第四章 不退転の決意編

第126話 長閑


 帳君に「一緒に行きたい」と言ったくせに、最後には「一緒に来てくれますか」なんて、おかしな話をしたもんだ。


 らず君のヒビを撫でながら少し前の日を思い出す。木々の間から零れてくる、アルフヘイムの夕焼けを見つめながら。


 アミーさんからの応答がない今日この頃。月は七月となり、あと数日この夕焼けを見ればディアス軍は祭壇を作れなくなるのだと思い返す。


 アミーさんは一体今、何をしているのだろう。あの右目は閉じているのではなく、開けられないのだと気づいたのはいつだったか。髪の影に隠れた顔半分にあったのは――火傷の痕ではなかったか。


 アミーさん、貴方は何を考えているのですか。


 そう問いたいのに彼は現れてくれない。話せなければ全てが分からないままであるというのに。


 いいや、違うか。知られたくないから現れないのか。勝手に人の内情を探ろうとして、嫌な性格。


 海堂さん達が焼失した後の私達は、再び飛んだ。目指したのはサラマンダー・シュス・ドライ。かなり遠くに転移させられていたらしく辿り着いたのは日を跨いでになってしまったが。スティアさん達は嬉々として迎え入れてくれた。


 ――やぁやぁやぁ無事だったんだね!! 良かった良かった!


 溌剌と弾ける笑顔をくれたスティアさんに建物のこと等を謝罪し、無事だったかを確認した。いわく、私達が転移させられたあとメタトロンさんに退出するよう言われて即座に部屋を出たのだとか。


 騒動や威圧が収まりもう一度部屋を覗くとそこには誰もいなかったらしい。


 誰も。


 誰も、だ。


 スティアさんは海堂さん達のことを聞かないでくれた。聞かずに微笑んで「お茶飲んでいきなよ」なんてもてなしてくれた。


 中央のお城の復旧は新しい研究材料らしく、題は「どうすれば効率的かつ美しく再建が出来るか」なのだとか。


 ――残念ながら私はそこに探究心を焚き付けられなくてね! 早く直せばいいのに全然だよ本当!! そっちに材料使うなら、私達の方の鉱石作成機の開発に資金回せってのに!! 絶対次回の予算会議で言ってやる!! あ、資料は全部無事だったから気にしないでね本当!! 間近で戦士同士の戦闘が見られたし、一生に一度お会い出来るか分からないメタトロン様も見られたし!! 今も一部では興奮冷めやまぬっていうかーー……!!


 スティアさんのマシンガントークは健全で、帳君が「長い」と呟いたのが印象的だったり。


 スティアさんはそんな言葉は耳に入らなかったのか、はたまた入っても無視したのか。判断出来なかったが、始終満面の笑顔を浮かべていた。


 ――次会う時は君達にハグしてみせるよ!! このシュスを人工鉱石の観光地にだってしてやるんだ!! いや、ここだけじゃ勿体無い! きっと色んなシュスで鉱石を作れるようにしてみせる! ん? それだとうちが観光地にならないな、まぁいいか!! 取り敢えずさ、君達も夢と希望と探究心を持って進んでね!!


 大きく手を振り、吐き出した炎で宙に文字を書いてくれたスティアさんを思い出す。


「有限を慈しむべし……か」


 私は呟いて、荒廃したシュスの地面を意味もなく慣らしていた。


 ここはズラトロク・シュス・ツヴァイ。


 白い毛に金の角を持った四足の住人さん――ズラトロクさんが以前住んでいた場所で、背の高い木々がドームのようになった中にシュスはある。


 傍から見れば円形の緑のドームであり、中にあるのは菜の花色の全体的に丸い街だ。


 屋根が片側に下がっている平屋が数軒しかないシュス。そこには音もなく、木々の間から雨のように射し込んでくる夕焼けが幻想的だった。


 中央にあるお城は神殿のように向こう側が見える造り。一階は柱だけで作られ、中央にある階段が壁のある二階以上に続いている。


 階段は一階の部分で崩れており、上に行くには飛ぶしか手段はないのだけれども。


 ズラトロクさん達はシュリーカーさん達とはまた違う珍しさを纏った方々だ。


 唯一無二の宝を持って姿を眩ませた住人さん。その姿を見た者の願いは叶うだなんて噂は一体誰が言い出したのか。


 今にも全てが崩れそうなほど荒れ果てたシュスは、住んでいた彼らの帰りを待っているのだろうか。


 思いながらお城の一階、崩れた階段の近くに建った私達の祭壇に踏み入ってみる。


 祀っているのは四人の生贄。目覚めることの無い彼らの足元に並べられた宝石は輝き、肌が薄暗く冷たい空気に撫でられていた。


「氷雨ちゃん」


 呼ばれる。上から。


 見上げると祭壇の壁の上にしゃがんでいる帳君がいて、私の顔は勝手に笑っていた。いつから笑っていたのかなんて分からないな。


「帳君」


「感慨深げだね。生贄について何か思ったのか、シュスについて何か思ったのか……お兄さんについて何か思ったのか」


 風に乗ってゆっくり降りてきた帳君。


 目の前に着地した彼の手は私の頬に伸び、傷跡の残っていない左耳を触られた。私は曖昧に苦笑し、肩にいるりず君達は穏やかなままだ。


 今このシュスにいる戦士は四人。


 帳君と祈君、泣語さんと私。


 翠ちゃんと梵さんはドヴェルグの鉱山に行って、翠ちゃんの手裏剣を修理に出しているところだ。


 ――能力の要望を追加してくるけど、祭壇が作れなくなる日までには必ず合流するわ


 そう言った翠ちゃんにひぃちゃんを貸し出している。全速力で走る梵さんと空を飛ぶひぃちゃんで少しでも時短を望んだ結果だ。


 最初は梵さんが翠ちゃんを抱いて走ろうかとなっていたが、それには流石の彼女も耐えきれなかったらしい。結構切羽詰まった顔で「ひぃを貸してくれない?」と言われた。


 ひぃちゃんも私も二つ返事で了承し、今私の肩にいるのはりず君とらず君。タガトフルムに戻る時もひぃちゃんは翠ちゃんと一緒に帰っているようで、学校に連れて来てもらっていた。元気そうで何より、嬉しいな。


 タガトフルムではテスト期間になっているから学校は早く終わる。放課後は図書室で翠ちゃんと勉強しつつ、鞄の中にいるひぃちゃんを撫でるという日々。今日の簿記と古文大丈夫だったかな。


 タガトフルムに向いていた意識を戻し、帳君の耳を見る。最近ピアスの数が減った気がするのだが気のせいかな。


 考えながら、私は口を動かしていた。


「なんと言うか……やっぱり、悪を探すのは難しいと再確認していました」


「あぁ、ここ最近のシュスは不発だよね。他の種族を水に沈めて楽しむバニップに、すり鉢型のシュスで獲物を誘惑するデルピュネ、見る奴見る奴に嫉妬して襲ってくるスキュラだっけ?」


「はい、やっぱり皆さんそれぞれ悪ではありませんでしたね。バニップさんにとっての楽しいが水に沈めることで、殺すことはありませんし……誘惑しなければ子孫を残せないからデルピュネさんは近くを通る方に声をかける。他人の全てが自分より優れていると思って怒ってしまうスキュラさんは、そんな自分達が何よりも嫌いだった」


 口の尖った蛇のようなバニップさん。バニップの沼に住む彼らは近くを通る住人さんを沼に引きずり込む。溺れる姿を見るのが好きで、けれども決して殺しはしない。気絶ギリギリの所で岸に戻してくれる彼らは湿った空気の中で笑っていた。


 祈君が捕まりかけて焦ったな。直ぐにルタさんが羽根を打ち出し、ハルバードのりず君で水面を割って難を逃れたのが印象深い。


 シュスの中でこちらを手招きしていたデルピュネさん達に性別はない。だから男だろうが女だろうが呼び寄せて自分達の種族が無くならないように子どもを作ろうとする。


 下半身が蛇のようで、バニップさん達とはまた違う動きで捕まえてこようとしたのは驚いたな。皆さん美人だった。タガトフルムで生活してきた帳君達には全く靡く要素が無かったようで、豪風や植物に吹き飛ばされていたが。


 スキュラさんは目を血走らせて怒鳴ったり、近くにあるものを手当たり次第に壊し回る方々だった。私を指しながら「貴方は美人で憎らしい!!」とか、泣語さんを見て「貴方は崇拝出来るものがあって羨ましい!」とか、一目見ただけで妬ましいところを上げて半狂乱になる姿は慌てた。


 誰が美人だ。翠ちゃん連れて来たいわ。


 住人さんは泣きながら自分達がどれだけ醜いかを語り始め、終われば霧を発生させて姿を隠してしまった。話がまともに出来なかったけど、悪ではなかったんだよな。


 ふと大きな翼の羽ばたきが聞こえて振り返る。


 同化している祈君は着地して、息を吐きながら祭壇に入ってきた。


「駄目だった、ここら一帯にあるシュスはここだけ。ズラトロクも見つかんない」


「そ、まぁだろうと思ったよ。鉄仮面とここを見つけて祭壇建てた時も周りにそれらしい奴らいなかったし」


「なら偵察なんか行かせんなよ暴君」


 同化を解いてルタさんを抱いた祈君が眉間に皺を寄せる。それはそれは深い皺だ。


「ぁ、ありがとう祈君」


 私は灼熱しゃくねつ雑言ぞうごんバトルが始まる前に感謝を伝える。


 ありがとう、ありがとうございます、何もしてなくてごめんなさい。


「いや、そんな大したことじゃ……」


 祈君は手を振って、眉間の皺は解けていった。それを見て微笑んでしまう。


 帳君は祭壇を出る時に祈君の横を通り、一回だけ赤い頭を撫でて行った。


 祈君は肩を跳ねさせてルタさんを抱き締め直し、「んだよ……」と独りごちしている。


 最近、祈君に対する帳君の当たりが柔らかくなったと思う。凄く嬉しい。とても嬉しい。見ているこちらも和む。幸せ。


 私は、ルタさんに頬を叩かれている祈君の頭を撫でてみた。りず君も前足を大きくして一緒に撫でてくれる。


 大丈夫、まだ背伸びしなくても撫でられたぞ。撫でられても嫌な気持ちにさせないって知ってるよ。


「ちょ、氷雨さんまで」


「あ、嫌、でした? ごめんなさい」


 勘違いだったらしい。


 慌ててりず君と私は腕を引っ込め後退する。祈君は裏返りそうな声を上げていた。


「ちが、嫌じゃなくて、恥ずかしくて!!」


「ぁ、な、成程」


 納得して頷いておく。


 そうだよな、中学生。頭を撫でたら恥ずかしくもなるよな、ごめんなさい。


 祈君は唸って、ルタさんは「違うんですよ」と呆れながら笑ってくれた。違うとな。


「祈は頭を撫でられるのがとても好きです。けど、される経験は少ないし子どものようだとも感じていて、対処が分からないんですよ。だから気にしないでやってください」


「ルタ!!」


「事実だろ?」


 ルタさんを放り投げた祈君。投げられたルタさんは余裕の表情で翼を広げて旋回し、祈君は頭を掻きむしっていた。


 頭撫でられるの好きなんですね。いいですよね、落ち着きます。


 私は肩をすくめて笑ってしまい、祈君の赤い耳やうなじを視界に入れた。


「メシア、周りの植物を操作可能にしてきました」


「ぇ、ぁ、泣語さん」


「これでメシア達以外はこの場に入れなくなりました。俺の植物が邪魔をしますから」


 足音を立てずに近づいてこられた泣語さん。彼は顔いっぱいの笑みを向けてくれて、私の体が傾きかけた。


 結局今日まで泣語さんはずっと一緒にいてくれている。一緒に行動し、私達の為になることをしてくれている。


 ――それは駄目です、泣語さん


 そう、何度も言った。何度も言って、伝えて、けれども彼はかたくなだった。決して離れようとしない。一緒に行こうとしている。


 私は負ける気がないのに、勝とうとしているのに、彼だって生きることを諦めないと言ってくれたのに。


「泣語さん」


「はい、メシア」


 いつもいつも、彼は私に笑顔をくれる。助けようとしてくれる。助けてくれる。決して自分を優先しない。してくれない。


 これは毒だ。穏やかに人を私を駄目にして、ぐずぐずに溶かしていく遅効性の毒。彼の言葉も行動も私の為だと言ってくれるからこそ、私を駄目にしていってしまう。


「……植物、ありがとうございます」


「いいえ、貴方の為ならば」


 ほら、また。


 私は笑ってしまう。鳩尾の前で両の指を固く結び、首を傾けてしまいながら。


「どうか、私を買い被らないでください……私は小さく弱い人間です」


 どうか神格化などしないでほしい。私はそこまで大きな人間ではない。正しい人間ではない。誰かに敬われるような者ではない。


 思うのに、泣語さんはやはり私を「メシア」と呼んだ。


「貴方は優しい。どこまでも、優しすぎて心配になるほどに。別に全ての人間の救世主であれなどとは俺は思いません。貴方は俺だけの救世主であればいい。貴方は俺だけの光りなんです。その手で兄を殺す決意をした貴方は儚くも凛々しかった。そしてやはり優しいままだ」


 過大評価が目の前に並べられる。


「メシア、俺は貴方の味方です。貴方だけの味方です」


 私のこめかみから冷や汗が流れていく。頬は引き攣ってしまい、それでも努めて笑顔を保ったつもりだ。


 泣語さんは周囲に花が飛んでいるのではないかと錯覚する空気で、私の前に立っている。


 りず君が「ぅわぁ……」と呟く声がしたので小さい口を静かに塞いでおいた。


 ごめんよ、りず君。


「メシア、次は何処へ行きますか?」


「今の最大生贄人数、四から動いてないってさー」


 泣語さんの声と帳君の声が若干被る。


 両方聞き取れはしたが、二人共お互いの顔を見て口角が上がるという。目が笑っていない。


 祈君と私は同時に「わぁ……」と零し、帳君は泣語さんから顔を背けていた。茶髪の彼は笑顔で平坦な声を吐いているう。


「あーほんともーイライラするけどまぁいいや。他の戦士ももっと頑張れよって感じだけどルアス軍の意地もあるんだろうね。四ヶ月目から一体どれだけの奴が慌てるんだか心配だよ、俺達は慌てず対処していこうね。生贄探しつつお兄さん達探してぶっころーす」


「は、はは……」


 何とも言えずに苦笑する。兄さんに残したいつの日かの留守電には相変わらず返事がない。


 兄さん、次会った時――私の覚悟は出来ているよ。


 思った時、不意に頬が引き攣るように痛んだ私は反射的に顔を触っていた。


「メシア」


 いち早く声をかけてくれたのは泣語さん。私は自然と瞑っていた目を瞬かせて、何度か頬を触っていた。


「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」


「ぁ、いえ、気の所為です、ありがとうございます、すみません」


 笑いながら手を振っておく。帳君と祈君にも凝視されたが、大丈夫なのだ、きっと気の所為だから。


 私はりず君の額を撫でて「ね、」と同意を求めておいた。


「おう」


「そ、ならいいや。もうすぐ帰る時間だろうし、また明日だね」


 無表情に戻った帳君。私は頷き、何となく頬を触っていた。


 もう痛くない。なんだったのやら。


 首を傾げながら祭壇から出れば、夕焼けの赤みが強まっていると気づいた。


 あぁ、もう終わる。帰らなくては、あの家に。


 帰るよ、大丈夫。


 思って、植物を突き抜けてきた黒い手を見る。


 頭に反響したのは、泣いていたアミーさんが言った誰かの名前。


「……えにしくん


 朝ご飯の席でその名前を呟いた時、食器が割れる音が響いたのだ。

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