第149話 有限


 数日だけ時を戻した話をしよう。


 呪いが発動し、氷雨達が解決法を探しに飛んだ頃まで。


 氷雨と光がブルベガーのシュスにいた一日と少しの間、帳と音央、祈、暁はサラマンダーのシュスで資料を漁っていた。灼熱を進み、探求のシュスに助けを求めに行ったのだ。


 そして紫翠と博人、梵と茉白もそれぞれにアルフヘイムを走り回り、呪いを解く方法を探していた。


 祭壇など二の次で。生贄など後に回して。


 博人と茉白にはそこまで協力する要因はないが、誰でも無い光が協力すると言い出したのだ。全ての意見に賛成はしないが、自分達が共に進むと決めた少年が決意したのならば二人も努力することをいとわなかった。


 博人に至っては梵に対して死ぬなと喝を入れた程だ。


 サラマンダーのシュスに辿り着いた帳達は、迎え入れたスティアに事の経緯を説明した際に嫌な予感がしていた。告げ鳥の痣が浮かんだことを口にすれば彼女の顔が強ばったのだ。


 笑みが失せたスティアは「それは、そんな……それはそれは」と独り言を零し、足早に三つのシュス全ての書庫を解放した。


「それは一大事だよね」


 唇を噛んだスティアは資料確認の協力を始めた。帳達もその姿を見て三つのシュス全ての書庫を漁り、探し、期待した。


 そして、その期待は全て落胆へと塗り替えられた。


 何処にも告げ鳥の痣を解く方法は記されていなかったのだ。探求のシュスと呼ばれるサラマンダーのシュスでさえ。


 ただ一つ見つけたのは呪いを解く共通事項だけ。


 〈呪いはかけた者か、その者に近しい者でなければ解くことは出来ない〉


「そんなことがあってたまるか」


 頭を掻き毟る音央は読んだ資料をもう一度開き、サラマンダー達に聞き周ってと出来る限りのことをした。


 祈も暁もそれは同様で、帳はオリアスにも聞いたのだ。


「オリアス、告げ鳥の痣を解く方法は」


 ディアス軍の兵もルアス軍の兵も一度目に聞いた時は何も答えなかった。現れない者もおり、だから帳達は手分けをすることになったのだ。


 兵士が協力を拒んでいる。そう判断したから。


 その中で唯一オリアスは答えてみせた。人らしくなった自分の戦士に向かって。


「告げ鳥の痣を解くことが出来るのは、メタトロン様か対となるサンダルフォン様だけだ」


「それ以外の方法は」


 オリアスは帳を見つめていた。その口はゆっくりと閉じられる。


「呪いを解く方法はそれだけなのかよ」


 帳は奥歯を噛み締めた。爪が掌に食い込むほど握り込み、意図せずして壁を殴る程の憤りを感じながら。


 オリアスが作り出す間すら彼は惜しかったのだ。


「氷雨ちゃんと鉄仮面を救う方法は、他にないのかよ!」


 帳の頭にフラッシュバックした血塗れの浴室。そこで倒れた両親が目覚めることは二度となく、揺すった体は固く冷たかったのだ。


 その光景が氷雨にすり変わる。


 頬を撫でて髪に指を差し込んでも、強く抱き締めても氷雨が目を開けることは無い。


 そんな未来が差し迫っているのだ。


 誰よりも死を経験してきた少年はそれが恐ろしくて仕方がなかった。少しでも気を抜けば体が震え、考えることを止めれば視界が滲む程に。


 そんな戦士に気付きながらも、オリアスは無言を突き通す。


 理解した帳は「もういいよ」と零し、兵士との通信を終わらせた。


 彼は諦めることはしなかった。必ずどこかに方法があると信じて。信じなければ氷雨と梵にあるのは死だけなのだ。そんなこと許さない、認めない。


 彼の焦りは共に居た祈にも伝染した。


 毛先の赤い少年は書物を何度も何度も読み返し、何処かに兆しはないかと縋りついた。


「なんで、なんで、なんで無いんだ、なんでッ」


 祈の指の間から零れていくのは欲しい答えがない紙の束。


 自分の手を握ってくれる氷雨が、頭を撫でてくれる梵がいなくなってしまう。死んでしまう。動かなくなってしまう。目を開けなくなってしまう。名前を呼んでくれなくなってしまう。


 それが祈には耐えられない。


 崩れそうなパートナーを心配するルタは、それでも冷静さを欠きはしなかった。祈がどれだけ頭を抱えて指を噛んでも、それを否めるのはルタの役目なのだ。


「駄目だよ祈。考えることを止めないで。僕も考える、だから」


「分かってるッ」


 祈は繰り返した。「分かってる」と。「考えろ」と。一人で抱えては駄目だと学んできた。学んできたから少年はサラマンダー達に聞いたのだ。


「呪いの解除が出来ないなら、呪いの進行を遅らせる方法は? 何か知らないの?」


 不安の叫びはスティア達に届き、サラマンダー達は過去の失敗作を提案した。


「もっと時間があればいいと思ったことはないかな?」


 その願いが失敗作の最初だった。


 彼女達は探究している。自分達が愛した者と抱擁する為にどうしたらいいのかを。


 だがその答えを突き詰めるには、時間がどうしても足りなくなる場合がある。目標を果たせないまま寿命を全うしてしまう者がいる。


 それが余りにも歯痒いと感じた結果、彼女達は時間に抵抗する方法を探求した。時間を遅らせる為の道具を作り出そうとした。


「それがこの植物、体感時間を十分の一にする花「ラキス」を品種改良した失敗作。ラキス・ギオンだ」


「ラキス・ギオン」


 暁が手にした種子は硝子細工のような粒で、触れれば冷たく脈打っていた。


(呼吸してるみてぇだ)


 暁は思い、解決までの道が閉ざされなかったことに安堵した。


 どんな形であれモーラと無月から自分を救ってくれた氷雨と梵。その借りを彼はまだ返していない。


 怒りはあれど暁も光同様、氷雨達と敵対する意識は無いに等しい。彼は義理堅い男なのだ。だから今もこうして協力して安堵し、種子を握り締める。


 パートナーの肩でイーグは聞いた。


「何故これは失敗作なんですか?」


「ラキス・ギオンはね、体感時間を止めてしまうんだよ。遅らせてしまうんじゃない。ラキスが持つ氷と時間という特性を必死こいて取り出して品種改良した結果、氷の中に閉じ込めた者の時間を完全に止めてしまう物が出来たんだ。それでは意味が無い。私達の目的は時間を増やすことだった。自分自身を止めても何の解決にもならないでしょ?」


「だから失敗作なのか」


 暁は呟き、イーグは興味深そうに嘴で種子をつつく。


 音央は「それでいいよ」と横から手を出して種子を掴んだ。


「これを使えばメシアの時間が止まるんだ。そうすれば、呪いの進行だって止まるに決まってる」


「……一応言っておくけど、それは仮説だよ。確定事項じゃない。そんな実験は私達だってしたことないんだ」


「それでもこれは大事な可能性だ」


 若干渋るスティアに帳は伝え、梵と氷雨を眠らせる為に必要なだけの種子を受け取る。


 音央は全ての種子に自分の力を流し込み、地面に落とせば発芽するように命令を送った。下準備が終われば祈と暁、帳と音央のペアに分かれ、それぞれ梵と氷雨を探す為に飛び立っていく。


 これは呪いが動き出して、氷雨と梵の視力と聴力が低下した四日目のことだ。


「是非またおいで。今度はソヨギ君とヒサメちゃん、シスイちゃんを連れて来てね」


 手を振ったスティアは眉を下げて笑い、帳は「ありがと」と素直に答えていた。


 だが、彼らはその日中に氷雨と梵を探すことは出来ずに終わった。


 一度タガトフルムに戻って連絡が取れる状態であった帳だが、氷雨にも梵にも連絡は取らなった。先に目指すシュスがあったからだ。


 そのシュスでの答えによっては作戦を中止しなくてはいけなくなる。


 祈にもそのことは前置きしており、答えを得れば連絡を入れると約束をしていた。


 帳は一人だけで進むのをやめていたのだ。


「そっちは頼んだ。鉄仮面でも氷雨ちゃんでもいい、探してて」


 祈は気付きながら、別れた帳に伝えはしなかった。チグハグな彼に戻ってしまいそうだったと言うこともあるが、それ以上に今の帳との関係に水を差したくはなかったのだ。


 そんな祈の感覚など知らない帳と無我夢中の音央が向かったのは、カラドリオス・シュス・アインス。サラマンダーの資料の中に呪いと治療のシュスを見つけていたのだ。


 訪れたのは氷雨と光が立ち去った少し後になったが、そこで帳は時雨達と鉢合わせた。


 しかし帳は彼らを気にかけることなどしなかった。カラドリオスを捕まえて一つの事を聞いたのだ。


「体の時間を止めれば呪いの進行も止まる?」


 その答えを帳は求めていた。まだ探求しきれていないサラマンダー達ではなく、呪いと治療に精通しているカラドリオス達からの答えを。


 住人達は顔を見合わせると確かに首を縦に振った。


「進行は止まる。だがそれは一時凌ぎにしかならないだろう。進行を止めても呪いが解けたわけではない。解く方法は一つしかないのに眠らせるなど、死にはしないが生きられもしない終わらぬ牢獄に入れるのと同じだよ」


「牢獄になんてさせない。呪いが解けたら良いんでしょ。その為に今は何より時間がいる」


 ふと、カラドリオスを離した帳に掴みかかる者がいた。名は凩時雨。


 兄は目の前の男が妹にしようとしていることを、問わずにはいられなかったのだ。


「何をしようとしてる。氷雨に、何をッ」


「……時間を止めるんだよ、おにーさん」


 時雨のこめかみに青筋が浮かぶ。


 帳が殴られたのはその数秒後であった。


 その反応から敏い帳は気づいてみせる。


 元から妹よりも他の者に対する攻撃が強いと感じていたルアス軍の男に、少年は違和感があったのだ。静電気という強力な能力であるにも関わらず、接近戦が得意な氷雨を殺せない時雨に。


 それが殺せないのではなく、本気で殺す気はなかったのだと分かった帳は笑ってしまいそうだった。


 妹が妹なら、兄も兄だと。


 時雨の本質まで辿り着かずとも全体を察することは出来る。気づいてしまえばなんてことはない。


 凩時雨は、ただの優しいお兄ちゃんだ。


 帳は殴られたこめかみを押さえながら時雨に言った。


「俺は氷雨ちゃんと、ついでに鉄仮面を助ける。あんた達はそれの邪魔をする? それとも手伝ってくれるのかな」


 薄ら寒い笑顔で聞いた帳に時雨は奥歯を噛み締める。


 呪いの転移に失敗した彼らは路頭に迷っていたも同然で、そこに現れた帳と音央は一筋の光りに等しい存在だ。


 けれども、それを時雨は認めたくなかった。


 妹を「メシア」と呼んで崇拝する音央に彼は吐き気を覚えていた。


 氷雨と距離が近い帳は初めて出会った瞬間から嫌いだった。


 だから時雨は首を縦に振る代わりに、少年の頭を再度殴ることで肯定した。


 融通の利かない男を出雲は笑ったらしいが、その笑い声すら時雨の耳には入らない。


「顔を殴ればいいのに」


 音央が呟いた言葉を鳴介は耳にしながら、弟が怪我をしていないかと不安を募らせた。


「早く、探しに行こうか」


 相良は能面のような表情で進むことを促し、感情を抑え込んでいると白玉は理解していた。


「そのつもりだよ」


 帳は殴られた頭を押さえつつチグハグに笑う。


 その後、帳はまた音央と共に飛んだ。時雨達も悲観を止めて動き出した。


 死なせはしないと心に決めて。


 帳はタガトフルムに戻った時、学校で初めて自分から光に声をかけた。今アルフヘイムの何処にいるのか聞く為だ。


 帳はただそれだけのつもりだった。しかし「早蕨」と一言呼ぶだけで光は持っていた物を全て落とし、泣き出したのだ。


 流石の帳も驚いたが泣き止ませる義理もないかと傍観し、泣き泣き喋る光の答えを聞いた。


 返答によれば、光と氷雨はガルムの洞窟近くにいるとのこと。


「あ、そうだ! ジャックフロストのシュスなら何か!」


 思いついて元気になった光に飽きれながら、帳もジャックフロストのシュスを目指すと決めた。


 その時、ラキス・ギオンのことを光に語ってはいない。恐らく光は驚き渋ってと面倒な段階を踏むと予想したからだ。


 光は光で、旅人達を歓迎するジャックフロストならば書物に記されていない話も知っているのではないかと期待と希望に胸を膨らませた。


 帳と音央も無事に白銀のシュス――ジャックフロスト・シュス・ゼクスに辿り着き、白の中にある黒と緋色を見つける。


 帳は中央の城の屋根から氷雨を見下ろし、白くなる息と共に呟いた。


「嫌がるかなぁ……氷雨ちゃん」


 肩や頭に積もる雪を払わず、少年は風に乗る。それは責任感が強い氷雨の反応を予想した呟きだった。


 自分のことを自分がしないだなんて。何も役に立てなくなる。安全地帯に行くようだ。これは自分の責任なのに。


 氷雨はきっとそう思う。


 梵に対しても同じことを思うのかと聞けば首を横に振る癖に。少女は自分に一等厳しい性格だから、自分が休むことは嫌がるだろう。


 もし梵だけを眠らせると言えば、彼女はきっと物の数秒で賛成すると予測出来るのに。


 そこは氷雨の美点であると同時に欠点だ。


(いや違う、あれは確かに欠点だ。美点として褒めると駄目なやつだ)


 帳は自分に言い聞かせ、横に浮いている音央を見る。


 灰色の戦士は氷雨だけを見つめており、茶髪の戦士は息を吐いた。


「嫌がっても、メシアの為になる俺はする。あの子が助かるならそれでいい」


 それは帳の呟きへの返答。


 茶髪の少年は目を見開き、前触れもなく氷雨に近づいて行く音央を見つめてしまった。


 泣語音央は凩氷雨の盲信者。


(だから嫌い。凄く嫌い。でも氷雨ちゃんの為って言う前提条件が一致すれば、そこそこ使える奴)


 帳の頭にはそんな結論が弾き出され、光の叫びと宙に逃げた氷雨を見つめていた。


 緋色の羽ばたきを見た帳は地面に足を着く。氷雨の動きは鈍く、音央と会話しているのはりずだ。


 彼女の耳と目は上手く機能していない。声も今日から出なくなっただろう。


 考えにふけりそうになった帳は氷雨を風で巻く。自分の方へ無条件に引き寄せれば、少女と目が合った気がした。


 少年の両腕は、気づけば少女の為に広げられている。


 氷雨の体から力が抜けるのが見て取れる。ひぃは羽ばたかず、ハルバードになっているりずだって振り抜かれない。


 帳は少女が自分を認識していると判断し、腕の中に落とした彼女を抱き締めるのだ。


 数日ぶりに出会った氷雨の顔に笑みはなく、視点が定まっていない。それでも少女は少年に頭を預けたから。肩から力を抜いたから。帳は体が温まるのを感じるのだ。


 彼は氷雨を下ろして端的に伝えた。氷雨と梵を眠らせたいのだと。時間が無いのだと。時間を作るのだと。


 氷雨はどんな言葉で断るだろう。どんな言葉を吐きながら首を横に振るだろう。


 思っていたのに、氷雨はゆっくりと帳と音央を見比べてりずと目を合わせた。


 光は説明を求めてきたが、帳は「ちょっと黙って」と言ったきり白い戦士は相手にしない。


 不意に、りずは帳に向かって跳躍した。


 帳は反射的に針鼠を受け止めて、氷雨の手を握り締めたのだ。


「やれ、音央」


「それが貴方達の考えならば」


「そ、そんな!!」


 光が顔を青くして狼狽うろたえる。


 氷雨は肩を竦めて笑っているが、帳も信じられてはいなかった。


 氷雨達がまさか、ここまで簡単に首を縦に振ると思っていなかったのだ。


 握り締めた手により力が入る。帳はりずを抱いたまま、氷雨にかける言葉を探していた。


 本当にいいのか。無理をしていないか。誰も君を責めている訳では無い。氷雨と梵に死んで欲しくないだけなのだ。だから時間が欲しくて、眠って欲しいというのは最善の案だと思って。


 氷雨と帳の目が合う。笑う少女は何を考えているのか。


 視力を、聴力を、声を失っていながらどうして笑ってくれるのか。


 帳は疑問を飲み込んで、押し潰して、口角を静かに上げていた。


 ここで聞き返すなど無粋である。


 少女は首を縦に振ったのだ。それならばもう、良いのだ。


 何も間違ってない。自分の中を渦巻いた罪悪感には蓋をしておけ。


「待ってて、探してくる。りずは預かってたらいい?」


 帳は聞く。声を出来るだけ張って、氷雨に間違いなく届くように。


 答えてくれたのは戦士の声を務めるドラゴンだ。


「はい、よろしくお願いします。私とらずは氷雨さんと共に眠ります。その間、タガトフルムには帰れないんですかね?」


「……そうだね。でも大丈夫。眠りなんて感覚的には一瞬だろうよ」


 帳は頷き、氷雨の頭を撫でる。


 時間を止めた状態でタガトフルムに戻せば騒動になりかねない。喋れない以上アルフヘイムに来ることだって出来なくなる。だから特例として戻れなくなるとオリアスは言っていた。


 帳は思い出しつつ、泣いている音央の頬を撫でた氷雨を見る。


(あぁ、強くなったな、この子)


 チグハグな少年は思う。また揺れそうになったが、その背中を押すのはいつだって氷雨と氷雨の心獣達だ。


「信じたぞ、帳」


「信じますね、泣語さん。早蕨さんも」


 りずとひぃが汚れなき眼で言葉を告げる。


 その言葉は氷雨の言葉。


 言葉足らずで、考えすぎてしまう彼女の裏なき言葉。


 帳は奥歯を一瞬噛んでから、微笑む氷雨に笑い返していた。


「信じて、待っててね」


 氷雨は笑う。


 痛いだろうに、不安だろうに、信じるという思いを持って笑っている。


 帳はりずを自分の肩に乗せ、ラキス・ギオンに覆われていく氷雨を目に焼き付けた。


 透明度の高い蔦に隠されていく氷雨。


 光は息を呑んでその様子を見つめ、音央は泣き続けていた。


「待ってて」


 帳は再び呟く。


 視線の先には氷の結晶の中で眠る氷雨がいる。


 りずが震えたことに帳は気づいていた。


 少年は冷たく美しい檻に触れてみる。顔を近づければ冷気を感じ、氷が溶けることは無さそうだ。


「……すぐ起こすから。寒いのなんて嫌だよね……ごめん」


「あぁ、メシア、メシア……すみません……」


 泣いている音央は謝り続ける。氷雨の為だとどれだけ口にしようと、罪悪感は消せなかったのだろう。それでも実行したということは、やはり彼自身もこの選択は正しいと感じているのだ。


 光は目を見開きながらも、帳に詰め寄ることはしなかった。時間が無いのは紛うことなき事実なのだと少年も分かっていたから。


 守る為に眠らせる。


 救う時間を作る為に閉じ込めた。


「あぁ、分かった、眠って、おこう」


 そう、氷雨とはまた違う潔ぎ良さで眠りについた梵。祈は頷き、茉白と暁は目を見開いていた。


「すま、ない、祈、ルタ……後は、任せた」


「はい、任されました」


 それが眠る梵の最後の言葉。祈の心に繋ぎ止められた重みある音。


 赤い毛先の少年は頬を何度も叩き、氷の中にいる梵を見つめたのだ。


 氷雨と梵は揃って安全だと思われる場所へ。


 無月達を祀った祭壇の近くではない。


 それは名前のない泉の近く。オリアスが言った、誰も知らない静かな場所。みんなが名前をつけ忘れた名無しの泉。青い火柱が上がった場所。守れなかったと言う悔いが残る場所。


 そのほとりに二人を運び、再び飛び立った帳達。


 その日、氷雨の代わりにタガトフルムに戻ったりずは両親に嘘と本当を混ぜた話をした。


 氷雨は戻ってこられない。でも大丈夫。少し兵士側で不手際があっただけなんだ。だから数日で戻ってくる。


「ごめんな、俺だけで」


 謝ったりずを氷華と慈雨は抱き上げた。抱き上げて泣いた。泣きながら笑った。


「大丈夫、信じる、信じてるからね……おかえり、りず君」


「……伝えてくれてありがとう、りず」


 りずの額が撫でられる。撫でられて、撫でられて、褒められて。


 りずは泣いた。心細くて堪らなくて。温かさが染みて、嬉しくて、悲しくて。


 氷雨が学校を休んだその日、紫翠は祈に電話をかけて事の経緯を聞いた。


「お見舞い行こうか!」


 そうなずな達は話していたが、それを止めたのは誰でもない紫翠だった。


「休ませてあげましょう。あの子、最近頑張りすぎてたから」


(だから眠ってていいの。眠っていなさい、氷雨、梵)


 紫翠は微笑みながら、なずなの頭を撫でておく。


 栄は何も言わずに紫翠を見つめ、かと思えば「そうだね」と微笑んだ。


 紫翠は誰も見ていない場所で手を握り締める。


 死なせなどしない。必ず救ってみせる。


 そう誓ったのは彼女だけではない。


 祈も帳も誓っていた。


 光も時雨も立ち止まらなかった。


 誰も立ち止まらない。必ず方法はあると信じて前だけ向いている。


 それは、子ども達だけではなかったが。


「駄目だ、駄目だよみんな……もう進まないで、駄目だ、駄目なんだ」


 そう呟いたのは――右目から血を流す炎の化身。


 血だらけの兵士は暗い地下牢の中で、える同胞の怒りを聞いていた。

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