第110話 脱線


 零時を待つ間。翠ちゃんと私は黒を基調とした服を着込み、ピアスとチョーカーをつけて首から鍵を下げる。


 目薬にも慣れたもので、翠ちゃんは「布団準備してもらったのに、悪かったわね」と謝っていた。そんなこと謝るものではないのに。私が両親へのカムフラージュ的なもので準備しただけで、翠ちゃんと共に夜はいなくなると重々承知していた。


 慌ててその類の言葉を並べて謝罪すれば、翠ちゃんは仕方がなさそうに笑ってくれたのだ。恥ずかしい。


 そうしていれば時間はあっと言う間にきてしまうから。


「ディアス軍、凩氷雨、アルフヘイムへ」


「ディアス軍、楠紫翠、アルフヘイムへ」


 電気を消して言葉を呟き、足元の穴にお互い沈んでいく。


「また後でな、翠」


「えぇ、また後で」


 りず君に翠ちゃんは頷いてくれて、お互いの姿は見えなくなる。


 兄さんからの連絡はなかった。連絡をする勇気がなかった。


 時沼さんに連絡することは出来なかった。連絡は何も無かった。


 それでいい、それが正しい。


 もう充分泣いただろ、氷雨。少しだけ赤くなった目元が帳君達にバレませんようにと願っていよう。


 前髪を伸ばすように引っ張っても、長さなんて変わらないのが現実だ。


 慣れてしまった黒い道は直ぐに終わって空から吐き出される。


 波打つ宝石のような青空を見れば帳君と祈君も吐き出され、二人は風に乗って降下していた。


 私の背中ではひぃちゃんが翼を広げてくれて感謝する。


 そのままスケルトンの林を見下ろしていれば、地面から吐き出された翠ちゃんと梵さん、泣語さんが確認出来た。


 ペリの天園を探す。遠くに来たからと言ってもまだその白は確認出来て、早くここを離れたいと思うんだ。


「ありがとう、ひぃちゃん」


「いいえ、氷雨さん」


 芝に足を着いてひぃちゃんの首を撫でる。そうすればお姉さんは笑ってくれたから、胸の奥が温かくなったのだ。


 帳君と祈君が着地した姿を見て「こんばんは、こんにちは」と挨拶する。そうすれば皆さん返してくれて、嬉しいと思うんだよ。


 挨拶を口ごもってしまったのは泣語さん。


 彼は一歩引いた場所にいて、私に視線が注がれている気がする。自意識過剰だな。


 私は何故だか冷や汗を流しつつ泣語さんに視線を向け、固まった彼に微笑んでしまうのだ。


「こんばんは、こんにちは、泣語さん」


「ッ、こんばんは、こんにちは、メシア」


 一気に顔を明るくしてくれた泣語さん。彼はぐずぐずに溶けてしまうのではないかと思わされる声で挨拶してくれた。甘い声ってこれだって分かる声。


 そんなものを貰ったことがないので頬が引き攣りかけた。我慢。


「まさかメシアとこうして挨拶を交わせる日が来るなんて、感激です。胸がいっぱいです。あぁどうしましょうッ」


「……氷雨さん、昨日から聞きたかったのですが、この方が僕達の救出に加担してくれた方ですか」


 どことなくいぶかしんだ声で質問してくれたルタさん。同化を解いた心獣さんは祈君の腕の中で顔をしかめていた。


 祈君も眉間に皺を寄せて「メシアって……」と若干引いているように見える。泣語さんはそんな二人の様子は眼中に無いと言った感じだし。


 うーん……まずはルタさんの質問に答えることだな。


 私は、祈君の鍵を彼の首にかけながら頷いた。


「はい。泣語さんと言う方でして、植物を使って大変心強い味方になってくださったんです」


「あぁ、メシア、そんなに褒められては溶けます」


 人はそうそう溶けないと思うんだよな。


 努めて笑ったまま泣語さんの方を見る。彼は頬を紅潮させて、はにかんでいた。


 その表情だけ見たら可愛らしい方なんだけどなぁ……。何がこんなに悪寒を感じさせるのだろう。


 帳君は呆れたように手を差し出してきたので、私はそこに鍵を乗せておいた。「ありがとう」と言ってくれた彼は冷ややかな目で泣語さんを見つめている。


「そいつは氷雨ちゃんの盲信者だよ、雛鳥。昨日からメシアメシアうるさいわけ」


「えー……マジかよ」


「また変なのに好かれたわね、氷雨」


「メシ、ア?」


 帳君が祈君に棘を含んだ言葉を与え、翠ちゃんはため息をついている。


 いや、別に好かれようと思って好かれた訳ではなく、何故だか過大評価されてしまった現状と言いますか。いや言い訳になるな。


 肩を落として「すみません」と呟き、私は梵さんに視線を移した。彼は不思議そうな雰囲気を微かに纏って、泣語さんに聞いている。


「敵、か?」


 警戒。


 その単語が浮かんで、それは当たり前の防衛だと理解する。


 祭壇を壊しにやってきた早蕨さん達。


 鍵を奪いに来た兄さん達。


 両者共にルアス軍であって、それを仲間と称するには、私達はあまりに相手の印象が悪すぎる。


 胃が若干痛くなりながら泣語さんを見ると、彼は「いいえ」と笑っていた。


「俺は君達の敵でも味方でもないよ。俺はメシアの味方で、メシアの敵は俺の敵でもある」


 泣語さんはさも当たり前と言わん口振りで、私は掌に嫌な汗をかくのを感じていた。


 梵さんは首を傾けて、ゆったりと確認している。


「何故、氷雨、が、メシア、なん、だ?」


「彼女は俺の救世主だから」


 間髪入れずに答える泣語さん。彼は両手の五指を祈りを捧げるように組み、私に向かってひざまずいてきた。


 怖い、なんで。


 血が競り上がるような緊張感が体の中心から末端まで侵食していく。冷や汗が流れて頬はぎこちなく笑っていた。


「メシア、次は何をしましょう。俺をこき使ってください。貴方の為なら、俺は火だって飲めるし全身串刺しの盾になったって構わない」


「ぁの、泣語さん」


「はい、俺だけの救世主、何なりと」


 駄目だ会話が噛み合わない。


 彼の目の奥にくすぶる、純粋な狂気の色を見つけてしまう。


 私が言えば何でもするって、そんなのいつ私が望んだのだ。それでも彼にとってはそれが正しさで、指標で、目標だとしたら。


 あの時の私は覚悟が足りてなくて、貴方を助けたのは戦士としては落第点だと思っていて。


 肩にいるりず君達が震えている。ひぃちゃんは必死に目を閉じて、私は呼吸が早くなるのを感じていた。


「はい気持ちわるーい」


 突然。


 泣語さんの顔に蹴りを入れようとする帳君。


 それを急激に大きくなった葉が防ぎ、私は息を呑むのだ。


 泣語さんは笑みを削ぎ落として帳君を見上げている。


「何するの」


「気持ち悪いから蹴り倒したいと思いまーす」


 笑っているのに、つまらなさそうな声色。帳君の雰囲気はチグハグに渦巻いて、私はらず君を抱き締めていた。


「ぁの、帳君、泣語さん」


「氷雨ちゃんも駄目だよ。嫌なことは嫌だって言うこと。これ基本だかんね?」


「……はぃ」


 帳君の風に髪を引かれて、申し訳なさが積もってくる。


 ごめんなさい、私がきちんと言葉を伝えられないのがいけないのだ。そう、そうだ。


 でも、泣語さんのこれが善意ならば。


 それでも彼は敵だもの。


 そうやって私の考えが完結しようとした時、今度は帳君に向かってリフカがしなり、それを風の壁が受け止めていた。


 拮抗。


 駄目だ、駄目だよ。


「険悪ね」


「……俺、あの人嫌い」


「す、翠ちゃん、祈君」


 高みの見物というやつをする二人に心臓は揺れ動かされ、泣語さんと帳君の会話は棘しかないものだった。


 言葉のキャッチボールなんて言い方があるが、二人は殻のついた毬栗いがぐりを相手の鳩尾に向かって投げ合っているようなものだ。どっちも取る気がないし、取らせる気もないってやつ。酷い。


「お前もう用済みだから、どっか消えろよストーカー」


「お礼の一つも言えない人は嫌いだな、君こそ土に埋まればいいのに」


「はいはい昨日はありがとう。これで終わり。じゃあねばいばい。あと俺は土に埋まるより、空を飛んでる方が好きなんだよね」


「じゃぁそこから重力落下しておいでよ。きっと爽快だ」


「なら手本はお前だね。命の保証は出来ないけど」


「いちいち癇に障るな。我が物顔でメシアを使うな、盗賊か」


「あの子は俺の駒だって言ってんじゃん。後から出てきて口出しすんなよ狂信者」


「後から? 違うね、後から出たのはお前の方だ。俺はずっと、この競争が始まった時からメシアを見つめてきた」


「はっは何それきもーい」


 ガリッ、と。


 砕けるのではないかと思うほど奥歯が噛み締められた音を聞く。


 泣語さんは今にも怒鳴り出しそうな形相で立ち上がり、帳君を凝視していた。


 それにたじろぐことをしない帳君は適当な笑顔でそこにいる。


 あぁ、止めなければいけない。私が蒔いた種は私が摘まねばならないのだ。


 その勇気を口から吐く前に、泣語さんの言葉が落とされた。


「君は知らないだろ。裏表のない正義に助けられる感動を。見過ごしていいものを見過ごさず、手を伸ばしてくれた優しさを。業火の中から、火刑の中から救ってくれた彼女は俺の光だ。たった一つの強く眩しい光がメシアだ。それを後から出てきたお前が掴んでいい筈がない。メシアを汚すお前は彼女に相応しくない。だから俺はお前が嫌いだ。お前達が嫌いだ。メシアを泣かせる者全てがうとましい。俺の光りを、俺だけの救世主を、その心を砕こうとする者を俺は許しはしないんだ」


 火刑と言う単語で思い起こしてしまうのは、ヴァン君とメネちゃん。


 笑顔は弾け飛び、熱さは喉を焼いて、呼吸が苦しくなる。


 そして火刑と聞き、顔色を変えたのは帳君もだった。


「あぁ、お前、氷雨ちゃんが助けたっていうルアス軍の戦士か」


「助けたの? 氷雨」


 翠ちゃんに確認される。私はぎこちなく頷いて顔を下に向けた。


「……ルアス軍が、初めてアルフヘイムに来た日に」


「そうです。あの日から俺は、貴方を生かすと決めたんです」


 あぁ、そんな覚悟を決めないでください。


 だから私は顔を上げて思いを吐くのだ。


「違う、あれは間違いだ。泣語さん、貴方と私は敵なんです。だから私を生かそうなんて思ってはいけないし、貴方をあの日助けたのは私のエゴだ。正しくなかった、助けちゃいけなかった。だって私は勝ちたいと思っていて、私が勝てば貴方は死んでしまうのだから」


「それでいいんです」


 泣語さんは満面の笑みでそこにいる。


 何も間違いは無い主張する空気に圧倒されそうになって、私は呼吸の仕方を思い出していた。


「メシア、言った筈です。貴方は正しい、貴方だけが正しいと。俺が何より望むのは貴方の生存だともお伝えしましたよね? あぁ、大丈夫です、何度でもお伝えします。貴方が許す限り、俺の戯言に貴方が耳を貸してくださる限り。ねぇメシア、ルアス軍が勝ったところで、その世界に貴方がいないならば意味は無い。そんな世界を俺は認めない。だから俺は貴方に手を貸すのです」


 泣語さんは幸福を満喫するような顔で言葉をくれる。そこに淀みはない。淀みがないからこそ、恐ろしい。


 いいや駄目だ、恐ろしいだなんて思うな氷雨。お前の尺度で相手の覚悟を測ってはいけない。だってこれは彼の宣言だから。


「生きてください、メシア。俺は貴方が生きてくれている世界が好きだ。その為ならば、俺は喜んで死を受け入れる」


 ――ありがとう、ヒサメちゃんが手を治してくれたから……僕は遅れず、種を植えることが出来たんだ


 違う。


 ヴァン君の笑顔と、目の前の泣語さんがダブって見える。


 気づけば私は冷や汗をかいて、締め付けられた喉から言葉を絞り出していた。


「死なせる為に、助けたんじゃないッ」


 指先が震える。


 目の前の景色が揺れ動く。


 肌は焼けていない筈なのに、熱くて熱くて堪らない。肺が焼かれて、鼓動は今にも心臓を破裂させてしまいそう。


 奥歯が微かに鳴っていて、身体中から冷や汗が吹き出した。


「泣語さん、違う、違うんです。違う、違う、私は、死なせる為に助けたんじゃない。違う、なんで、なんでみんな、そうやって、ッ」


 ――怪我、しないでね


 ――貴方に、幸あらんことを


「生きていて欲しいから、私は手を伸ばしたんだッ!」


 過去の映像を払いながら泣語さんに伝える。今にも叫び出しそうになりながら。


 いいや、もう叫んでいて、帳君達の目が微かに丸くなっているのが見える。


 彼らを見ていられない私は、目を固く瞑るのだ。


「だから、死んでもいいだなんて言わないで……ッ、正々堂々、競って、壊して、壊されて、それで決着をつけないと、この先の人生なんて歩めない」


 苦しい、苦しい……苦しいよ。


 早蕨さん達は、共に手を取り合って終わることが出来る道を探している。


 兄さん達は、確実にこちらの戦力を削いで、揺るぎない勝利を求めている。


 海堂さん達は、まだ競争をしなくていい方法を探しているのかな。兵士達を疎ましく思う態度を貫いているのかな。


「あぁ、やはりメシア――貴方は光だ」


 そんな言葉に釣られるように目を開けて、泣語さんを見上げる。


 彼はどこまでも優しく、温かく、微笑んでいてくれたから。この胸の苦しさは晴れたりなんかしないのだ。


「俺はずっと貴方を見てきました。本当に時々だけでも何か手伝えたらよかった。貴方は俺なんて忘れるべきだと思ったから、姿を現す勇気はなかったんです。それでも、ずっと優しい貴方は敵にまで心を配ってしまうから」


「泣語さん」


「メシア、分かりました。俺も生きることは諦めません。それでも、貴方の味方でいることを許してくれませんか。俺は貴方の為に戦っていたい」


 泣語さんは笑ってくれる。笑ってくれるのに、安心出来ない。


 それが不安でどうしようもないと諦めそうになると、私の目を後ろから塞ぐ手があったんだ。


 何も見えなくなる。何も分からなくなる。


「いいよ氷雨ちゃん、こんな奴放っておこう。さぁ、次はどこに行こうか」


 声がする。私を駒という彼の声が。


 それに安堵を覚える私は、一体どこから道を間違ってしまったのか。


「……私の意見で、いいんですか」


「あぁ、勿論。君の心配症とチートメモ、頼りにしてるからね」


 あぁ、そうだ、そうだよ。


 考えよう、氷雨。明日を生きる為、明日を無事に過ごす為。不安を消す為に。


 そう、そうだ、気になっていたことがあるではないか。だから、あそこに行きたいと思うんだ。


「探求のシュスへ……行きませんか」


 出した言葉が震えないように心掛けて、私は帳君の手の甲に指を添えていた。



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