第93話 咆哮

 

 アミーの担当戦士がサンダルフォン直々に伝えられ数日。


 アミーは慣れない二足歩行を習得し、宙に青い炎で円形の枠を作っていた。


 枠の中の空気が変わり、景色を反射する鏡と化す。アミーはそこに映る自分を見て首を傾げていた。


 薄水色と水縹みはなだ色がコントラストを織り成している短髪に、白い肌。千里眼は本来の姿同様に青い炎が揺らめいているようで、背も見上げるほど高かった。


 アミーは人間の形を保つ訓練の為に最近は人型でいるのだが、どうにもまだ慣れないらしい。


 五本もある指に四足よりは劣る足の速さ。服を着る必要があり、何よりも炎の化身たる証が無くなってしまうのが不服なのだ。


 アイデンティティの喪失とまでは言わないが、アミーにとって炎とはそこにあって当たり前のもの。「大袈裟だ」と言われれば「酸素が薄ければ呼吸がしづらいだろう」とアミーは言い返すのだ。


「なんだかなぁ……」


 アミーは撫でるように鏡の縁に触れ、炎は鏡面と共に消え去る。その拍子に、宙で火の粉が煌めいた。


 彼はフォーンの森の、一つの木の枝に座って息をついている。


 サンダルフォンから与えられた上から下まで真っ白なタキシードを着て。手に嵌めた手袋はまだ慣れない素材だ。


 アミーは風になびいた自分の髪を視界に入れつつ、早起きをしなくてはならない明日に嫌気がさした。


 担当戦士の生活リズムを見るに、会いに行くのはタガトフルムでの夕暮れ。それはアルフヘイムで言うところの早朝なのだ。


 アミーは考えつつ欠伸を零す。


 歴史ある変革の年。


 それを彼は初めて経験することになり、結果はルアス軍の勝利に終わるのだ。


 * * *


 アミーが初めて担当したのは肺の弱い少年。彼にアミーは発火の体感系能力を与えたが、元々体が弱かった為にこれといった活躍は見せなかった。


 それでも生きたいという気持ちは人並みにあり、他のルアス軍戦士と共闘して生贄にされていた住人を救っていた。


 アミーはそれを、与えられた赤い水晶玉に投影して見つめている。顔色が悪く、汗を流しながら野を駆ける生物を観察する為。


 そして考えた。この競走の意味を。


 勝敗によって決まるのは統治権。ルアス軍とディアス軍、どちらの軍がアルフヘイムを治めるか。


 だが、それならばこのような回りくどい競走をする意味は無い。


 アルフヘイムの住人達の希望を聞けばいい。なぜ競走のルールが生贄を救うか祀るかなのか。しかもそれを違う世界にいる子どもに任せるなど効率が悪すぎる。


 アミーは考えて、考えて、考えた。それしかすることがなかったからと言ってもいいが、大元の原因は彼の戦士がアミーを頼りたがらなかったからだ。


 戦士はよく入院する体であり、しかしそんなものはこの競争においては関係ない。


 中立者が選んだ。それが全てだ。


 だが、戦士はアルフヘイムで出来た仲間に感動しているようにもアミーには見えていた。


 初めて出来た友とでも言うように、苦楽を共にする白の戦士。


 ふと、アミーは久しぶりに戦士に呼ばれて映像を繋げた。近距離に見えた戦士の顔色は悪いが、それをアミーは気にしなかった。


「どうしたの、糸原いとはらひとみ君」


「あ、その、今の祭壇数……いくつかなって」


「あぁ……二十一だね。もうあと僅かって感じ」


 アミーは横に広げているアルフヘイムの簡易地図を見て、常に浮いている黒の光を数えておく。


 千里眼を持つ彼ならば地図が無くとも祭壇数を数えることは出来たが、それでは明確な場所まで特定出来てしまい公平性に欠けるのだ。


 アミーは地図上の黒い光を眺めながら瞳に教えた。


 女のように思える名前が嫌いなのだと少年は言っていたが、アミーにはそう思えなかった。男だろうが女だろうが、名を与えられるというのはそれだけで幸せなことだ。言えば瞳は目を丸くして、はにかんでいた。


 なんてことを思い出しながら、アミーは瞳との通信を切っておく。


 ルアス軍兵士であるアミーの宿命は「アルフヘイムの平穏を守る」こと。使命は「変革の年の勝利に携わる」こと。


 だが、それはおかしな話だ。使命を果たす為には必ず変革の年が必要であり、それがなければ使命は消える。


 ルアス軍兵士の使命は変革の年ありきのものだ。


 そして、この使命と矛盾しているのは彼らの宿命。


 平穏を守る者が競走の勝利に携わる。


 一見すれば競争に勝って統治することで平穏を守っているように映るが、しかし、絶対遵守すべきは宿命だ。


 平穏を守る後に、勝利に携わると言う使命が付加された。


 アミーは考えながら、また一つの祭壇を壊した瞳達を見つめておく。


 誰もこのルアス軍兵士のズレた仕組みについて指摘しない。そもそもルアス軍とディアス軍は何故こうも対立しているのか。


 確かに思想は違うが、今のアルフヘイムにはルアス派の民もディアス派の民もいる。アミーが見つめているフォーンの森とブルベガーの丘が両隣にシュスを構えられているのがいい証拠だ。


 別に対立する必要は無い。お互いに過干渉にならなければ全て丸く収まる話なのだから。


 そして、根本的問題は両軍のどちらか勝った方がアルフヘイムを統治出来るという土台だ。


 別に数年に一度交代する制度を立てればいい。話し合いでだって、時間はかかるだろうが解決出来ないとは思えない。


 それでも競走は行われている。


 中立者の発案によって。


「……変なの」


 アミーは呟き、また瞳の映像を見つめておく。


 毎日毎日必死になって祭壇を壊し、ディアス軍の戦士と鉢会わせればどちらかが倒れるまで戦闘をし、ディアス軍の鍵を遠くへと投げ捨てる。


 鍵を外させれば祭壇を作れなくなり、兵士との通信も出来なくなる。そして見つけるまでの時間だけロスさせられるから。


 敗者に生きる価値はない。


 アミーは頭の中で教えを反芻はんすうしつつ、猛烈な勢いで祭壇を破壊するルアス軍の戦士を見下ろした。


 彼らの動きは確実にディアス軍の先を行く、そして最後の祭壇が壊された時、アルフヘイム全土に響く程の鐘が鳴らされた。


 その鐘の出処でどころは最初の五種族――天を守るペリによるものだ。


 アミーはどこかで読んだか覗いたかした書物を思い出しながら、労う為に瞳の元へ転移した。


 何とも呆気ない終わり。


 世界に響く終幕の鐘。


 アミーは思いながら、瞳と出会える範囲に移動を終わらせる。汗だくになって肩を揺らした戦士は仲間と共に歓喜に打ち震えていた。


 アミーはその喜ばしい表情を見つめ、声をかけるのを後回しにする。


 鐘の音が続いていた。


 その時、アミーの千里眼が映したのは「鉄槌てっつい


 敗者に向けられる、死へと手助けする為のつるぎ


 赤黒いそれが天から無数に出てきたかと思うと、アルフヘイムの各所に降り注いだ。


 喜びに花を咲かせていた瞳達は顔を青白く変える。


 遠くで断末魔が聞こえた。


 アミーはその鉄槌にさしたる興味は無かった。ここではもう瞳に祝福を与えて終わりの筈。


 しかし彼は転移して、悲鳴の元を覗きに行ったのだ。わざわざ千里眼ではなく転移を使って。


 敗北した時の様子を予習しておく為に。


 彼が見たのは、林の中で倒れている三人のディアス軍戦士だった。


 鳩尾を貫いているのは中立者の鉄槌。彼らは浅い呼吸を繰り返し、その足先から光りの粒へ変化を始めていた。


 消えていく存在。タガトフルムの誰もが忘れる彼ら。


 そのかたわらでは、決して彼らを忘れない担当兵達がうずくまっていた。


 大粒の涙を零しながら、死に恐怖する子ども達の手を握り締めている兵士達。


 アミーは彼らの行動を人形のように見つめて、戦士達が完全に光りと化して消え失せる様を見届けた。


 瞬間、頭を抱えた兵士の絶叫が響く。地面に広がる涙の染みと、木霊こだまする悲痛な泣き声。


 アミーは、見た目で想像出来る通りの泣き方をするディアス軍の兵士に聞いていた。


 それは只の興味なのだ。


「ねぇ、なんで泣くの?」


 黒い肩が止まる。


「なんで、だぁ?」


 怒りに打ち震える声を零すディアス軍の兵士。その屈強な体と褐色の肌、銀の短髪を持つ彼は、目を赤く充血させて振り返った。


 その憤怒を持った目を見た瞬間、アミーの前に筋骨隆々とした腕が振り上げられる。


 アミーは瞬時に青い炎で盾を作り、ディアス軍の兵士の腕とアミーの盾はぶつかり合った。


 お互いに反発させられる力。


 同等の威力にアミーは感心しつつ、胸ぐらを掴み上げられたのは予想外だったようだ。


 アミーの前で涙を零しながら怒りに震える兵士――エリゴスは、無感動な目を持っているルアス軍の兵士を睨んでいた。


「当たり前だろうがッ!! 俺達の勝手で戦士にして、こんな危ねぇことに巻き込んで、不本意なことさせてッ、最後にゃ死んで家族の誰からも忘れられるなんて、あんまりだろうが!!」


 鋭い言葉をアミーは受け、しかし傷つきはしない。薄水色の髪を頬から滑らせる彼は首を傾げていた。


「そういうもんじゃないの? 戦士になる子達は元々そういう宿命を抱いてたんだ。戦士になるっていう宿命を持って、生贄を集めて勝たなければいけないという使命を持った。それを果たせないから死んだ。それだけだろう?」


 言葉の終わりと同時にアミーの首が勢いよく蹴られる。輝く足でアミーを蹴ったのは、白い翼と金糸の髪を持つ美丈夫――ヴァラクだった。


 ヴァラクはアミーを飛び越えながら薄水色の頭を蹴り飛ばし、白い兵士の視界が回る。


 瞬間、アミーの中に怒りが巻き起こり、当たりを青色の業火が灰にした。


 ヴァラクとエリゴスは一瞬でアミーから距離を取り、二人の前に王冠を斜めに被った兵士――ストラスが立った。


 彼の前に文様もんようを持った半透明の盾ができ、アミーの炎を弾き返す。アミーはそれを見て炎を出すのを止め、平坦な声を吐いた。


「敗者に生きる価値はない。それが教えだ」


 そう言ってきびすを返したアミー。エリゴスは奥歯を噛み締めると、地面に亀裂が入るほど拳を打ち付けていた。


 アミーはその音を聞きながら瞳の元へ転移する。そこで変わらず顔を青くしていた少年は、自信なさげに自分の担当兵を呼んでいた。


「ぁ、アミー……さん?」


 アミーは無表情に首を傾ける。瞳と道を共にしていた仲間の元には彼らの担当兵が現れており、その中にはベルキエルも人型で立っていた。


 しかし、そんなことは気にも止めないアミー。彼は自分を呼んだ戦士を見下ろして、気怠げに「あぁ」と呟いた。


「おめでとう、糸原瞳君。君達の勝ちだ。これでまだ生きていられるよ」


「……さっきの、空から降ったのって……」


「鉄槌だよ。敗者への。空を見れば分かる」


 瞳は言われ、言葉通りに顔を空に向ける。


 何処までも透き通るような広い空。そこを流れる金の光りの粒。それらは青空の中に輝く時間外れの星のようで、瞳は目を見開いた。


 アミーは言う。何の迷いも無い様子で。


「良かったね、あぁならなくて」


 その言葉を聞いた瞬間、瞳の膝が崩れて地面にうずくまる。


 アミーはそれを見下ろして、過呼吸状態に近い少年を観察した。


「瞳!」


「瞳君!」


 ベルキエルや他の兵士を跳ね除けて瞳に近づく仲間達。瞳の顔からは雫がうだり、地面に染みを残していた。


 まるで先程の敗者達のように。


 アミーは思いながら、どこからか響いている泣き声を拾っていた。


「なんで、そんな言い方ッ!」


「何か間違ったこと言った?」


 瞳は喉を鳴らしながらアミーを見上げる。その顔にある感情を兵士は読み取れず、泣いている戦士を見るのだ。


「負けた人にだって生きる価値はある筈だ! なのに、貴方はまるで物みたいにッ」


「なんで怒るのかな。僕は最初にちゃんと言ったよ。負けたら死ぬって。そうならない為に祭壇を壊しまくったのは誰でもない。君達だ」


 アミーは瞳の額を指で押す。瞳は与えられた揺れによって地面に手をつき、愕然とした。


 勝利は相手の死。


 敗北は自分の死。


 瞳もそのことは分かっていた。しかし現実味は無かった。


 アミーは目を細める。


 ――弱いなぁ


 思った彼は目を瞑り、瞳の上に手をかざす。


 目を見開いた少年は鳩尾が熱くなり、青い欠片が零れ落ちるのを見つめていた。


 それは彼の心に埋め込まれていた体感系の力。瞳は顔を上げて、アミーは言った。


「祝福をあげる、糸原瞳君。君には小さな火を灯す力を残してあげるよ。嬉しいね。これでタガトフルムでは超能力者だ」


 瞳の顔に脂汗が浮かぶ。一気に顔が青を通り越して白くなった彼は、自分の鳩尾部分を握り締めていた。


「なにが祝福だッ、そんなッ、こんなの! ただの呪詛じゅそじゃないか!! 僕はこんなのいらない!! 嫌だ!! 元に戻せよふざけんな!!」


 仲間の心配を振り払い、アミーに掴みかかった瞳。アミーは揺さぶられながら息を吐き、瞳のチョーカーに指をひっかけた。


 それを力を入れて引き千切る。


 同時にアミーは、自分の耳にかけていたタガトフルムの言葉を理解するまじないも解いてみせた。


 そうすれば瞳の言葉は、タガトフルムで生きる者には聞き取れなくなるのだから。


「********************!! ***********!!! *************!」


 アミーには瞳の声が雑音同然に聞こえ、鼓膜が傷んでくる。彼は自分に掴みかかっている少年を引き剥がして地面に転がし、踵を返したのだ。


「***!!」


「アミー」


「後はよろしく、ベル。僕の仕事はもう終わった。じゃあね糸原瞳君。僕の言葉は分かるでしょ? 君はもう戦士の任を解かれた。この後の人生は正真正銘、君のものさ」


 そう言い残して転移したアミー。


 彼は定位置となっているフォーンの森の木の枝に腰掛けて目を伏せた。


 泣き声が響いている。


 誰のものか、何処からかも把握出来ない泣き声が。


 それは鐘の音と共にBGMと化し、アミーは空を流れる光りの帯を見上げた。


「……何処に行くんだろうね」


 兵士は呟く。


「あーぁ、バイバイ、糸原瞳君」


 指に引っ掛けていたチョーカーをポケットに仕舞いながら。


「君に祝福あれ」


 瞳の呪詛と言う単語を思い出して。


「まぁ確かに、制御出来なきゃ呪いだけどね」


 悪びれもなく零したアミーの言葉を瞳は知らない。


 今後の生活で、気分が高揚すれば近くの温度を上げてしまうなど。自然と何かを燃やしてしまうなど。


 祝福とは――誰にとっての祝福なのか。


 アミーは知らないまま、知ろうともしないまま、目を瞑って眠りに落ちるのだ。


 耳の奥で誰とも知らない泣き声を聞きながら。

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