欠落した寂寞者編
第65話 抑留
さて、どうするか。
目の前に並んだ豪勢な料理と流れる軽快な音楽。
目の前にいるのは水色の肌を持つ愛らしき妖精、ニクシーさん達。
彼女達は満面の笑顔で踊っていた。足元の芝からは金の光りの粒が舞い上がり、踊りの美しさを際立たせている。
ここはニクシーの川の岸。爽やかな緑色をした芝の上に真っ白の長机が準備され、そこには大量過ぎる料理が並べられていた。
私達は準備された椅子にそれぞれ座り、嬉しそうに食事を勧めてくれるニクシーさんに苦笑を返している。
「凩ちゃーん、こいつらの説明、はいスタート」
笑顔の結目さんに
「ぁー……彼女達はニクシーさんです。この後ろの川に住まれている方達で、水の中にシュスがあります。宗派はディアス派。愛でたいものを愛でて、手に入れたいものを手に入れる勝気な性格でもあると言われています。数少ない戦士との対面は彼女達にとって至福の時で、大歓迎してくれるのだとか……」
「今の現状ってわけだ」
「……ですね」
苦笑しながら目の前に出て来ている何かのお肉を口に入れてみる。
あ、美味しい。量がえげつないけれども。
横目に祈君や翠ちゃん、細流さんを見るけれど、皆さん諦めた顔で並べられた料理を口にしていた。
ルタさんの観察眼で視てもらい特に害ある食べ物では無いと返答を頂いた為、食事を不安がる必要は無い。
こんな豪勢なもてなしをされて、手をつけずに席を立つと言うのは誰も出来なかったわけだし。
翠ちゃんと祈君は渋々と言った感じで食べているのに、細流さんに至ってはお皿が三つほど空になっていると言うね。お腹すいてたのかな。
噛んでいたお肉を
りず君にらず君、ひぃちゃんはよく分からないデザートっぽいのを食べている。食べなくても事足りる彼らだが、別に食べられないという訳でもない。心獣の食事は個々の自由だ。
ルタさんも不思議な固形物を少しだけ食べている。申し訳ないが誰もニクシーさんの踊りなんて気にしていない。
私は愛らしいニクシーさんに目を向けて、目が合った住人さんは笑ってくれた。だから微笑み返すのだ。
笑ってくれたニクシーさんはふと視線を逸らし、私の隣を見た。釣られて私も隣にいる結目さんを見てしまう。
彼は両手をポケットに突っ込んだまま、明後日の方を向いていた。
この状況で彼だけは食事に手をつけていない。料理が並べられるのを
私はお肉を切り分けて、再び口に運んだ。
――フォーンの森を離れて早数日。ニクシーの川に近づいてしまった私達は、彼女達と会う予定は無かった。
ただ近くを通り掛かっただけで、その瞬間水の縄に全員捕まったのだ。
何事かと焦ったが、歓喜していたニクシーさん達に驚くほど歓迎され、全員戦意も危機感も削がれてしまったのだ。
ここで時間を潰すのが正しいことかは分からないが、残念ながら席を立つタイミングもない。
「ご馳走様」
手を合わせて言い切った細流さん。彼の前のお皿はどれも綺麗に空っぽで、ニクシーさん達は大喜びだ。
マジか、どれだけ量あったと……いや黙ろう。
私はお肉と一緒に言葉を飲み込んだ。
「俺も……ご馳走様でした」
祈君は冷や汗が浮いた顔で手を合わせる。彼の前では一つのお皿が空にされて、本人は口を押さえていた。
ひと皿の量がおかしいこの歓迎会で、一つでも綺麗に出来たら褒められることだよ。
翠ちゃんは胃の上を押さえて完全に口が止まっている。眉間に皺を寄せている彼女は今にも「ギブアップ」と叫びそうだ。
そんな翠ちゃんに気づいた細流さんは、彼女が食べていたお皿を自分の前に移動させて食べ始める。
優しい。と言うかまだ入るのか。流石だな。
「……ありがと」
「あぁ」
ぎこちなくお礼を言った翠ちゃんと、何も気にしていない雰囲気で頷く細流さん。
ニクシーさん達はその姿に大喜びで、細流さんは無表情に食べ続けていた。
出した料理をあんなに食べて貰えたら嬉しいよな。
そんな感想を抱きながら、私は痛む胃を摩っていた。精神的なものではなく素直に一杯で痛いのだ。
それでもご飯は残してはならん。好き嫌いなんて
だから残すなんて出来なくて、私は食事を止めないのだ。
「凩ちゃんマジか。どこにそんな入ってんの」
風に頬を押されて横を向く。食事に一切手をつけていない結目さんは、今日もやっぱり笑顔なのだ。
どこに入るって、胃しかないと思うのですが。
そんなこと言える筈もなく、私は
「こんなの残せばいいのに。何入ってるか分からない食べ物なんてさ」
「ぁー……まぁ、折角出してくださったので。ルタさんも問題ないって教えてくれましたし」
「お人好し」
髪の一部が風に遊ばれる。結目さんは欠伸をすると、顔から笑みが消えるのだ。
「あーぁ……気持ち悪」
彼は何を思ってその言葉を零すのか。
私には分からなくて、口に食べ物を入れて黙るふりをした。
「氷雨さん、大丈夫?」
心配してくれたのは祈君。
彼は未だに顔色が悪く、私は何とか笑ってみせた。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます。祈君は大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫」
視認出来る中に大丈夫と言える要素は無さそうだが。私が「大丈夫?」と聞いてしまったから、祈君は「大丈夫」と答えてくれる。
ごめんなさい、質問を間違えましたね。
それでも出した言葉は戻らないから、お互いを見て肩を
お互いに信憑性の無い「大丈夫」を言い合って、私は再び食事に向かう。
音を上げそうになったが、りず君にも手伝ってもらって何とか一つのお皿だけは完食した。
……私、満漢全席は食べられないな、絶対。
「ご馳走様でした」
手を合わせて挨拶を搾り出せば、ニクシーさん達は大喜びだ。細流さんも手を合わせてからお皿を重ねている。
あの人の胃袋ブラックホールなのかな。涼し気な顔をされている。
感心していると、隣の椅子から立ち上がる音がした。見ると結目さんが「行こっか」と笑っている。相変わらず感情を乗せていない声だ。
私は頷き、祈君に翠ちゃん、細流さんも立ち上がる音がした。ひぃちゃんが背中に来て翼を広げてくれる。
「ニクシーさん、ありがとうございました」
お礼を言えば彼女達は笑ってくれて、しかし目は結目さんだけに向いていた。
食事を一切取ってない彼に不満があると言う顔。
それを結目さんは無視して足が地面から浮いた。
祈君はルタさんと同化して、細流さんを持ち上げる。
私はりず君とらず君が肩にいるのを確認して、翠ちゃんと一緒に飛び上がった。
淡く輝いてくれるらず君は、少しだけヒビが入ったお腹を気にしている。そのヒビはまだ治っておらず、私は口を結んだのだ。
「さっさと行くよー」
祈君と私より上にいる結目さん。
彼の目は心底つまらないと語るようで、私は苦笑してしまうのだ。
悪を探す為に目指していた場所。
次に行きたいのは、鉱石を守る為に他者を殺す「番犬」の住人さんの所。
そう決めていた。
結目さんは腕を組みながら適当な声で笑っている。
「次はいい悪がいるといいんだけ――」
不意に、彼の言葉が途切れた。
私が見たのは、水の帯によって体と口を
その光景に肝が冷え、私の口は叫ぶのだ。
「結目さん!!」
結目さんの目が見開かれ、かと思えば悔しげに眉を潜めている。
私の手は震えてしまい、翠ちゃんが帯の出処を指していた。
「ニクシーよ!!」
私は反射的に下を見て、満面の笑みを浮かべている住人さんを視界に入れる。
彼女達は数人掛りで帯を引き、その水は淡い光を宿し始めていた。
思った時、結目さんの体が突然落下する。
なんで、彼が落ちるだなんてそんなわけッ
「氷雨!! 離していい!! 行って!」
「ッ、はい!!」
翠ちゃんに
視界には、細流さんが翠ちゃんを抱き留めてくれる姿が映った。
ハルバードになってくれたりず君を握る。結目さんは重力に引かれるまま落下して、ひぃちゃんは力強く羽ばたいてくれた。
結目さんより地面に近づき刃を振り抜く。
水の帯は弾けるように柔く切れ、私は結目さんに抱き着いた。
彼の体を掴んでいた水の帯も弾け消える。それでも結目さんは飛ばなくて、私は違和感を覚えながらパートナー達に頼るのだ。
「お願いッ」
「はい!!」
らず君が強く輝いて私の体を補助し、ひぃちゃんが一気に上昇してくれる。
結目さんを抱き締める腕には嫌に力が入り、私はニクシーさん達を振り返るのだ。
彼女達は悔しそうな顔をして、川から水の帯が
――愛でたいものを愛でて、手に入れたいものを手に入れる勝気な性格
あ、そう言う……。
私の顔からは血の気が引き、針鼠に戻ったりず君が肩で叫んだ。
「にげろぉぉぉぉ!!!」
その合図を受けてひぃちゃんが全速力に近い速度で飛び、祈君も風に乗って先へ先へと進んでくれた。
目的地は無視して、ただ我武者羅に。
私の耳には、悔しげに響くニクシーさんの奇声が入り込んでいた。
* * *
全力でニクシーさん達から逃げ延びた私達は、近くの林の入口で息をついていた。
祈君は意気消沈しており、ひぃちゃんも肩で息をしている。
私はお姉さんにお礼を伝え、結目さんを地面に下ろした。らず君は輝くのを止めて、腕に倦怠感がのしかかってくる。
やっぱり翠ちゃんと結目さんでは体格が違うからな。疲れ方も違うわな。
いいや、違うそこではない。今考えるべきところは。
私は頬から流れた汗を拭い、結目さんを見る。
彼は自分の両手を無表情に見下ろして、私の胃が痛くなった。
いつも一人で飛ぶ彼が、私の腕から降りようとしなかった。
帯に掴まれた時に落下して、それが弾けた後も彼は空気を操る様子を見せなかった。
嫌な予感が私の頭を
「結目さん」
この不安を消したくて彼を呼ぶ。
目が合った結目さんは無表情のまま、質問の前に返事をくれた。
「うん、俺、力使えないや」
体から血の気が引く。目を見開いた自覚がある。祈君達も目を丸くして、結目さんを凝視した。
結目さん本人はどうでも良さそうで、まるで問題ないと言う風に手を開閉させているが。
私は生唾を飲み込んで、祈君は聞いていた。
「力……使えないって?」
「空気操れないってこと」
さも当たり前と言わんばかりに結目さんは答える。
祈君は首を傾げ、ルタさんは翠ちゃんを見た。
「それは、体感系能力者に……あることなのですか?」
「いいえ、無いわよ。私達の能力は心に埋め込まれたものだもの。それを取り出せるのは担当兵だけの筈」
「けど使えないし、なんだかなー」
心に埋め込まれた力。
それを初めて知りつつも、今は気を向ける事ではない。
私の焦点は翠ちゃんに合った。
難しい顔をする翠ちゃんに相反して、全く焦りを見せない結目さんはオリアスさんを呼んでいる。
現れた担当兵さんは自分の戦士を見ると、呆れたようにため息をついた。
「ニクシーの食事を食べなかったね?」
「まぁね。それが原因?」
「そうだよ」
オリアスさんは仕方なさそうに首を振る。
そこまで
いや、戻すというのは語弊があるか。今の結目さんの状態こそが私達にとっての普通で、けれども戦士としては足りていない。
「なんでもいいからさ」
結目さんは無機質な声で笑った。
「直せる? 直せない? どっち」
「直せるが直せない。直すことをオススメしないと言ってもいい」
含みある言葉をオリアスさんは並べる。
その言葉に私の肝は冷え、結目さんは抑揚のない返事をするのだ。
「オススメ、ねぇ」
何故彼は慌てないのか。慌てるのはおかしいことか。今胃が痛んでる私が変なのか、そうなのか。
「じゃあこれからどうすりゃいいんだよ!」
りず君が私の焦りを表すように声を上げてくれる。
私は首を縦に振り、オリアスさんは視線をこちらに向けた。
彼の穏やかな目は波紋のない水面のようで、私は自分に落ち着けと念じて口角を上げた。
「これはニヴァスと言われるニクシーの
「……私が書き損ねただけかもしれません」
力無く笑いながらメモ帳を出してみる。
私が書き漏らしたのか。でもこんな呪いだなんて言われたら絶対書いたと思うんだよな。
「違うよ!!」
微笑んでくれたオリアスさんと私の間に、突如アミーさんが映し出される。
あぁ、勝手に出てこないでくださいねって先日言ったばっかりなのにッ
「僕が言ってなかっただーけ。だって心獣系戦士の氷雨ちゃんには関係ないし!!」
「アミーさん……」
「別にそこはどうでもいいよ」
結目さんが笑いながら首を傾け、アミーさんは「お疲れー、結目帳君!」と敬礼した。結目さんがそれに手を振り返す訳もない。
力が封印された彼は言う。
「オススメしないってどう言う意味?」
「そのままの意味さ。呪いを解くことは可能だけれど、それは心に直接かかっている類のものだからな。無理に剥がせば君の心が壊れるだろう」
それは駄目だ。
私の肝が冷える。腕にいるりず君達は揃って首を横に振った。
「うん、いいよ。解いてオリアス」
なんて結目さんは言うから、私は唖然としてしまう。
結目さんはオリアスさんに笑みを向け、兵士さんは黙って戦士を見下ろした。
私は上擦りそうな声を出してしまう。
「結目さん、ぁの」
「やめなよ帳君! 心壊れるってちょー苦しいんだよ!!」
「うるせぇ名前呼ぶな兎が」
笑顔でアミーさんを拒絶した結目さん。
私は結目さんの手を掴み、その冷たい手は驚くように震えるのだ。
結目さんと目が合う。私は首を横の振り、彼は笑っていた。
「解くなって?」
「はい」
「じゃあこの数日、俺はどうしたらいいのさ。アルフヘイムなんて言うぶっ壊れた世界で、ただのガキは何も出来ないじゃん?」
「ぶっ壊れた世界だなんて失礼だな!」
「兎は黙れ」
結目さんは真っ直ぐこちらを見下ろして、私の喉が渇いていく。
この危険極まりない世界で、何の力も持たない人間が生き延びられる保証なんてない。
結目さんは笑い、私は奥歯を噛み締めた。
「いいよ、心がぶっ壊れたって生きられるわけだし」
「駄目です」
首を横に振る。
それはいけないことだと分かるから。
結目さんは首を傾けて、無感情な目で問うてきた。
言葉にされなくても分かる。ならばどうするつもりかと彼は聞いている。
私は彼の手を握り締めた。それが握り返されないから、この人と私の距離が見えるのだ。
「私が貴方の――刃になる」
引きずり出した言葉は建前も何も考えておらず、胃が
結目さんは口を開きかけて、それを私は遮った。
「貴方の手の上で踊るのが、私なのでしょう。ならば使ってください。それしか私には出来ない」
心臓の音が大きくなって口角は上がり続ける。
結目さんはゆっくり瞬きし、確かに笑顔を作っていた。
「俺を運んでって言ったら?」
「運びます」
「その茶色い針鼠を貸してって言ったら?」
「どうぞ」
「使っていいぞ」
りず君は勢いよく結目さんの肩へ跳び移る。
私の頼れるパートナーは鋭いナイフになり、それを結目さんは回していた。
「オリアス、この呪いは数日で解けるんだよね?」
「あぁ、そうだよ」
「ならいいか」
結目さんは確認し終えて、オリアスさんは消える。チグハグな彼は笑顔で、私に期待していない声をくれた。
「よろしく、凩ちゃん」
「はい、結目さん」
「氷雨」
ふと翠ちゃんに呼ばれる。
彼女は真っ直ぐ私を見つめて、名前を呼んでくれた先を言わない。
それから目を伏せて「いいえ」と呟いていた。
私はゆっくり笑ってしまう。
アミーさんは静かに拍手をする素振りをしてから消えてしまい、私は手を握り締めるのだ。
――その日、私は結目さんと手を繋ぎ、翠ちゃんは細流さんに抱かれて祈君が運んでくれた。
目指すのは――ガルムの洞窟。
私は結目さんを少し見て、彼の言葉を思い出し、目を伏せるのだ。
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