狭間の話 青い兎の告解

第92話 偶然

 

 楠紫翠、凩氷雨、細流梵、結目帳、闇雲祈が属するディアス軍。自分の幸せを自分で掴み、力で他者を引き摺り下ろす。


 軍を表す色は漆黒。兵士数は七十二。七十二人の中から中立者が担当兵を抽出し、変革の年の競争へと身を投じる。


 そんな彼らの中には変わり種の兵士がいた。


 青い兎の被り物をし、作り物の硝子の目を輝かせ、陽気な足取りで話す兵士――アミー。


 しかしながら、彼が元来底抜けに明るかったのか、また、兎を被っていたのかと言われればそれは否である。


 どちらかと言えば彼は静かに読書をするのが好きな質なのだから。


 更に言えば、彼は最初


 だが彼は今、ディアス軍の兵士をしている。


 憤怒を込め、懺悔を毎日繰り返しながら。


 彼は氷雨と出会った時に、彼女の兵士となると決まった時に固く誓っていた。


 殺させはしない。


 死なせはしない。


 これはアミーの話。


 彼が悔やんだ昔話。


 既に終わってしまった、物語。


 * * *


 アルフヘイムのとある泉の縁。まだ泉に名前が無い時。輝く世界の片隅は平和で、平穏で、平凡だった。


 泉は清く湧き続け、周囲の木々は風に揺れる。


 宙を時折舞っていく光りの粒は一体誰だったのか。そんなものは誰にも分からない。


 いや、もしかしたらこの世界の王ならば分かるかもしれないが、彼にそこまで余裕がある訳でもなかった。


 清い泉には誰も住んでいない。誰もが忘れた場所。誰も知らないほとり。それが功を奏し、アミーが生まれた時に誰も影響を受けなかったのだ。


 ふわりと。


 ある日宙に浮いたのは火の欠片。


 最初の五種族のものでもなく、生まれてきている次世代でもない。


 それは偶然。


 偶然そこに出来て、偶然そこに命が宿り、偶然形を成し、偶然意志を持ったもの。


 火種は徐々に大きくなると不意に輝きを持って爆発し、周囲の木々を熱に包んだ。


 青い業火は泉の水を蒸発させる。木々は一瞬で炭と化し、瞬きの間に小さくなった火種は確かに周囲を見ることが出来ていた。


 この瞬間が――アミーと言う名を与えられる生物の誕生である。


 青い業火の化身は何処どこまでも見透せる目で周囲を確認し、しかし移動する力は無いので枯れ果てた泉の近くで時を過ごした。


 目玉は無いのに見える景色。脳は無いのに記憶する炎。何かを感じることをしない化身はただそこに居続ける。


 その時をどれだけ刻んだか。


 アミーになる者に数えるという考えはなかった為、空が明るくなって暗くなるという原理だけを覚えてみせた。彼はそれで良かったし、それ以上のことを知らないが為に暇だという感情もなかったのだ。


 暫しのあいだ彼は乾いた泉を見つめ続け、ある日湧き出た水を確認した。


 湧き水は日を追う事に泉を満たしていき、アミーはその変化を見つめ続ける。


 地面が呼吸をしているような感覚が、そこにいるだけのアミーを包んだ。彼の体は青い火種を零しながら水の流れを理解する。


 そして――変化は訪れた。


「あぁ、やっと湧き出したとは……それだけ業火の威力があったのですね」


 アミーは初めて「声」というものを聞く。


 振り返るという動作をせずとも後ろ側を確認出来たアミーは、そこに立っていた「生物」を観察した。


 初めて見る生きた何か。


 全身白い布で出来た服を纏い、透き通るような肌を持つ生物。その顔は均衡が取れ過ぎており、まるで人形のようだ。


 生物は薄水色の髪を細く結い、向かって左側から垂らしていることも相まって幻想的である。


 しかしながら、炎の化身にそんなことは分からない。


 初めて見た者がどれだけ完成されていたとしても、それが初見であればこの穢れなき生物がアミーの「普通」になってしまうのだから。


 完成されている生物はアミーの前に膝を折ると、指を振ってアミーを動かした。強制的に。


 アミーは初めて感じる高低差に驚きを覚え、それがアミー初めての「移動」になる。


 立ち上がり、アミーを自分の目線まで持ち上げる生き物。その姿は後にアミーが学ぶ「人間」に似ており、形を持たない炎の化身は透き通る水色の瞳を見つめていた。


 瞳のないアミーに「見つめていた」と言う表現を使うのが正しいかどうかは分からないが、両者は確かに見つめ合っていたのだ。


「はじめまして、私は我が王より作られし絶対従者、サンダルフォン。宿命を抱いて生まれたアルフヘイムの欠片よ。貴方を迎えに参りました」


 アミーは「サンダルフォン」と名乗った生物の声を聞き、その意味も汲み取ってみせる。


 アルフヘイムの欠片と自分を称した完成品は、アミーを連れて転移した。


 そこでまたアミーは初めてを経験する。次の初めては「泉以外の景色」だ。


 アミーは光りが燦々と降り注ぐ部屋の中にいた。火の化身は高い壁に敷き詰められている歯車を確認し、それが「歯車」であるとは後で知ったのだ。


 部屋の中に歯車があるというより、歯車の部屋と言っても過言では無さそうな場所。光りが入り込んでいる筈なのにどこか薄暗く、桜色の鉱石が一つの机に飾られた空間。


 その中に立つ一人の生物。


 上から下まで灰色のローブを着た生物の顔を千里眼で確認したアミーは、その顔も記憶した。


 記憶する部位がどこにあるのかは知らないがアミーは確かに覚えたのだ。


「我が主、欠片をみつけ、サンダルフォン、ここに帰還致しました」


 うやうやしく腰を折り、ローブのあるじに頭を下げるサンダルフォン。アミーはその様子を観察しつつ、振り向かないまま「おかえり」と言っている主も見ていた。


 主は機械的に回り続ける歯車を見ており、ふと一箇所の歯車が遅れそうになるのを見つける。


 彼は遅れかけている歯車に触れ、力を込めて速度を合わせ始めた。


「主、今度はどこが狂いかけているのですか」


「オヴィンニクの所だ……きっとまた、ガルムに喧嘩を売っているんだろうね」


「俺が絶滅させてやろうか?」


 物憂げな二人の前に現れたのは、全身を漆黒の布で包んだ生物。深紅の散切り頭に紅蓮の双眼。


 低くよく通る声にアミーは火種を零し、筋肉が芸術的についている生物はサンダルフォンとはまた違った完成度を誇っていた。


 彼はアミーを一瞥しながらサンダルフォンの横へ並び、歯車に触れている灰色に視線を向ける。


「なぁ、我が主。あんたを困らせる種族はいらねぇってな」


「それはするな。生きてる者はどんな者でも、誰でも愛しく守るものだよ」


「あぁそうかい」


 ニヒルに笑いながら手を振った黒の生物。彼は「仰せのままに」と腰を折り、口角を上げたまま言葉を連ねた。


「メタトロン、ここに帰還致しました」


「おかえり」


 メタトロンと名乗った生物はサンダルフォンとまるで対である。


 アミーはメタトロンの全身を観察した後、火の化身である筈なのにむず痒さを感じた。


 アミーはその現象に疑問と言うものを抱き、ふと灰色が自分の方を向いていたと気づく。


 見えたのは紫色の瞳。


 銀色からグラデーションを経て黒へと変わる髪。


 それらをフードの奥に隠した主は、定まらない形しか持っていないアミーに形を与えようとしていた。


「主」


「お、また兵士にすんのか?」


 サンダルフォンとメタトロンの声を聞きながら、アミーは床近くまで降ろされる。


 体は感じたことのないむず痒さと共に痛みを覚え始め、彼は火の粉をこれでもかと言うほど振り撒いた。


 アミーの業火は一気に部屋に充満し、歯車が熱せられる。


 サンダルフォンとメタトロン、部屋の主はその灼熱を諸共せず、青い業火は一瞬にして小さくなっていた。


 サンダルフォンは自分が羽織っていた白い上着を火種に向かって投げ被せる。


 その布の下からは、全身が水色の毛で覆われた美しいオオヤマネコのような姿の生物が現れた。


 白い布を背中に引っ掛けている生物は、白と薄水色の入り交じった――まるで炎の揺らぎのような――瞳で灰色の主を見つめている。


 滑らかな動きをする三本の尻尾と額にある一本の角。先端が揺らめいているそれは穏やかな炎のようだ。


 美しい獣として姿を持った炎の化身。彼は自分の姿に驚きながら尻尾を揺らし、前足を振っていた。


 初めて床に触れている感触を得て、彼の頭の上には疑問符が飛んでいるようだ。


「お前の名前は――アミーにしよう」


 灰色は困惑している獣の頭に手を乗せる。


 アミーは与えられた単語が自分を呼ぶ為の「名」だと暫く気づかず、貰った「声」と「口」によって復唱したのだ。


「あ、みぃ」


「そう、お前はアミー……ひずみから生まれたアルフヘイムの欠片だ」


「かけ、ら」


 アミーは言葉を繰り返し、彼に体を与えた主は頷いている。アミーは少しだけ足を動かして歩き、その後には火の粉が零れていた。


「アミー」


 灰色が炎の化身を呼ぶ。


 アミーは振り返り、フードを目深に被り直した世界の王を見つめた。


「お前を見つけたのはサンダルフォンだから、彼に仕える兵士になれ」


「……へいし」


「そうだ。この世界で俺が作っていない生物、欠片が寄り集まった軍団。アルフヘイムの秩序を守る、ルアス軍に入るんだ」


「るあ、す?」


 アミーの瞳はサンダルフォンに向かう。白のおさは軽く会釈をして、産まれたばかりの兵士に手を差し出した。


「喜びなさい、アミー。主が直々に宿命を与えてくださった。兵士として生き、アルフヘイムを統治する一端を担うのです」


「おいコラ、サンダルフォン。俺達ディアス軍こそがこの世界の統治者なんだよ!」


「どうやら頭の螺子ねじが外れているようですね、メタトロン。貴方達は前回の競走の敗者ではありませんか」


「次は勝つんだよ!」


 メタトロンは憤慨した様子でサンダルフォンに迫っている。白い完成品は嘆息し、「行きますよ、アミー」と臣下を呼んでいた。


 アミーは一瞬たじろいたが、直ぐにサンダルフォンへと続いて部屋を後にする。


「いつまでも統治出来ると思うなよ!! てめぇの宿命なんかぶち壊してやる!!」


「叫んでいなさい、猪突猛進な頭領よ。貴方は他者の人生に手を出しすぎる。それではその者の宿命が乱されます」


「自分で掴んでこその未来だ!」


「あるべき形に従ってこその未来です」


 拮抗した両者の言葉が響いた部屋。たった一つの扉から出ればそんな音も消えてしまい、アミーはサンダルフォンを見上げた。


 彼もアミーを見下ろす。


 それから薄く微笑んで、再び転移をしたのだった。


 * * *


 あれから数年。


 アミーは与えられた領地――フォーンの森を見つめる日々を送っていた。


 何処までも見通す千里眼で毎日見るのは、白く美しいシュスに住む森の守護者達。彼らの生活は慈愛を持って森を育むことであり、その宿命を果たせないフォーンの首はフォーンによって飛ばされた。


 この世界にあるのは二つの宗派。


 宿命と、生きる内に付加された使命を指針にするルアス軍。


 強者を倒してでも自由と幸せを求めるディアス軍。


 アミーは同じルアス軍の兵士から教えられたアルフヘイムについて思い出しつつ、何も変わらない森を見下ろしていた。


「アミー」


「……あ、ベル」


 ある時、アミーの後ろに浮遊しながら現れた白金の鳥。鷲のような顔に、大きな金色の足と羊のような角が生えている姿。三つある目は光を反射して黄金色に輝いた。


 彼はルアス軍兵士――ベルキエル。アミーの教育担当のような立場だ。


 彼はアミーが座っている木の枝に留まり、翼を畳んでいた。


「何の用?」


「変革の年が始まる」


 アミーは返ってきた言葉に目を細める。瞳を横に向ければ、ベルキエルがフォーンの森を見下ろしていた。


「君も兵士に選ばれた」


「ふーん」


 興味が無さそうに生返事をするアミー。ベルキエルはため息をつきながら翼を畳み直していた。


「担当兵士に選ばれることはルアス軍兵士としての使命を果たせるということ。喜ばしいだろ」


「……変革の年の勝利に携わるって言う使命?」


「あぁ」


「それって変革の年ありきの使命だよね。宿命はアルフヘイムの平穏を守るだし、それじゃあまるで……」


 アミーはその先の言葉を続けかけ、止めておく。


 ベルキエルも促すことはせず「兎に角」と話を戻していた。


「選ばれて使命を果たすことが出来る君には、サンダルフォン様のような人型への変身方法をまず教える。その後はルールの暗記、いいね?」


「人型ってあれでしょ? タガトフルムにいる戦士と同じ形。それに変わって意味あるの?」


「戦士に恐れを抱かせる要素を軽減するのだと、サンダルフォン様は言われていた」


「……あっそ」


 アミーは息をつきながら尻尾を揺らし、角の先から零れる火の粉を吹き飛ばした。それは木々に触れる前に宙に溶け、下を歩いていたフォーン達は気にも止めない。


「アミー、ルールブックを渡しておくから十日後に暗記が出来たか確認するよ」


「いや、もう覚えた」


 アミーの言葉を聞いて、ベルキエルは顔を後輩兵の方に向ける。青い住人は千里眼を輝かせていた。


「一つ、アルフヘイムにおいて戦士との直接接触禁止。一つ、アルフヘイムの情報は与えて良いが、祭壇の場所が特定出来る情報は漏洩不可。一つ、戦士の危機に対する助力禁止。一つ、期間中のディアス軍兵士との会話、及びディアス軍戦士との接触禁止。一つ、体感系の場合付加出来る力は一つまで」


 アミーは欠伸をしながら言葉を並べ、ベルキエルは少しだけ黙った。


「……千里眼で覗いたな?」


「暇だったから」


 ベルキエルの確認にアミーは悪びれもなく頷いている。白金の兵士は呆れたように首を横に振り、後輩兵をたしなめた。


「君の千里眼の性能はサンダルフォン様も一目置くものだ。そんな覗きのような感覚で使うものでは無いよ」


「逆に他の使い道を教えて欲しいところだよ。土地を覗いたって時々転がってる死体の発見か、それが弾ける様を見るだけなんだし」


 アミーはもう一度欠伸をしてから木を降りる。ベルキエルはそれに続くように滑空し、のんびりと地面を歩くアミーの背中に留まった。


「爪立てないでよ?」


「そんな愚行はしない。それよりも何処に行く気だい?」


「お腹空いたから、グウレイグ達のパンとチーズを食べに行くんだ」


 アミーは答え、初めて兵士としてタガトフルムに行った時に自分が知っている「パン」と「チーズ」があちらの世界では別の物だと学ぶのだ。


 ちなみに、アルフヘイムで言うところのパンは深緑色の餅のようなもので、チーズは甘さのある透明なジャムのような感じだ。


「ならその間に、人間への変化術を伝授しようじゃないか」


「はいはい」


 背中で嬉しそうに翼を広げたベルキエルを若干スルーしつつ、アミーは歩を進める。


 これが彼、「ルアス軍のアミー」の始まりであり、この物語は彼が氷雨に出会うまでの過程である。


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