第138話 別点


「……また早蕨は無駄なことする」


 そう言って空を見上げたのは、結目帳である。


 彼はエントの大樹の枝に腰かけており、地上は遥か遠くにあった。周囲は青々とした木々に覆われ、間から覗く青空が美しい。


 帳は楽に上体を倒せるほど幅のある枝で、氷雨達の対談が終わるのを待っていた。


「無駄を無駄だと思ってないから頑張れるんでしょうね」


 そう呟いたのは帳と同じ枝に腰掛けている楠紫翠。


 闇雲祈と細流梵も同じ場所で時間を潰しており、泣語音央はその場に居合わせなかった。


「……そりゃ、理想論で完結してハッピーエンドなら誰だって嬉しいよ」


 祈は呟き、眠たそうにルタを両腕で抱える。


 梵は自分の背に祈をもたれさせ、頬の痣を気にする素振りを見せた。


 帳は「だーよねー」と間延びする声を吐き、自分の横に鍵を挿す。それを回せば光りの線が伸び、エントの枝に灰色の祭壇が形成された。


「ちぇぇすとぉぉぉ!!」


 本の数秒で破壊されたが。


 帳達の上の枝から、手甲鉤を付けて飛び降りてきた女性。


 溌剌とした笑顔で祭壇を壊し始めた屍出雲に紫翠達は嘆息した。皆同じ思いを抱えながら。


 明日から作ることが出来なくなる祭壇。それを増やしたい思いは確かにある。しかし、だからと言って氷雨を置いていくことは出来ず、少女の念願である時雨殺害の助けだってしてやりたい。


 それは氷雨一人に背負わせるものではないから。共に歩むと言ったから、歩んでいたいと思ったから。


 だから少女が参加している対談を律儀に待つ。


 帳はルアス軍が何人もいる所で建てた祭壇がすぐに壊されることを、十二分に承知していた。


「へー、初めて見たなぁ祭壇が出来るとこ!! ねね! もっかいやってよ、もーいっかい!!」


「やだよ、そんな無駄なこと」


 猫撫で声で願ってくる出雲をあしらう帳。彼は風で出雲を掴んで上の枝へ強制的に送り届け、大樹の幹へと視線を向けた。


 紫翠は腕を組みながら提案する。


「ねぇ、この時間何もしないのは無駄じゃない? 梵と氷雨の顔に浮かんでる痣について考えた方がいいと思うんだけど」


「あ、それ賛成……梵さん、今日も痛いですか?」


 紫翠の言葉を受けて、祈は顔を上げる。視線を集めた梵は「お、」と声を漏らしていた。


「痛みは、触れば、だな。それ以外、違和感は、今のところ、ない」


「なら、良かったです」


 安心したように息を吐いた祈だが、帳は眉間に皺を寄せる。紫翠も帳と似通った反応であり、少女は言っていた。


「良いと思わない方が懸命じゃないかしら」


「え、なんで?」


。それは何かしらの原因があって痛みを伴ってるってことよ」


 紫翠は不思議そうな顔をした祈に言う。


 少年は「あ、」と気づいた声を出すと、徐々に顔色を悪くしていった。


 紫翠は梵に近づき、痣の浮いている頬に指先を当てる。彼女の目は食い入るように梵を見つめ、何もすることはなく閉じられた。


「駄目ね。特性でもないし触覚にも分類出来ない」


「盗れないってこと?」


「そうよ」


 帳は紫翠に確認し、思案する表情になる。


 笑顔が少なくなった帳は人間味を纏っており、以前より話しかけやすくはなったと祈は感じていた。だから、話しかけるのだ。


「意識を抜いたら、リセットとかされないのかな?」


「んー……どうよ、毒吐きちゃん」


「試す価値はあるわね。モーラの孤島ではそれで改変が直されたわけだし」


「あぁ、暁、だな」


 頷いている三人を見比べて、「え、もーら? 何?」と祈は置いてけぼりだ。


 祈を自分の近くに風で引き寄せた帳は、ルタの頭を指先で撫でながら端的に思い出を話しておく。


 その間に紫翠は梵の頭に触れ、一瞬で意識が抜け落ちた青年に押し潰されそうになった。体格差がある梵が前傾に倒れてきたら、華奢な紫翠では支えられないのは当たり前だ。


 ルタは祈達から離れて梵の背中を掴んだが如何せん、ルタだけでは紫翠が潰れないようにすることで精一杯だ。


「えー……じゃあ、ゾンビになった戦士が襲ってきて、鷲を使うあの人は記憶がぐちゃぐちゃにされてたってこと?」


「そゆこと」


「ちょっと、話し終わったんならこの巨体どうにかしてよ」


「あ、ごめんなさい」


「すみません、僕にもっと力が……」


「良いのよルタ、ありがとう」


 紫翠の声を聞いて立ち上がった祈は、しょげるルタと一緒に梵を仰向けに寝かせる。


 青年の頬には未だ痣が浮いたままで、それを確認した全員がため息をついてしまった。


「駄目ね」


「ですね」


 ルタは祈の腕に戻り、紫翠は梵に意識の宝石を戻す。


 直ぐに目を開けた梵は体を起こすと、自分の頬に触れて微かに眉をしかめていた。


「……すまない」


「なんでアンタが謝るのよ、馬鹿ね」


 紫翠は梵の肩を叩いている。


 気持ちを持ち直した梵は首を曖昧に振り、自分達がいる枝に飛び降りてきた白を見た。


 降りてきた者が着地した瞬間、枝が揺れ動く。倒れそうになった祈を風で支えた帳は不満そうな表情を浮かべた。


「細流梵ぃ!! 勝負しろ!!」


「お、」


 落ちてきたのは淡雪博人。彼は梵に詰め寄り、胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。


 身長は梵の方が幾分も高いが、博人はガタイがいい。その為、二人が並ぶとその場の威圧感が増していた。紫翠は呆れた顔でその場を少し離れ、座っている帳と祈の近くに腰を下ろす。


 梵は博人の顔と自分を掴んでいる腕をゆっくり見比べて、掴んできている手首を握る。


 博人はそれでも離すことはなく、梵は何を考えているか分からない顔をした。


「離して、欲しい」


「勝負をすると言え、そうすれば離す」


 こめかみに青筋を浮かべる博人。梵は首を少し傾けて、感情の読み取れない瞳でそこにいた。


「勝負、する、理由が、分からない」


「あぁ?」


「淡雪、博人。それは、思い出した。だが、それでも、お前と、俺が、戦う、理由が、あるか?」


 博人の顔に青筋が増える。それを見た梵はまた「お、」と呟き、勢いよく博人が顔を引くのを見ていた。


 博人が思い切り首と頭を前に振る。そうすれば梵の顎に頭突きが入りそうになり、ディアス軍の彼は素早くそれを掌で受け止めた。


 そのまま博人の手を掴み上げて大外刈りを決めようとした梵。それに気づいた博人は体を捻って距離を取り、拳を握って臨戦態勢に入っていた。


 梵はそれを見て首を傾け、やはりどうして構えはとらない。


 その態度が博人の堪忍袋の緒を切れさせるのだ。


「こ、の、ッ」


「はい落ち着きや〜」


「博人さん!」


「ぎゃッ!!」


 今にも殴りかからんとした博人の上に落ちてきた茉白と、イーグの足首に捕まって降下してきた暁。


 帳は再び「げぇ」と不満そうな顔をして、茉白の下で潰れている博人の指は痙攣けいれんしていた。


 暁は二人の横に足を着いて肩にイーグを乗せる。その顔や声からは困ったと言う空気が漏れていた。


「駄目ですよ。光が戻ってくるまでは乱闘騒ぎとか……」


「ぅる、せえ!! どうせ賛同なんてされねぇ、だろうがぁ!!」


「あらー」


 唸りながら立ち上がった博人は、肩に茉白を乗せて仁王立ちする。今日も今日とておっとりと喋る少女は可笑しそうに笑い続けていたが。


「やですわぁ博人はん。女の子をこないな持ち上げ方しはってぇ。恥ずかしいわぁ」


「あ? 誰が女の子だよ」


 瞬間、茉白のこめかみに青筋が浮かぶ。


 少女は自分を抱えている男の頭を拳で殴り続け、紫翠達はその様子を景色同然に見つめていた。


「向こうは向こうで仲悪そうだねー」


「あれはじゃれあいでしょうよ」


「じゃれあいって……」


 つまらなさそうに帳は呟き、紫翠は嘆息する。祈はルタを抱え直し、梵も三人の輪へ混ざりに行った。


「おぉい!! 細流梵!! 勝負だ勝負!!」


「お、」


「だ、か、ら、駄目ですって!!」


 今にも茉白を放り出して梵に掴みかかりそうな博人。暁とイーグは慌てて彼を止めていた。


 博人は「退け!!」と叫び、帳は梵に確認する。


「ねぇ、あんた何したの」


「……何も、して、ないと、思うん、だが」


「何もしてねぇからだろうがぁ!!」


 叫び散らす博人。青筋は顔だけではなく首にまで浮かんでおり、噴火し続ける火山のような勢いで暁とイーグを驚かせていた。


「なになに〜? 面白そうだね!!」


「屍さん、多分今は面白いとかではなくて喧嘩中だと……」


「まじ!? 喧嘩か喧嘩!! よーし野次馬してやろう!!」


 場に似つかわしくない声がするのは上の枝から。


 見上げた祈の視界には、再び飛び降りてきそうな出雲を止める鳴介が映る。


 祈は反射的にルタと同化し、兄は目を丸くした。


「お、弟くん臨戦態勢!? やる!? やっちゃう!?」


 茶化す出雲と声無く慌てる鳴介。


 祈は嫌に凪いだ瞳で見上げており、紫翠は黒い翼を軽く叩いていた。


「落ち着きなさい、まだよ、もう少し」


「……うぅぅ」


「揺らがないで、たかだか数分で」


「……はい」


 歯切れ悪く返事をした祈は渋々と言った空気で兄から視線を逸らし、同化を解く。


 ルタは深く息を吐き、定位置である祈の腕の中で目を伏せるのだ


「氷雨ちゃんなんか決めた相手と真正面から対談中でしょ? あの偽善者に付き合ってあげるだなんて兄妹揃ってお人好しだ」


「いやー? もしかしたらお兄ちゃんは鍵を奪う瞬間を狙ってるだけかもー?」


 枝に手甲鉤を突き刺して宙ぶらりんの体勢になった出雲。帳は「うわー」とどうでも良さそうな返事をし、なんとか博人をなだめ終わった暁の顔色が変わった。


「なぁ、もしかして凩さんとあの男の人……」


「そうだよ、兄と妹。でもルアス軍とディアス軍。ちなみにこの赤い髪の奴と上の男も兄弟だね」


 暁に答えた帳。


 祈と鳴介はお互いから顔を逸らし、暁の顔色は悪くなる一方だ。


 騒いでいた茉白と博人も真剣な顔で帳を見る。


「勝てば生きるし負けたら死ぬ! だーいじょうぶだよ!! 私達お兄ちゃん勢が、可愛い弟と妹のことをずっと覚えておいてあげるから!!」


 重たくなった空気の中で、自由に浮かぶ風船のように出雲は笑う。祈の眉間には皺が寄り、鳴介は口を開かなかった。


 暁は言う。


「なら、なおさら光の提案に乗るべきだろ! なに意地張ってんだよ!?」


 それは彼なりの優しさだろう。


 兄弟で殺し合うことは無い。お互いの先を行くような競走をする必要は無い。それを避ける為に提案している光を跳ね除ける理由など無いだろうと。


 帳は「あのさぁ」とピアスを触りながら立ち上がり、祈達と暁達に間に立った。


「意地張ってるって? 違うよ、こっちは勝つ方法を取ってるだけだ。俺達は生贄を六人集めれば勝てる。だからその通りに行動してるだけ」


「それがおかしいだろっつってんだよ! その通りにするのが!」


「なんで? あー、俺達は祭壇なんて作らずにみんなで仲良く終われる道を探そうって? 聞き飽きたよそれ」


「お前らが聞き飽きたとか綺麗事だって言う方が聞き飽きたわ!!」


「なら良くない? ここで無駄話せずにお互いするべきことをしに行く。それで終わり。俺達も君達も苛つかなくて済むし不毛なことしなくていいね。て言うか、それが正しいよ。この世界のルール上」


「あぁぁぁもぉぉぉ!! そりゃそうかもしれねぇけど!!」


 暁は頭を掻きむしって叫んでいる。


 帳は気分が晴れないまま息をつき、白玉に乗った鳴介と出雲はとうとう飛び降りてきた。


「にゃはは!! 希望を抱くのはいいことだよね! それが実現出来るかは知らないけど!」


 空気など気にせず溌剌と出雲は笑う。イーグは大きく翼を広げて白玉を警戒したが、狼の心獣は素知らぬ顔で戦士達を下ろしていた。


「あら? ならあんさんらぁも」


「そうそう! 協力とか平和に興味はないね!! 私達は私達がやりたいようにする! 以上!! そのせいで妹ちゃんが死のうが弟君が死のうがそれはそれってね!!」


 頬に指を添えた茉白に出雲は微塵の悪気もなく答えている。


 暁はその解答に絶句しており、博人は指の骨を鳴らしていた。


「あぁウゼェ……もうここにいる全員ぶっ飛ばせば良くねぇか? って言いてぇが、うちのリーダーが頑張ってんだもんなぁ……」


「そ、そうですよ博人さん、もう少しだけ。光が戻るまでは、どうか」


 暁は何とか平静を装って博人に向き直る。出雲と鳴介は何も言わずにその場に立っており、帳達はエントの大樹に目を向けた。


 その幹の中に残っている、光と、時雨と、氷雨。


 その一人が急に出てくるなどとは思わずに。


「あっれー!? 一番抜けはお兄ちゃんかい!? にゃはは! どうしたのさ、いった、い……」


 波紋を立てながら幹から出てきたのは、凩時雨。


 出雲は跳ねるように彼に近づいたが、その声はみるみるうちに萎んでいった。


 前だけを向いて黙っている時雨。彼の目は喋りかける者全てを射殺すような殺気を孕んでおり、出雲の腕には鳥肌が立った。


 時雨はその場にいる者に視線など向けない。出雲と鳴介は顔を見合わせ、しっかりと歩き出した時雨の背中に着いて行った。


「ねぇねぇどうしたのさー、話し合いはー」


「うるせぇ行くぞ。黙って着いてこい、屍、闇雲。時沼! いるか!」


「はい、います!」


 態と茶化すような物言いをする出雲に見向きもせず、時雨は相良を呼ぶ。


 上の枝にいた相良はそこで初めて顔を出し、すぐに転移を行った。


 時雨の横に現れる相良。博人は「おい!」と時雨を呼び止めるが、微かに振り返った時雨の凄みに言葉を止めた。


「うるせぇっつったぞ。話しかけんな雑魚」


「あぁ!? テメェ……話し合いは!!」


「終わりだ。俺達は行く」


「えー、俺達の用事はまだ済んでないんですけどー?」


 帳は笑いながら時雨に言う。


 時雨は左腕に電撃を纏うと、枝に腕を叩きつけて大樹の腕を折っていた。


 その揺れによって帳達の体勢が崩れる。時雨達は折れていく枝の先で、相良と手を繋いでいた。


「兄貴!!」


 祈はルタと同化して鳴介を追う。しかしその翼は瞬く間に電撃に貫かれ、祈の意識に星が舞った。


「祈!」


 鳴介の上擦った声が響く。


「見るな。行くぞ」


 時雨の低い声もする。


 相良は頷いて転移を行い、落ちて地面に埋まった枝は土埃と光りの粒を舞い上げた。


「……何があったんだか」


 帳は地面を確認してから幹を見る。


 次に出てきたのは氷雨であり、少女の右腕は痛々しく火傷していた。紫翠は顔を青くすると弾かれるように友人の傍に駆ける。


「氷雨、その腕!」


「大丈夫だよ、問題ない、ありがとう……それより、ちょっと、なんか……うん、この痣、駄目っぽい」


 氷雨はガーゼを当てている頬に触れ、紫翠から梵へ視線を移す。梵は自分の痣に触れており、最後に幹から出てきた光は言っていた。


「協力します、氷雨さん」


 光と氷雨の視線が合う。少女は唇を結んで視線をずらし、その背中を見る帳は誰にともなく呟いた。


「……嫌な予感するなー……」


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