第98話 迷走

 

「う、ぅおおお!? お前何だ急に、青、ば、は、はぁ!?」


 アミーが目の前に現れた時。見るからに大慌ての状態に陥った縁はまず、元来た道を引き返そうとした。しかしアミーはその行先に再び転移し、縁は仰け反りながら驚愕の色に顔を染める。


「な、今、俺、あ!?」


「落ち着いてよ、松風縁君」


「お、ぉお、お前誰だよ!?」


「僕はアミー。タガトフルから来た兵士だよ」


何処どこだよそれ!! 聞いたことねぇ国だなぁ日本語上手い!!」


 アミーは、自分を指したまま騒ぐ縁に嘆息する。長年兵士をしてきたが、ここまでややこしく騒ぐ戦士は初めてだと感想を抱きながら。最後には流暢りゅうちょうに聞こえさせている言葉を褒められるとも思わずに。


 アミーはピアスを付けていない縁にも言葉が通じるよう、喉にまじないをかけている。それが無ければ意思疎通など不可能だ。


 耳にも細工をかけて縁の言葉が分かるようにしているアミーは、未だに騒いでいる少年をスルーしていた。


「説明するよ、聞いてね松風縁君」


「あーあーそうだな説明してくれ!! お前誰だよ道にでも迷ったか!? 交番行くか!?」


 耳に響く声を上げて訴えている縁。アミーは路地の出入口から人の目が集まることを警戒して縁の二の腕を掴んだ。


「うおぁ!?」


「君、想像以上にうるさいから予定変更」


「な、は、はなッ!!」


「ディアス軍兵士、アミー、アルフヘイムへ」


 アミーは縁を無視して言葉を呟く。騒ぐ縁はそれを聞き取れず、黒い穴に沈み込んだアミーに引きずられた。


 縁は抗議の声を上げる前に黒に沈み込み、肌を撫でる生温なまぬるさに鳥肌を立てていた。


 アミーと縁は揃って夜空から吐き出される。


 縁は全ての悲鳴を飲み込み、締まった喉からは空気が漏れる音だけがした。


 少年の目に入ったのは宝石がちりばめられたような幻想郷。


 全ての物が闇の中でも光り輝くお話の世界。


 夜の黒すら恐ろしくはない果てなき夢の大地。


 縁は自分が落ちていると理解した瞬間、詰まっていた喉から思い切り叫び声を上げた。


 アミーの耳が叫び声の直撃を受ける。それに兵士は呆れながら転移し、ムリアンの岩石地帯へと着地した。


 着地したのだが――腕を掴まれている縁はまだ叫んでいた。目を固く閉じて、顔に冷や汗を浮かべて。


「ねぇ、着いたよ」


 アミーはうんざりしたと言う表情をし、縁は気づいたように目を開いた。


 それから自分の体や鞄を確認して冷や汗を拭っている。


 少年の腕を離したアミーは深いため息をつき、岩石の頂上から下を覗いた。そこではムリアン達が忙しなく岩山を掘り、鉱石を運び出している。


「朝早くからご苦労様だこと」


 アルフヘイムはまだ夜明け前。日のない時間から働くムリアン達は働き者代表だろう。


 アミーは思いつつ、周囲をより明るくする為に青い炎を縁と自分の周りに灯した。


 縁はまた情けなく驚き、アミーは息をついてしまう。


「そろそろ話、始めてもいい?」


「あ、えっと、ここどこです、か……」


「アルフヘイム。僕らの住んでる世界さ。松風縁君が住んでる世界と近くて、けれども決して交わらない世界」


 アミーはその言葉を皮切りに、変革の年の競争について語り始める。


 数十年に一度ある競争。二つの軍。生贄を六人集めて殺すか、生贄を救って祭壇を壊すか。


 縁は選ばれた戦士だと言うこと。毎夜タガトフルムの零時にこちらへやって来ること。さもなければ心を砕かなければいけなくなること。


「君は選ばれたんだ、ディアス軍の戦士に」


 アミーは縁に伝え、少年は始終固まっていた。


 兵士が話し終えれば縁の頬はぎこちなく笑みを浮かべ、その指先は震えている。


「戦士って……なぁ、これ、何だよ急に、俺ちょっとそう言うのは……」


「拒否権は無い。戦士を止めたければ生贄を集めて勝つか、祭壇を壊されて負けるか、今ここで逃げて死ぬか、そのどれかだ」


 (本当に?)


 アミーは自分の言葉に問いを投げかける。しかし残念ながら答えを与える者はおらず、兵士は手を握り締めるのだ。


 (きっと他にもやり方がやる。この子が生き残る方法が)


 アミーは自分に言い聞かせて縁を見る。


 少年は地面の一点を見つめて黙り、アミーは違和感に気がついた。


 恐怖している筈なのに上がっている口角。


 よくよく思い出せば、観察していた縁はいつも何かしらの笑みを浮かべていることが多い少年だった。


 だがここで、普通笑うものだろうか。


 アミーは今までの戦士を思い出す。皆顔を青くして狼狽うろたえるか、潔く全てを受けいれて真面目な顔をするか、はたまた選ばれる年齢の最年少に至っては泣き出してしまうか。


 いびつながらも笑みを浮かべていたのは炎羅くらいだったと、アミーはどこか懐かしむ感情を抱いていた。


 しかし、彼女と縁の笑みでは毛色が違う。


 炎羅は「面白そうだ」と笑っていたが、目の前の少年は絶望を受け入れない為に笑っているように見える。


 アミーは目を細めて、縁が口を開くのを見ていた。


「わ、かった」


 絞り出された了承の言葉。


 元より縁が戦士と言う肩書きから逃げられないことは決まっていた。しかし、飲み込んだ現実を無理やり笑顔で納得しようとする少年に、アミーは聞かずにはいられなかった。


「何を飲み込んだの?」


 縁は目を丸くしてアミーを見上げる。少年の視線の先にある薄水色の兵士は首をゆったりと傾けた。


「……別に?」


 冷や汗を流しながら笑う縁。その笑みにアミーは眉間に皺を寄せた。


 縁は目を逸らして明るい声を出している。


「俺結構、競走とか得意なんだぜ? 毎日走ってるし、体力あるし! 誰かを捕まえたとかそう言うのはしたことねぇけど……俺、まだ死にたくないんだ」


 自分の心臓の上を握り締めた少年は青い顔で笑っている。


 目に見える無理の仕方にアミーは苛立ち、縁に手を伸ばした。


 抵抗なく。


 縁の鳩尾に埋まったアミーの右手。


 少年は目を丸くし、口からは空気が音を立てて漏れていた。


「君は――炎と獣、どっちがいい?」


 低い声で聞きながらアミーの手は縁の心を掴む。


 ムオーデルのまじないをかけて縫われた手袋は、心を具現化して抜き出せるのだ。


 アミーの右腕が縁の鳩尾から抜け、喉を鳴らした少年は尻餅をつく。


 アミーは自分の右手を見て動きを止めた。


 視界に映っているのはり硝子のハート。


 そこにはヒビがいくつか入っており、ハートの中に溜まっている赤い液体が溢れてしまいそうだ。


 アミーは震える心を凝視する。それから呆然としている縁を見下ろした。


「硝子のハート、初めて見た」


「硝子の、ハート……?」


 縁は放心気味にアミーの台詞を繰り返す。つい数分前まではいつも通りだった少年の心臓は、今では破裂しそうなほど早鐘を打っていた。


 どれだけ感情を飲み込んだ所で、抑えきれない恐怖は少年の四肢の自由を奪ってしまうもの。縁はこれが夢なら覚めればいいのにと願望を妄想し、しかし口にすることは無かった。


 松風縁とはそう言う子だ。


 アミーは地面に座り続ける縁の前にしゃがみ、少年に硝子のハートを突き出す。縁は渇いた口内で必死に唾液を飲み込み、飛びそうな意識を繋ぎ止めた。


「それ、何……」


「君の心の具現化。ここから僕は君に力を与えるんだ」


 アミーは縁を見つめる。その炎の揺らぎのような片目は縁を射抜いており、兵士は「決めた」と呟くのだ。


「君の心に力を埋め込んでも砕けそうだし、心獣系にしよう」


「は、ぁ、は!?」


「まずは、中の赤い液体から一体」


 アミーは両手で磨り硝子を持ち、目を伏せる。


 ムオーデルの呪いがかけられた手袋越しにアミーの力を流し込めば、赤い液体は発光しながら抜け出ていった。


 液体は固形となり、大きなくちばしと翼が出来る。


 本来ならば黒鳥である筈のそれは深紅の毛並みで覆われており、ゆっくりと落ちる心獣を縁は慌てて受け止めた。


 その姿は大きなからすの身なりをしている。


「次に、ヒビから一体」


 次に磨り硝子に入っていたヒビだけが発光した。


 それは薄茶色の子兎に姿を変え、長い耳は力無く垂れている。兎特有の小さな尾にも生気はなく、まるで人形のような心獣を少年はまた抱えた。


「最後に、硝子から一体」


 三回目の発光は硝子本体から。ヒビの無くなっていたそれは形を変えて、薄茶色と対になるような子兎に完成された。


 触れれば壊れそうなほど淡く儚い子兎を抱き留めた縁は、自分の指先が震えているのを見る。


「これ、」


「うん。硝子のハートを一個の心獣にすると割れやすそうだし、三体に分けさせてもらったよ」


「ま……マジかよ……」


 縁の中で変革の年の競争が色濃く現実化されていく。どれだけ心の中で願ったところで、こうして抱いてしまった温もりは事実なのだ。


 縁は顔を上げ、立ち上がったアミーを見る。


 アルフヘイムの夜明けが迫っており、地平線の彼方かなたは徐々に明るく日が射し始めていた。


 少年は震える足を鼓舞して立ち上がり、アミーと肩を並べる。兵士は戦士を見下ろして、ピンで止められた髪を手の甲で撫でてみた。


 縁の目が丸くなる。


 アミーはゆっくりと目を伏せた。


「……ごめんね、こんな競争に巻き込んで」


「……え、」


「君が生きていられる方法を探すから。だからどうか、」


 そこでアミーの口が止まる。


 彼の喉から言葉は出てこず、肺の中は締め上げられるように痛んでいた。


 ――アミー


 頭の中に声が響く。


 薄水色の髪の生え際からじっとりと汗が滲み始め、アミーは背中に悪寒を感じた。


 弾かれるような勢いで振り返った兵士は反射的に千里眼で塔を凝視する。


「ちょ、大丈夫かよ」


 縁はアミーの顔の方に回りこみ、一気に顔色が悪くなった兵士を心配した。アミーは何とか呼吸を落ち着かせて縁の髪をまた撫でておく。


 それから少年の手を取って言葉を零した。


「ディアス軍、松風縁、タガトフルムへ」


 すれば空から黒い手が伸び、アミーは縁を空へと思い切り投げる。


 縁は突然のことに悲鳴も上がらず、成されるまま空に吸い込まれた。


 アミーは波紋が立った空を見つめて息を吐く。それからもう一度塔を見て転移した。


 地平線から朝日が射し込み、世界が起きる。


 アミーはそれを横目に塔に転移を完了し、中立者の部屋の前にいた。兵士は息を整えて扉をノックする。


「開いてるよ、アミー」


 抑揚のない声が入室を許可した。


 アミーは額にかいた汗を拭いながら扉を開ける。


 そこにいる中立者は桜の鉱石を撫でており、部屋を覆い尽くす歯車は今日も回り続けていた。


「アミー、まだ競争も始まっていないのに、どうして戦士をアルフヘイムに入れたんだい?」


 中立者がフードの奥から聞いてくる。


 アミーは丁寧な呼吸を心掛けた。


「タガトフルムではあの子と話が出来なかったからです。家庭環境や生活習慣から見て、アルフヘイムで話すのが最適かと」


「そっか」


 特に怒りや苛立ちと言ったものを感じさせない中立者の声。


 アミーは中立者を何十年ぶりといった単位で見ていなかったが、対面してしまえば腕を吹き飛ばされたのが昨日のことのように感じられた。


 中立者は鉱石から手を離して壁の一つの歯車に向かっていく。その歯車は少し動きがおかしく、アミーの頬をまた冷や汗が伝った。


「アミー、君はさっき戦士に何を言おうとしたのかな」


 中立者の顔は見えない。


 世界は起きていくのに、どうしてこの部屋はこんなにも寒いのだろう。


 そう、アミーは疑問を抱かずにはいられなかった。


「……さっきとは?」


「はぐらかすな」


 中立者の声が一気に低くなり、動きのおかしい歯車を握り締める。


 アミーは奥歯を噛み、この世界の神様から視線を外した。外さなければいけないと思ったのだ。


「君が生きていられる方法を探すから」


 アミーの台詞をなぞる中立者。


 兵士は一気に臨戦態勢に入り、部屋の温度が上がった。


「アミー、お前はどうして、そうやって俺に歯向かう。この競走は戦士あってのもので、どちらかの戦士は死ななければならない」


「違う。貴方はディアス軍の戦士を殺したいんだ」


 アミーは確信していた言葉を口にする。歯車はまた動きを不規則にして中立者の肩が揺れた。


 兵士は自分の周りに青い炎を出現させ、強い眼差しを向けている。


「ルアス軍とディアス軍の間にある規則の差。それを決めたのは貴方だ。貴方は元からルアス軍に勝たせて、ディアス軍を負けさせて!」


「だからルアス軍に戻りたい?」


「違う!!」


 アミーの話題とズレた返しをした中立者。


 アミーはこめかみに青筋を立て、中立者に向かって青い炎の弾丸を撃ち込んだ。


 しかしそれは中立者の前で蒸発して消えてしまう。当たり前だ。目の前のフードの生物はこの世界の神なのだから。一人の生物が神に立ち向かったところで、傷など負わせられる筈もない。


 アミーは舌打ちし、ふと右目に違和感を感じた。


 もう二度と光を宿さない目が疼く。焼いた肌が熱を持つ。


 フードの奥から、紫色の瞳がアミーを射抜いて離さなかった。


「アミー、お前は優しくなり過ぎた」


 アミーの呼吸が早くなり、火傷痕の温度が上がる。


 それは不意に青い炎を発火させ、アミーは床に崩れて絶叫した。


 中立者は兵士にゆっくり歩み寄り、アミーは右目を押さえる。


 そこからは遠い昔に止めた筈の血液が流れ出るのだ。


 右目を潰された時と同じ痛み、同じ屈辱、同じ出血。


 中立者はアミーの髪を掴んで上を向かせ、紫色の瞳を輝かせた。


「もっと非道でいろ。戦士は死なねばならない。アルフヘイムの為に。お前はディアス軍の兵であると同時に俺の兵だ。この世界の兵士だ。私情を挟むな。無駄な感情を戦士に向けるな」


「ぅ、ッ……」


 アミーは右目からの出血を抑える為に再度顔を燃やす。火傷が無くなっていた顔をまた焼くのだ。自分の炎で。


「アミー」


 だが再び、顔から火傷は消えて目から出血が続く。


 アミーは酷い呻き声を上げ、中立者の手を掴んでいた。


 中立者の瞳は紫色の光を宿したまま、苦しむ兵士を見下ろしている。


「お前は競走の規則を破ることがありそうだね。だから釘を刺しておくよ。もし破った時は、分かるな? その繋ぎ止めた腕をもぎ、焼いた右目の時を戻し、潰れた瞬間に巻き戻すことを繰り返す。これはお前への罰だ」


 それは――苦行。


 意識が飛びそうな痛みを繰り返すなど拷問と言っても過言ではない。


 アミーは何も言い返すことが出来ず、忠告が終わった中立者によって転移させられた。投げ出されたのはムリアンの岩石地帯。


 兵士は土を握り締めると、片手で再び片目を焼いていた。


 負が混ぜ込まれた絶叫が何も無い岩石地帯に響き渡る。


 朝日は、昇った。


 * * *


「……ナイと、ラウと、リル」


「そ!! それぞれの色からとったんだぜ? 紅と、茶色と、硝子! かっわいいだろ〜?」


「ちょっと僕にはそのセンス分かんない」


「うるせ!!」


 縁に戦士としての役目を伝えて数日。


 昼休みの高校の屋上にて、アミーは少年とその心獣達を見ていた。


 普段屋上は立入禁止なのだが、アミーが「話せる場所がない」と階段の踊り場に呼び出した縁と共に転移して今に至る。


 大きな鞄に詰め込まれていた鴉のナイと、薄茶色の子兎のラウ、硝子の子兎のリル。


 心獣達は揃って笑顔だ。


 アミーはラウを抱き上げ、小さな頭を撫で始める。


「緊張感無くない?」


「あるわ! ナイ達は俺のパートナーなんだぜ? まずは名前付けてコミュニケーション取って、信頼関係築くんだよ」


「ふーん」


 アミーは話半分に縁の言葉を聞き、腕の中ではラウが「ちゃんと話聞いてよ」と怒っていた。幼い女の子のような声で。


 アミーはランダムに選ばれる心獣の性別について、何故男子戦士に男子の心獣と決めないのか謎だった。性別不明者について考慮した結果かもしれないが、ならばそれ相応の心獣を出せばいいだけのこと。


 オリアス曰く「だから心獣を作るのは面白い」とのことだが、アミーにその楽しさは分からなかった。


 深紅の鴉であるナイを肩に乗せ、掌サイズの子兎であるリタを膝に置いた縁は柵に背中を預けて空を見た。


「なぁ、アミー」


「ん?」


「この競争さ、俺達が勝ったら……ルアス軍の戦士は死ぬんだよな」


 淀みそうな言葉を必死に繋げて聞いた縁。


 アミーは少しだけ間を空けて「そうだよ」と答えておいた。


 自分に出来ることを探す中で迷走してしまったアミーは、燃える痛みを覚えている。


「……嫌だなぁ」


「そう言っても仕方が無いぞ、縁」


「嫌なもんは嫌なんだよ」


 ナイが毛繕いをしながら縁の横に下りる。


 頭を抱えた少年を見下ろした兵士は、リタと同程度の大きさのラウを離していた。


「君は笑う癖に悲しそうで、頑張る癖に頑張りたくないって感じだよね」


「……んだよ、それ」


「居心地が悪い家に住んで、血も繋がってない弟妹きょうだいの面倒見て、明るいキャラで居たくないのに演じてみせて、あまつさえ好きな子には振り向いてもらえない」


「好ッ、おま、なんで!?」


「さぁ」


 アミーは慌てた縁から目を逸らす。少年は少し唸ると柵に頭を預けていた。


「……別に、俺そんなこと、」


「なら硝子のハートにヒビが入ってた理由を説明して」


 縁はアミーの言葉に黙ってしまう。兵士は息をついて、無表情に「馬鹿らしい」と言ってしまった。


 縁は視線をアミーに向け、黒いタキシードの生物は自分の足元を見ている。


「自分の心をすり減らしてどうすんだか。そんなの疲れるだけだ。前に道が無くなった時、二度と動けなるよ」


 アミーは、疼いてしまう火傷痕に心が折れそうになる。


 今まで戦士の死を見て、手を握り、亡くした命に涙までした。


 数百年前、生まれたてのルアス軍にいたアミーでは考えられないこと。


 生きることはあまりにも閉塞的で、助けたいと思うことはあまりにも無謀だと思い知らされる。


 誰かを想う分だけ自分の首を絞め、墓を立てる度に無力を痛感し、間違いだと思うことを正そうとすれば酷い痛みが伴ってくる。


 アミーはアルフヘイムとは違う青空を見上げて、浅くため息を吐き出した。


「んなの、知ったことかよ」


 縁はリタとラウの頭を撫でる。ナイは縁の近くで翼を畳み、戦士は呆れた目で兵士を見た。


 アミーは力無く、静かな目で戦士を見下ろしてみる。


 縁は笑いながら晴れ渡った空を見上げていた。


「俺は大それた事なんて出来ないちっぽけなガキだからさ、難しい事は分かんない訳っすよ。ただ生きたいって思って、ただ殺したくないって思うのが人の性ってやつ」


 少年の目が細められる。


 アミーは柵にもたれ、自分の駒に耳を傾けるのだ。


「生きて、生きて、大人になって、好きな人作って、普通に生活出来るくらい仕事して、笑って、時々困って、でもやっぱり笑って、春を祝って、夏を過ぎて、秋を感じて、冬を迎えて、それでまた、春を祝う。そんなもんで良いと思うんだ。世界を救うとか人を幸せにするとか、億万長者になるとか、そんな大それたことはしなくていい。自分と、自分が守りたいと思う人に優しくする人生でさ」


 アミーは目を微かに見開き、縁を見つめる。


 少年は笑ったまま顔を下に向けると両手で覆い、耳を真っ赤にしていた。


「やっべ……はっずいこと言っちまったぁぁぁ……」


「何言ってんのよ、いいこと言ったじゃない」


「そうそう、言わなくて後悔するよりは言って後悔するのがいいと思うぞ」


「ナイ、それフォローなのかしら」


「これがフォロー以外の何になるんだ、ラウ」


 後悔に濡れる縁の周りで、一生懸命応援する心獣達。


 アミーはその姿を見て――笑ってしまった。


 赤い顔を上げた縁は、いつも無表情だった兵士の笑みに微笑んでしまう。


 アミーはそれに気づき「何?」と無表情に聞いていた。


「笑ってた方がいいぜ、アミー。笑う門には福来るって言うし!」


「……馬鹿なこと言ってないでさ、そろそろ授業始まるんじゃない?」


「え?……あぁ!!」


 縁が腕時計を見た瞬間、予冷が鳴り響く。


 慌てる縁を見て、アミーは吹き出して笑ってしまっていた。


「あ、アミー、転移!! 次移動教室!!」


「無理無理、はい、屋上は出してあげるからさ」


「うあぁぁぁ遅刻するあぁああ!!」

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