第130話 三者


 空手の全国大会が私達の住む県で行われた時、目の前にいる彼――淡雪博人さんも出場していたんだっけ。


 記憶を辿って、翠ちゃんの言葉を思い出す。その会場で淡雪さんと梵さんは対戦し、勝利したのは梵さんだと。


 私達のチームで一番強い人。その彼に正面からぶつかって激昂していた目の前の人は、祈君と私の行く手を阻んでいる。


 私はハルバードのりず君を振り下ろし、淡雪さんは舌打ちしながら的確に避けていた。


 刃は石や木の根を砕き、着地した足はみなぎる力で大地を蹴った。


 体勢を少し崩した淡雪さんの隣を通り、祈君と共に影を追いかけることを再開しようとする。


 しかし簡単には行かせてもらえる筈もなく、私達の行く先に石が投げ込まれるのだ。


 灰色の何の変哲もない石。鉱石でもなければ宝石でもない。けれどもそれがただの石で終わる筈もなく。


 石が閃光と共に爆発する。


 祈君は片翼で顔を隠し、もう片翼を私の前に広げてくれた。それが盾となって目が眩むことは無かったが、両腕を顔の前で交差させた私の息は震えてしまう。


「ありがと、祈君」


「ううん、これくらい任せて」


「無駄口か!? あぁ!?」


 止まった私達の足を見逃さない淡雪さん。


 後ろから飛びかかってきた彼の形相は般若のようで、祈君と私はお互いから離れるように横へと跳躍した。


 祈君の黒い刃が淡雪さんの服の裾に的確に刺さり、彼を近くの木に縫い止める。


 はりつけ。これで――


 思うのに、淡雪さんは振り上げた踵を木の幹に叩きつけ、それ自体を破壊するのだ。


 木の幹に亀裂が入り、葉を舞わせながら折れていく。


 その音は周囲に響き、祈君が「ぅわぁ……」と呟く声が混ざっていた。


 どこかで何かが砕かれる音もした気がするが、今意識を逸らすことは出来なかった。


「おら! こんなもんか!? あぁ!?」


 常に怒ってらっしゃる様子の淡雪さん。まだ祈君と私の言葉が癇に障っているらしい。


 申し訳ないが謝る気は無い。事実なのだから。


 正直いま彼と対面している時間は惜しい。もう見えなくなった影を追いたいのに。どうして邪魔するかな。どうして呼びつけるかな。どうして行かせてくれないかな。


 淡雪さんに石を投げられる。その石は宙で輝き爆発した。それが祈君と私の動きを止めて腕を勢いよく掴まれる。


 淡雪さんが私達を掴まえて、体が強制的に浮いたのだ。


「気絶しとけよ、ごらッ!!」


 そんな怒号とも取れる声と一緒に浮いた体が地面に叩き付けられる。


 反射的にりず君はクッションとして地面に広がってくれたから衝撃は柔らかいものだった。


 だが、反応出来ていなければ顔面からいってたぞ、こらッ


「うっざい!!」


 叫んでルタさんとの同化を解く祈君。そうすれば掴まれていた腕の太さが変わって彼は抜け出すことができ、私の肩ではらず君が輝いてくれた。


 りず君がハルバードになってくれて、空いている手で思い切り槍部分を淡雪さんの目に向ける。


 突け、穿うがて、抉れ。強い意志ある片目を。


 だってどうせこの人も――最終的には殺すのだから。


 それが今でも後でも変わらない。いや、変わるけど変わらない。


「ぅお!!」


 驚く淡雪さんは顔を逸らして腕の力が緩む。難しい体勢ではあるが、そこはらず君あってのもの。


 私は足を蹴り上げて、淡雪さんの腕を弾き飛ばす。


 彼の顔は苦悶に歪み、私は後方へ跳ねて淡雪さんから距離をとった。


「ほんと、なんでお前らといい、細流といい……小賢しいなぁ!!」


「うるせぇ!! もう構うんじゃねぇよ!!」


 りず君がハルバードの一部に口を作って叫ぶ。私は影が向かった方に障害がないと直ぐに判断し、祈君と視線を合わせた。


 彼は直ぐに走り出して、追おうと動く淡雪さんの前にハルバードを突き出す。刃は彼の方に向けて。


 そのまま横に振り抜けば、さぁどう避ける。


 淡雪さんが肘でりず君の刃を叩き落とし、私は自然と奥歯を噛だ。


 一撃が重い。倍増化の力を持った梵さんと殴りあえる人だ。その体は強靭を代名詞としているのだろう。


 パートナーに一度針鼠に戻ってもらった私は、淡雪さんの後ろで翼を広げているルタさんを視界に入れた。


 羽根が零れる。


 私は体を回転させ、りず君に棍棒になってもらう。


 ルタさんは目を青く輝かせながら羽根を打ち出し、淡雪さんは拾った枝と石を宙へと投げた。爆風が羽根を飛散させる。


 ルタさんが私を一瞥して先に飛び立った。


 私は、重心がほんの少しズレている淡雪さんの頭に向かってりず君を叩き込む。


「がッ」


 淡雪さんの体が前傾に倒れていく。私は腰を落として捻り、らず君がこれでもかと輝いてくれた。


 私の身体能力ではそこまで綺麗な蹴りは出来ない。模範的な動きなんて無理。


 けれどもいいさ。ここは場外。何でもいいさ、何でも許される。いいや、許しを請う必要すらここではない。


 体重を全て乗せた回し蹴りを、私は淡雪さんに叩き込んだ。


 彼は頭を押えつつも蹴りを受け流す。


 それでも膝は地面に着いたから。


 私はその一瞬を見て走り出し、自分の翼が無いことを少しだけ後悔した。しかしそれも直ぐに止める。頼りきることは怠惰に繋がる。


 走って跳んで、進め氷雨。お前の翼は友達の為に羽ばたいているに違いないから。


「メシア! ご無事で!?」


「泣語さん!」


 横から飛び出して来たのは息を切らせた泣語さん。その服や頬には土埃がついており、額は少しだけ痣が出来ていた。


 林の向こうで聞こえていた音は彼だったか。土ということは、恐らく翠ちゃんと交戦していた女の人。


「すみません、加勢出来ず……お怪我は!」


「大丈夫です! メシアに怪我が無くて良かったです!」


「逃げられるんは嫌ですわぁ」


 そんな声が聞こえて一気に周囲が暗くなる。


 弾かれるように上を見れば土で出来た大きな腕が伸びてきて、泣語さんの舌打ちが聞こえた。


 撒かれた種からリフカが伸びて土の腕に巻き付き締め上げる。


 それが動きを止めてくれて、私は「ありがとうございます!」と声を上げるのだ。


 足は止めない。止めてはいけない。


「あぁメシア、そんなお礼だなんて」


「あらあらまぁまぁ可愛らしいもんやねぇ、溶けてまいそうな顔されはって」


 縛り上げられている土の上から顔を覗かせてたのは、予想通りの女の人。


 ゆったりとした和の雰囲気を纏っている彼女は翠ちゃんとまた違った美しさを持っており、一瞬見惚れてしまった。


 彼女と目が合う。植物の間から伸ばされた土は道となり、その上を走る彼女は笑っているようだ。


「では改めまして、うち、恋草こいぐさ茉白ましろ言います。よろしゅう」


「ッ、こんばんは、こんにちは、凩氷雨と申します!」


 よろしくはきっと出来ない。少なくとも私にする気は無い。だから「よろしくお願いします」の無い返事をした。


 恋草さんは気にしないように笑い続けている。


「可愛らしいですなぁ」


 いや、なんで、なんだよ。


 彼女が走る土の道から手が伸びてきて、私は棍棒のままでいてくれたりず君で砕いておく。


 泣語さんのリフカは落ちてくる土の破片を全て払い除けてくれて、私は彼を見上げた。


 笑ってくれている。とてもいい笑顔で。


「メシア、先にどうぞ。あの女とメシアに暴力を奮った男は俺がじ伏せておきますから」


「……泣語さん、駄目です。二人はルアス軍なんです」


 走りながら、伸びてくる土の手を砕きながら伝える。


 伝えなければいけないから。貴方は私の味方だと言ってくれたけど、それはきっと駄目だから。貴方は――


「それは小さなくくりで俺には関係ありません。メシア、俺の一番は貴方であり、貴方以外はどうでもいいんです」


 言い切られた。


 それに私は言い返すことが出来ずに口を結んでしまう。


 駄目だと何度言った。何度も言った。その言葉は彼に届かないし、彼の考えを動かせない。


 私は考えて、考えて、この言い表せない気持ちを消化する為にりず君を振り抜いた。


 土の手を砕く。その破片をリフカが払い除けてくれて、有難くも駄目だと自分に思うのだ。


 あぁ、くそ。


 ねぇ、泣語さん。


「――生きることは、諦めてませんよね?」


 確認する。


 駆けてくる淡雪さんを確認して足を止めた泣語さんは、私の背中をリフカが押した。


 転ばない程度の強さ。


 泣語さんは私に背を向けて恋草さんと淡雪さんの姿が見えた。


 問いの答えは、まだ、


「メシア、貴方の覚悟の邪魔はさせない」


 あ、


 止まり掛けた足が走り続ける。


 振り向かない、振り向かない、振り向かない。そう自分に言い聞かせて。


 私の第一の覚悟。それを今日、これから遂行出来るかもしれない。遂行させるチャンスなんだ。


 兄を殺すのをチャンスだと言うか。


「あぁ、言うよ」


 自分に答えてりず君にハルバードになってもらう。


 私は全速力で走り続け、空の上を走った赤い炎を一瞥するんだ。


「帳とイーグだ!!」


 りず君が叫ぶ。私は奥歯を噛み締めて、豪風が炎をかき消す様を見たのだ。


「氷雨、どうする?」


 確認される。ハルバードであるパートナーは私の答えが分かっている口振りだ。


 私の気持ちが揺れないように。心配するだけが優しさではない。大丈夫だと信じないのは信頼ではない。


 帳君なら、大丈夫。


 だから私は前を向いた。


「信じる」


 ただその一言。それだけで十分だ。


「そっか」


 りず君は笑ってくれて口が消える。


 私は走り続け、木の根を飛び越え先を目指した。


 恐らく兄さん達は逃げると言うことをしない。


 さっきのは一時的な撤退であり、立て直して私達の鍵を狙いに来る筈だ。


 彼らの目的は鍵だから。鍵を壊しに来る筈だから。


 逃げはしない。迎え撃つ。


 逃がしはしない。必ず狩る。


 私は木の根を飛び越えて、遠かったエントの大樹が近づいているのを微かに見ていた。


「――凩」


 聞いたことがある声に呼ばれた瞬間、後ろに現れた人の気配を察してみせる。


 振り向きざまにハルバードで威嚇すれば、目に焼き付く金髪と見た事のある手甲鉤があって、私は奥歯を噛んだのだ。


 笑えない。


 笑えない。


 本当、笑えない。


「……時沼さん、こんばんは、こんにちは」


 ハルバードのきっさきを向けながら挨拶をしておく。


 手甲鉤を付けていたのは屍さんだった筈だが、今それを付けている時沼さんだ。


 彼は目を伏せながら挨拶を返してくれた。


「……こんばんは、こんにちは」


 いつか貴方とも毎日していたこの挨拶。


 歯痒さは私の胸の中で渦巻いて、覚悟は揺るぎはしなかった。


「凩さん!! っと、君は谷底で会った!」


 横から飛び出して来た早蕨さんには予想外。


 淡雪さん達が戻らないのを察したか、空で攻防繰り広げるイーグさんのいななきに誘われたか。


 何でもいいが、こうして三人で顔を合わせることを誰が望んだよ。


 私はため息をつきたくなるのを我慢して、二人の顔を見比べていた。


「あ、お前……一回会ったな」


「はい、俺は早蕨光って言います。よろしく」


「時沼相良……よろしくするかは考えとくな」


「はい!」


 いい子かよ、二人共。


 私は内心で苦笑してハルバードを回す。柄の部分を地面に突き立てたけど、走り出していいかな。


 視線を進行方向へ向ければ「凩さん」と早蕨さんに呼ばれた。


 顔を彼の方に向ければ、早蕨さんは真剣な顔でそこにいる。


「……話をしませんか? みんなで助かる道を探しましょう」


 あぁ、またその話。


 折れない人。


 私は目を伏せながらりず君を握り直し、確認するのだ。


「その足がかりか何かを貴方は見つけているんですか?」


「……いえ、まだ何も」


 なんだ、スタートラインにも立っていないのか。


 それでも彼は希望を諦めない。スタートラインに立つ為に私達と何かを話そうとしている。


 私は「そうですか」と呟き、視線を逸らせていた。


「凩さん、力を貸してください……君達の祭壇があの時と変わっていないなら、今の最大生贄人数を保っているのは君達の所だ。そんな君達だから協力したい」


「出来ないですね、早蕨さん。私はもう決めたので」


 ハルバードを持ち上げて近くの木を叩き切る。


 倒れていく木は隣の木も一緒に倒していき、地鳴りと金の混ざった砂埃が二人と私を隔てていった。


「私はルアス軍にいる兄を殺します。その覚悟の邪魔をしないで」


 覚悟を言葉にして示せ。


 そうすれば、私は貴方達の明確な敵になる。


 どうか敵にしてくれ。


 そうすればきっと、私は時沼さんも早蕨さんも殺せるから。


 殺して背負って、生きるから。

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