第127話 変動


 甲高い音と一緒に散らばった白い破片。床に落ちたのはいつも通りの朝食。散らばったスクランブルエッグやトーストを見た私は、一瞬理解が出来なかった。


 食器、お母さん。


 顔が青くなっているお母さんは揺れる瞳で私を見下ろし、口は酸素を求めるように開閉されていた。


 私は珈琲のマグを急いで置いて立ち上がる。


「お、お母さん、大丈夫? 怪我してない?」


「ッ、氷雨、今……なんて?」


 散らばった食器を踏まないように、ティッシュとゴミ袋を準備しようと動く。それよりも早く呼び止められた私は足を止めた。


 お母さんは両手を胸の前で握り締め、不安げな目に私を映していた。


 台所に立っていたお父さんも目を見開いて近づいてくる。明らかな動揺。明白な焦り。


 私は「ぇ……と……」と、自分が言った言葉を繰り返した。


「……怪我してない?」


「うん、してないよ……その前は?」


「ぇっと……大丈夫って聞いて、お母さん呼んで」


「大丈夫だよ、ありがとう……その、前は?」


 思い出す。


 思っていたのは夕暮れの部屋で泣いていたアミーさん。彼が零した誰かの名前。私が知らない、きっと、いつかの戦士の名前。


「……えにしくん


 文字にすれば二文字。音にすれば五音のそれを再度呟く。


 えにし、なんて演技が良さそうな名前だなとか。アミーさんはどんな思いで彼の名前を落としたのかな、とか。


 考えても分からないことを呟いたから意識はしていなかった。


 お母さんとお父さんの肩が揺れる。「縁君」と言う名前を聞いて。


 多分そんなに多い名前ではない。私のクラスにはいないし、去年のクラスにもいない。中学校でも小学校でも「えにし」なんて名前は聞いたことがない。


 だから考えられるのは、お母さんかお父さんが知っている「誰」か。


 それと同じ名前の人をアミーさんも知っていた。


 それだけの筈。


 それだけの、筈だ。


「……それは、誰? クラスに……そういう名前の子がいるの?」


 お母さんがぎこちなく笑う。


 お父さんを見れば真剣な顔をしていて、私は反射的に首を縦に振った。


 もしここで横に振ってしまえば、お母さんはきっと「なら、どうして?」と聞いてくる。


 そうなった場合、私は答えられない。アミーさんから聞いたなんて答えられない。言ってしまえばアミ―さんとは誰なのかという問題になるし、他の誰かの名前を出してもボロが出そう。


 嘘をつくことが多くなった。嘘をつくのに慣れてしまった。けれども、それを突き通せる自信はいつもない。


 私は笑って、「ぇっと、」と呟いた。


「去年同じクラスだった人で、今日朝一緒に勉強しようって言ってたなーって。翠ちゃんや他の友達も一緒に。今日暗記がメインだから……早く家出ないとなって……はは」


 そう言葉を続けて「袋持ってくるね」とその場を離れる。


 早鐘を打つ心臓は収まらず、頬を冷や汗が伝っていた。


 不用意に呟いたから。タガトフルムにアルフヘイムのことを持ち込み過ぎている。


 再確認しながらゴミ袋の底にティッシュを数枚敷き、割れた食器を拾うお母さんの元に戻った。お父さんもご飯を拾って床を拭いてくれて、二人とも申し訳なさそうな雰囲気だ。


「ごめんね氷雨、折角準備してくれてたのに……ほんとにごめん」


「ううん、怪我なくてく良かったよ。あ、新しくパン焼く?」


「……今日は朝ご飯、大丈夫かな。珈琲だけ飲むね、ありがとう」


 苦笑したお母さんは袋に食器の破片を入れて、床を拭き終わったお父さんにもお礼を言っていた。


 微笑んだお父さんは汚れていない手でお母さんの頭を軽く撫でて、私の頭も撫でてくれる。


 私はその手が震えている気がして、お父さんを見上げていた。その表情は酷く儚くて、私の口は勝手に動いてしまう。


「……お母さんとお父さんにも、縁君って言う友達がいるの?」


 お父さんの手が止まる。下ろされた手は握り締められて、お母さんはうつむいてしまった。


 あぁ、聞いてはいけなかった。聞くのは間違いだった。


 そう思わずにはいられない。


 お母さんは笑うように努力しているようで、私は何も言えなくなった。


「とても素敵な友達だったわ……とてもね」


 お母さんが呟いている。その言葉を拾って、私は頷くしか出来なかったんだ。


 * * *


「テェストがぁ〜〜……」


 帰りのホームルームが終わる。


「終わったぁ〜!!」


 席から立ち上がる時、そんな喜びの叫びを上げたのは誰だったのか。小野宮さんか、蔦岡君か、それとも全然違う人か。


 その聞き取りが出来ないまま、私はテストを終えてしまっていた。今日残っていた教科は英語と家庭科、生物、数学。一日二教科の日とか四教科の日を作る意味が分からない。なんだよ先生。


 頭を使いすぎたのと寝不足と、朝の両親の姿が引っかかって倦怠感が酷い。しかしひぃちゃんを撫でて帰るんだ。翠ちゃんとファミレス行くって約束してるんだ。


 楽しみを胸に帰り支度をしている翠ちゃんを確認する。声をかけるタイミングを見計らっていると、先に私の机がノックされた。


 反射的に笑って視線を動かすと、穂崎さんと、彼女といつも一緒にいるはまさんが笑顔で拝んでくる。……。


「凩さんごめん! 今日浜が掃除当番忘れてバイト入れててさー、変わってあげてくれない!?」


「お願い! 理科室の簡易清掃だからちゃっとしちゃえばいいから!」


 ……拝まれる。


 ここで受けるか。でも私は昨日したし、テスト中は平等にと日替わりの班当番。私昨日した。結果的に翠ちゃんも今日は違う。席前後だから。昨日した。受けたらひぃちゃんと翠ちゃんと話す時間がなくなる予感。これ何回目。待たせたくないし、時間削ってしまうのがもっと嫌。何回目だよ。


「え〜、今日から部活再開で音合わせあるから、俺も凩さんに頼みたかったんだけどな〜」


「いや蔦岡、部活ならいいじゃん!」


「こっちは店長から怒られるかどうかかかってんの!」


 ならば穂崎さんが変わってあげたらいいと思うし、蔦岡君、簡易清掃ですから、ね。


 胸の中を回る不快感。怒られるんですか。それ目の前で言われたら断れないって言うか、いや、でも、私は、私だって、さ。


 口を閉じたまま口角を上げて、奥歯を噛み締めてしまう。


 小野宮さんと翠ちゃんが立ち上がったのが分かる。いつも二人は断ればいいと言ってくれる。湯水さんも近づいて来てくれてる。直ぐに部室に行きたいだろうに。


 私が、私が受ければ丸く収まる。断ると面倒くさい。教室したあと理科室か、理科室したあと教室か。分身は出来ないしまず棟が違うし、受ければ、受ければ、さ。


 今までそうしてきた。私が動いてちょうど良くなって、誰も困らないようにしてきた。だってその方が先を見ると面倒くさくない。それがいいし、それでいいって。


 ―― 貴方が一番、貴方に優しくないのね


 そう、言われた日を思い出す。


 ―― 一人で、頑張らないでくださぃ


 そう、言ってくれた友達がいる。


 ―― そんな、に、頑張ら、なくて、いい


 ずっと、そう言葉をくれる人達がいる。


 ―― 氷雨ちゃん、君は君のままでいい


 あぁ、くそ、思い出しちゃったよ。


 染まってんなぁ……戦士に、仲間に、馬鹿野郎。


 私は深く息を吸って、笑うのを止めていた。


「ごめん、なさい……今日は用事があって、変われなぃ、です……」


 両手を鳩尾の前で握り合わせて、頭を下げる。


 ごめんなさい、ごめんなさい、出来ないです。


「え……」


 穂崎さんの驚きの声がする。私は顔を上げて必死に呼吸をした。


「わ、私ほんとは、掃除、全然好きじゃなくて……昨日もちゃんとして、ぇっと、今日は、ぁの、友達と用事があって、だから、変われなくて……」


 言い淀んでしまう。


 浜さんが口を開きかけたのを見て、それより先に喋る。


 あぁ、ごめんなさい、ごめんなさい。


「その、浜さん、店長さんに怒られてしまうんです、よね。ぁの、バイト、何時からでしょう。蔦岡君、部活、何時からですか。その、どうしてもと言うなら変わるより、一緒にしませんか。より時間が無い方を手伝いますので。けど、ぁの、変わるのはどうにも……しんどぃ……」


 吐きそう。


 言い切って、斜め下前を向いていた視線を上げる。そこには唖然とした顔の三人がいて、私の頬が引き攣った。


 うわ、しんど。


 指が手の甲を引っ掻く。鈍い痛みが意識を保たせる。頭痛。


 今まで、タガトフルムで何かを断ることはしてこなかった。断るより自分でした方が結局丸く収まって、面倒くさくないから。


 駄目だ笑え、また笑え、もう笑っていい。


 アルフヘイムで出会った人に貰った言葉が、仲間の言葉が、私を変えていっている気がする。


 変わるのはしんどい。いつもしないことをするのは、しんどい。堪らなく。


「氷雨が手伝うより穂崎さんが手伝ったらいいんじゃない? 仲良いんでしょう? と言うより、今話している時間こそ無駄じゃないかしら」


 呼吸を必死に考えていた私の肩に手を乗せてくれたのは――翠ちゃんだった。


 それだけで息が出来て、力が抜けて、「翠ちゃん……」と零してしまう。


 翠ちゃんは私に目を向けると背中を叩いてくれた。


 それに安心していると蔦岡君の後頭部を平手で叩く人――雲居君も現れて、私は目を丸くしたのだ。


「お前もだぞ、自分で掃除しやがれ。なに部活理由に変わってもらおうとしてんだよ」


「いや、かなッぃて!!」


「ごめん凩さん、そんなに部活急ぐことないからコイツは無視していいよ」


 雲居君が蔦岡君の頭を思いっきり叩き続ける。


 私は唖然としてしまい、両手を合わせてくれた穂崎さんと浜さんを見るのだ。


 二人は眉を下げて言ってくれる。


「ごめん凩さん、凩さんが掃除そんな好きじゃないとか……全然分かってなくて、嫌な思いさせちゃってたよね」


「私もごめんね、凩さん頼みやすくて……手伝ってもらうから気にしないで! ほんとごめんね!」


「ぁ、ぃ、いや、こちらこそすみません、バイト、大丈夫ですか?」


 二人の頭に垂れた犬耳が見えた気がする。肩を落として謝ってくれる様子は本当に居た堪れなくて両手を振れば、浜さんは「パッとしちゃえばいいし! ほんとにヤバかったら班の他の子に相談する!」と言ってくれた。


 安心。最初からそうしてくれたら。いやいや、もういい。いいんだ。


「……はい」


 それ以上なにを言ったら良いか分からなくて笑っておく。背中を叩いてくれた翠ちゃんの手は、いつの間にか撫でる仕草に変わっていた。


 私は、掃除用具入れに向かいながら手を合わせてくれる蔦岡君と、鞄を掴んで「急げー!」と教室を飛び出して行った穂崎さんと浜さんを見送った。


「ひ〜さ〜め〜ちゃん!」


「ぅわ、ぉ、小野宮さん」


 後ろから抱きついてきたのは小野宮さん。翠ちゃんは手を引っ込めて、近づいてきた湯水さんには頭を強く撫でられた。何事ですかな。


 私は苦笑し、湯水さんは笑ってくれた。


「頑張ったね氷雨ちゃん、偉い」


 あ、泣きそう。


「凄いよ、うん、頑張った。緊張するよね、良い子だ氷雨ちゃん」


 小野宮さんまで。


 私は言葉を探す。


 探すけど見つからなくて、目を瞑り、無理やり笑った。情けない声での「はい」は二人に届いたかな。


 抱き締めてくれる腕が強まって、頭を撫でてくれる手が優しくなったから、届いたと思っておこう。届いたと思っていたい。


「おらおら、掃いちまうぞ!」


「出たな蔦岡! 押し付け野郎め!」


「悪かったってマジで! 凩さん、こんな俺ですがまた是非簿記を教えていただければ……」


「さっさと掃除しろって」


「要、いた、蹴るなって!!」


 箒を持った蔦岡君に拝まれ、雲居君に蹴られる彼は他の掃除当番の子にも注意されていた。


 早くしろと箒や雑巾で叩かれている蔦岡君は、それでもやっぱりいつの間にか場を笑わせて凄いと思うんだ。


 掃除当番だった委員長は「行って大丈夫だよ」とジェスチャーをくれて、指で丸まで作ってくれる。


 笑ってくれたことがより私を安心させてくれて、他のクラスメイトも「お疲れ様、凩さん」と言葉をくれた。


「へいへい、氷雨ちゃんは人気者ですな〜」


「茶化さない。なずな、ミーティングあるんでしょ? さっさとお昼食べなよ、私も部室行くから」


「あいあいさー。じゃあね氷雨ちゃん! 翠ちゃん! あ!! 明日の七夕祭り一緒に行こうね!」


「はい、また明日」


「えぇ、また明日ね」


 四人で騒ぎながら廊下に出て、部室棟の方に行かれる小野宮さんと湯水さんを見送っておく。


 明日は七夕。今日と明日で、祭壇は作れなくなる。


 直ぐにアルフヘイムのことを考え出す頭は完全に洗脳されてるな。


「氷雨、身構えたって仕方がないわ……さっきはお疲れ様」


 翠ちゃんが頭を撫でてくれる。私は気づいて、はにかんでしまうのだ。


 良かったのかな、本当に。なんて心配したら怒られるんだろうな。いや、叱られるのか。


「断ってよかったのよ。何でも受けてたって貴方には一割の利益もないわ」


「そうだよ、凩さん」


 翠ちゃんの言葉に続けてくれたのは教室から出てきた雲居君。彼は呆れたように笑って「アイツに優しくしなくていいから」とも言われてしまった。


「雲居君、さっきはありがとうございます」


「いやいや、俺は何も。廊下から拝まれてる凩さんが見えたからさ。碌でもないことだと思って近づいたら、本当に碌でもなかった。ほんと部の恥晒しだよ……あ、教えてもらった簿記の仕分け出来たよ! ありがとう」


「そ、それは良かったです」


 結構毒が混ぜられた台詞に苦笑してしまう。テスト出来ましたか。良かったです。本当に安心。


 私は何度も頷いて、雲居君も部室の方に向かって行く。去り際に「七夕祭り、楽しみだね」なんて言っていたが彼も誰かと行くのかしら。


 隣で翠ちゃんが深いため息を吐くのが聞こえて、私は彼女を見上げてみた。


「……なんでもないわ、ファミレス行きましょ。今夏限定メニューあるらしいわ」


「うん、行く、行こう、行きます」


 翠ちゃんが微笑みながら歩き出したので、それに続いて人が溢れた廊下を歩く。頭をよぎったのはやっぱり朝の光景で、私は翠ちゃんに昇降口で聞いてみた。


「そう言えば翠ちゃん。泊まりに来てくれた時、お父さんが気になること言ってたって言ってませんでしたっけ……?」


「あぁ、そうだった。よく覚えてたわね」


「うん」


 ローファーを地面に落として上履きを仕舞う。


 下駄箱の扉を閉めた翠ちゃんはローファーに足を入れていた。


「氷雨の家に送ってもらう車の中でね、凩氷雨って言う子だって紹介したの。そしたら急に黙って……誰かを忘れてる気がするって言ったのよ」


 私の手が下駄箱の扉を閉める。


 ――お父さん、若いですね


 ――まぁね、今年で三十九よ


 会話を思い出す。あの時私は、お母さんと同い年だとも思ったんだ。


 あれ、今朝のお母さん、縁君って人をなんて言った。


 ――とても素敵な友達だったわ……とてもね


 なんで、過去形だったんだろう。


 全然気にならなかったけど、お母さんが知ってて、学年が違うお父さんも知ってるってどういう関係?


「……翠ちゃん、お父さんのお名前は? 高校って、私達と同じだったりする?」


 聞いてみる。翠ちゃんは鞄を肩にかけ直しながら不思議そうに教えてくれた。


千歳ちとせよ、くすのき千歳ちとせ。確かこの高校だって言ってたわね……何か気になる?」


「……少しだけ。多分、きっと気のせい……あ、私のお母さんもこの高校出身でね、同い年だし、もしかしたら同じクラスだったのかなーみたいな」


 苦笑してしまう。翠ちゃんは「あら、そうなの」と目を瞬かせていた。


「お母さん、旧姓は?」


 翠ちゃんの声がどこか遠くに聞こえる。


 そんな筈はないと頭の中で鳴る警鐘を止めるには、どうしたらいいんだろう。


 分からないまま、私はローファーに足を入れて笑った。


迷野まよいのだよ。迷野まよいの氷華ひょうか


 * * *


「……なーんか気になるよなぁ、氷雨」


「……うーん」


 夜、二十三時五十五分。


 りず君とらず君を肩に乗せてベッドに腰かけておく。


 お父さんとお母さんの態度はどこかぎこちなく、とても不安そうな雰囲気が漏れていた。それに私まで感化されてやっぱり嫌にぎこちなかった。


 晩御飯何食べたっけ。ここ私の家だよな。


 電子の時計が進むのを見る。立ち上がって電気を消し、返事が未だにない鍵を襟に入れた。


 この胸騒ぎは気の所為だ。気の所為でなくては駄目だ。


 だって、だってさ、そんな筈ないさ。


 競争は二十三年前。


 いや、違う、違う、違う。


 縁君。


 顔も声も知らない誰かの名前を思い出し、私は息を吐く。


 集中。


 今日と明日で最後の悪足掻き。祭壇を増やせるだけ増やす。まずはズラトロクの樹海を離れて、翠ちゃん達と合流を目指して――


「氷雨」


 ドアが――ノックされる。


「起きてる……?」


 お母さんの声がする。


 私の喉は酸素を吸って鳴り、身体中から冷や汗が吹き出した。


 おかしい、おかしい、こんな日付が変わる時間に声をかけられたことなんて今まで無かった。無かったから気を抜いていた。寝たとばかり思っていた。


 何て言う。寝たフリ。あと二分。無理、駄目だ、時間通りに行かなければ首が飛ぶ。駄目だ、まずい、ヤバい。


「……入るね」


「ッ、お母さん」


 ドアが開いていくのに反応してしまう。ドアノブを持って、肩でらず君が光ってくれた。


 けれども一瞬だけ迷ってしまって、隙間が広がる。


 冷や汗が流れて、廊下にいるお父さんとお母さんを私は見た。


 私から見えるのだから、二人にだって見えているに決まってる。


 見開かれた二人の目。


 ヤバい、ヤバい、部屋の中で靴履いて黒い服来ている理由。ピアス、チョーカー、駄目だ思いつかないッ


「氷雨! 時間だ!!」


 りず君の声がする。


 私は奥歯を噛み締めてドアノブを離し、ベッドにいるりず君の元に走った。茶色い彼がスプリングの反動を使って跳んでくれる。


「氷雨ッ!」


 お母さんの声がする。


 あぁ、駄目だ。


「ディアス軍ッ」


 りず君を抱き締める。


「嘘ッ……いや、待って!!」


 お母さんの声を無視して続ける。


「凩氷雨!」


 振り向かないで、答えないで。


「氷雨ッ!!」


 お父さんの大きな声、初めて聞いたな。


「アルフヘイムへッ」


 叫べば足元に開いた黒い穴に飲み込まれる。


 そこで私は振り向いてしまい、伸ばされたお母さんとお父さんの手に、応えられずに沈むんだ。


 あぁ……失敗した。


 完全な失敗だ。


 私は黒く生温い空間で、らず君とりず君を抱え、目を固く瞑るしか出来なかった。

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