第106話 火傷
泣語さんと共に行動すると決めて歩くこと数分。
私達はペリの天園下の地面を横断し、帳君とりず君が落下したであろう場所にやって来た。
そこは木の枝がいくつか折れているが周囲に人影はない。
太陽を見上げたがまだ高い位置にあり、時間はありそうだと判断した。
それでも時間をかけてはいられない。
特に足跡や引きずった後が地面に残っているわけでも無いので、どちらに進むかは勘と言うことになるな。不安だ。頑張れ自分。
目を伏せてりず君を探す。彼の気持ちを探す。
方向までは分からないが、彼の状態なら分かると信じて。
少しして微かに引っかかったのは、今にも消えてしまいそうなりず君の感覚の糸。
心配そうに揺れている、泣き出してしまいそうな感覚。
確かにそれは私に伝染し、彼を早く見つけたいと言う焦りと無事で良かったと言う安堵が胸の内で喧嘩した。
「りず君」
「私が飛ぶ……と目立ってしまいますね」
「だね……」
肩に留まってくれているひぃちゃんの頭を撫でる。
二手に別れて探すか。鍵はお互いに分けておいて、何分後にまたここに戻るか決めておいて。
アミーさんによるとこの場所は「スケルトンの林」と呼ばれ、住人さんは実態がない透明な四足の方々なのだとか。
――普通に見えないし声も聞こえないから、本当にいるのかどうか怪しいとこだけどね!
彼らは見えない、声は聞こえない、体に触れられない。
そんな三拍子揃った相手を「そこに居る」と定義するにはどうすればいいのかと思うが、私がそんなことを考えてもどうにもならないとも悟る。
だから前だけ向いて、誰もいないように見える林の中を歩いてきた。
ひぃちゃんはペリの天園を気にしながら宙を浮遊し、首では三本の鍵が揺れている。私が叩いてもヴァラクさん達は現れないと数分前に学んだ。
アミーさんは「三人とも無事だよ!」と言ってくれたが、不安というのは尽きなかったりするんですよ。
「私はあちらを見てきますね」
「ありがとう、私は反対を、」
「メシア、見つけました」
ふと、動作を起こす前に答えをくれた泣語さん。
彼は近くの木に触れて、伏せていた目を今開けたようだ。
目を丸くしてしまった私は言葉の意味を考える。
見つけました。誰を。いや、この場での「誰」なんて野暮すぎる。
「……帳君とりず君をですか?」
「はい、連れてきますね」
笑う泣語さんは鞄の外ポケットから小さな粒を取り出した。それを種だと判断し、彼が種を放り投げた姿を私は見つめていた。
種が光って殻が割れ、緑色の蔦が有象無象に生えてくる。
種から育つ蔦植物なんてあるのか。いや今気にするべきではそこではない。
「これはアルフヘイムで見つけた植物で「リフカ」と言うんです。伸びようと思えばどこまでも伸びて、絡まった繊維が耐久力を上げているんですよ。花は咲かさないのですがこの緑色も綺麗ですし、重宝してるんです」
嬉々とした顔で泣語さんは説明をしてくれる。私は頬を引き攣らせながら、うぞうぞと言う効果音が合う動きをする植物を凝視した。
「凄いですね、見つけたのも植物を通してですか?」
聞けば、彼は溶けるのではないかと錯覚するほど顔を緩めて「はい!!」と返事をしてくれた。
どうしよう、泣語さんの腰の辺りで犬の尻尾が勢いよく振られている幻覚が見える。
私は冷や汗をかきながら苦笑するのだ。
「俺が触った木と根が絡まっている木を通して遠くを見ました。もちろん今伸ばしているリフカでも見えます!」
「す、凄い……」
元気いっぱいと言った感じで説明してくれる泣語さんに、先程と同じ言葉を送ってしまう。
顔に笑顔の花を咲かせた彼の頭には垂れた犬の耳が見えた。……目が疲れてるなぁ。
泣語さんは幸せそうに笑って、不意にリフカの成長は止まる。彼と私の顔が揃って植物に向かった。
美しい緑のそれは猛スピードで何かを引っ張り、私の鼓膜に男の子の悲鳴が徐々に聞こえてきた。
今までずっと聞いてきた声。
私の肩に乗って、叱咤し、笑ってくれたパートナー。
大きくした体に帳君を乗せたりず君。彼は四足を地面に突き刺し、激しい抵抗を見せながらリフカに引かれていた。
「んじゃ、こりゃぁぁぁぁ!!」
「りず!」
「りず君!」
叫ぶりず君にひぃちゃんと私が声を投げる。
足は自然と動いて、必死の形相のりず君と目を合わせたのだ。
「ひぃ? 氷雨!」
声が弾んだりず君よ、足の力は抜いては駄目だったかもしれない。
思う間にりず君の足から力が抜けて、必死に彼を引いていたリフカの勢いのまま茶色が宙に投げ出された。
釣れた大魚。
そんな連想と共に、投げ出されたりず君が降ってくる。
「うぉあ!?」
「氷雨さん!」
「ひぇ……」
変な声が出て、少し遅れて体が避ける体勢に入る。
その時りず君が支えている帳君の姿が見えて、意識が戻っていない彼が不安になった。
りず君がこのまま背中から落下すれば、帳君がプレスされるッ
「りず君!!」
気づけば私はりず君の下にいて、肩に掴まっていたらず君とひぃちゃんの爪が服越しに食い込んできた。
「氷雨!!」
りず君の足が伸びるけれど体勢が立て直せていない。
それを確認している内に私は手を広げて、帳君とりず君を見つめるのだ。
目の前を茶色が埋める。
もう少しで、触、ッ
思った時、視界を一気に緑が埋めて顎から冷や汗が落ちた。
「ご無事ですか? メシア」
泣語さんの声がする。
私の頭の少し上では、蔦が幾重にも交差して出来たネットにりず君と帳君が入っていた。パートナーは元の針鼠へと戻ってくれる。
大丈夫、怪我は増えてない、大丈夫、大丈夫だよ。
言い聞かせて泣語さんの方を向くと、彼は青くした顔で眉を下げていた。
あぁ、心配させてしまった。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます泣語さん」
顔が笑って、泣語さんに感謝を告げる。
瞬間、顔いっぱいに明るい笑みを携えてくれた彼は何度も頷きながら植物を操っていた。
ゆっくり二人が下ろされ、力無く地面に倒れ込んだ帳君に近づく。
見えた彼は冷や汗をかいて目を閉じており、左掌は赤く
私は帳君の近くに膝を着いてりず君を腕に抱く。パートナーは「氷雨、氷雨」と何度も私を呼んでくれて、口角が上がるのだ。
「りず君ごめん、ありがとう、無茶なお願いしちゃったね」
「いいや、俺はいいんだ。でも、帳が、帳が起きねぇのは、本当に怖くてよぉ……」
泣き出してしまいそうなりず君は何度も鼻を啜っている。私は頷いて、らず君が肩から飛び降りていった。
硝子の彼は帳君の左手近くに擦り寄って、淡く光り始める。
輝いてくれる彼の補助が帳君の掌に集中し、治癒しようとする力が働いていた。
しかし、この火傷は兄さんの静電気が起こしたもの。いわば雷に打たれたと言っても過言ではないだろう。
赤い爛れは帳君の掌全体に至っており、触れれば酷い痛みを与えてしまうだろうと言う恐怖で手が震えた。
冷や汗をかいた帳君の顔は青白くて、顔に張り付いた髪を払っても彼は目を開けない。
目の下に薄くも存在する隈になんて今まで気づかなかった。なんて、今気づいたってどうしようもないだろ。
彼はいつも、私を駒だと言いながら守ってくれる。
時々、もう駒だと思っていないのではと思わされる彼の態度が心地いいから。私は弱くなってしまいそうになるんだ。
どうか目を開けてと願い、帳君の頭に手を置いておく。
青白くなっても温かさがある彼に
違う、氷雨、今は自分のことを考えるな。
頑張ってくれているらず君を、頑張ってくれたりず君とひぃちゃんを、頑張って欲しい帳君を想えよ。
私は震えるりず君を抱き締めて「ありがとう」を絞り出した。
「頑張ってくれて本当にありがとう、りず君。ひぃちゃんも」
「氷雨の為だかんな」
「氷雨さんのお願いですから」
二人の答えに鼻の奥が痛んでしまう。
いつからこんなに自分は弱くなったのかと
「らず君、ごめん。それでもどうか、頑張って」
らず君が笑ってくれる。
色々なことを経験して、一度砕けた彼は他の人への補助も上手くなった。
それが嬉しくて、誇らしくて、それでも無理をしていないのかと心配になる。
もう二度と君を砕いたりなんかしない。砕かせないほど強くなると決めたんだ。
決めたのだから泣きごとを言うな、氷雨。
お前は自分のことばかりで、もっと強く、優しく、勇敢にならねばならない。
らず君を撫でた手を再び帳君の頭に置く。
少し呻いた彼に驚いたけれど、見ると掌の火傷が緩和され始めていた。
皮膚の下が見えて、固まりかけていた赤が薄くなっていく。
その流れを見つめた私は帳君の頬に触れた。汗で冷えてはいるが、人としてあるべき体温は確認出来る。
大丈夫、治る、治るよ帳君。だからどうか、目を覚ましてください。
願っていれば、帳君の向こう側に膝をつく影がある。
見上げれば、泣語さんがどこまでも優しく笑ってくれていた。
「メシア、俺もお手伝いします」
泣語さんの鞄から出てきた種は輝いて開花する。
細い茎に白い花弁の小さな花は綺麗で、私は何度も目を瞬かせてしまうのだ。
「その花は……」
「これはアルフヘイムでも珍しいって言われてるらしい「イーリウ」という花です。この花はどんな怪我だって吸い出してくれる」
「吸い……?」
らず君の光りが若干弱くなり始め、私は硝子の彼の頭を撫でる。
泣語さんは優しく笑って、白い花弁を帳君の掌に近づけた。
すると、白い花弁が薄い赤に色づく様が目に映る。
それに驚いていると花弁はどんどん濃い赤に染まり、帳君の掌の傷は段々と小さくなっていった。
私はその光景に感動してしまい、りず君が腕の中で感嘆の感想を述べている。
「う、おぉぉぉ……すっげぇなこの花」
「ありがとう」
「おう、あ、俺はりずだ。お前ってフォーンの森にいた……」
「うん。泣語音央だよ。よろしくね」
泣語さんは穏やかに笑い、イーリウの花弁は赤黒く、重たそうに頭を垂れていく。
それに比例して帳君の掌の傷は塞がっていき、らず君が再び輝いてくれた。
泣語さんがイーリウを帳君から離す。
らず君は今までで一番強く輝いてくれる。
その光りが止んだ時、帳君には皮膚変色した掌が残っていた。
帳君の肩から力が抜けるのが見て取れる。
それに安堵して、頑張ってくれたらず君を私は抱き上げた。
「らず君、本当にありがとう、頑張ってくれて」
自然と緩む顔で伝えれば、らず君はやりきったという顔で笑ってくれた。
嬉しそうに針を揺らす彼は可愛らしく、私は針鼠の二人に顔を寄せる。
頬に擦り寄ってくれた彼らは心底楽しそうで、ひぃちゃんも顔を寄せてくれた。
あぁ、良かった、良かったよ、良かった。
「ありがとう、みんな無事で嬉しいな」
「だな。でも氷雨、もう無茶しすぎは嫌だぞ」
「うん、ごめんね」
「無事だったのですからもう良いんです。次に考えるべきは、帳さんがいつ目覚めてくださるかと言う事と、皆さんの奪取ですね」
「そう、うん、そうだ」
りず君に謝ってひぃちゃんの言葉を聞く。次にすべきことを教えてくれたお姉さんは私の背中に掴まり、りず君とらず君は肩に乗ってくれた。
さぁ、考えよう、まずするべきは――
「泣語さん、ありがとうございました。友達を助けてくださって」
泣語さんに頭を下げる。彼は私を助けてくれてばかりだ。
泣語さんは「そんな、メシア!」と慌てたように、私に顔を上げることを促してきた。
頭を上げると、安心したように泣語さんが笑ってくれる。
彼は散っていく深紅の花弁を透明な小瓶に受けて、茎や葉と一緒に蓋を閉じていた。その動作を視界に入れつつ、泣語さんの言葉に耳を傾ける。
「メシア、俺は貴方の為なら何だって出来るんです。だからどうか俺に頭を下げないでください。俺は貴方の笑顔を見ていられるだけで十分だ」
きっとそんな表現が正しい顔で泣語さんは笑ってくれる。
その笑みに何故だか私は鳥肌が立ってしまい、酷く不安定な気持ちにさせられた。
泣語さんが何を考えているのか分からない。それでも彼は良い人で、だから怖がってはいけなくて、叫び出しそうなりず君の口を塞がなければいけないのだ。
私の肩で、怯えを隠す為に威嚇しようとしていたりず君の額に指を置く。
「そう、なん、ですか」
片言の言葉を紡げば、泣語さんは何も気にしないと言うように、何故だか嬉しそうに頬を高揚させていた。
あぁ、このあと一体どんな言葉を続ければいいのだろう。
分からなくなっている時、低い呻き声を聞いた私は慌てて下を向いた。
倒れている帳君のまつ毛が揺れている。その顔を反射的に覗き込めば、上がった瞼の奥にある茶色い瞳と目が合うのだ。
「……」
「帳君!」
目を開けてくれた。
それが嬉しくて、ぐらついていた心が一気に晴れ渡る。
「ッ」
晴れ渡っていたのに、弾かれるように帳君が体を起こすから。
いや、私が近づき過ぎて、しかも避けなかったから。
帳君と私の額が喧嘩する。
低い音と鈍い痛みが響き、林の中にはお互いの悶絶が這っていったのだった。
「め、メシア!」
すみません、泣語さん。貴方がメシアだと言う女は頭突きを避けも出来なければ、喜ぶ時の距離感も麻痺した奴なんです。
恥ずかしさで、顔に熱が溜まるのが感じられていた。
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