第84話 人形

 

 ブルベガー・シュス・アインスを名残惜しくも立ち去った今、私達は祭壇を崖から見下ろしていた。


 祭壇があるべき場所にあるのは緑の蔦が幾重にも巻きついた瓦礫の山。それを祭壇とは呼べないだろうと思いながら、私は襟から鍵を引き抜いた。


 宝石を三回叩く。現れた兎の被り物をした彼は「ぃやっほぉ!」と溌剌はつらつとした声を響かせていた。


 耳が、アミーさん……。


「うるさい奴が来た」


「えー、失礼しちゃうなぁ!」


 帳君の言葉にアミーさんは怒るような仕草をする。しかしその声から怒りなんてものは感じないから、私は苦笑してしまうのだ。


 そこで気づく。時沼さんがアミーさんを見つめていると。


 アミーさんも気づいたようで、手をゆったりと広げていた。


「やぁ、君は時沼相良君だね! ルアス軍みたいな非道な軍に選ばれちゃって可哀想に! あんな血も涙もない奴らの駒だなんて人生大損だよ!! しかもディアス軍に肩を貸しているのだときた!! あれれれどうしちゃったのかな? もしかして僕らの駒に勝てないと思って短い時間を好きな子と過ごすってか? あはははそれも君の選択で兵士は許すんだろうね!! さて君の担当兵は誰なのかなぁ?」


 嫌味と嫌悪を含んだアミーさんの声。


 彼はいつも底抜けに明るくて何を考えているか判断出来なくても、誰かを下に見るような発言はしない人だと思っていたのに。


「アミーさん」


 自然と彼を呼んでしまい、赤い作り物の瞳が私を映していた。


「あぁごめんね氷雨ちゃん! 君の数少ない心許せる友達をけなしちゃって。でも知ってるよね? 君が勝てば相良君は死ぬんだ」


 青い兎の被り物が急激に近づき、私の目と鼻の先にアミーさんがいる。


 突然突きつけられた現実のせいで、私が何故アミーさんを呼んだのかが分からなくなった。


 彼から溢れ出る拒絶の空気は、ルアス軍に対してのものだ。


 私がフォーン・シュス・フィーアで男の子を助けた時、彼は言っていたのに。


 ――何を謝るんだか! ルアス軍の戦士君を助けたことは余り嬉しくないけど、それ以上に僕は誇らしいよ!! 弱者に手を伸ばし勝利を勝ち取る!! いいねぇ氷雨ちゃん!!


 あぁ、でもよく考えろ。今の現状は似て非なるものなのだ。


 私があの時したのは男の子の手を引いたということ。その後きちんと、離したのだ。


 けれども今は時沼さんと一緒に行動をしている。共闘して祭壇を壊している訳でもルアス軍に寝返った訳でも無いけれど、ディアス軍のルールを破りかねない場所にいる私達は、危険因子だ。


 私は口を結んで、アミーさんの赤い瞳を見つめてしまう。


 彼は、変わらない作り物の頭を傾けていた。


「友達を殺したくないから君は負けられる? 氷雨ちゃん。そうしたら今度は君の仲間と君自身が死んじゃうけど。それは最高に愚策だよね、そして僕はそんなこと許さない。だから氷雨ちゃんは友達を殺すんだ。そう言う道を歩くしかないんだ。敵に友達がいるだなんて知りたくなかったね。お兄ちゃんもいるだなんてしんどいよね。でもこれが運命だ。君達兄妹はそういう道しか辿れなかった」


 私の視界が揺れてしまう。呼吸の仕方は曖昧になり、指先は震える。視界の隅に一瞬だけ映ったりず君とひぃちゃんもつらそうに揺れており、私は奥歯を噛んでいた。


 アミーさんの声が私の鼓膜を震わせる。


「道を間違えるな、僕の駒。君は祭壇を建てて、生贄を集めることだけすればいい。友を踏み越え未来へ進め。兄を殺して明日を掴め。大丈夫、誰も君を責めたりしない。君は何も間違って――」


「はい黙れー」


 アミーさんの言葉を遮る帳君の声がする。


 強く吹いた風は兵士さんの映像を揺らし、横に銀の手裏剣が走る。それはアミーさんを上下二つに割くように歪みを入れ、下から思い切り振り抜かれた黒羽の刃は青い彼を両断した。


「傷に塩を塗るのは嫌いよ」


「それ以上言ったら、許さない」


 翠ちゃんの鋭い瞳と、祈君の釣り上がった目が見える。


 それを確認することで私は呼吸が出来て、冷や汗は顎を伝っていった。


 揺らいだアミーさんの映像は、雲が集まるように元の姿へと戻っていく。


「もー、暴力反対!」


 彼は両手を振って怒るふりをして、その声は何故だか楽しそうだ。


「にゃはは! ちょっと言い過ぎちゃったね! ごめんごめん氷雨ちゃん! これ以上君が壊れたら僕は耐えられないからね!! まぁ現実をそこそこ見ながら頑張ってね! あ、相良君は頑張らなくていいから!!」


「アミーさん」


「お前口悪過ぎるぞ、相良に謝れ!」


 流石に私も今度は強く彼を呼んでしまう。


 りず君も一緒にアミーさんを注意してくれて、祈君は「まだ足りない?」と黒い羽根を構えていた。


 ルタさんの目は澄んだ青色に光り、時沼さんは何も言わない。


 アミーさんは天を仰いで言葉を吐いていた。


「僕、ルアス軍嫌いなんだ。感情のないロボット軍団め。一体何人、僕の友達を殺したら気が済むんだか」


「……友達?」


 言葉を繰り返して、アミーさんを凝視する。


 友達を、殺す? そんなことをルアス軍がするのか? 自分達に生まれた時から付加されている宿命と、生きる上で追加される使命を重んじるルアス軍が?


 頭の中が答えを探す為に散らかれば、アミーさんはどこまでも明るい声で「それで!!」と話題を切りかえていた。


 どうやら考えさせてはもらえないらしい。


「僕を呼んだのは、あの祭壇を祭壇と認定出来るかどうかだよね? 答えはノー!! 残念ながらあれは瓦礫の山だ! 新しい祭壇作ってちょ!!」


「ぁ……はい、分かりました」


 質問する前に答えを貰い、私は反射的に頷いてしまう。何とか「ありがとうございます」を絞り出せば、アミーさんは愉快そうに指を振っていた。


「でも良かったね、生贄奪われなくて!! 紫翠ちゃんの能力に感謝感激雨あられ!! 植物使いに感謝の念を!! 優しいからこそ愛される氷雨ちゃん!! 僕も君が大好きだぜ!!」


「ぇ、ぁの、アミーさ、」


「僕があの植物の正体を知ってるかって? 勿論知っているともさ!! 千里眼を舐めないで!! 氷雨ちゃんが撒いた優しさの種は、芽吹いて狂気的な信仰になりましたとさ!! きゃー怖い!! でもそれが愛だよね!!」


「そのテンションなんなんで、」


「凩氷雨の信者である彼の名前は泣語ながたり音央ねお君! フォーンの森で手を引いちゃった!! そこから彼は、止まれない」


 言われて、思考が合致する。


 アミーさんの言葉は私の記憶を甦らせ、鎖に繋がれていた彼を思い出すのだ。


 あぁ、でもなんで彼が。そんなわけ、だって彼は――


「信じるも信じないも君次第だよ、氷雨ちゃん。君は優しいからこそ愛されて、純粋でひたむきだからこそ執着される」


 アミーさんはそう言うと、私の言葉を待たずして細流さんの方へ顔を向けていた。


 微動だにしていなかった彼はゆっくり首を傾けて、アミーさんと向き合っている。


「そして執着されるのは梵君、君も一緒だ。君は今までを無感動に過ごしすぎた。その苛烈な強さは眩し過ぎる。余りにも目に毒なのさ。硬い拳で叩きのめしてきた対戦相手をよく思い出すんだね。憧れは憤怒と表裏一体なんだから」


「……それ、は」


 アミーさんが何を言いたいのか分からなくて、私は細流さんを見てしまう。彼は無表情のままそこにいて、唇は言葉を選んでいるようだ。


「あの、ルアス軍、の」


「そうさ、淡雪博人君。この谷で君の拳を止めた彼さ」


「淡雪……?」


 細流さんと激闘していた彼を思い出し、翠ちゃんの呟きを私は聞く。


 見れば彼女は何か思い出すような顔をして、「そうさ!」とアミーさんは笑った。


「梵君! 君は強い!! とてもとてもね!! けれどもそれに心が着いていっていないから君は何も得られないんだ!!」


「くぉらアミー!!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたりず君が勢いよく針を伸ばし、アミーさんの映像を串刺しにする。


 ひぇ……りず君、その勢いなら鉄の処女アイアン・メイデンにも……いや止めよう恐ろしい。


 何だか今日は言葉がキツいアミーさんを見ながら、私は口を結んでおく。


 祭壇作り直し。泣語音央さん。ルアス軍。私の友達。細流さん。無表情。痛い。アミーさんの本心、本音。


 ごちゃつく頭を振って息をつく。


 アミーさんはアミーさんの勝利を求めているだけ。私はその駒。


 駒が言うことを聞かなければ、怒るのは当然か。


 私は深呼吸をしながらアミーさんを見る。りず君の針が戻れば、映像の兵士さんも元に戻って愉快そうな空気を振り撒くのだ。


「お前は! もっと!! 言葉を! 選べ!!」


「そうだね、ごめんねりず君。やっと歯車が動きそうなのに、それを動かさない梵君にエリゴスがやきもきしててね!! カマかけとこーって思ったの!」


「歯車……?」


 細流さんは呟いて、アミーさんを見つめている。青い兎さんは「そうそう」と頷いて、自分の鳩尾であろう部分に手を添えていた。


「体感系の子達は心に力を埋め込んでいるでしょう? だから心が強くなればおのずと力だって強くなる。何かを求めればそれに力は答えてくれる。でも梵君、何も望まない君はレベル一で止まってるんだよ」


「レベル……一」


 繰り返した細流さんは鳩尾あたりに触れている。アミーさんは「そうそう」と嬉しそうに頷き、私の方を向いていた。体に力が入ってしまう。


「じゃあ僕は戻ろうかな!! 言いたいことは言えたし!! 頑張ってね氷雨ちゃん! 愛してるぜ!!」


「あ、アミーさ、」


 呼び止める前に消えられてしまう。それには流石に私も肩を落としてしまい、アミーさんがいた場所を見つめるのだ。


 アミーさん、本当にすみません、時沼さんと行動を共にしてしまって。それが貴方の琴線きんせんに触れたのですね。使いづらい駒です、私は。


 タガトフルムに戻ったらアミーさんに謝罪しようと心に決め、しかし、ならば時沼さんと別行動をするのかと問われると答えはノーだ。


 彼は私の心が戻れば兄に知らせる役目があると言った。私から連絡しても応答して貰えない兄と会える数少ない機会だ。


 それを手放せない私がいるし、時沼さんに「別行動しましょう」と言ったって「いや、着いていく」と言うのが目に見えた答えだ。


 私は考えることを放棄したくなりながら、時沼さんに目を向ける。そしたら彼も私を見たようで、目が合ったんだ。


「すみません、時沼さん。先程の彼はアミーさん、私の担当兵さんなのですが……どうにも言葉が、今日はキツくて」


「いや、気にするな。アミーのは全部正論だしな」


 時沼さんは私の肩を軽く叩いてくれる。


 そう、そうだ、あれは「正論」なのだ。


 私達が勝てば目の前の彼を殺してしまう。でも、だからと言って私達が負ければ、今まで一緒にいてくれた仲間が死ぬ。私が終わる。


 どちらにも傾いて欲しくない天秤を目の前に突き出されて、私は苦笑してしまった。


 そうすれば翠ちゃんも私の背中を叩いてくれて、ルタさんと祈君はりず君の頭を撫でてくれた。


 帳君はひぃちゃんを抱き上げて、小さな顎を指で撫でてくれる。


 それらが嬉しくて、私はやっと微笑めた。


「淡雪博人。細流、本当に覚えてないの?」


 翠ちゃんが細流さんに聞いている。


 聞かれた彼は視線を斜め右上へと向けた後、翠ちゃんを見下ろした。


 その感情の見えない瞳は「知らない」と言っており、翠ちゃんはどこか呆れたように伝えている。


「貴方、試合で彼と対戦したことがあるでしょう?」


 確認するような言い方。


 それが気になり、私は細流さんの答えを待っていた。


「……そんな、ことを、言って、いた、な」


 ゆったりと、今にも電池が切れてしまいそうな人形のように細流さんは言葉を並べる。翠ちゃんは続けていた。


「彼と貴方の試合、私、見たことあるわよ」


 その言葉に私は目を丸くする。


 細流さんも微かに眉が動いて、翠ちゃんは目を伏せていた。


「二年位前よ。私と氷雨が住んでる県で空手の全国大会が行われた時……友人に誘われて見に行ったわ。高校生男子の部の組手をね。誘った相手の知り合いが出るってこともあったし、トーナメント表を見たら友人と似た名字の選手もいて、面白そうだから応援したいなんて、ね」


 翠ちゃんが濁した「友人」を何となく察してしまう。翠ちゃんは私の手を握ってくれたから、私も握り返すのだ。


「決勝戦が見えやすい位置だったわ。私達が見ていた「淡雪」と言う選手はそこまで進んでた。頭にギアをつけていて顔は上手く確認出来なかったけど、アミ―が淡雪博人だと言うのなら納得も出来る」


 翠ちゃんは続ける。「表彰式の時」と。


 けれどもその形のいい唇は、大きな手によって塞がれた。


 翠ちゃんは驚きもとがめの色も浮かべないまま、自分の口を塞いだ細流さんを見上げている。


 細流さんは無表情で、それでもその目は彼女が続けようとする言葉を嫌っていた。


「翠」


 細流さんの低い声は、何故だか悲しく聞こえた。ぎこちなく彼は顔を伏せて、翠ちゃんの顔から手が離れていく。


「……これ以上先は言わないわ」


 翠ちゃんはそう言うと、自分の鳩尾部分を握り締めている細流さんの手を軽く叩いていた。


 私の肩に腕が回る。翠ちゃんと繋いでいた手は離れて、茶色い髪が視界の端に現れた。


「さて、話が済んだら生贄回収に行こうよ。次は何処に祀ろうか」


 現実に引き戻す帳君の声を耳にし、私は時沼さんを見てしまう。


 彼は穏やかに笑うと言葉をくれた。


「行ってこいよ、凩。俺は手ぇ出さねぇから」


「時沼さん……」


「だ、そうだね。ほら、さっさと行くよー」


「ぇ、ちょ、帳く、ッ!!」


 ひぃちゃんをりず君の上に座らせた帳君は、私の首に腕フックをかけたまま谷へとダイブする。


 ちょッ!!


 体が一瞬浮遊感に包まれて、次に来たのは急速落下。


 悲鳴は喉から出る前に消えて、轟々ごうごうと鼓膜を揺らす風に冷や汗が出る。


 これ、ちょ、私飛べ、ッ!?


 抗議も口からは出て来ることはなく、代わりに力いっぱい帳君の腕を掴んで主張する。彼が喉を鳴らして笑ったのが聞こえた。


 ふざけッ


 顔が熱くなった時、体全体を柔らかな空気に包まれて落下の勢いが止まる。


 私は目を瞬かせて、帳君と自分を包む風に気がついた。


「大丈夫だよ、落としたりなんてしない」


「とばり、君、そう言うのは是非、事前に……!」


「ごめんごめん」


 謝る気があるのかと問いたくなる声で謝罪され、私は谷底に足を着く。


 心臓止まるかと思った。飛び降りとか勘弁。帳君の力があるとはいえ説明無しに巻き込むの断固反対。心中かよ。


「氷雨ちゃーん。俺の腕もげそうなんだけど」


「ぇ、あ、すみません」


 未だに早鐘を打つ心臓に言われるように、帳君の腕を握り締めていたと気づく。慌てて離せば心底可笑しそうに笑われた。


 この人は……本当に。


 口を引き結んで文句を飲み込む。帳君は両手で頭を撫で回してくるが、同い年ですからね、私は。


「あれ、怒った?」


「怒ってないです」


「ごめんね氷雨ちゃん」


 怒ってないって言ったのに今度は真面目に謝られる。そんな謝罪を貰っては、もう口を結べなくなるではないか。


 だから笑ってしまう。そうすれば帳君は笑ってくれて、隣では地響きがした。


 地震が起きたのかと最初は錯覚して体勢が崩れる。それを帳君に支えられ、私はお礼を言いつつ横を見た。


 地面にヒビを入れながら着地している細流さんがいる。彼の両腕には全身に緊張が走っている翠ちゃんが抱かれており、同化して下りてきた祈君は息を吐いていた。


「……男子でまともなの俺だけかぁ」


「は、ふざけんなよ雛鳥、その翼むしるぞ」


「止めろよふざけんな、掴むな、ちょ、風!!」


「帳君、毟るのは駄目です……」


 ……強風に捕まった祈君を救い出すのに四苦八苦したのは、もしかしたら平和なことかもしない。


 私が見たその後の細流さんは、まるで螺子ねじが切れてしまった人形のようだった。


 あぁ、人を人形に例えるだなんて嫌なのに。


 なんで私はそんなことを思ってしまったんだろうな。


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