第125話 破綻
「梵さん、その肩は……」
「あぁ、自分で、嵌め、た」
アルフヘイムで会った梵さんは両手が普通に動いていた。昨日折れていた右腕と脱臼していた左腕が、普通に。
折れた腕は治癒力の倍増化で治したとは記憶しているが、脱臼は治癒力とかそう言うのではなくないか。嵌めた? 嵌めたと言われたのか彼は。
私は目を瞬かせてしまい、翠ちゃんに肩を叩かれた。
見れば首を横に振る翠ちゃんがいて、彼女の目は「深く聞くな」と念押ししているようだった。
あぁ、深く聞いては駄目なんだな……。
私は頷き、梵さんに向き直った。
「良かったです」
「あぁ、ありがとう」
「いえ、お礼を言うのは私の方です。昨日は庇っていただいてしまい、」
謝罪とお礼を続けようとした。
続けようとしたけれど、梵さんは首を横に振って私の口に大きな手を被せてきた。
梵さんは、穏やかすぎる笑顔をくれる。
「無事なら、良い。それで、良いん、だ」
端的であっても、よく伝わってくる言葉。
私は目を細めて頷き、梵さんの手は口を解放してくれた。
ふと背中に温かさを感じる。
祈君が私の背中側に来てくれたから。
背中合わせのような状態。彼は今日、挨拶をしてくれた以外は口を開いていなかったり。
声をかけるか。
いや駄目だ。私ではかける言葉を見つけられない。今の祈君にどんな言葉が正しいかなんて分からない。彼がそこに立ち、言葉を発さない理由を知らないのだから。
したいように、居たいように。少し様子を見てみましょう。
私は両手を擦り合わせて、少し離れた位置にいる泣語さんと帳君を見た。泣語さんは空を見上げていたが、帳君はこちらを見ていたと言うね。
あぁ、喉が張り付きそう。
「昨日は、ごめんなさい……結目さん」
私はそう、震えそうな声を張って帳君に謝罪した。
いざ謝るとなると名前で呼ぶ勇気は失せて、掌に汗をかく。静かな
帳君は謝られたら許すという社交辞令精神はお持ちでないと考えているので、変に気を使って許してくれたりしないだろう。失礼か、黙れ。
帳君はこちらを向いたまま口を開かなくて、私の心臓は早鐘を打った。舌が回る。
「その、我儘ばかりで、どうしようもないことを口にしてごめんなさい。もう決めました。ルアス軍に勝ってみせると。いや、負ける気など毛頭ないのですが、再度覚悟を決めました。迷いません。足踏みしません。兵士さん達のことも考えないようにします。考えても意味は無いと思えました。だから、その、また、御一緒に生贄集めをして、いいでしょう、か……? あ、いや、嫌なら嫌だとハッキリ言っていただければ、視界から消えます。一人で集め直しますので、ぁの……すみません」
自信が皆無。結局何が言いたいんだ馬鹿。
彼は人を物として使える人だ。そんな人に楯突いて同行だなんてほぼ希望がないというか、八割強くらいの確率で断られる未来が見える。
断られた場合どんな台詞が向けられるかはイメージトレーニングで予習してきた。さぁどんとこい。どんな鋭い言葉でも受け止めてみせるさ。
私は頭の中で何度も頷き、帳君が口を開いたのを見ていた。
「うん、嫌とか有り得ないから。一緒に行こう」
あっさりと。
酷く、あっさりと。
私は目を丸くして、失礼ながら肩透かしを食らった気分だった。
「なに? その鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔」
風が私の髪を揺らし、帳君は目を伏せている。
りず君は「だってよぉ……」と肩で首を傾げていた。
「もういらねぇって言われると思って腹括ってたんだぜ? こっちは」
「それこそ驚きなんだけど」
「氷雨がどんだけ帳からくる罵詈雑言をイメトレして準備万端にしたと思ってんだよ」
「そんな心構え不毛だね。お疲れ様」
帳君の風に服の裾を引かれて、彼の方に数歩近づいていく。帳君は無表情のまま私を見下ろして、珍しく手で頭を撫でられた。
「俺もごめん。頭に血が上った……から、うん」
小さな声で謝られる。
頭を撫でられる力は強まって、私は顔を軽く下に向けさせられた。
「……結目さん、首、首が、頭」
「……うーん」
頭を延々と撫でられる。
力は弱まったので首が折れることは無かったが、無表情の帳君は何を考えているか分からない雰囲気で、離れる様子は無さそうだ。
私は視線を上げて「……結目さん?」と呼びかける。
そうすれば手の動きは止まって、私はより顔を下に向けさせられた。
骨と骨の間の空気が破裂して軽い音がする。あ、首鳴った。そんな癖は無いので冷や汗出るがな。どうしたんですか帳君。
私は自分の爪先と芝を見ながら、「あのさ」と少しだけ震えるような帳君の声を聞いていた。
「……その、」
言い淀んだ帳君。彼にしては珍しい。言い淀むだなんて。いつもはっきり物を言う人だから。
何を伝えたいのか、そんなに言いづらいことなのか、もしかてやっぱり別行動しましょうですか。さっきの言葉取り消しですか。胃が痛い、ごめんなさい。
私は自分の腹部で両の指を組んで、離し、顔の横にある髪の束を少し掴んで引いた。
帳君が頭に乗せた手を動かし、叩くように撫でられ、かと思えば髪を掻き乱すように混ぜられた。絡まる。髪が絡まる。
しかし、それを言うのは今は野暮だと考える。これはきっと言い淀んだ何かを言う為に、帳君には必要なことなのだ。
考えて黙っていれば、帳君は「あー……」と唸ってから私の髪を手ぐしで直してくれた。
「怒ってない。嫌いになってないから。もう、凩ちゃんとは呼ばないから……だから、その」
今までにないほど自信がなさそうな声。頭に乗る手からは力が抜けて、顔を上げることが出来た。
そこで見た帳君の揺れる瞳に、何故だか笑ってしまうのだ。
「また……帳君と呼んでも、いいでしょうか?」
口を閉じた彼に聞いてみる。
そうすれば帳君は目を一瞬見開いてから、穏やかに表情を緩めてくれたんだ。
間違ってなかったと思える。きっと彼は、本当に許してくれたのだとも。優柔不断な私を。抱えきれないものにまで悩んで、足踏みした愚かな私を。
――名前を呼ぶな
そうりず君を拒絶していた帳君が、遠く昔のように感じられた。
目の前の彼は小さく首を縦に振ってくれる。
その動作で仮定は確証へと変わるのだ。
「そろそろ返してもらうわよ」
不意に聞こえたのは翠ちゃんの声で、私は腕を後ろに引かれた。
数歩後退すれば、腕を組んでいる翠ちゃんと、私の腕を掴んでいる祈君がいたのだ。
はて、返してもらうとな。
私は首を傾げて口角を上げてしまい、風が私の髪を引いた。
「はは、返してもらうとか。毒吐きちゃんのってわけでもないだろうに」
「貴方のものでもないでしょう? エゴイスト。仲直りが済んだんならさっさと離れなさいよ」
「人に文句か命令しか出来ないのかな鬱陶しい」
「自分中心に全てが回ると思わないで、お子様ね」
「す、翠ちゃん、帳君……」
久しぶりに開幕されそうになった
翠ちゃんも帳君もお互いから顔ごと背けて、私の胃が痛んだ気がした。
祈君は腕を離してくれなくて、赤い毛先の奥の目が私を見下ろしていた。
彼の頭に留まっているルタさんは目を伏せて、どこも見ていないのだ。
「……氷雨さん、決められたんだ」
小さな声。
それを聞き逃すことはなく、私は祈君の目を見つめ返す。
私の腕を掴む彼の手は震えて、「俺は……」と揺れた声を受け止めた。
「俺は兄貴、そんな好きじゃないし、ルアス軍の奴らもほぼ他人だし、どうなってもいいって頭では思うのに……」
祈君の空いている手が彼の左胸を掻き
苦しいと。
苦しいのだと。
息の仕方が、分からなくなりそうなのだと。
「氷雨さん」
「……なに? 祈君」
切に訴えるような声に返事をする。掴まれている腕には少しだけ痛みが走ったが無視していよう。
「どうやって決めたか、教えてください。俺も決めなきゃいけない。決める為に意見をください。俺はもう……一人だと、飛べないんです」
祈君の顔が曇り、項垂れるように頭が下がる。
彼の背中をゆっくり叩く梵さんの目は心配の色を孕んでいた。
どうやって決めたか。
どうやって、覚悟をしたか。
私は深呼吸をして、祈君の手の甲に掌を重ねる。
揺れた彼の肩は心許ないほどに不安定で、私は意見を言うことを今一度思い留まる。
彼に言っていいのか。私の意見を。私が決めたことを。迷わない為に、後ろに戻らない為に、前に進む為に決めたことを。
祈君は唇を噛んで、まだ見つけられていない答えを知る為の手掛かりを欲しているようだった。
奥歯を噛む。
それから力を抜いて笑い、私だけの意見を言ってみせた。
「兄を殺す覚悟をしたんです」
ルタさんの目が開かれる。黒い
「それは、そう、ですよね。祈達が勝てば、必然的にルアス軍にいる鳴介達は死んでしまうのですから……」
あぁ、そっか、言葉が足りなかった。
「ごめんなさい、言葉が足りなかったです」
直ぐに理解して訂正を入れる。
ルタさんと祈君は同じ方向に首を傾げて、私は笑い続けていた。
笑わなければ言葉を出せないから。
笑っていないと、揺らぎそうになるから。
「私は――自分の手で、兄を殺すと決めたんです」
波紋が、広がった。
それは完全な感覚での感想。私はこのチームの中に、虚をついた投石をしてしまったと言う感覚。
目を見開いた祈君の顔が。
驚きを隠すことなく表す梵さんの態度が。
私を呼ぶ翠ちゃんの声が。
私の髪を強く引いた帳君の風が。
言っている。
何を言っているのだと。
私は笑ったまま、続けていた。
「海堂さん達が消えてしまって、救えなくて、守れなくて……思ったんです。私達が勝てば、きっと知らない所で兄も同じように消えてしまうのだと。鉄槌を受けて、光りとなってしまうのだと」
祈君が私の腕を離していく。それでも重ねた手を振りほどかれることは無く、彼は私の指先を握ってくれていた。
だから私も握り返す。
「そんなのは耐えられない。自分達が勝った時、見えないどこかで兄が死ぬだなんて。タガトフルムでは誰も彼もが忘れてしまうのに、覚えていられる私もその最期を見ないだなんて。見ないまま殺すなんて……私には出来ません」
声が震えないように、お腹から声を出すことを心がける。
揺れるな、迷うな、憂うな、氷雨。言葉は戻らない。覚悟は口にしてこそ遂行される。
「だから、自分の手で兄を殺すと決めました。兄の血を浴びて、冷たくなる体を抱いて、光りとなって完全に消えるまでを見届ける……私は弱いので、きっと何よりも痛く傷つくと自分でも思います。けど、だからこそ、その痛みを抱えて勝ちに行きます。勝って生きます。兄も私を殺す覚悟があるのですから、私も同じ覚悟を持って――彼を殺すんです」
祈君の指を離す。しかし彼は私の手を握り締めるから、私は努めて笑っていたのだ。
「……ごめんなさい祈君。私が決めることが出来たのは、人として正しくない精神論を持ったからです。だからどうか、この意見を鵜呑みにしないでくださいね」
伝えておく。これは私の意見だ。私だけの考えだ。だからいけない。これに侵食されてはいけない。いけないんだよ、祈君。
殺すなんて無理だ。
だが、求めるゴールに辿り着いても同じこと。直接的か間接的かの違いだろ。
ならば私は、直接兄を殺してみせる。
「氷雨……本気?」
翠ちゃんに確認される。私は口角を上げたまま彼女を見て、頷くのだ。
「……ごめん」
伝えれば、それ以上彼女は何も聞いては来ない。
髪が引かれたので帳君の方を向けば、彼は無表情のまま言葉をくれるのだ。
「相変わらず思い切りがいいというか、背負い込むっていうか……死んだらタガトフルムで忘れられるなんてこっちは初耳だってのに。どこまで確認してんのさ、心配症の氷雨ちゃん」
「ぇ、ぁ、ごめんなさい……以前ヴァラクさんに確認したことがありまして……」
そっか、知らなかったんだ……忘れられることを。
私はそうだ、気になったから翠ちゃんと一緒にヴァラクさんとアミーさんに教えてもらった。しかし帳君や、反応を見るに祈君や梵さんもきっと知らなかったんだ。
同軍の喪失という大きな事柄に続いてこんなことを、何も気を使わずに言うなんて。
私の喉が締まって「ごめんなさい」がまた口から溢れてしまった。
帳君は首を横に振ってくれる。祈君は「……確認、した」と呟いた。
見れば、もう頭を下げていない彼が私を見下ろしている。
「昨日、楠さんが言ってたから……ストラスに聞いた。戦士が死ねば、タガトフルムの誰からも忘れられるんだって」
「……そう、なんですね」
曖昧な返事で苦く笑ってしまう。祈君は息を静かに吐くと、私の手を握り直してくれた。
「……氷雨さん、ごめん。俺、兄貴を殺せるかはまだ分かんない。分かんないけど……氷雨さんと一緒に、飛んでもいいですか。一人で飛べなくなってごめんなさい……覚悟を持ってる氷雨さんに、俺はついて行きたいって思うから……傍にいさせてください。貴方がお兄さんを殺した時……らずが砕けないように、俺は貴方を一人にしたくない。苦しめたくないから……お願いします」
祈君の言葉が、私の中に純粋に落ちてくる。落ちて染みた言葉は私の指先を震えさせ、私は目を細めて笑っていた。
一人で飛べなくていいよ。
これは私が生きた先で後悔したくない為の、破綻した精神論です。
それでも傍にいてくれるんですか。らず君が砕けてしまわないようになんて、あぁ、やっぱり貴方は――
「……優しいなぁ、祈君は」
呟いてしまい、目を丸くする祈君を見つめてしまう。
彼は顔を歪めると、泣き出しそうな表情を伏せてしまっていた。
握られた手が彼の額に寄せられる。
私は静かな呼吸を心掛けて、背中を軽く叩いてくれた二つの手に驚くのだ。
「翠ちゃん、梵さん」
「別に私はルアス軍が死のうがなんだろうが、元から関係ないのよね。でもね氷雨、貴方が自分から茨の道を裸足で進むのは関係なくないの。だって貴方は友達だもの。大事なね。だから一緒に行きましょう、この競争を終わらせたその先まで」
「氷雨は、良い子だ。いつも、嫌なことから、目を、決して、背けない。背負って、進もうとする、ことが出来る、良い子だ。だが、時折、背負いすぎて、潰れてしまうの、では、ないかと、不安になる。から、俺も、背負わせて、もらう、な」
二人は笑ってくれる。
なんだよ、なんだよ、なんでそんなに優しいんだよ。
私の首が風に巻かれる。
帳君は仕方がなさそうに笑って、私は唇を噛んだのだ。
「お兄さん達殺して、生贄六人集めて生き抜くか。うん、いいね、いいよ、俺は暴力得意だし、君のお兄さん達は好かないから。氷雨ちゃんが地獄に行こうが呪われようが、罪悪感に潰されようが俺は君を見捨てない。どんな蛮行も戦士としては正しいさ」
帳君は腕を軽く広げて、私が一番欲しい言葉をくれるんだ。
「氷雨ちゃん、君は君のままでいい。君が思うように、決めたように進んで行こう」
あぁ、くそ、泣くぞ、この人達は本当に。
私は努めて笑い、手を離してくれた祈君の肩を軽く叩いておくのだ。
「こちらの道は地獄行きになります。それでも私を見放さないで……一緒に行ってくれますか」
両手の指を組んで、鳩尾に押し付けながら聞いてみる。
そうすれば四方から頭を撫でられ、私は声を出して笑いそうになった。
「行きます、俺もルタも」
「Uターン禁止の一方通行ね。行くわ」
「大丈夫、一緒に、行こう、守って、みせる、全員、必ず」
「地獄の景色はどんなだろうね。て言うかそろそろ気づきなよ。このチーム、中心は氷雨ちゃんなんだって。君がいないと俺達とっくにバラバラだって」
あぁ、おかしな話。
みんなで、私が兄を手に掛けようと決めたことを責めないだなんて。一緒に行くだなんて。私がチームに中心だなんて、思ったことなかったよ、帳君。
完全に道徳心が破綻している、歪な決意のこの関係。
どこかでみんなの
業火に焼かれた知ってる人。守りきれなかった悔しさと不条理への嫌悪。
らず君にまたヒビが入ったとタガトフルムで気づいたよ。気づいたけれども、ごめんらず君、私はまだ君を治せそうにないし、また砕いてしまうかもしれない。そうしたら、りず君がまた大きくなってしまうんだよね。
それでも決めたんだ。
決めたから進むんだ。立ち止まってなんか、もうやらない。
「メシア、俺も行きます」
声がする。
見れば微笑んでくれている泣語さんが胸の中心に手を当てて、首を傾けていた。
「何処へでも、何処まででも。貴方が地獄に落ちようと茨の道を進もうと、貴方が俺の救世主であることに変わりはない」
そう濁りなき目で言ってくれた泣語さん。
私は首を横に振ったけれど、彼も
「泣語さん、貴方は、」
「メシア」
先を言えなくなる。言わなければいけないのに、言えなくなる。
あぁ、なんておかしなこの関係。
ぐちゃぐちゃの道を踏んで固めていくような、形容出来ない進み方。
私は手を握り締めて、畔に落ちていなかった青い兎の被り物を瞼の裏に思い出していた。
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