第66話 離去

 

「あれが、ガルムの洞窟」


「だろうね」


 私達が空を移動して、見えてきたのは天まで届きそうなほど大きな山。青々と生い茂る木々が風に揺れ、その全てが輝いているように見える場所。


 その山肌に開いているいくつもの穴は全て「ガルムの洞窟」と呼ばれており、近づく者を一切許さないのだと言う。


 目眩がしそうな美しさは生命力に溢れたと比喩しても過言ではないだろう。


 感じながら、私は新緑の山肌を駆ける月白げっぱくいろを見た。


 それを目で追えば直ぐに消えてしまい、一種の錯覚かと思ってしまう。しかしまた別の場所で月白色が走り過ぎ、私はあれが「ガルム」さんだと気づくのだ。


「命を吸い取る鉱石があるのよね」


「はい、多分あの洞窟のどれかに……」


 翠ちゃんの確認に私は頷いてみせる。


 ここはアルフヘイムの中心なのだとアミーさんは言っていた。


 アルフヘイムの創始者であり、競争の中立者である方が生まれたと言われる場所。


 アルフヘイムでも五つの指に入るほど神聖な場所で、誰もが近づかない所。


 そこに住むガルムさん達。アミーさんに調べてもらうと、彼らはシュリーカーさん同様「最初の五種族」に含まれる方々なのだと言う。


 言葉を知らない彼らは、中立者さんが生まれた場所を守る為だけにそこにいる。


 その守る洞窟の奥にあるそうだ。


 命の鉱石と言われるものが。


 他者の命を吸い取る鉱石が。


 ヴァラクさんがくれた情報によると、ガルムさん達は近くのシュスから贄を連れ込み鉱石の栄養にするのだと言う。


 私は情報を頭の中で反芻はんすうしながら、風に混じった金の光りの粒が洞窟へと入っていく様を視界に入れた。


 あれは――


「取り敢えず近づこうよ。ここで浮いてたって仕方ない」


「ぇ、ぁ、はい」


 結目さんの声に私は意識を戻す。ひぃちゃんは羽ばたいて、祈君と並走しながらガルムの洞窟へ向かってくれた。


 不意に――肌を刺すような空気に撫でられる。


 体が重くなり、頭もなんだか霧がかっていくような気がする。


 私は何度も目を瞬かせ、揺れたひぃちゃんを気にかけられないのだ。


 ガルムの洞窟が近づくにつれて四肢が鉛のようになり、思考が鈍り、息が苦しくなる。


 私は深呼吸を心掛けて、隣にいた祈君の高度が下がっていると気がついた。


 彼の顎から汗が伝い、翠ちゃんと細流さんは深い呼吸を繰り返している。


 ひぃちゃんも高度が下がり始め、結目さんと繋いだ私の手は震えていた。


「――嫌だ、近づきたくねぇ」


 りず君が結目さんの肩で呟く。


 茶色いパートナーは震えており、私は奥歯を食いしばるのだ。


 一瞬でも気を抜けば結目さんと手を離してしまいそうで怖い。


 自分を叱責するが、りず君の言葉こそ私の本心だ。


 私は確かに――あの洞窟に近づきくないと思っているのだから。


「どうしたのさ針鼠。凩ちゃんも」


 真顔の結目さんに不思議そうに問われ、私は目を見開いてしまう。


 結目さんはこの違和感を何も感じていないようだから。


 私は乾いた喉に唾を飲み込んだ。


「結目さん……なんともないんですか?」


「ちょっと質問の意味が分かんないんだけど」


 口角を上げた結目さん。彼だけ何も感じていない。どうして。


 祈君と翠ちゃん、細流さんと私も違和感を感じているのに。この手を繋いだ彼だけは何も感じていないのか。


 私の腕は震え、体内に蔓延まんえんした拒絶感が呼吸を苦しくさせた。


「ッ、も、ちょっと、無理……」


「氷雨さん、すみません……」


 詰まった祈君とひぃちゃんの声がして、私達は洞窟ではなく地面へと近づいていく。


 それも致しかないと理解出来る。結目さんを下ろした私は、その場に膝から崩れ落ちた。


「凩ちゃん?」


 結目さんが私の前に膝をつく。体に巣食う恐怖とも取れる感情は、私の顔を下に向けた。結目さんの顔を見ることが出来ない。


 なんだこれ。なんでこんなに力が入らない。しんどいのに、体に異常があるわけではないって分かる。しんどいと叫ぶのは自分の心で、私は、ここにいるのが――


「――怖い」


 りず君の声がする。


 彼は結目さんの肩で本音を零した。


「嫌だ、ここ嫌だ。すっげぇ気持ち悪ぃ」


 結目さんはりず君を抱いてくれたようで、私は何とか顔を上げる。


 私の肩でらず君は涙目になり、ひぃちゃんも背中で呼吸を乱していた。


 同化を解いた祈君はルタさんと一緒の地面に崩れ、翠ちゃんも膝をついてしまっている。細流さんは立っているが顔色は悪いままだ。


「鉄仮面は無事なわけだ」


「……無事、と、言って、いいかは、分から、ないな」


 細流さんは珍しく浮いた汗を拭っている。祈君はルタさんを抱き締めて、額を押さえる翠ちゃんは結目さんに聞いた。


「エゴは何ともないわけ?」


「別に? 体調良好だけど」


 結目さんは私の髪を指で巻いたり引いたりする。いつも風で揺らす時はこういうイメージだったのかな。


 なんて、聞ける余裕は私には無い。


 彼はガルムの洞窟の方を向くと、無機質な声で「おっと、」と零していた。


「地面にひれ伏してる場合じゃ無さそうだよ」


 釣られた私は結目さんより向こうを見る。


 そこには、こちらに力強く駆けてくる月白色があった。


 狼のような体躯に赤い四つの目。口から時折覗く舌は赤く濡れており、地面を抉る足はたくましい。


 私は自分の足に力を入れ、何とか立ち上がることを試みた。


 今にも元来た方向へ走り出したい気分ではあるが、それでは前へ進めない。


 翠ちゃんと祈君も震えながら立ち上がり、結目さんはハルバードに変形したりず君を握る。


 らず君は輝いて、私の心と体を補助してくれた。


 大丈夫。


 私はそう言い聞かせて、ハルバードを回した結目さんの背中を見るのだ。


「ヘぇ、これがハルバードか。一回使ってみたかったんだよね」


呑気のんきな事言ってんじゃねぇよ! ガルムが来るぞ!!」


 結目さんがハルバードを使いたかっただなんて初耳だけど、それが本心かどうかは分からない。


 私は五体のガルムさんに焦点を合わせて拳を握った。


 ガルムさん達はスピードを落とすことなくこちらへ飛び掛かり、口からは地を震わす咆哮ほうこうが叫ばれた。


 空気を揺らすそれは私の足を地面に縫い付ける。


「はは、うるさ」


 笑いながら跳躍し、結目さんはガルムさんにハルバードを振り下ろす。


 ガルムさんはりず君の刃を避ける為に後ろへ跳躍し、着地した結目さんの後ろからはもう一体のガルムさんが飛び掛かった。


 結目さんは素早く後ろにりず君を突き出し、ガルムさんの喉に槍のきっさきがめり込んでいく。


 その光景に肝が冷えたが、ガルムさんは距離をとり、穴の空いた喉は血を流すことも無く塞がっていくのだ。


 再生とかそう言うの、ほんとッ


 私は自分に向かったガルムさんをかわし、足をしならせる。しかしそれはいとも容易く躱されて、自分に武術の才能は無いと悟るのだ。


 駄目だ、見様見真似の蹴りなんて所詮しょせん付け焼き刃というか、無駄な背伸びというか、戦力外。


 一人落胆していると、結目さんの呑気な声が聞こえてきた。


「うーん、俺長物ながもの向いてないかなぁ」


「はぁ!? 今言うかそれ!!」


「仕方ないじゃん。ねぇ、別のなんかいいのないの? 殴れるやつがいいんだけど、手につけて」


「武器どんだけあると思ってんだ! 名前か特徴か教えろよ!!」


「武器の名前なんて知らないから無理。そこはおまかせだよね」


「我儘野郎がッ、氷雨ぇぇぇ!!」


「殴るやつッ!?」


 ガルムさんの鋭い牙を避けながらりず君の声を聞く。


 殴れるやつってなんだ。ナックルダスターか? あれでいいのか? いやでもあれ重くなるしもっと何かいいのないかな。いや別に駄目って訳でもないんだけどッ


 いやいや待てあれはどうだろうか、突けて切れて殴れるやつッ!


 私は後ろに跳んで地面を滑り、思いついた武器を叫ぶのだ。


「じゃ、ジャマダハル!!」


「あれか、マジか、よっしゃぁ!!!」


 りず君が叫んで形が変わる。


 小さなナイフのような刃とHの形をした持ち手。それを握れば拳に刃がついているようになる武器で、切るより突くに特化した物だ。


 私は殴ることが不得手だから使えなかったが、結目さんならきっとッ


 結目さんはりず君を握ると、飛び掛ってきたガルムさんの顔にジャマダハルを叩き込んだ。


 ガルムさんの額に剣先がめり込み、殴られた方は弾かれるように後退する。


 額に空いた穴はすぐに塞がってしまっていたが。どうしようもねぇな。


 結目さんはりず君を握り直すと、無表情に頷いた。


「うん、いいね」


 多分、それは本心だ。


 自然と思った時、ひぃちゃんは背中から飛び立っていく。お姉さんはガルムさんに向かって牙を向き、私は翠ちゃんと背中を合わせていた。


「また貴方は、顔に似合わずエグい武器を知ってるのね」


「そ、そうでしょうか……」


 反射的に苦笑してしまう。


 顔に似合わずとはどう言う意味でしょう。これも全ては、もしもの時に死なないよう勉強した迄のこと。


 翠ちゃんは手裏剣を素早く投げてガルムさんの上半身が捕えられる。


 それを剥がそうと暴れる住人さんに、同化した祈君が羽根の雨を降らせていた。


 刃に鋭さはない。足止めの為だと分かり、私は息苦しさにせてしまった。


 翠ちゃんの手裏剣は的確に三体のガルムさんの足止めをする。残りの二体はそれぞれ結目さんと細流さんが相手をしている。


 見るからに、結目さんはジャマダハルがとてもお気に召したらしいな。


 観察した私は、洞窟から飛び出して来たガルムさんに緊張する。


 この気を抜けば逃げることしか考えない体で、あの数は無謀むぼう


 一回立て直すことがきっとよくて、洞窟に近づけようとしないガルムさん達の考えが読めないから、この不利な状況は打開出来ない。


 ふと周囲の温度が上がった気がして、私は翠ちゃんの武器に囚われたガルムさん達を見る。


 彼らの月白色の毛並みは逆だち、閉じられた口からは小さな炎が零れていた。


 ――それは駄目だろ。


 直感が頭の中で木霊こだまし、私は気づけば叫んでいた。


「祈君! 翠ちゃんと細流さんと一緒に飛んで!! ひぃちゃん!!」


「は、はい!!」


「氷雨さん!!」


 一瞬戸惑った様子を見せた祈君は、それでも直ぐに二人を連れて飛んでくれる。ひぃちゃんは私を掴み上げてくれた。


 私は結目さんの方向へ腕を振る。ひぃちゃんは意図を汲んで旋回してくれた。


 彼は私を見上げると、静かな無表情で見つめてきた。


 私は手を伸ばす。


 逃げなければ、ここはいけない。


 思うのに。


 結目さんは手を伸ばしてくれなくて、りず君だけを投げ渡してくるのだ。


 針鼠に戻ったパートナーを反射的に抱き、私は結目さんを見つめる。


 彼は笑わないまま――ガルムさんに向かって行ってしまった。


 待って。待って。頭のいい貴方なら、生きることを考える貴方なら、あのガルムさんの異変に気がつく筈だろ。


「結目さん!!」


 私は手を伸ばし、走り去る彼の背中は遠くなる。


 崩れた体勢をひぃちゃんは整えてくれて、私は熱を感じた。


「ひぃちゃん!!」


「ッ、駄目です氷雨さん!!」


 お姉さんの切羽詰まった声と同時に、私は急いで空へ持ち上げられる。


 私の視線の先には灼熱の炎が吐き出され、伸ばした手と結目さんの間に火の壁を作る。


 その光景に愕然がくぜんとした。


 燃えたシュスが重なって。


 熱さが空気を焼くから。


 ガルムさんから吐き出される炎が、彼を隠していってしまう。


「結目さん!!」


 呼ぶのに返事はなくて、火の壁の向こうに行くことをひぃちゃんは許してくれないのだ。


「ッ、ひぃちゃん!!」


「氷雨さん!! 一度立て直しましょう!! 大丈夫ですから!!」


「何が大丈夫なのさ!!」


 叫ぶ私をお姉さんは祈君達の方へと連れて行き、炎の壁は崩れていく。


 その焼けた地面の向こうにチグハグな彼がいることを望むのに、そこに求めた姿はなくて。


 ガルムさんもいない。


 結目さんもいない。


 私は吐き気を覚えて、体は震え、頬に散った生暖かさを思い出すのだ。


「……アイツ、どこに行ったんだよ」


 祈君が呟く声がする。


 私は自分の顔を覆い、髪を掴んで首を横に振る。


 体はここにいることを恐怖しているのに、心はあの洞窟に行かなくてはいけないと言っていて。


 このズレた感情は、私を引き裂くように暴れるのだ。


「氷雨」


 翠ちゃんの声がして、らず君は輝いてくれる。


 私は聡明な彼女を見て、その華奢きゃしゃな手には手裏剣が戻ってきていた。


 あぁ、そうだ。それには追跡出来る力があって……。


 それでも翠ちゃんは首を横に振り、武器をホルスターに仕舞った。


「駄目よ、剥がされてたわ」


「……結目」


 細流さんの声が低く耳に入ってくる。


 私の目は勝手に結目さんを探すけれど、やはり彼はいないのだ。


 私は顔をうつむかせてしまい、視線の先に漆黒を見る。


 霧のように先が消えている尻尾と大きな猫のような姿。その双眼は赤く輝き、私達を見上げている。


 その住人さんは私達に静かに膝を折るのだった。

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