氷に触れ、その掌からは青い炎が零れていく。
それは徐々に氷雨が眠る氷に巻き付き、ヒビを入れた。
先に砕けたのは梵の檻。
甲高い音を立てて地面に落ちる透明な欠片と共に、梵の体が前傾に倒れていく。
倒れる間に目を開けた青年は、銀色の輝きに目を瞬かせたのだ。
逞しいエリゴスの手が梵を抱き留め、地面に下ろす。
完全に虚をつかれた顔をしている青年は声が出ない口を動かして、自分の兵を無音のまま呼んだ。
「よぉ梵、待ってろ、今その呪いから解放してやる」
「待って、何する気」
まだ状況を理解していない梵と、柔和に笑うエリゴスの間に入る紫翠。
彼女は言葉足らずな兵士達を睨んでおり、隣ではもう一つの檻が砕ける音が響いていた。
「氷雨、ッ」
時雨が振り返り、倒れていく氷雨とひぃ、らずを見る。
小柄な彼女を抱き留めたのはアミーであり、氷雨が目を開けた時に見た色は透き通るような青色だったのだ。
「おはよう、氷雨ちゃん」
そう言って氷雨を抱き止めたアミーは、今にも無くなってしまいそうな微笑みを浮かべていた。
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