第67話 心積
――オヴィンニク
それは、奪うことを至福とするディアス派の方々のこと。ガルムの洞窟に最も近い、オヴィンニクの穀物畑に住んでいる住人さん。感情が高ぶると周囲を燃やすことができ、力で解決をしていく性格の方なのだとか。
そんなオヴィンニクさんのシュスにやって来た私達。
三つあるシュスの中で一番大きなオヴィンニク・シュス・ドライは
そんな感想を口にしないまま、私達は中央のお城に招かれていた。
応接室のような部屋は柔らかい絨毯と座り心地が良い丸座布団が置かれた場所で、私達四人はそこに座らされている。
目の前にはオヴィンニクの女王だと名乗られた方が、威厳ある空気で座っていた。
大きな黒い体躯に燃えるように赤い瞳。知的な顔つきは凛々しくて、それでも所作には丁寧な雰囲気が滲んでいる。
「お初にお目にかかります。ワタクシはオヴィンニクの女王、ラドラと申します」
「挨拶は結構よ。何故私達をここに呼んだのかしら?」
とてもストレートな言い方で問う翠ちゃん。ラドラさんは顔を伏せながら頷くと、直ぐに私達の方に向き直ってくれた。
「貴方がたが、ガルムと交戦していたからです」
「交戦していたからと言って声をかける必要は無い筈よ。ルアス軍ならまだしも、私達はディアス軍なのだから」
翠ちゃんの言葉は最もである。
私達は生贄を連れて行くディアス軍。それに声をかけると言うことは、生贄として連れて行かれてもいいと言っているようなものだ。
ラドラさんは一瞬目を伏せると、赤い双眼を再び覗かせていた。
「連れて行かれたのですよね? 仲間の戦士の方を」
私の脳裏に結目さんが浮かぶ。
連れて行かれた?
いいや違う。彼は自分の足で行ったのだ。
結目さんは確かに私を見て、それでもガルムさんの方へ向かった。その背中に手は届かないし、声も彼には響かない。
無力さに占められた自分の中はあまりにも心細く、私は握った掌に爪を立てるのだ。
「違うぞ、連れて行かれたんじゃない。アイツは自分で行ったんだ」
りず君が私の膝の上で答えてくれる。
ラドラさんは
その仕草に私の不安は増長され、掌に汗をかいてしまう。
りず君は「違うのか?」と聞いてくれて、ラドラさんは頷いた。
「ガルムの洞窟に近づくとそうなるのです。奴らが贄に選んだ者が洞窟に近づきたくなるように。それ以外の者は逆に近づきたくないような気分にさせる。そう言う術なのです」
「じゃあ、あの変な感じ……」
祈君が呟いて、私も自分の手を擦り合わせる。
洞窟に近づきたくないと思わされた感覚。あの山に近づいてはいけないと思ってしまった自分。結目さんは何も感じないと言っていたが、まさかあの時から……。
考えていると、ラドラさんは教えてくれた。
「ワタクシ達の仲間も、もう何人も連れて行かれたのです」
言葉に釣られて彼女の目を見る。ラドラさんは尻尾で目元を隠しており、私の考えていたオヴィンニクの姿が徐々に崩れていった。
窓から夕焼けが射し込んでいる。
私達に残された今日が少ない証。
私は奥歯を噛んで、ラドラさんを見つめていた。
* * *
ラドラさんが私達を招いた理由は、簡単に言えば戦力にする為だった。
贄にされた同胞の敵を打つ為にガルムさんに勝負を挑むのだと。奪われることを主とする自分達から奪うなど、許せないのだと。
仲間の為かと思えば、蓋を開ければ自分達のプライドの為に望んでいる戦闘。
奪われるという行為によって傷つけられた気持ちを晴らす為に戦うのだと、ラドラさんは言っていた。
――力を貸していただけませんか? 貴方達のお仲間も共に救いましょう!
輝く瞳で懇願してきたラドラさん。しかし残念ながら、私達の答えは満場一致で拒否だった。
誰かの敵討ちに私達が手を貸す理由がない。
何かを成すならば何も知らない他人を借りず、自分達で道を切り開くべきだ。
もしそこに手を貸すだけの道理があるならまだしも、彼女達の願いは自分達の不名誉を奪回すること。奪うのは自分達の専売特許なのだとか。
贄にされて死んだ仲間について聞けば、
――それは彼らが奪われるほど弱かったというだけです
とのことだ。頬が
私は夕焼けに染められた廊下を歩く。鉱石で作られたお城の廊下は長く広く、私達の影を伸ばしていた。
私はそれを
ガルムさんが結目さんを贄に選んだのだとしたら。彼が呼ばれてしまったのだとしたら。
嫌な予感は私の脈を早くする。それを律しながら宝石を三回叩き、アミーさんを呼ぶのだ。
軽快に現れてくれた兎さんは私が口を開く前に聞いてくる。
「帳君が無事かどうかだね? 氷雨ちゃん」
まるで、私の心を見透かしたような質問。
私は口角が自然と上げながら頷いた。アミーさんは私の頭を撫でるような仕草をして、努めて明るくしたような声をくれる。
兎の被り物に出来た影の
「帳君は大丈夫だよ。オリアスの奴が打ちひしがれてなかったからね!」
「では、まだ時間はあると……?」
「うん、そういうこと。今日明日で死ぬような状況じゃないよ!」
アミーさんは穏やかな声で教えてくれる。私は安堵すると同時に、早く結目さんを洞窟から連れ戻したいと思っていた。
彼の意思で行ったのであればまだしも、他者によって仕組まれたことであるならば、私はそれを見過ごせない。
しかし、連れ戻す為には彼が思っているであろう「近づきたい」という感情をどうにかしなくてはいけない。そうなると、やはりガルムさんと話さなければいけない気もする。
しかし彼らに言葉が通じるのかどうかは未知数。だからといって諦める訳にはいかないのだけれども、解決策が見つからないぞ。
「無茶しちゃ駄目だよ」
アミーさんは釘をさしてくれて、私は微笑んでおく。
それから手を振って消えた青い兎さん。私は何もなくなった宙を見て、再び考えに
「氷雨」
呼ばれて、振り返る。
そこにいる翠ちゃんに祈君、細流さんは私を見つめており、首を傾けてしまうのだ。顔に笑みが残ったままで。どうしようもない感情を消化出来ないまま。
聡明な友人は私に聞いてきた。
「私達の目的は?」
目的。
私達の。
突然問われたことに内心驚き、私は視線を床に向ける。
私達の目的。それはディアス軍の戦士として生贄を集めること。今は四人目の生贄を探している。他者を贄にするガルムさん達ならば、私達が思う悪かもしれないと思ったから。
考えた私は口を開く。
「生贄を集めることです。六人の生贄を、ディアス軍の戦士として。明日を生きる為に」
「そうね。ならばガルムの洞窟には何故来たのかしら?」
「……命の鉱石に、ガルムさんが贄を捧げているという情報があったので。そこには悪がいるかもしれないと思ったから……」
「分かっているのね」
翠ちゃんは息を吐き、私は頷く。
この目的は動くことがないし、生贄を集めなければ死んでしまうのだ。そんなのは耐えられない。私は、私達は、明日を生きることを望んでいる。
何故それを確認されたのかが分からなくて、私は翠ちゃんを見つめてしまう。
綺麗な友達の横顔は夕焼け色に染まっていた。
「氷雨、貴方は今――何を優先しようとしているのかしら」
私は目を見開いてしまう。
優先しようとしていたこと。
私は翠ちゃんを凝視する。
彼女の目は私の中を見透かしているようで、呼吸が少し乱れてしまった。
「生贄でも何でもなく、貴方はエゴを救うことを考えているでしょう?」
私は息を詰めてしまう。
優先していたこと。確かに私は、彼を連れ戻すことしか考えていなかった。
オヴィンニクさんとガルムさんの態度を見て、あの二種族を生贄にする気が失せてしまっていると言ってもいいし、知人が贄にされそうな今の状況が酷く息苦しく耐えられないから。
それは自己満足だ。道を共にしてくれている彼女達の意思に反することだ。
本当に? 彼らにとっても結目さんはチームの筈だ。ならば連れ戻したい思いも無い訳ではないのではなかろうか。
翠ちゃんは私を見つめて、私も彼女の目の奥を見つめ返す。
「……翠ちゃんは、どうお考えで?」
なんとか問いを絞り出す。答えを聞くことを恐れている癖に。
翠ちゃんは揺るぎない茶色の瞳で私を射抜き、形のいい唇を動かしていた。
「ガルムの調査を優先すべきだと思うわ」
翠ちゃんの言葉が、私を殴る。
それは鳩尾にめり込むと、理解する前に痛みを与えて目眩がした。
私は鳩尾を摩り、祈君も細流さんも口を開かない。
翠ちゃんは続けていた。
「私達に時間はないの。まんまと相手に誘われたと考えられるエゴに、手を伸ばす理由はないんじゃない?」
「そんな、翠ちゃん」
それはおかしい。私達はチームの筈で、貴方は私がグローツラングさんに襲われた時は助けてくれたではないか。
助けることに理由はいらないと、言っていたではないか。
私は足を後退させてしまう。
目の前の茶髪の彼女は続けていた。
「何よりも、あいつは助けられることなんて望まないと思うわよ」
その言葉が私に響く。
鳩尾部分の服を握り締めて、冷や汗が頬を伝った気がした。
私を横目に見て走り去ってしまった結目さん。
いつも私の先を行き、髪を引き、考えが全くと言っていいほど合わない彼。
「氷雨さんは、どうして助けたいと思うの?」
祈君にまで確認されてしまう。
私は「それは……」と呟き、視線を下に向けるのだ。
祈君は帽子のつばを下げ、自信がなさそうに言っている。
「氷雨さんは駒じゃないよ。でもアイツは、いつもそう言って貴方を使ってる……今ここで別れれば、氷雨さんは楽になれるんじゃないのかな?」
耳を掠めた拳を思い出す。
谷底の暗さを思い出す。
あの頃のようなことはもう無いけれど、結目さんの私に対する態度は変わらない。
いつも何を考えているか分からない顔で笑い、決して近づかせない間隔を開けている。
それを寂しいと思ったことは無い。
それでも、遠いと感じることは多々あった。
私は目を閉じて、青い空での会話を思い出してしまう。
―― 凩ちゃんの行動全部の――根底にあったのはなに?
結目さんの声が反響する。
私の考えの根底にあること。ずっと考えて、止められなくて、解決しなければ前に進めない、臆病な私。
私は奥歯を噛み締めてから手を握り、前を向くのだ。
「それでも私は――心配だから、行きます」
私は心配性だから。
手が届くであろう距離にいるのに、それを後に回すのが心配だから。
私を風で庇ってくれた彼にまだ何も返せずにいるのに。ずっと隣にいた人を無くすのが怖すぎて。
「救われたんです。彼の言葉に、私は」
風で首を引かれた空の中。彼は笑っていた。
「手が届く筈なのに、見ないまま進むなんて……私は出来ないし、もしそれで生き残っても息苦しくて、耐えられなくて、申し訳なくて」
呼吸をする。
その一息一息が苦しくて、私は祈君達が見られなくなる。
夕焼けの色に深みが出て、帰らされる時間が近い。
「これは私の我儘です。手を伸ばされることなんて結目さんは望んでいないだろうに。私は私の為だけに、彼を救いたいと、戻ってきて欲しいと願ってしまうんだ」
心臓の上を握り締める。
翠ちゃんは目を伏せて、祈君は髪を引き、細流さんは頷いてくれていた。
この言葉が届くだろうか。こんな、傲慢な私の言葉が。
結目さんと、翠ちゃん、祈君の間の亀裂を見た気がして、私は苦しくて仕方がない。
どちらかを優先すれば、どちらかを失いそうで。
もう、失うなんてしたくないのに。
目の前でまた赤が飛ぶ。笑顔が弾ける。
怖くて、怖くて、怖くて。
目を瞑りかけた時――優しい声がするのだ。
「それで、いいと、思う」
片言な彼の言葉が聞こえる。
見ると細流さんは首を傾けて、胸の中心に大きな手を当てていた。その目は伏せられて、顎は引かれ、静かな声がする。
「俺も、氷雨も、結目の、駒だ。それでも、本当に、結目が、必要として、いるのは、氷雨だけ、だと、思うん、だ」
細流さんが近づいて私の頭を撫でてくれる。
その優しさが染みるから、そんなことはないと叫ぶ私が閉じ込められていく。
私は顔を上げて、細流さんの暗く深い瞳に見下ろされた。
「行って、いい、氷雨。生贄は、俺達が、探しておく」
「細流さん……」
私は翠ちゃんと祈君にも顔を向ける。二人は肩を
「貴方がエゴに何か弱みでも握られて、無理矢理同行させられてるんだと思ってたけど……そうでもないのね」
「ぇ、ぁ、はい、決してそんなことは……」
「それならいいの」
翠ちゃんが微笑んでくれる。
祈君とルタさんも頷いてくれて、私は知るのだ。
心配されていたのだと。
私の意思ではなく、上下関係によって私が結目さんを助けようとしているのではないかと。
祈君は笑ってくれた。
「行って、氷雨さん。アイツは氷雨さんの言葉しか、まともに聞いてくれないだろうから」
「私達が行っても焼け石に水よ」
「そう、言う、ことだ。頼む、氷雨」
言われて、黒い手が空から伸びてくる。
私はそれを視界に入れながら口を結び、首を縦に振ったのだ。
「はい」
私の言葉を結目さんが聞いてくれる自信はあまり無いが。それでも行くことを許可いただけた。
何もせず引きずるよりも、思うことをして進んでいいと言って貰えた。
それだけで十分だ。
私は黒い手に捕まれ、明日のアルフヘイムを思うのだ。
結目さんを思ってしまうのだ。
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