第94話 関心

 

 初めての変革の年を経験してからどれ程の歳月が過ぎたのか。


 アミーは数えもしないまま今日もフォーンの森に居座っていた。


 糸原瞳の担当兵を皮切りに、数十年に一度やってくる変革の年の兵士をやっているアミー。


 毎回毎回「もう選ばれないだろう」と考えるが彼の予想は外れるのだ。それに文句は無いが誇りもない。アミーは期待もないまま、無感動に戦士と共にあった。


 そんなアミーは何回も兵士に選ばれることが続いた為、とうとう人型の術を解くのを止めた。


 元の姿と言う楽を覚えて競走中に落ち着かないならば、日々落ち着かないをデフォルトにしようと考えたのだ。


 アミーは嘆息しながら担当兵を了承し、タガトフルムの子どもを見つめる立場になる。彼にとってしてみれば、見つめる対象がフォーンのシュスから戦士になると言う程度の変化だ。


 彼は何度も経験した勝利に浸ることはしない。今までの中で敗北を知らない彼は勝利の尊さを知らないのだ。


 アミーはふと思い出す。ディアス軍の涙を。


 彼らは統治出来ないことではなく、戦士の死に嘆くのだ。


 アミーにはその気持ちが分からない。


 観察対象でしかない駒に何を嘆くのか。情が移ったのか、謝罪の念で涙するのか。


 ――当たり前だろうがッ!! 俺達の勝手で戦士にして、こんな危ねぇことに巻き込んで、不本意なことさせてッ、最後にゃ死んで家族の誰からも忘れられるなんて、あんまりだろうが!!


 いつの日かのディアス軍兵士の言葉をアミーは鮮明に思い出せる。


 焼き付いたあの姿は、何十年経とうと色褪せるということを知らないでいた。


 アミーが「競走遍歴」と言う書物で変革の年が開催される年数を覗くと、徐々に短くなっていると知ったのはつい数日前だ。


 アミーが生まれるよりもっと前から始まっていた変革の年。最初の一回目から数えて七十年目に一回、次に五十八年間隔が少し続き、今では五十年毎になっている変革の年。


 この年を決めるのは中立者だ。彼が「今年開催する」と言えばそこが変革の年になる。


 何故中立者は競争を早めているのか。余興のつもりか、統治に不満か。


 ならば勝利数の多いルアス軍に統治権など与えなければいい。この競走の目的はアルフヘイムの統治権。アルフヘイムの平穏を守ると言う宿命。


 アミーは頭を掻きながら考え、しかし答えは出なかった。元々出す気があったのかも怪しいところだ。


 彼は枝に座ったまま後ろに体重をかけ、薄水色の髪が重力に従った。アミーは何も考えずに世界を逆さまにし、不意に思い立つのだ。


 アミーの足が枝を離す。


 同時に彼は転移をし、景色が変わった。


 足を着いたのはアミーが生まれた場所。


 誰もが忘れた泉のほとり


 アミーは伸びをして息をつき、瞬間、青い業火で周囲を灰にした。


 彼の周りが一時だけ青に染まり、次には黒く変わる。灰となった木々は枝葉だった物を地面に落とし、泉は完全に蒸発していた。


 彼はその光景を見つめて息を吐く。


 彼が生まれて何十年。やはり誰も住まず、誰もが忘れたこの場所は余りにも変わりなかった。


 だから燃やした。またマイナスからの成長を見る為に。


 アミーは足元の灰を靴裏で慣らし、細かな粒子になったそれを見た。彼の業火は一瞬でどこまでも熱くなる。


 煉獄の炎だと、いつかサンダルフォンに言われたのを思い出したのは何故だったか。


 アミーは空を見上げる。


 何処どこまでも続く空に果てはない。この世界の全てをアミーは見た事がない。そんなことに興味はない。


 けれども、只フォーンの森を見つめて終わる人生というのも味気ないと感じているのは確かだ。


 そこで初めて、アミーは自分が退屈していたのだと気づく。


 自分の持ち場を離れて勝手に泉と木々を灰にし、それでも満足しないなど傲慢だ。


 アミーは息をついて白い服につきそうになった灰を手で払っておく。そこでアミーは黒い服を見た気がした。


 直ぐに彼は千里眼を使う。


 見つけたのは藍色の髪を左の肩口から流した清らかな生物。黒い布で出来た服を身に纏い、両手で白い小さな花束をいくつも抱えている。


 彼は目を伏せて歩いており、アミーは少し考えた。


 それから藍色の、恐らくディアス軍である生物について行くことを決める。フォーンの森に戻るという選択肢は無いようだ。


 アミーは藍色の顔と体つきからして男だと判断して後をつける。彼は振り返ることなく真っ直ぐ歩を進めており、アミーは気づかれてもいいと言う軽い気持ちで着いて行った。


 どれだけ進んだか。


 不意に男は林を抜け、開けた野原に出ていた。アミーもそれを確認して目的地を千里眼で覗こうとする。


 しかし、何故だろう。


 彼の視界にはノイズが入り、千里眼が拒否されてしまったのだ。


 アミーはそこで初めて驚き、男に興味を持つ。好奇心と探究心。興味と関心。


 アミーは感情を踊らせて木の陰に隠れ、ルアス軍の兵士は息をついた。


 アミーが直に見るのは木々に囲まれた広場。一体どこまで続いているのかは知らないがとても広大な場所のようだ。


 そして、それ以上にアミーの関心を引いたのは均等に並べられている黒い十字架。


 木製のそれには何かが彫られており、前には様々な花束が置かれ、アミーは首を傾げた。


 藍色の男はその十字架の森に入り、いくつかの黒の前に花束を置いていっている。その動作は慣れたものでアミーは動きを目で追った。


 藍色は手の中を空にすると、十字架の森を抜けて芝の上に腰を下ろしていた。


 彼は一人口を開いて何かを話している。それをアミーは聞き取れなかったが、独り言を遮る趣味もないため千里眼が使えない理由を考えることにした。


 二人がそれぞれの行動をして何分か経つ。


 すると突然、アミーに対する呼び掛けが発生した。


「何か用かな」


 黒い服の彼が言う。横目にアミーの方を向いている彼からは戦意や怒りを感じることはなく、アミーは肩から力を抜いた。


 木の影から出てくる白。


 藍色はアミーの方へ顔を向ける。アミーは暫し彼を見つめてから、足を前へと踏み出した。その間も考えることを止めはしない。


 アルフヘイムにおいて、タガトフルムの人間と酷使した姿を得ている者はそう多くない。


 完全な人型を普段からしているのはこの世界の創始者と、ルアス軍長サンダルフォン、ディアス軍長メタトロン位で、元より似た姿をしている種族も細かな部分は異なりがある。


 そして、人型への変化術を知っているのもまた限られた者だけ。変革の年の兵士に選ばれる者だけだ。


 アミーはそこで、みずから近づいている相手が変革の年のディアス軍兵士であると結論づける。


 何故人型を保っているのかは疑問だが、その質問は自分にも言える為気にしないことにした。


 アミーは藍色の前で立ち止まる。ディアス軍の彼も立ち上がり、アミーは少しだけ顎を上げるのだ。残念ながらディアス軍の彼の方が背が高いから。


「ここ、何?」


 アミーは首を傾けながら聞く。興味があるのかどうか判断しかねる声色だが、ディアス軍の彼はゆったりと瞬きをしてから答えていた。


「墓だよ」


「……墓って?」


 貰った答えにまた問い返すアミー。ディアス軍の彼は十字架の森に顔を向け、言葉を探しているようだ。


 アルフヘイムに「墓」と言う概念は無い。


 皆死ねば数分から数時間後に金の光りの粒となって消えるからだ。それから彼らはガルムの洞窟の奥にある命の鉱石に吸い込まれるのだとアミーは学んでいた。


 つまり、墓を作ったところで埋めるものがないのだ。何も残らないのだから。遺品を埋める習慣があるともアミーは聞いたことが無い。


 だからアミーは今、初めて墓というものを見た。見たものを彼は「墓」として記憶する。


 ならば次の疑問は、これらは誰の墓なのかと言うことだ。


 おびただしい数の墓の一つの前にしゃがむアミー。先程ディアス軍の彼が花を置いた墓だ。彼はそこに掘られた名を口にした。


笹ヶ根ささがね……悠希ゆうき


「日常に転がる幸せを見過ごさない、輝く目をした子だった」


 ディアス軍の彼が呟く。


 アミーは顔を上げて藍色を見てから隣の墓へ移動した。


黒嶺くろみねあや


「誰かに届く、温かな絵を描きたいと笑う子だった」


水咲みずさき幸奈ゆきな


「剣道の道を極める為、日々努力が出来る子だった」


岩切いわぎり仁之助じんのすけ


「数多くの兄弟の長男で、たくましく、家族を愛した子だった」


唐野からの桜子さくらこ


「舞踊に魅入られ、自分の理想を求める、芯の強い子だった……」


桃ノ瀬もものせ花緒はなお


「家族の為にと一日通して働いて、つらさも、弱さも見せない……子だった」


 聞いていく事に藍色の声は小さくなっていく。アミーは再び彼を見上げ、目を細めた。


 一筋の涙を零しているディアス軍の彼。それを拭うことも隠すこともせず、静かに藍色の睫毛を伏せていた。


 アミーは立ち上がる。ディアス軍の彼は瞼を上げると、白い布を纏う男で視点を合わせた。アミーは静かに聞いている。


「戦士の墓?」


「――そうだよ」


 藍色は肯定し、アミーは表情を変えない。相手の涙を見ても白の兵士は気にも留めていないようだ。


「なんで? 泣いちゃうくらい悲しい場所なら作らなければいいのに。思い出したら辛いんでしょ? 僕の目で見つけられない場所だし、変だよここ」


 アミーは歯に衣着せぬ物言いで息をつき、藍色の瞳と目が合う。それでも、藍色の中に憤りや嫉妬といった感情は見受けられない。


 そこにアミーが見たのは――哀れみだ。


 ――この行いが理解出来ないのが可哀想。


 ――この場所を変だと言って終わらせてしまうだなんて残念。


 アミーはそう言われている気がして、自然と「何?」と低い声で聞いていた。


 黒い兵士は一つの十字架を撫で、首を柔く横に振っている。


「悲しいのは俺達ではない……この子達だ」


「……は?」


「これは彼らへの償いであり、俺達への罰だ」


 風が吹いて花束の花弁を数枚空に奪っていく。


 アミーは自分の視界に入る薄水色の髪を鬱陶うっとうしく思う。


 手を握り締めれば、藍色の髪を押さえていた兵士は言うのだ。


「誰からも忘れられてしまったこの子達を俺達さえも忘れてしまえば、皆いなかったことになってしまう。それは最大で最悪の罪であり、許されざることではないか」


 藍色は眉間に微かに皺を寄せ、それでも口角を上げる。アミーは目を見開いて、黒い兵士の言葉を聞いていた。


「忘れない為、俺達は彼らに花を送る。今日あったことを語り、あの輝かしい友との日を色褪せぬものにするんだ」


「……何、友って、あの子達は駒で、」


「違う」


 アミーの言葉を藍色は遮る。その顔にある微笑みは儚げに優しく、けれどもやはり哀愁を纏ったものなのだ。


 アミーの胸の奥がざわめいてしまう。


 彼は反射的に黒い兵士の胸ぐらを掴み、藍色は言っていた。


「あの子達は人間だ。俺達の我儘に選ばれた未来ある子ども達だった」


「選ばれたのはそういう運命だったからだ。あの子達は戦士になるという宿命が、」


「それは逃げだろう、ルアス軍」


 アミーの唇が震える。また風が吹き、アミーと藍色の視線が交わった。


「お前達は傍観者だ。宿命と使命なんて名付けた枠組みを見つめ、そこからはみだすことを異端だと切り捨て、また枠組みに入れ込む」


「違う」


「統治権を得ても何もせず、世界の全てを傍観して何になる?」


「うるさい」


「お前達の行動は統治なんて言わない。何故弱者を救わない、苦しむ者に手を差し出さない、強者に立ち向かわない、命を見つめない」


「お前、ッ」


 アミーの手に力が篭もる。


 しかしその手が何かすることはなく、それより早く藍色の兵士の手が白い兵士の髪を強く掴んだ。


 二人の瞳が近くなる。


 藍色を近距離に見たアミーは、その哀れみで満たされた目に返す言葉を失った。


「俺達はお前達を必ず倒す。統治権を得て、この世界に平和を、平穏を、恩恵を。弱者が泣く世界を変える。強者がのさばる世界を滅ぼす。もう、俺達の友を殺させはしない」


 アミーの腕に鳥肌が立つ。


 彼は与えられた言葉を噛み締めて間をとり、目を伏せていた。


「……人型でいるのも、罪滅ぼしかい」


「あぁ、そうだよ。偽の姿は扱いづらい。だがこの不便さで生活すれば、自分に刻んでいられるからな」


 アミーから離れる藍色は問に対する答えを返す。髪を離されたアミーは自分が掴んでいた服を離し、息を吐いた。


「お前はどうして人型を保っている?」


 黒い兵士がアミーに問い返す。アミ―は「別に」と呟くと、視線を逸らせながら言ったのだ。


「人型って落ち着かないけど、その落ち着かないを普通にすれば、落ち着かないもなくなると思ったんだ」


 藍色が不思議そうに目を瞬かせる。それから肩を竦めて笑った黒の兵士は、アミーの頭を叩くように撫でていた。それに白の兵士は不服そうだ。


「ちょっと」


「面白いな、お前は」


 アミーはその言葉で目を丸くする。面白い等と言われたのは彼にとって初めての経験だったのだ。


 白い兵士は無意識に聞いていた。


「君、名前は?」


「俺か? 俺はディアス軍兵士、オリアスだ」


「へぇ、僕はルアス軍兵士、アミー。君、変だけど気に入った」


「そうか、光栄だね」


 藍色の彼――オリアスは微笑んできびすを返す。アミーはその背中を見ながら「あ、」と言葉を零し、最後に気になったことを聞いていた。


「ねぇ、なんでここ千里眼でも見えないの?」


 オリアスは少しだけ振り返り、口角を上げている。彼はどこか誇らしげに言っていた。


「うちの軍には結界術に長けた兵士がいるからね、隠してもらっているんだよ。誰にも荒らされないように、汚されないように……な」


 そう残して転移したオリアス。「転移出来るなら、最初からすればいいのに」とアミーは呟き、足元にある花束を見下ろした。


「……君達が勝ったら、僕達の戦士が死ぬんだけどな」


 呟いたアミーの言葉は誰も聞かない。誰にも届かない。


 彼は暫くその場に留まってからフォーンの森に戻り、間の悪いことに、アミーの様子を見に来ていたベルキエルにこんこんとお説教されたのだった。


「お前は本当に」


「耳ダコ〜」


「アミー!!」


 ベルキエルの言葉を右から左へ聞き流しているアミー。彼は広い空を見上げながら、敗北した時に思いを馳せるのだ。


 ――もし負けたとしたら……僕は涙を流すんだろうか


 アミーの耳の奥で泣き声が木霊こだまする。


 それが消えることは無い。


 アミーの耳に焼き付いたその音は、彼の心を少しずつ揺さぶるのだ。


 そして、次の変革の年。


「……あれ」


 アミー属するルアス軍は、ディアス軍に――敗北した。

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