第107話 同担


 帳君と劇的な目覚めを経験した後、私は額を押さえながら笑っていた。帳君の驚きようを見た限り、彼は私以上に驚いたに違いない。申し訳ないことをした……。


「おはようございます帳君。すみません……」


「……いや、俺こそごめん」


 帳君に謝られて言葉を探す。貴方は悪くないのだと。


 しかし、それより早く「あんた誰」と帳君の目は泣語さんに向かっていた。


 泣語さんは「はじめまして」と笑顔を浮かべる。


 その柔和な笑顔は好感が持てるのに、どうして私は不安になるのだろうか。


 分からないまま泣語さんと帳君で視線を往復させてしまう。


 暫し無言の空間が出来上がり、先に口を開いてくれたのは泣語さんだった。


「君は結目帳君だよね。知ってるよ」


「そりゃどうも、俺も有名人になったもんだね」


「見てたから」


「ストーカーかよ。話を逸らそうとしてるっぽいけど俺が聞いてんのはあんたの名前だからね? 名乗れないなんて無しだよ」


 帳君の顔に笑みが浮かび続けている。口角が歪に上がって、目は相手を探ろうとするような、そんな色。


 兄さん達と話してた時も私と初めて会った時も同じ顔をしていたから、これは彼なりの通過儀礼的なあれだろうか。


 そんなことを考える間も泣語さんは自分の名前を名乗らない。ニコニコという効果音がつきそうな表情をするだけで口は閉ざされていた。


 どうしたのだろうか。私達には教えてくれたのに帳君には名乗れない? その理由は? 駄目だ、私に泣語さんの心は読めない。


 だから答えが導き出せないし、一緒にいる時間が短すぎて仮定だって立てられない。私が紹介しては駄目だって警鐘を鳴らしているこの感覚は何だろう。


 帳君の空気が泣語さんを怪しんでいるような、重たいものであると察する。


 泣語さんは不純なものなど一切ないような軽いものなのに、この激しい温度差は体に毒でしかない。


 私は帳君に目を向けて笑ってしまった。


「ぁの、帳君、この方は帳君の火傷を治す手伝いをしてくださった方でして……」


「俺がそいつに手伝ってなんて言った?」


 満面の笑顔で言葉が返ってくる。それに私は肩を跳ねさせてしまい、口角が上がったまま髪の一部を引いた。


 ひぃちゃんは首に尾を巻いてくれて、らず君は淡く光ってくれる。


 あぁ、そう、なるのかな。私は帳君の手を治したくて、傷跡が残る事とか血が滲み続けるのとか、目を開けてくれないのとか。心配で、治って欲しくて、らず君を頼って、それでもカバーしきれなくて、泣語さんはフォローをしてくれて。


 怖くなる。


 間違えたことが見つからなくて、勝手に自分で「正しいこと」だと判定していた不安が肺の中に蔓延まんえんする。


 そうだ、正しいと思ったのは私の基準だ。でも、だったら帳君はあのままにしておいて欲しかったのか。


 それでは必死になってくれたりず君やらず君の行動が無駄に。でも、ぇ、あれ、だって帳君は――


 ――ずっと、俺、死にたかったんだよね


 ガルムの洞窟を思い出す。


 命の鉱石を思い出す。


 その前で彼は笑っていた。


 心臓が握り潰されたような痛みを叫んで、自分の余計な指示に嫌気がさして、りず君達にも泣語さんにも申し訳なくなる。


「ご、めんなさい……」


 髪を引きながら、笑ったまま謝罪する。


 指先が震えている気がして、りず君とらず君が痛がった気がした。


 帳君と目が合う。


「あぁ、いや、氷雨ちゃんは、」


 瞬間。


 緑の蔦が帳君を攫った。


 一瞬の出来事。理解出来ない間に帳君が木に激突する音と、何かが軋む音を聞いたのだ。


「帳君ッ」


 視線の先には口や手足が蔦によって絡め取られ、身動きが取れなくなっている帳君がいた。


 リフカ。


 理解して泣語さんを見る。


 彼は無表情のまま、目の前の地面からはリフカが伸びていた。


「泣語さん!」


 止めて欲しくて、りず君が瞬時にハルバードになってくれる。


 刃でリフカを叩いても束になった植物の一部しか傷は入れられず、冷や汗が流れるのだ。


 固い、切れないッ


「メシア」


 呼ばれる。それを自分の代名詞だと思いたくないのに。泣語さんの崇拝してくる声は、否が応でも私に向けられていると分かってしまう。


 ハルバードを握り締めて泣語さんの方を向けば、彼は穏やかに笑っていた。


「彼は貴方に相応しくない」


 思考が停止する。


 泣語さんの言葉の意味が分からなくて、ハルバードを握る手が震えた。


 泣語さんは満面の笑みを浮かべて、私の足元がぐらついてしまう。


「ぁの……何、言って……?」


「そのままの意味です。メシア、貴方は優しい」


 止めて。


「その優しさに彼は付け込んでいる」


 止めてよ。


「彼は貴方の心配になんて見抜きもしない。今はどうでもいい俺に構って、後の仲間のことなんて考えてない」


 お願いだから。


「メシアは彼に良いように使われているだけです」


「止めろよッ!!」


 ハルバードであるりず君が口を作って叫んでくれる。私は自分の心音が耳奥で響くのを聞いて、両手でパートナーを握り締めた。


 ――いいように使われているだけ


 知ってる、知ってる、そんなの知ってる。知ってるから、だからお願い。その現実を突きつけないで。


 ――大丈夫だよ、凩ちゃん。君の性格も言葉も俺は美点だと思うから。そのままでいいよ、俺が許す


 青空の中を思い出す。帳君が笑った顔は、くれた言葉は色褪せない。


 彼にとっては何でもない言葉も、何も意図していない言葉でも、その言葉だけで私は着いていこうと決めたのだ。


「知ってます、知ってますから……私はそれで良いんです」


 言葉を絞り出す。振り返って帳君を見るのが恐ろしい。


 彼はどんな顔をしているのか想像できなくて、不安が私の足を地面に縛り付けた。彼を離してくださいと渇いた口は言ってくれない。


 泣語さんは少しだけ無表情になって私を見下ろしてくる。


 その足元から生えていたリフカは不意に緩んで地面へ返っていき、残ったのは小さな種だけだ。殻も割れていない。


 便利で万能な能力だな、なんて。


 泣語さんは綻ぶように笑って種を拾い、「メシア」と声をかけてきた。


「良くないですよ」


 肩が引き攣る。


 泣語さんは穏やかに穏やかを重ねた笑顔で近づいてきた。


 それが怖くて、不安で、怖がってはいけないと頭は言うのに奥歯が鳴ってしまいそうになる。


 ごめん、ごめんなさい、泣語さんごめんなさい。


 手が伸びてくる。


 その手は少しだけ私の髪に触れて、喉が締まった。


「俺のメシア、俺だけの光。俺は貴方に笑っていて欲しくて、不安がらないで欲しいんです。その為ならば、俺は貴方に不安の種を与えるものを根絶やしにしてみせる」


 呼吸が震えそうになる。


 不安の種ってなんだ。不安になるのは私が弱いからで、勝手に気にするからってだけだ。言うなれば私が不必要なものまで拾ってしまうのがいけないのであって、それに周りは関係ない。


 お願いだから私の心を乱さないで。私に執着しないで。


 泣語さんは私に触れていた手を引き、空いていた片手でその手を握り締めた。守るように、加護するように。


「あぁ、俺なんかが触ってしまいましたね。汚れていませんか? メシア」


 言葉とは裏腹な表情。恍惚としたって、きっとこの顔を言うんだ。


 後ずさりたくなって、たかだか髪を指先で触られた程度で汚れる訳がないと頭の中で疑問が回る。


 私では予想打にしないことを泣語さんは心配して、それに見合わない表情をするんだ。


 あぁ、怖い。


 確かに私は思ってしまう。


 それは違うと、申し訳ないと、私の本能と理性が喧嘩する。


 ひぃちゃんは必死に目を瞑って、りず君は今にも叫び出しそうだ。


 私は奥歯を噛む。


「ごちゃごちゃと、うるっさいなぁ」


 声がする。


 柔らかく後ろから手が伸びて、それは私を抱き締めた。肩からひぃちゃんが離れていく。


 その意味が分からなくて目を瞬かせてしまう。


 それでも私の震えていた心臓は、確かに落ち着きを取り戻していった。


 視界に茶色い毛先が入ってくる。


 緋色が彼の肩に留まっていた。


「俺の駒を怖がらせんの止めてくれる? サイコ野郎」


 帳君の声が頭の上から降ってくる。言葉は平坦で、泣語さんを嘲笑うように飄々ひょうひょうとしているのに、私を抱き締める腕は振り解けそうになかった。


 泣語さんの顔から笑みが削げ落ちる。


 彼は目を細めると、帳君を眼光がんこう鋭く見つめていた。


「これは敬愛だ。お前如きがメシアに触るな」


「はっ、笑う。今の一連見てて誰がお前を正常だと思うよ。それは敬愛じゃなくて狂愛だろ、頭煮えてるんじゃない?」


「また締め上げられたいか。何も出来ない利己主義者が」


「次は窒息死させてやるよ、盲信者」


「泣語さん、帳君」


 震えてしまった手で帳君の長袖の裾を引く。


 すると帳君から滲み出ていたチグハグの感情はなりを潜めていき、頭に頬を寄せられたのを感じた


「ごめんね、怖がらせた。大丈夫。これからどうするか考えようか」


 優しい声だ。


 最近ずっと聞かせてくれていた、チグハグしていない彼の声。


 それが私に安堵を与えて、肩から力が抜けていった。


 口からは震える吐息が零れていき、りず君は針鼠に戻ってくれる。


 帳君の肩に移動したひぃちゃんは深呼吸をして、私はりず君を撫でていた。


「……はぃ」


 何故だか泣きたくなってしまう。頭の中がぐちゃぐちゃになる一歩手前って感じ。


 私が思う正しさなんて、所詮は私の尺度だ。それを誰かに押し付けてしまうのが嫌なのに、そもそもこの競争自体が押し付け合いの権化ごんげだとも思う。


 あぁ、苦しいな。


 静かに息をして帳君の手を叩く。離して欲しいという合図だ。


 しかしながら帳君が離してくれることはなく、逆に腕の力が強まるという現象。何故だ……。


「帳君、逃げません、ここにいます。だから離していただけません、か? ……あ、もしかしてどこか痛んだり?」


 人の行動が読めなくなると不安になる。


 別に生きているもの全員の考えが吹き出しになって読めたらいいなんて思わないけれど、こう、喋ってくれない時に困るのだ。


 まだどこか痛いですか。


 まだ本調子では無いですよね。


 翠ちゃんを、祈君を、梵さんを取り返しましょう。


 帳君は私を抱き締め続けた。


「そうだね、少し痛いかも」


「ぇ、ぁ、ぇっと、らず君をお貸しします、ね。あの、どこが痛いですか?」


 私の肩にいたらず君が帳君の方へ移動していく。


 帳君はどこが痛いかは教えてくれず、私から腕を離していった。


 らず君が淡く輝き、火傷痕の残った手で帳君は私のパートナーを撫でてくれる。


「らず君ありがとう、ごめんね急に」


「いや、痛いって言ったの俺だから、それ俺の台詞ね」


 私の独断で帳君に移動してもらったらず君に言葉を送る。そうすれば無表情に帳君は言い、らず君の額をつついた。


 ごめんなさい。駄目だな、直ぐ自分のせいだと思って謝るの直そう。いや、でも実際私が何かしら悪い気がしてならないと言うか、顔が勝手に笑うと言うか……どうにかならないものかな、これ。


「氷雨ちゃん、ありがと。火傷治って助かった」


 不意に頭を撫でられる。


 虚をつかれた行動に私はフリーズしてしまい、暫し現状理解に頭を回した。


 その間に帳君は泣語さんと冷ややかな眼差しで会話をしていたようだが、如何せん自分の感情というか、驚きに対処しきれてないので言葉が抜けていくのです。


 いいや駄目だぞ、意地でも戻れよ凩氷雨。


「怪我を治してくれたんだったね、泣語さん。どーも助かりました。じゃぁねバイバイ、ルアス軍」


「勝手に人の名字を呼ばないで欲しいところだな。と言うより、君の方こそ何処かに行ってくれて構わないよ。俺はメシアを助ける為にここに来たから」


「そのメシアって気持ち悪いよ? 何があったか知らないし知りたくもないけど、鳥肌立つから失せろよ敵軍」


「俺はメシアを勝たせる手助けをしてるんでね。次は仲間の奪還だよね? 俺とこんな話する前に行動を起こした方がいいけど」


「ルアス軍は信用ならないから、あんたがいなくなってから作戦会議するんだよ。分かったら何処へなりとも行ってくれる?」


「メシア以外の仲間にそこまで執着してない癖に。俺がいなくなってからメシアを言葉で脅そうとしても、そうはさせないよ」


「勝手に勘繰るなよ鬱陶しい。あんたがいたって何が出来るわけでもあるまいし」


「メシアが望めば俺は何だって成し遂げるさ」


 うっわ怖……。


 自然と口から漏れそうだった言葉を飲み込む。目の前で繰り広げられる会話は余りにも棘がありすぎて怖いぞ。


 なんでこの二人、出会って数分でこんなにも言い争いが出来るんだろう。


 分からない私はりず君に旗になってもらい、帳君と泣語さんの間で振っておいた。


 翠ちゃんや祈君のように棘ある言葉で止めることも、梵さんのように穏やかな声で止めることも出来ない私の小さな足掻き。


 ハルバードを振り下ろしてもよかったが、火に油を注ぐというか、冷気に水を加える勇気はない。燃えるというか凍える。


「止めろよ馬鹿野郎共〜」


「埒が明かないですね」


 旗のりず君と呆れたひぃちゃんが言っている。


 私は苦笑してしまい、なんとか声を絞り出した。


「時間は有限です、ので……作戦会議を致しませんか?」


 とても、とても、自信が無い。


 翠ちゃん達が恋しくてならないなんて、どれだけ弱くなっていたんだろう。


 頑張れ氷雨、折れてはいけない。


 言い聞かせて、言い聞かせて、旗を振る。


「分かったよ」


 帳君は息をつきながらこちらを見てくれて、嬉しいですね。耳を傾けてくれる貴方のスタイル、とても好きです。最初はこんな関係にはならないって思っていたのにな。


 瞬間、泣語さんが膝から崩れ落ちて顔を覆っている。


 突然の状態に驚いた私は「泣語さんッ!?」と声をかけてしまった。急に体調不良にでもなりましたか。


 思ったけれど、泣語さんから返ってきた言葉を聞いて心配しなくても良かったかもしれないと思うのだ。


「メシアが尊いッ」


 えぇ……。


「氷雨、こいつ頭おかしいぞ」


「りず君……」


「俺、同担拒否過激派なんですよ……あぁぁぁ、メシア〜……」


「えぇ……」


「奇遇だね。俺も同担拒否過激派なんだよ、だから失せろ」


「意味が通じるんですか、帳君……」


 同担拒否過激派……タガトフルムに無事戻ったら調べよう。


 別段体調を崩されたわけではなさそうな泣語さんに私は安堵する。


 安堵する時点で情が移っているのかもしれないが、心配してしまった後に思ってもどうしようもない。


 それから帳君は泣語さんに対して無視を決め込むことにしたらしく、私は始終髪が揺らされていた。


「問題はあいつらが雛鳥兄の影の中にいることだよね」


「そうですね……あの中がどうなっているのか分かりませんし、影をまず開けてもらわないことにはどうしようもない気が……」


 頭を捻って考える。


 考えて、話して、敢えて天園からは離れて行くことにした。


 三人を取り戻す為に戻ることに変わりはないが、同じ場所に留まっていても解決なんて出来ない。


 奪還する為に戻って来ると時沼さん達は考えてあまり天園から離れないのではないかと、帳君と意見が一致したからだ。


 影を開けさせる方法。


 三人を取り戻して鍵を壊させない方法。


 どちらかを手放さなければ何も得られないなんて、それは余りにも耐え難い。


 友達を取り戻す。


 私達の可能性だって潰させない。


「あぁ、そうだ」


 不意に笑った帳君。


 彼は楽しそうに口角を上げて私を見下ろしていた。

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