第95話 喪失

 

 アミーは目の前に倒れている戦士を見下ろしていた。


 足元に広がってくるのは鉄の匂いがする赤い液体。戦士の鳩尾に刺さっているのは中立者の鉄槌。敗者に対する天の裁き。赤黒い剣は綻びながら消えていき、戦士はせ返っていた


 遠くには強く黒い輝きを放つ光りの柱がある。雲を突き抜けた漆黒の円柱は恐ろしい生命力を感じさせ、アミーは自分の駒だった戦士の手を握っていた。


「ぁ、みぃ……」


「……何? 園城寺えんじょうじ炎羅えんらちゃん」


 アミーは黒い光柱から視線を外し、戦士――炎羅に目を向ける。彼女は今までの子どもの中で炎の力を最も使いこなした戦士だった。


 それでも負けた。


 ディアス軍に、今までに無いほど容赦なく生贄を集めた者がいたからだ。


 一つのにおいて生贄に出来る人数は住人二人が上限。しかし、に上限は無い。


 フォーン・シュス・アインスで生贄を二人捕まえればそのシュスからの連れ去りは止められる。だが、フォーン・シュス・フィーアからはまた二人連れていくことが許されるのだ。


 そこを勘違いしている戦士は多い。それを指摘する兵士もいない。今回の勝利の功績者はきちんとルールを読み取ったと言うだけだ。


 非道で冷徹。


 まるでアルフヘイムの住人を物のように掻き集め、ちょうど三ヶ月になる日に競争を終わらせた狂戦士ベルセルク。最初こそ色々なシュスを巡っていた彼は突如閃き、見逃したルールに気づいたのだ。


 だから彼は勝利を手にした。


 獰猛どうもうと名高い住人を、アインス、ツヴァイ、ドライのシュスから二人ずつ。そうすれば目標である六人の生贄集めは達成される。


 彼の名前はかばね南雲なぐも


 日常に退屈し、恋愛に唾を吐き、未来を塗り潰した戦場の覇者。


 大きな笑い声をアミーの耳は拾う。


 手の中で消えていく炎羅は目を伏せると、自嘲じちょう気味に笑っていた。


「……まけ、るとか……ほんと……さいあく……」


「……園城寺炎羅ちゃん」


「はは……さいごまで、フルネームかぁ……」


 炎羅は仕方が無さそうに笑う。その体は既に三分の二以上が消失しており、表情から見て鳩尾以外に痛みがないことがせめてもの救いだろう。


 アミーは考えつつ、涙を零した炎羅を見下ろしていた。


「ごめん……アミー……」


「……何を謝るの?」


 炎羅は掠れた声で謝罪を述べ、アミーは首を傾げてしまう。


 炎羅が謝ることは何もないのに、笑顔の少女は消えゆく中で言ったのだ。


「きみの……のぞむせかいを……あたえられ、なか、たから……でも……わたし、あいつが……しな、なく、て……よろこん、でるん……だ……」


 炎羅が言う「あいつ」とは誰のことか。


 アミーは判断出来ないまま、炎羅の言葉を聞いていた。


「……あいつ、を、よろし、く、ね……あみ……ぃ……」


 そう言い残して炎羅の全てが消えてしまう。


 光りの粒となった彼女はアミーの手の中から弾け消え、吸い込まれるように昇っていってしまった。


 アミーはその軌道を目で追い、顎を上げる。


 夕暮れの空を流れていく炎羅だった者は命の鉱石を目指している。


 それとほぼ同時に漆黒の光柱も弾け、アルフヘイムの空を幾重もの流れ星が流れてた。どんな鉱石よりも美しく輝く星は世界に降り注ぐ。


 アミーは自分の横に落ちた流れ星に視線を向け、いつも競走の後に聞いていた泣き声がしないことに気がついた。


 アミーが千里眼を使わずに見られる範囲にいるルアス軍兵士達。彼らは皆空を見上げて、しかしその瞳からは涙が零れていなかった。


 自分の頬をアミーは触る。


 そこは濡れておらず、視界も滲んではいなかった。


 アミーは泣かなかったのだ。


 ルアス軍が負けようと、統治権が無くなろうと、炎羅が死のうと。


 アミーはそんな自分に気がついて地面に視線を落とした。


 先程まで炎羅が倒れていた場所。そこには彼女から流れ出た血液すら残っていない。


 何処にもいなくなってしまった彼の駒。


 アミーは不意に、自分の左胸を掻き毟るような仕草をした。


「あれ、炎羅いねぇじゃん」


 場にそぐわない声がする。アミーは自然と顔を上げる。


 居たのは黒い短髪を触っている不健康そうな顔の少年。


 アミーは直ぐに、彼が勝利の貢献者――屍南雲であると判断した。


 負けた戦士はタガトフルムの誰からも忘れられる。しかしそれは共に選ばれた敵軍の戦士を除いての話である。


 戦士達は覚えている。自分が勝つことによって殺してしまった戦士達を。


 その罪の意識に苛まれ、自分で死を選んでしまう者も少なくないとアミーは聞いていた。


 だが、目の前の南雲からは罪悪感や後悔は感じられず、勝つことが当たり前だったとでも言う顔をしている。


 アミーは消えた少女の名を口にする南雲を凝視した。少年は首を傾けて口角を上げている。


「死んだんだ、アイツ」


 南雲は確信めいた口調で言う。当たり前と言えば当たり前だ。両軍の戦士は自分が勝てば相手の戦士が死ぬということを知っているのだから。


 ここでアミーが知ったのは南雲と炎羅が知り合いであり、お互いが敵軍戦士だと知っていたことだ。


「そうだよ」


 アミーは無機質に返事をして立ち上がる。未だに降り注ぐ流れ星は幻想郷の中でも幻想的で、南雲はその景色を背に笑っていた。


「じゃ、俺も死ぬわ」


「は、」


 南雲の言葉をアミーが理解する前に、少年の首が折れる。


 少年が祝福により残された能力――空気を操る力によって彼は首を左側に、頭を右側に強制的にひねり、迷いなく首を折ったのだ。


 少年の体が力無く倒れていく。


 アミーは目を見開いて、足元に倒れた南雲の背中を見つめてしまった。


「……屍、南雲君?」


 アミーが呼んでも返事はない。白い兵士の指先は微かに震えており、悲痛な叫びが鼓膜を揺らした。


「南雲!!」


 南雲の死体の傍らにしゃがみ込むディアス軍の兵士。


 藍色の髪と、償いを忘れない心を持った男。


 オリアスは涙を流しながら、光りの粒へと変化し始めた南雲を抱き寄せた。


「ッ、お前は、どうして……生きることが出来たのに! 俺はお前を死なせる為に、祝福を与えたわけでは……ッ!!」


 大粒の涙を零しながら南雲を抱き締めるオリアス。彼は消えていく戦士をいかせないとでも言うように、力強く、守るように覆い被さっていた。


「嫌だ、頼む、消えるな、消えないでくれ、南雲、ッ、俺の、友よ!!」


 オリアスの願い虚しく、弾け消える南雲の体。


 黒い兵士は目を見開いて、何も抱いていない自分の両手を凝視していた。


 オリアスの唇が震える。指先の感覚は失せていき、涙腺が決壊したように涙が止めどなく溢れ続けていた。


 アミーはオリアスを見つめている。


 藍色の彼は不意に自分の胸の部分を掻き毟ると、流れ星で溢れた天に向かってえた。


 悲鳴のようにも聞こえる泣き声が木霊こだまする。


 アミーは、喉が潰れてしまいそうなオリアスの嗚咽おえつに鼓膜を侵された。


 ――あれ、炎羅いねぇじゃん


 ――……あいつを、よろし、く、ね……あみ……ぃ


 少年の言葉と少女の願いがアミーの中で一つの糸になる。


 アミーは自分の頭を抱え、オリアスの声に掻き消される言葉を零していた。


「……ごめん」


 * * *


 ディアス軍の統治はやはり、ルアス軍のものとは違っていた。


 貧困を抱えるシュスに農作物の育て方を伝授し、痛みに震える者にはその痛みを与えた者に対する制裁方法をたずさえる。


 一つ一つのシュスを兵士達が毎日代わる代わる訪れては様子を確認し、弱者に強さを、強者に貪欲さを説いていた。


 自分の幸せは自分で掴んでこそ。


 そんなディアス軍のやり方は肌に合う者には賛同されたが、合わない者は徹底的に苦しんだ。


 ルアス派でいることを公言出来なくなったルアス派の民は、自分のシュスに篭って宿命を果たそうとし、兵士はもっと自由に生きろと背中を押す。


 余計なお世話でしかない、ありがた迷惑な軍だとアミーは思いながら炎羅と南雲の墓の前にいた。


 最近の彼の居場所はもっぱらここだ。


 黒い十字架の横に立てた白い十字架。不器用ながらもアルフヘイムの文字で彫った〈園城寺炎羅〉はアミー的には力作だ。


 隣にある〈屍南雲〉の墓はオリアスが作ったもの。生きることが出来た筈の少年の墓を作った彼の背中が、アミーの脳裏に浮かんでは消えた。


 アミーは炎羅と南雲の墓に同じ白い花を飾り、統治軍の変わった世界を見つめている。


「勝率、昔は五分五分だったんだって。勝っては負けての繰り返し」


 アミーは一人で言葉を吐く。


「でも、いつの日からかルアス軍がよく勝つようになった。急に祭壇数が増えなくなる時があるんだ。だから勝てる。今回は……南雲君のお陰だよね」


 炎羅の墓を撫で、南雲の墓も撫でるアミー。彼は胡座あぐらをかいた膝に頬杖をついて目を伏せていた。


「君は凄いよ。容赦の無さは僕が知りうる限り最高のものだ。その死に際さえも」


 アミーは南雲の墓を軽く叩く。そうすれば、まるで笑うように風が吹いて花弁を攫っていくのだ。


「でもさ、そんなに早く逝ったら炎羅ちゃんに怒られない? タガトフルムで言うところの、えーっと……ストーカーって奴? 怖いよそれ、て言うか重い。炎羅ちゃんも趣味悪いよ。まぁ、君達の関係なんて僕にとっちゃどうでもいいんだけどさ」


 アミーは仕方が無さそうに笑っている。炎羅に言われたフルネーム呼びを改めながら。


「……次は、多分負けない」


 ふと冷静な口調で言ったアミー。


 彼は先日、負けてしまったことにサンダルフォンがどういった態度を取るか気になった為に千里眼を使った。そこには全く表情の変わっていない長がいたのだが。


 サンダルフォンは、豪快に笑っているメタトロンに何か言われて疲れた空気を出してはいたが特に悔しさというものは無かったようだ。


 それは一応アミーの想定内。


 想定外だったのは創始者の態度だ。


 歯車の部屋で頭を抱えていた灰色の創始者。彼は何かを呟いているようで、遅れたり早まったりする歯車ばかりを見つめていた。


 そこまで確認して、アミーの千里眼を拒否されたのでそれ以上は知らない。拒否されたことによって暫く目が痛んだが今ではその痛みも引いた。


「……あの人が一番狼狽うろたえてたけど、何でかな」


 アミーは呟く。


 それに返事はなく、ふと頭を撫でられて振り返るのだ。


「あ、オリアス」


「アミー、また居たのか」


「うん、僕次の変革の年まで暇だし」


「……それもそうか」


 居たのは人型のオリアス。彼の本来の姿を見たことがないアミーにとっては、人型であることこそがオリアスだった。


 オリアスは自分の元戦士達に花を手向けていき、最後に南雲の前にも花束を置く。アミーの花束と並べられたそれを横目に、ルアス軍の彼は言っていた。


「ディアス軍のやり方ってお節介じゃない?」


「最初のうちはそう思うだろう……けれどもいつか、これが正しいと皆分かってくれる」


 何も疑うことなく言い切ったオリアスはアミーの横に座る。アミーは興味無さそうに相槌を打ち、南雲と炎羅の墓に視線を戻した。


 オリアスはアミーを横目に静かに口を開く。


「最近うちの兵士の間で君は有名だよ。墓を作ったルアス軍がいるってね」


「あぁ、だからこの前声かけられたんだ。あの筋肉ノイズ……エリゴスだっけ」


「筋肉ノイズって、お前」


「あいつ体も態度もデカいし、声ガンガン響いてくるんだもん。好きくない……って、何笑ってんの」


「いや……」


 口元を隠して肩を揺らしているオリアス。アミーは黒い肩を何度か叩き、オリアスは笑い続けた。


「エリゴスに対して筋肉ノイズか」


「そうだよ。あと、見た目ルアス軍みたいな奴と王冠落としそうな奴も来た。声掛けられなかったけど、ずっと見られてたから炎で威嚇したんだ」


「ヴァラクとストラスだね。ヴァラクは翼が焦げてご立腹だったよ。ストラスは聖域に下等生物が入り込んで不快だって叫んでたような気がする」


「次は全身丸焦げにしてやる」


 アミーは言い切り、今度はオリアスがルアス軍の肩を叩く。


 顔を見合わせた二人は笑っており、お互いに得意な占星術の話に花が咲いていった。


 ルアス軍とディアス軍。


 道の違う両軍の兵士は、確かに友であったのだ。


 ――それから次の変革の年がやって来た時。


 勝利したのがルアス軍であってもアミーは感動を覚えなかった。逆に涙を零すエリゴス達を見て、呼吸が苦しくなったのだ。


「アミー」


 ベルキエルがアミーを呼ぶ。薄水色の髪を持つ炎の化身は、自分の教育係を無表情に見つめていた。


「行くよ。敗者に声をかけるのは憐れみになる。再び僕達の時代になったんだ、前を向いていよう」


「……ねぇ、ベル」


 アミーはベルキエルの後に続きながら、祝福を与えた戦士をタガトフルムに返しておく。名残惜しげな姿すら見せなかった戦士達は、重圧からの解放を死ぬほど喜んでいるようだったと思いながら。


 アミーはベルキエルに聞いていた。


「――ディアス軍になるには、どうしたらいいの?」


 瞬間、アミーの頬が乾いた音を立てて叩かれる。


 一瞬の出来事に驚いたアミーは、白銀の短髪を逆立てて肩を怒らせるベルキエルに視線を戻した。


「何を言っているんだ!! それはルアス軍に対する冒涜だと知れよ、アミー!!」


「仕方ないじゃないか。僕はこの軍にいても幸せにはなれないんだもの」


 アミーは悪びれなく首を傾け、熱を孕んでいる頬を摩る。


 ベルキエルは顔を真っ赤にすると、あまりの怒りと理解不能な状態に言葉が喉から出てこなかった。


 口が意味もなく開閉を繰り返す。ベルキエルの目の前にいるのは彼が世話を焼いてきた後輩ではなく、いびつな思考を持った愚者なのだ。


 アミーは言葉を無くした先輩を見つめる。


 負けた日の流れ星を思い出しながら。


「ごめんねベル。でも、僕はもうこの軍にはいたくない。勝利しても喜べないし、戦士が死んでも泣けない僕が嫌で、傍観者よりも関係者でいたいんだもの」


「アミー!!」


「じゃあね、ベルキエル。今までありがとう」


 そう言い残して転移したアミー。ベルキエルは手を伸ばしたが、その掌は空気しか掴まなかった。


「あみー……」


 ベルキエルは頭を抱える。


「アミー!!」


 叫びは当人に届かない。


 情を引きずりながらアミーがやってきたのは、中立者が住んでいる塔。歯車の部屋の扉の前。部屋の中への直接転移が許されているのはサンダルフォンとメタトロンだけなのだ。


 アミーは一度深呼吸をし、扉をノックする。


 外の泣き声が嘘のように静寂を保っている塔内は、まるで別世界のようだと感じながら。


「どうしたんだい、アミー」


 扉の向こうから声が返ってくる。名前を言われたということは、部屋に入る了承を与えられたという証拠だ。


 アミーは扉を押し開け、早まる歯車を力強くで押さえている背中を見た。


 体を覆う程の灰色のローブを身に纏い、フードで顔を隠した神様。


 訪れる度に歯車が増えている部屋の中には彼しかいない。桜色の鉱石は一応差し色にはなっているが、圧倒的歯車の多さに存在感が薄い。


 アミーは部屋に入り、口を開く前に中立者の声が響いた。


「ディアス軍になりたいんだって?」


 先に要件を言われたアミーは口をつぐむ。中立者は早まるばかりの歯車に手を焼いていた。


「サンダルフォンに言っても俺に掛け合うよう指示されるって読んでるから、長を飛び越えて直接俺の元に来たんだよね」


「……全部、お見通しなんですね」


 中立者の形容しがたい空気は感情を読み取らせない。そこにいるだけで膝を折ってしまいそうになり、アミーは無意識の内に口調が敬語になっていた。


 歯車がより早まろうとする。


 中立者は奥歯を噛み締め、言葉を吐いた。


「駄目だ、アミー。お前にはお前の居場所がある。それはルアス軍だ。そう俺が決めた。だからディアス軍になるなんて許可出来ない」


「どうしてですか。これは僕の人生だ」


「この世界の神は俺だ」


「僕は貴方の駒じゃない」


 アミーの頬を冷や汗が伝い、彼は自分の思いを吐露していく。中立者は歯車を力づくで戻そうとし、アミーは言葉を続けた。


「僕は、ディアス軍もルアス軍も話し合えば全部解決すると思うんです。統治権の決め方なんて競争以外にいくらでもある。二つの軍に任せなくたって貴方が統治したっていいんだ! それこそこの世界の誰もが賛成するに決まってる!」


「アミー」


「だって、貴方は神様なんでしょう? どうしていつもこの部屋に篭っているんですか! どうして競争なんか始めたんですか!! ディアス軍とルアス軍は最初から対立していましたか? 変革の年の感覚を早める理由は? どうしてタガトフルムの子ども達なんだ! 家族が悲しむからなんて理由で忘れさせて、祝福は誰にとっての祝福なんだ!! この競走には、おかしな点ばかりじゃないですか!!」


 アミーが勢いよく今まで抱えていた疑問を吐き出し、中立者が押さえていた歯車が壁から弾け飛んでいく。それは床に高い音を響かせながら転がり、中立者は目を見開いていた。


 神様と兵士の間にそれが転がり、部屋中の歯車は正常に動作を続けていく。アミーは肩で呼吸をし、振り返った中立者の顔を見ることは出来なかった。


 部屋を沈黙が満たしている。


 アミーの頬からは汗がうだり、中立者は転がった歯車を静かな動作で拾っていた。


「分かった。アミー、ディアス軍になっていいよ」


 アミーはその言葉に驚き、顔を上げる。


「その代わり」


 薄水色の髪を持つ兵士の目の前に迫っていたのは――中立者が拾っていた歯車。


 それはアミーの右の眼球に向かっており、彼の千里眼は、これでもかと言うほど見開かれた。


 中立者の言葉がアミーの耳に届く。


「お前の片目が、代償だ」


 柔らかいものが潰れる音がする。


 アミーの脳天から四肢の末端までが一気に冷え、熱くなり、つんざく痛みが彼の感覚を支配した。


 部屋に絶叫が響く。


 叫びという文字を叫んでいるように感じられるほど激しい断末魔は、外の哀愁を纏った泣き声とは色が違う。


 反射的にアミーが押さえた右目からは止めどなく血液が流れ落ち、部屋の床を赤く染め上げる。床に落ちた歯車には赤と白と青が混ざって付いており、アミーの左目からは涙が溢れていた。


「アミー、俺はお前の千里眼を凄いと思ってたよ。この部屋を一瞬だけど覗けるみたいだし、シュリーカーだって見たことがあるんだろう?」


 アミーの叫びが止まらない。


「お前が不思議がってるのも知ってたし、ディアス軍のオリアス達と仲良くなったのも知ってる。お前の歯車は丁寧な動きを邪魔してばかりだったから」


 中立者はアミーの片目を潰した歯車を見つめている。


「もう二度とルアス軍には戻れないよ。それでもいいならこの部屋を出ていきな。もし悔いているならこっちにおいで。その目を治してあげる。仲直りしよう」


 アミーの喉が潰れかける。


 しかしその前にアミーは唇を噛み締め、震える足で立ち上がった。


 冷や汗が彼の顔を濡らし、涙も血も未だに溢れている。しかしアミーは、それでも神に近づくことはしなかった。


 広げられている中立者の手。


 そこから左目を逸らし、アミーは踵を返した。


「いいんだね?」


 中立者が確認をする。


 アミーは朦朧とする意識の中で頷き、開けた扉にもたれていた。


「どー、も……」


 部屋を出てアミーは転移する。


 中立者は弱々しい背中を見送り、部屋に転がっていた歯車を拾い上げた。


「メタトロン、サンダルフォン」


「は、」


「何用でしょうか」


 たった一声で中立者の背後に現れた対立する軍の長達。その行動もアミーにとっては理解出来ないことであり、しかし今この場にそれを指摘する者はいない。


「アミーがルアス軍を抜けた。サンダルフォン、あの子を除名しておいて。メタトロン、アミーの傷が癒えたら誰かを迎えに寄越してあげて」


「畏まりました」


「仰せのままに」


 サンダルフォンとメタトロンは膝を着いた状態で頭を下げ、その場から消える。中立者はアミーに投げつけた歯車を別の場所に嵌め込み、目を伏せていた。


 歯車は回り続ける。


 それが止まることは、この先ありはしない。


 ――アミーの転移先は自分が生まれた泉の岸辺。二度目の再帰を果たしているそこに倒れたアミーは、奥歯を鳴らしながら両手で片目を押さえ、意を決していた。


 アミーの青い業火が彼自身の右目を焼く。


 唇が切れるほど叫びを我慢したアミーは、その日――ルアス軍を止めた。


 彼は後日「ディアス軍のアミー」へと変貌を成す。


 黒い服を身に纏う炎の化身は、この先――敗北だけを味わっていくのだ。

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