第139話 凶報


 余命宣告された。


 そのままでは死んでしまうと教えられた。


 君は――死ぬ呪いをかけられていると告げられた。


 突如、突然、何の前兆もなく。


 いや、前兆はあった。確かにあった。しかし、それよりも別の事を優先して今日に至ってしまったから。


 エントさんの幹から出ると呼吸が震えた。早蕨さんと自分に視線を集めていると知りながら、頭の中ではエントさんの言葉が回り続けている。


 ――これは呪いじゃよ


 枝で撫でられた白いガーゼ。酷く考え込むようなエントさんの言葉を理解するのに暫くかかってしまったっけ。


 ――黒の長が、いつか牙を向くと警戒した相手につけると言われる告げ鳥の痣。その者が言ってはいけない言葉を口にした時、呪いは動き出す


 貼っていたガーゼを剥がしてポケットに突っ込む。そよいだ風は自然のものか帳君のものかって、自然ではない風ってなんだといつか思ったっけ。


 ――告げ鳥は命の回収役じゃと言われておる


 まるで死神のようですね。


 浮かんだのはそんな表現。


 けれども、それは、それではと、不安の波の方が強く押し寄せてきたのもまた事実。


 この痣が浮いているのは、私だけではないのだから。


 ――梵さんにも……私の仲間にも、似た痣があって


 ――なら、その者も対象なんじゃろうなぁ


 鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。実際に殴打される経験を何度かしてきたが、その中でも上位に入る痛みの錯覚。


 その後、片言の声で聞いたのだ。どのような呪いなのか。内容を頭に留めておくには余りにも非現実すぎたのだが、今の状況も既に私にとっては非現実。


 だから全部、飲み込んだ。


 一番にエントさんに離されたのは兄さんだった。


 彼は私を一瞥してから幹を出ていき、少しくぐもった轟を聞いた気がする。死ぬことが色濃くなった妹の鍵は奪う理由もないのだろう。幹を出る直前の彼の声は、確かに私に焼き付いた。


 ――そのまま死ね、氷雨


 頷いてなんかやらなかったけど。


 私が何も解決策を見つけられなければ、梵さんだって死んでしまう。それはいけない。呪い殺されるなんて真っ平御免だ。


 メタトロンさん、貴方は私達を排除したいのでしょう。


 けれども、そう簡単に死んでやる気は御座いません。


 告げ鳥の痣。それが梵さんにもある以上、悲観にくれる時間はない。


 私は帳君と目が合って、半笑いになりながら事の経緯を説明した。


 告げ鳥の痣。


 死ぬ呪い。


 要注意の目印なんだって。


 話し終えたら誰も彼もが口を閉じてしまいました。


 これは困った。別に暗くさせる予定ではなかったというか、思い詰めさせたくて話した訳では無いのですよ。


「……俺のせいだ」


 呟く声を聞く。顔を真っ青にしているのは祈君で、彼はもう一度「俺の、せいだ……」と呟いていた。


 私は首を横に振って足を踏み出す。


「祈君、違う、それは違う」


「違わないよ、俺が、俺が見たから、後先考えずに、俺が!」


 発狂しそうな祈君と、抱き締められているルタさんに近づく。


 りず君は前足を大きな手にして、二人を握り締めるように囲ってくれた。私も近づいて祈君の顔を覗き込む。


 違う、違うよ祈君。何も君のせいでは無い。君は何も背負わなくていい。


「祈君、普通この痣は死ぬ少し前に浮かぶものなんだって」


「……ッ、やっぱり、」


「でも、梵さんにも私にもまだ時間はある。時間はあるのに見えるようになってくれた。普通は気づかないまま、何も出来ないまま時間を過ごしてしまうけど、見えて気づいたからこそ対処出来る」


 私は祈君の手を握る。今にも叫び出しそうなほど顔を強ばらせた少年に、どうか落ち着いて欲しくて。


「祈君、貴方のおかげで、どうすればいいか考えて調べる時間があるんだよ。だから、ありがとう」


 笑っていよう。こういう時こそ笑っていよう。


 頬を緩めて祈君を見上げ続ける。彼は泣きそうな顔になって、何度も首を縦に振ってくれた。


「氷雨、猶予は?」


 翠ちゃんに確認される。私は顔を上げて、エントさんが知りうる限りの猶予を口にした。


「九日らしい」


「……そう」


 翠ちゃんは口を少し開けて、結び、絞り出すような返事をくれる。彼女は覚束おぼつかない足取りで私の前に来ると、力が抜けるように倒れ込んできた。


 驚きながら翠ちゃんが崩れないように抱き締める。


 うむ、右手が痛い。だから左手だけになりましたが、どうかお許しくださいね。


 翠ちゃんはしがみつくように手を回して、震える声が聞こえてきた。


「なんで貴方は笑うのよ。こんな時ぐらい、怖がる顔を、心配な顔をしなさいよッ」


 怒られる。いや、叱られる。


 それがやっぱりどうして嬉しいから、私は笑ってしまうんだ。


 ごめん、ごめんね翠ちゃん。


「ラッキーだと思ったから。本当なら気づけないかもしれない呪いに、まだ八日も猶予があるうちに気づけたんだよ。その間に調べて調べて、調べ尽くすさ」


「この……ッ、変な時にポジティブなんだから」


「私が死ねば梵さんも死ぬ……それは駄目だ、とても駄目。だからネガティブでいる時間も惜しいんだ」


 言えば「自分を一番にしなさいよ」とまた叱られた。


 苦笑した私は翠ちゃんの背中を撫で続ける。


「なら、俺は、氷雨を、一番に、しよう。氷雨が、俺を、一番に、してくれ、た、ように」


 頭を撫でられる。自立してくれた翠ちゃんを確認して振り返れば、私と同じ痣が浮かんだ梵さんが、いつもと変わらず居てくれた。


「それは、心強いです」


「俺も、だ。だから、お互い、頑張る、か」


「はい」


 頷いて、さぁ考えよう。どうすれば呪いを解除出来るか。解除するにはどうするべきか。それを知る為に動かなければいけない。


 あと、八日。


 考えられるだけのことをしろ。決して間違ってはいけない。間違えずに進まなければ。


「氷雨さん、手伝っていいですよね?」


 確認される。


 見るのは真剣な顔の早蕨さん。恋草さんは「あらあら」と頬に手を添えながら首を傾げていた。


「光はん、お手伝いしはるん? うちらの要求を呑んでくれん方を?」


「恋草さん、それと彼女達を助けないのは違います」


 恋草さんの問いに判然はんぜんと答えた早蕨さん。その目は揺らぎも曇りも偽りなく、私達を見つめていた。


 なんでだろう。この人は、なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。


「……早蕨さん、大丈夫です。私は私で問題を解決します」


 伝えてみる。彼が首を縦に振らないのは予想出来た。どう考えても駄目だった。彼は良い意味で意固地な方だ。


 早蕨さんは首を横に振る。決して縦には振ってくれない。


 あぁ、時間がなぁ。


「嫌です。俺は、友達を見殺しになんてしない」


 は、


 誰が、なんだって?


 私の頬は何とか痙攣をせずに保たれ、目を見開いてしまう。口を開きかければ後ろから塞がれるし、頭の上にも背中にも温かさが来るし。


 梵さんを押しのけて、ひぃちゃん達ごと私を抱き締めた帳君。


 彼のピアスが揺れる音がして私は目を見開いた。


「あーあーもーめんどくさいから、そういう事でいいよ。人手があることに異論はないしここで時間を潰すのは惜しい。さぁ氷雨ちゃん、俺達は何処へ行く? サラマンダーのシュスがおすすめかな?」


 目だけを動かして帳君を見上げる。彼は笑っており、どうしようもない感覚に体が揺れた。左側から腕を回してくれたのは彼なりの優しさかしら。


 ふと帳君の風に体を掴まれる。そのまま足が浮いて、私の体は帳君と一緒に枝から落ちた。


「あら、」


「あ、おい!!」


「お、」


 翠ちゃんと、祈君と、梵さんの声を聞く。


 私は三人を見つめたまま風に乗って、エントの大樹から少し離れた森の中に降ろされた。


 帳君が離れていく。光りの粒が舞った足元を見てから顔を上げると、真顔になっている彼がいた。木々の葉によって影が出来ている場所。空が遠いな。


「氷雨ちゃん、しゃくではあるけど、さっきの毒吐きちゃんの言葉に俺は賛成。鉄仮面より自分のことを先に考えなきゃ」


「あ……はい、すみません」


 急に私、今、叱られた? 帳君に?


 面食らいながら謝罪して髪を引いてしまう。帳君は息をつくと私の頭に勢いよく掌を乗せて、首を下に向けられた。芝と爪先が見える。


 首、痛くないな。力加減、上手くなってる。


「頼むからさぁ、死なないでよ。ほんと……死なないでよ……」


 小さな声。


 それが帳君の声だと一瞬では判断出来ないほど、弱気な声。


 そこで思い出す。昨日私に触れた彼は震えていたと。彼は、死を近くに感じたことがある人だと。


 私の胸は一気に締め付けられていた。


「……死なないで。いなくならないで。それ、ほんと無理、いやだ」


 帳君が願ってくる。私の頭を撫でながら、堪らないと言った声で願ってくれる。


 私は力なく下ろされている帳君の手を見て、袖を小さく引いておいた。


「死なない為に、頑張るよ」


 顔を上げて伝える。


 長ったらしい言葉や決意はいらない。ただ単純に、端的に、それでも彼に届きますようにと願いながら。


 帳君は少し間を持ってから、優しすぎる声で答えてくれた。


「……うん、そうして、そうしよう。だからサラマンダーのシュスに戻ろう。きっとサラマンダー達は未知だって言って喜ぶから」


 見つめた彼の目には涙の膜が張られており、私は笑ってしまったよ。


「帳君も優しいね」


「そりゃ、どーも」


 帳君が笑ってくれる。膜が溢れてくることは無い。私はりず君とらず君の額を順番に撫でて、近くからした芝を踏む音に反応した。


 そこには口角を上げている泣語さんが立っていて、私は肩から力が抜けるのだ。


「泣語さん」


「メシア! すみません、まさかもう対談が終わるとは思わず、森の植物採取や種集めをしてました!! もう行きますか?」


 満面の笑顔で近づいてくれる泣語さん。彼は私の火傷した右腕に気づくと一気に顔色を悪くし、発狂し始めた。


 あぁ、そんな、起伏が激しい。問題ない、問題ないんですよ泣語さん。


 イーリウを咲かせてくれた彼は傷を吸い上げてくれて、涙ながらに言葉をくれた。


「あぁぁぁなんでメシア、貴方はいつもこう、なんで、うあぁぁぁ俺が無力なせいです。俺は貴方に幸せであって欲しいとッ」


「泣いてるとこ悪いけど、もっと悪い知らせがあるから」


 帳君が泣語さんに笑顔を向ける。言われた彼は「は?」とドスの効いた低い声を出し、端的に痣について説明すれば半狂乱を起こしかけていた。


 そう、起こしかけて、半周回って冷静になってくれたようだ。怖いと思ったのは内緒。


「直ぐ動きましょう。今すぐ、即座に、そんな呪い吹き飛ばしましょう。メシア、メシア、俺のメシア、貴方を死なせたりなんかしない」


「……梵さんと私で、お願いします」


 苦笑しながら完治した腕を動かし、お礼を述べる。泣語さんは真顔で何かブツブツと呟き始めてしまっていたが、三人でエントの大樹に戻ることは何とか出来た。


「氷雨、貴方は早蕨光とペアになっときなさい」


 そんな宣告を翠ちゃんから受けるとは思わないまま。


 ……なんで?

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