第131話 痛覚


「……殺す? お兄さん……?」


 目を見開く早蕨さん。時沼さんも目を丸くしており、私は宙を流れる土埃と金の光りの粒を見下ろした。


 ハルバードを振れば軌道にあった埃は払われて綺麗な空気になる。


 笑えない私の肩でらず君が光ってくれた。早蕨さんは唇を震わせて聞いてくる。


「どういうことですか、凩さん」


「どうもこうも、そのままの意味です。私はディアス軍、兄はルアス軍、だから私は兄を殺す。それだけです」


 早蕨さんが息を呑む音を聞いた気がする。


 私は息を静かに吐いて、向かうべき方向へ視線を走らせた。早蕨さん達から視線を逸らしたかった訳では無い。


「もういいですか。やっと兄に会えたんです。今こそ好機だと思うので」


「好機って……何言ってるんですか凩さん!! お兄さんがルアス軍なら、それこそみんなが救われる道を考えるべきだ!!」


 みんなが救われる道。


 あぁ、かんに障る。癇に障る。癇に障る。


 私は奥歯を噛み締めて、輝くらず君に助けられながら地面を蹴った。


 早蕨さんにハルバードを振り上げる。


 反応した彼のブレスレットが輝いて盾に変化するが、その防具に刃がぶつかる前に、割り込んだ人がいた。


 この場で割り込める人なんて一人しかいないけれど。


 手甲鉤に刃を叩き落として足を地面に着く。それでもいい。


 ハルバードを弾いた時沼さんは眉間に皺を寄せて、私を凝視していた。


「凩!」


「時沼さん、邪魔です」


 そこを退け。


 そんな意味を込めて言葉を吐き、口を結んだ時沼さんに回し蹴りを入れる。


 空いていた脇腹。らず君の補助。


 知ってますか、人が日々使える筋肉は脳がリミッターの役割をしているせいで限られていると。その脳を介さずして、強制的に筋肉や視力に影響するのがらず君の補助だと。


 私の思いが強ければらず君の力も強くなる。リミッターを外してくれる。


 私より幾分も背が高い時沼さんの体が簡単に吹き飛ぶ。彼は近くの木に激突してうずくまり、激しくせていた。


 ごめんなさい。


 なんて、謝らない。


「時沼く、ッ」


 時沼さんに意識を持っていかれた早蕨さんにハルバードを振り下ろす。


 刃を丸くなんてしない。鋭利なままで。


 早蕨さんの盾は間に合わず、引きながら傾けられた体の横をハルバードが通る。地面に亀裂を入れた。


 大丈夫、大丈夫、大丈夫だ。


 私はやれる。やらねばならない。成さねばならない。


 理想と憤怒を抱えて消えてしまった三人の為に。仲間の為に。私の為に。


 そう願われた訳でもないし、頼まれた訳でもないが。これは私が生きる為に必要だから。


 自分を鼓舞する為に海堂さん達を想うだなんて、最低で、最悪だな……氷雨。


 いいよ、私は悪だから。


 地面を転がった早蕨さんは驚愕の表情でこちらを見上げ、私はハルバードを地面から抜いた。


 彼の顔は私が攻撃したことに対する驚きと、信じられないものを見る奇異の色をしていた。


 あぁ、そっか。


「早蕨さん、何か勘違いしているようなので言っときます」


 心臓は早鐘を打つから、無理やり深い呼吸をして否めておく。


 動揺するな氷雨。いつかはすると考えていた。その人数が今増えた。


「私は競走に勝つことを前提にしています。貴方達ルアス軍には負けない。けれども兄が見えない所で消えてしまえば、私は一生その後味の悪さを引きずって、後悔して、嘆くんです」


 ハルバードを回して刃に付いた土を払っておく。


 早蕨さんと時沼さんは立ち上がって距離をとり、私は両手でハルバードを握り直した。


「だから、私が私の手で兄を殺します。競走に決着をつける前に、この刃で、この力で。彼を殺して腕に抱いて、消えていく最期を見届ける。そうすれば私は彼を一生忘れない。彼を背負って生きていく……貴方はこの考えを糾弾するでしょうね」


 叫びそうな早蕨さんに先に言っておく。彼は唇を噛み締めて黙り、首を横に振っていた。


「凩さん……駄目です。本当に、それだけはいけない。お兄さんを殺す覚悟なんてしちゃいけない。そんなことしたって貴方は報われないし、これから一生苦しむことになる!」


 あぁ、耳に響く。


「分かってますよ」


「ッ分かってる、分かってると貴方はいつも言います! けれども、分かってると言う貴方が進むのは茨の道だ! 誰も幸せにはならない、誰も救われない!! あまつさえ今進もうとしているのは自分の罪を増やす地獄への道!! そこを歩んで行ったって、貴方が救われることは無いと気づいてるんですかッ!」


「……気づいてないと思うんですか?」


 ハルバードを両手で握り締める。頭に血が上っていくのに冷静さを保てるのは、一重にらず君がいてくれるからだ。


 早蕨さんと帳君の表現は似ているな、なんて。


 言ったらきっと、空気を操る彼に怒られる。


「早蕨さん……貴方は、冷たく固くなった死体に触れたことがありますか」


 もしかしていたら生きていたかもしれない小さな体。泣くことが宿命である彼らは泣いて泣いて、殺された仲間の墓を作っていた。


 その土の下から、いつかはその体が無くなってしまうと知ってか知らずか。いや、知らない筈がないんだよな。


「もう動かない体が光りとなって消える様を見たことがありますか」


 不毛な争い。最初の五種族であるガルムさんを羨んで、羨んで、羨んで、妬んでしまった女王様が奪えと言って走った先で、亡くなってしまった住人さん。


「目の前で首をはねられる人を見たことは? 体を宝石に変えられて死にかけた経験は? 心を取り戻したくて、冷たい地下にいることを余儀なくされた人と対面したことは……ッ」


「凩さん」


 私は今まで、血を、涙を、死を見すぎてきた。今になってそう思う。きっとタガトフルムにいれば経験することがなかった事象達。


 経験したことがない人を責めることは酷い押し付けだ。


 なぜ経験してこなかったとののしったところで何も変わらない。言う側の気持ちが理不尽にぶつけられるだけなのだから。


 それでも、それでも私は言わずにはいられない。


 この口は、言葉は、止まらないッ


「ッ、燃え盛るシュスの中で自害した人の血を被ったことがありますか! 理想を抱き、仲間を想い、未来を描いた人を守れなかったことはありますかッ!!」


「ッ、いいえ、無いです! 無いけれども、それと貴方が茨を行くのは!」


「違わない! 何も! 違わない! 私は今まで何も救えずここまで来た! 常に優先してきたのは仲間です! 誰も殺したくない! 死んで欲しくない!! 理想だって抱きたいし罪だって背負いたい訳では無い!」


「だったら!」


「それでもッ!!」


 青い業火の柱が目の前に出来る。


 黒い絶対強者が笑っている。


 切れなかった足。梵さんの力でも私の刃でも駄目だった。敵わなかった。誰の願いも叶わなかった。


 私は片手で頭を抱えて、痛んで吐き気がする感覚を言葉として吐き出した。


「見てしまったら、仕方がないではないですか!! 絶対的な強者に捻り潰され、血反吐を吐き、守ろうと誓ったものは守れなかったッ、自分は無力だと証明された!! この世界で私達は駒なのだと!! 兵士には勝てないと!長には、敵わないと!!」


 息が上がる、体が熱い。


 あぁ駄目だ、駄目だ、落ち着け、冷静さを欠けば前回の二の舞になる。


 私は必死に深呼吸を繰り返し、震えていた指をハルバードを握り締めることで押さえつけた。


「生きたいと、救いたいと願いながら死んだ人達を見ているのに、共闘だなんて、協力だなんて、私は願えない」


「凩さん……」


 早蕨さんが言葉を考えていると分かる間を作る。


 私はそれを見逃すことなく「だから」と続けていた。


「私の覚悟の邪魔、しないで」


 地面を蹴る。


 輝いてくれる子がいるから。


 刃であってくれる子がいるから。


 だからッ


 早蕨さんが盾を構えてハルバードを弾かれる。


 私の体は宙で無防備な状態となり、らず君が強く輝いてくれた。泣き虫で、臆病で、またヒビを入れさせてしまった彼が。


 私は振りをつけて体を回し、踵を早蕨さんの側頭部に容赦なく叩き込む。彼は歯を食いしばりながら吹き飛び、木に激突した。


 しかしその体は弾力性を持つことで蹴りの威力そのままに弾かれて、私の方へ弾丸の如く戻ってきた。


 肩と胸ぐらを掴まれて早蕨さんの突撃の勢いのまま吹き飛ばされる。


 地面、足、届、無理、木、当た、


 りず君が背中側に跳んでクッションになってくれる。


 私はそれに沈み込み、泣きそうな顔の早蕨さんを見上げるのだ。


 足が地面に着く。蹴る為に上げた膝を早蕨さんに掴まれ、私は直ぐに足を引いた。


 足が駄目なら手だ。


 思えば、りず君が私の考えを受信してくれる。


 長物が苦手だと言っていた、チグハグ性を持っている彼のお気に入り。


「ジャマダハル」


「おう」


 短剣がついた殴り刺す為の武器。


 それを右腕に装着して拳を握る。


 邪魔するな、邪魔するな、邪魔するな。


 苦しい。


 私が振り抜いた右腕は間一髪で避けた早蕨さんの頬を切り、綺麗な茶髪が数本落ちた。早蕨さんは反射的に後退して私は自由になる。


 私は足裏に力を込め、右腕を構えて距離を詰めた。


 振り抜いた刃は盾と交わり、打ち合い、甲高い音が響く。


 響く金属音は耳障りだ。


「凩さん、そんな覚悟なんて!」


 うるさい。


「すべきじゃない、それはしちゃいけない覚悟だ!」


 黙れよ。


「死んだ人を見てきたなら尚更だ! どうすればもう誰も死なせないか!! どうすればみんな傷つかないかを考えなければ、この競走の連鎖は断ち切れない!! だから凩さん! 貴方が覚悟するべきなのは誰かを殺すことじゃない!! みんなを救う道を選ぶことだ!!」


 そんな、道ッ


 私は早蕨さんの懐に入り込み、彼の鳩尾に刃を宛てがう。あと少し力を込めれば刺さっていくであろうこの鋭利な凶器。


 鋭い切っ先で、人の体を貫いた感覚を私は今でも忘れてない。


 苦しい、苦しい、苦しいッ


「……ぃますか」


「……え?」


 私の小さな声は早蕨さんに届いていない。彼の頬を汗が伝い、私は地面を後ろに蹴った。


 早蕨さんから距離を取る。


 震えている自分の右腕を左腕で押さえつけ、泣き出したらず君の亀裂が深くなった。


 硝子が痛む音が鮮明に聞こえてくる。


 あぁ、だから嫌なんだ、早蕨さんと会うのは。話すのは。


 どこまでも正しいを追い求める彼はあまりにも――綺麗すぎるから。


「みんなが救われる道を、願ったことが無いと思いますか」


 顔を上げる。


 早蕨さんは虚をつかれた顔をして、私はジャマダハルからハルバードへりず君に代わってもらった。


 また地面を蹴る。


 もう近づかない。近づいてなんてやるもんか。リーチがあるのはこちらだ。


 あぁ、苦しい。


 苦しくて、苦しくて、堪らないッ


「願わない筈がないでしょう、誰もがハッピーエンドになる結末が私は好きだ! けど、それでも……ッ」


 振り上げたハルバードで早蕨さんの盾を腕ごと吹き飛ばす。


 彼の目はそれでも私を見つめて、何もかもが嫌になった。


 早蕨さんの腕を切り付ける。


 頬に熱い液体が散って、彼の呻きが鼓膜を揺らした。


 赤が地面を汚していく。


 躱された。違う、私の腕が伸びきっていなかった。傷は浅い。血が流れる。人の血。


 人の、知ってる人の血だ。


 私のせいで、私の刃のせいで。


 震えた手を握り締める。


 苦痛を和らげようと腕を強く押さえる早蕨さんを見下ろしながら。


 靴裏が流れて広がる赤を踏む。嫌な感覚。


 ハルバードを持ち上げる。槍部では決められる自信が無い。だから斧部で確実に。


「早蕨さん、私、悪い人なんですよ」


「ッ、ぁ、こがら、し、さん」


「……貴方は正しい、誰よりも何よりも……まるで物語の主人公のように。私はその敵だ、敵になる道を選んだんだ」


「凩さん、まだ、まだ間に合いますッ」


「……ごめんね」


 腕を振り下ろす。


 早蕨さんの首を刎ねる為。


 目を固く閉じて備えた早蕨さんを見つめ、私は――ハルバードを持つ腕を貫かれた。


 何、手甲鉤、横、投げ、右、腕、痛、痛い、痛、血、赤、痛い、りず君、落ち、


 体のバランスが崩れて横から勢いよく抱き締められる。


 その衝撃に私の足は踏ん張れず、時沼さんに押し倒された。


 りず君、ハルバード、遠、駄目、右腕、握れ、いや無理、痛、熱い、熱い、痛い、痛い痛い痛い、左、らず君。


 余りの痛みに意識が飛びそうになったが、らず君の輝きがそれを繋ぎ止めてくれる。


 大丈夫、大丈夫、右が動かなければ左がある。私の肩を押さえつけている時沼さんに腕力で勝てる自信はないが。


 左手方向に駆けてくれたりず君と目が合えば、彼は直ぐに変形を始めてくれた。


「ッ、りず君待って!!」


「うわぁぁぁ!! 何すんだ光!!  離せ!! 離せよ!!」


「駄、目!!」


「りず君!!」


 小さなりず君を抑え込む早蕨さん。盾を被せてその上から体も被せ、正に全身全霊ってやつ。


 暴れるりず君は「氷雨!! 氷雨!」と何度も私を呼び、私も「りず君ッ」と左手を伸ばした。


 でも駄目だ、届かない。


 りず君を助けるには、私がまず自由にならねばッ


 私は時沼さんを見上げる。彼の目には涙の膜が張っており、それは今にも溢れてきそうだ。


 あぁ、なんで貴方がそんな顔をしているんだ。


 私は疼いた左手を硬く握り締め、時沼さんの肩を殴る。


 時沼さんは呻くが大きな体は退いてくれなくて、私は藻掻くように足を動かした。


 それも彼の足で押さえつけられ、私はまた左手を振る。


 瞬間、左肩に掛かっていた圧が消えて左腕を酷い痛みに貫かれた。


 酷いなんて、安い表現。


 熱い、熱い、痛、熱、あぁ、あぁ、あぁッ!!


 口の中まで出てきた悲鳴を唇を噛み締めて飲み込み、左腕にも力が入らなくなる。


 足はまだ藻掻くことが出来るが、動く度に両腕に走る痛みで頭が麻痺していく。


 手甲鉤に貫かれた両腕の前腕部分。


 指先が痙攣けいれんして、目の縁を生理的な涙が伝うのが分かった。


 それでも悲鳴だけは上げなかった。


 噛みすぎた唇の端から熱い血が流れていく。切れたか。いや、腕の痛みに比べればこんなもの、どうってことない。


 必死に痛みを和らげる方法を模索していれば、ふと頬に透明な雫が落ちてきた。


 私に乗る彼に焦点を合わせれば、その双眼からほどけた涙が止めどなく溢れている。


「……時沼さん」


 呼んでみる。


 私の肩を押さえつけている彼は、まるで土下座でもするように私の鎖骨部分に額を合わせてきた。


 嗚咽おえつを噛み締めて、泣きながら。


「……こがらし」


「……はい」


「凩」


「はい」


「凩、ッ」


「はい」


「ごめん、ごめん、凩、ごめん、俺、俺は……」


「……鍵、壊すなら今ですね」


 言葉が詰まる彼に言ってみる。


 明日には祭壇を作れなくなる鍵。アミーさんが応答してくれない通信機。私は目を伏せて、体全体から力を抜いた。


 あまりにも腕が痛くて、半周回って痛くなくなってきた。感覚が乏しい。血が物凄く出てる。貧血になるな、これは。


 無事にこの場を抜けられたら、手甲鉤を外して、血を止めて……あぁ、出来るかな。流石に、出血多量で死ぬのは嫌だなぁ。


「凩、頼む、そんな覚悟しないでくれ……時雨さん、良い人なんだ、すっげぇ……良い人なんだよ……」


 ……兄さん、良かったね、慕われてるよ。


 私はの頬に泣きじゃくるらず君がすり寄ってくれた。空はまだ青いなぁ。


「……時沼さん、早蕨さん……私、しんどくて堪らなくなることがあるんです。どうしたらいいか、どうすることが正しいか、正しいとは何か……私の正しいの基準は、仲間と自分自身です。この世界で出会った友達に明日も生きていて欲しい。大好きな家族の元に明日も帰りたい」


 声が震えてしまいそうになる。それを示すことは弱さだ。


 だから必死にお腹から声を出して堪えてみせる。


 顔を上げた時沼さんは未だに涙を零していた。


 私は見ていられなくて、目を伏せて口角を上げてしまう。


「……そう思っているのが私だけではないと分かってます。分かっているんですが、駄目なんです。私は自分の手が届く人達だけ救えたらいい。翠ちゃんに、梵さん、祈君、帳君……その人達と一緒に明日へ進みたいと思ったら、ディアス軍を勝たせるしかないんです。生きたいと縋った私は、負けることが、負けるかもしれないことをするのが、恐ろしくて堪らない」


 腕が生暖かくなっていく。


 静かに聞いてくれる時沼さんの目からはもう、涙は流れていない。


 早蕨さんはりず君を抱いて、私のパートナー達は震えながら泣いていた。


「……兄さんを殺す覚悟なんて、簡単に出来るわけない。口にした日から何回も考え直したけど、勝ちたい私は、その覚悟を揺るがせることが出来なかったんです。もし揺らいでしまえば、その時こそ私は勝てなくなるから。生きられなくなるから……仲間を救えなくなるから」


 あ、視界が滲む。これ、何の涙だろう。


 考えを吐露するのは苦手だ。苦しくなって、支離死滅になって、矛盾して押さえつけた考えを言語化できる自信がなくて。


 心配で、心配で、何もかも心配で……あぁ、弱いなぁ、私はやっぱり。


「みんなで生きたいって……思いますよ。早蕨さん達と、もっとちゃんと、こんな、傷つけ合わない友人になれたらって思うし、時沼さんとまた気の置けない会話をしたいし……兄さんに、生きていて欲しいとだって思う」


 滲んだ視界を瞼を閉じることによって遮断する。


 もう嫌だな。頭がふわふわする。


「……競走なんて――なくなればいいのに」


 言葉にする。言葉にしてしまう。


 夕暮れの中、初めて出会ったアミーさんに言えなかった言葉。


 今まで誰にも伝えられなかった考え。


 同じチームメイトにだって言ったことは無い。


 これは確実な弱さだから。弱い私をより弱くする呪文だから。


「……凩、大丈夫、大丈夫だ、大丈夫だから」


 何がいったい大丈夫なのか。笑った時沼さんを見上げる。


 その向こうに緋色の翼が見えて、青い空の中からやって来る彼女に安堵してしまう。


 安堵、したのに。


 頬に激痛が走る。


 緩んでいた気が一気に締め上げられ、体全体をつんざく痛みが駆け抜けた。


 痛い、何、これ、何、何、何ッ


 体が勝手に暴れだしそうになる。「凩!!」と時沼さんに呼ばれる。「凩さん!!」と早蕨さんに頬を触られる。


 痛い、何、何、何ッ!?


「氷雨さん!!」


 ひぃちゃんの声がする。


 私は返事がしたいのに、出来ないまま視界に黒が入り込んだ。


 意識が遠のく。


 この感覚、怖い、怖い、怖くて堪らない。堪らないのに止められない。


 私の瞼は勝手に下がり、体に力が入らなくなった。

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