第45話 薄明

 

「はーい、三人目」


 結目さんが祭壇に名工さんを祀っている。私達はあの後何事もなく自分達の祭壇まで戻ってきて、息をついていた。


 思うのは、スクォンクの洞窟を出る時の考えのない会話。


 変になってしまった私を、楠さんも、細流さんも、結目さんも、誰も責めなかった。責められたいわけではなかったけど、馬鹿をやったと思っているのに。


 しんどいのなんて皆さん一緒で、私だけの筈がなくて、弱音なんて吐いてもどうにも出来ないんだから、マイナスな発言なんてするべきではなかった。


 それでも、笑いながら泣いていたスクォンクさん達には確かに救われた。


 間違っていなかったと思わせてくれたから。


 私は、三つの埋まった十字架を見て口を結んだ。


 これで半分。やっと、半分。


 最初は誰もいなかった十字架に殺す人が増えていく。


 祭壇に辿り着いたのは夕暮れだった。


 鉱山のシュスは、何も変わらないというように通常営業されていたな。


 スクォンクさん達の泣き声はやっぱり洞窟の外まで響いていたし、ポレヴィーク・シュス・ツェーンに関しては何もしてない。


 それでも悪は見つけられた。


 鉱山の大職人さん達やドヴェルグさん達が好いていなかった人。闇雲君と私とした会話で、スクォンクさん達を嘲笑あざわらったのが決定打となってしまった人。


 彼は命乞いも正当化も何もせず、ただ他者を下に見て終わってしまった。本当に、彼があそこまでデックアールヴさん達を格下扱いするのは何故なのか。


 宿命や使命が、人によって道標にもなり鎖にもなるなんて。


「ディアス派になりたかったそうよ」


 柔らかな声がして、肩には手が乗せられた。


 隣には名工さんに視線を向けている楠さんがいる。


 ディアス派に、なりたかった。


 私は首を傾げて、楠さんは教えてくれた。


「ドヴェルグ達は、死を恐れることなく武器が作りたいの」


「だから、ディアス派に?」


「えぇ、宿命も使命も無いディアス派に憧れる人は多いみたいよ。けれど宗派を変える場合は、種族全員の同意と中立者及び現在統治しているルアス軍の長の承諾がいるんですって」


「ひぇ……」


 考えただけでも気が遠くなる。


 ドヴェルグの鉱山に何人のドヴェルグさんとデックアールヴさんが住んでいるのかは知らないが、その全員が同意するって難関だし、その後ルアス軍の偉い人と神様である中立者さんに承諾もらうなんて。何年かかる作業なんだろう。


 私は苦笑してしまい、ディアス軍が勝てば全住人さんが問答無用でディアス派にならなければいけない事を思い出した。


 それはそれで心からルアス派を信仰している人にとっては苦行だし、反乱が置きそうな予感がするんだよなぁ。


 不意に風に浮いた髪を掴んでみる。


 楠さんから視線を外すと、笑いながら近づいてくる結目さんと、無表情に歩いている細流さんがいた。


「二人目と三人目が直ぐに捕まえられてよかったね」


「です、ね」


 喉に何かが詰まりそうになりながら返事をする。


 左胸から外したブローチはよく出来ていたな。素人目だけど。あ、スクォンクさん達の所にスピーカー置きっぱなしか……よかったのかな。


「今日はもうすぐ帰る時間かしらね」


「そう、だな」


 楠さんは橙色に染まる空を一瞥して呟き、細流さんは彼女と祭壇を出ながら頷いている。


 結目さんと私も祭壇を出て、遠い空から微かに届く光に手をかざした。


 ふと見えた、大きな翼。


 夕焼けを背にする黒いシルエット。


 私は目を丸くして、風が谷底から吹き上げた。


「うわ!?」


 声変わりを終えたような声がする。風は翼の自由を奪い、シルエットが二つに分かれてしまう。


 私は反射で「りず君!」と小さな彼にお願いしていた。


「おう!」


 私の肩から飛び降りてクッションになってくれたりず君。そんな彼に沈みこんだのは、黒いふくろうさんとフードとキャップを被った彼だった。


「祈、起きろ」


「……この風、絶対アイツだろ……」


 梟さんが飛び上がり、萎んでいくりず君から降りた少年を心配してる。


 私は苦笑してしまい、りず君達に近づいた。


「りず君、ありがとう。ルタさん、闇雲君、大丈夫ですか?」


「おう、氷雨」


「凩さん、僕も祈も大丈夫です」


 肩によじ上ってくれたりず君の額を撫で、もう片方の腕は前に出してみる。


 そこにルタさんは止まって会釈をくれた。


 地面にうずくまっている闇雲君は顔を上げてくれて、キャップ帽とフードを直している。見た感じ、怪我はなさそうで安心。


 落とされてしまうのは私が知る限り二回目だが、一回目よりも顔を上げてくれるのは早かった。良かった。


「……」


「……」


 良かったけれど、闇雲君に無言で見上げられてしまうのはちょっと困ったことだ。


 見下ろすのは居心地が悪いので同じ目線にしゃがんだが、さて、ここから本当に分からないぞ。どうしたもんか。


 ルタさんは闇雲君の横に戻ってくれたけど何も言わないし。


 闇雲君は何故ここに来たんだろう。用事があったのかな。と言うよりこの谷底までよく来たよな。


 祭壇、いいのかな。お別れの挨拶は出来てなかったですね、ごめんなさい。


 色々考えながら闇雲君を見る。彼は黙ってしまい、私も黙ったまま微笑んでいた。


「あれ、雛鳥君じゃん、どしたの」


 そんな結目さんの平坦な声と一緒に頭に手が乗る。そのまま体重をかけられて、私の首の骨が鳴った気がした。気の所為でありたいな。


 私は頬を引き攣らせて笑い「結目さん……」と呟いてしまう。


「止めろよ性悪ヤンキー、凩さんの迷惑だろ。俺とルタを落としたのは百歩譲って水に流してやるから」


「うわ、よく分かんないけど上から目線かよ」


「お前が言うな」


「はいはい。それで何の用? 引きこもりがこんな所にたまたま立ち寄るわけないよね?」


「誰が引きこもりだ」


「結目さん、闇雲君、あの、そんな、喧嘩腰、」


 どう見ても仲が悪い二人の会話に耳が痛くなりかけていれば、大きな手が闇雲君の頭を撫でてあげていた。細流さんだ。


 闇雲君の横にしゃがんで頭を撫でてるお兄さんは、やっぱりどうして無表情だ。


「喧嘩、は、駄目だ」


 静かに諭してくれた細流さん。それを結目さんは「分かってるよ」と笑い飛ばし、闇雲君は黙ってしまった。


「そこから退きなさいエゴ、凩さんの邪魔よ」


「毒吐きちゃんの声耳に響くから話しかけんな。はい、凩ちゃんスタンドアーップ」


「え、ちょ、」


 両手を持たれて腕を引かれ、万歳の状態で立ち上がってしまう。


 ケラケラと言う雰囲気で結目さんは笑っているが、何が楽しいのだろうか。これでは私は小学生か何かではないか。羞恥しゅうちだ。楠さん、気にかけてくださってありがとうございます。


 私は「結目さん……」と苦笑し、離された両手を脱力気味に下ろした。


 結目さんのテンション、未だ読めず。


 闇雲君は細流さんと一緒に立ち上がって、腕の中にはルタさんがいた。可愛い。


「……ぁの」


 闇雲君が首を傾げながら下を向く。彼はそこから何も言わなくて、空の色が濃くなっていた。


「何?  言いたいことがあるならハッキリ言えよ」


 結目さんの声がして、私の髪がまた宙に浮く。それを掴んでから闇雲君に微笑むと、完全に口ごもってしまった少年がいた。


 それに笑ってしまい、待ってみようと思えるよ。


「祈」


 ルタさんが闇雲君を呼んでいる。闇雲君は「あー」と声を零すと、フードを掻きながら顔を上げていた。


「ルタの力は、俺との同化と羽根の硬化、観察眼! 俺が飛べるようになるし、羽根は、ナイフとかより全然切れ味いいし! 見たもののステータスとか、成分とか、よく分かるんだ、ぞ!」


「祈、僕を売り込んでどうするんだ」


 一生懸命喋っていた闇雲君に、ため息をついてしまうルタさん。闇雲君は声を詰まらせて、指を組んだり離したりしていた。


 結目さんは「それでー?」と私の頭に腕を置く。首が痛い。


「それで……だから……」


 結目さんに細流さん、楠さんに私と、四人の視線が闇雲君に刺さっているのが見える。


 結目さんは風で闇雲君のフードを遊んでいるようで、遊ばれている本人は必死に押さえていた。


「す、スクォンクとデックアールヴが、お礼言ってた。ありがとうって。もう、スクォンクを的にはしないって。それで、ドヴェルグ達やポレヴィークって奴らとも、話をするって言ってて」


「その伝言にでも来たの?」


 楠さんが指摘して、闇雲君はまた口を結んでしまう。


「違うのね」


 彼女は軽く息をつき、闇雲君の心音が私にまで聞こえている気がした。物凄く脈早そう。


 私は苦笑し、楠さんと目が合った。彼女は肩を竦めている。


「本題に入りなさいよ」


「だ、から……」


 闇雲君は口ごもりつつ、言葉を選んでいるようだった。


 ……結目さん、今関係ありませんけど、私の頭から腕を下ろしてくれたら嬉しいです。体重かけないで。


 私は若干首を曲げながら、手を握り締めた闇雲君を見ていた。


「た、戦うのは怖いし……死ぬのだって怖い、けど、もう、祭壇に篭っているのも嫌になって……誰かを生贄にして、誰かが笑顔になるって……凄いと思ってッ」


 酸欠になりそうな喋り方。闇雲君の顎を冷や汗が伝ったのが見える。赤い跡が残っている指の関節は、何度も組まれて離されていた。


「正しくないのは分かる。誰かを生贄にするのは楽じゃないし、怖いし、いけないことでッ……それでも俺は生きたくて、逃げたくなくて、悔しい思いをするのはもう、散々だってッ」


 闇雲君の顔が上がる。帽子の奥に見える目は揺れていて、それでも、悲観的ではなかった。


「生きる為に、戦いたいッ! だから……ッ、あんたらを、追って来たんだ!」


 その言葉は、しっかり私に刺さって溶けていく。


 顔は緩く笑ってしまい、最初に肯定してくれたのは細流さんだった。


「仲間に、なろう、祈」


 闇雲君の頭をフード越しに撫でている細流さん。


 闇雲君の肩は微かに震えて、細流さんは私達を見てきた。


「いい、だろう、か」


 あぁ、勿論だ。


 勿論だとも。


 私は笑って頷いた。


「勿論、です」


 楠さんも答えてくれる。


「別に、いいんじゃない?」


 結目さんは「えー」と零してから。


「荷物だと思ったら捨てるから」


 闇雲君とルタさんは顔を見合わせて、嬉しそうに言っていた。


「ッ、ありがとうございま、」


 ガシッと。


 闇雲君が「す」と言うか言わないかのタイミングで黒い手が全員を鷲掴む。


 それに私は苦笑してしまった。


 闇雲君の「あぁぁ……」と言う絶望的な声を聞きながら、空に引きずり込まれていく。


 黒い穴を通ってベッドに放り出されたのは、日常的だ。


 私は、全く空気を読まない黒い手が「バイバイ」と言うように振られているのを見て、ため息を吐くしか出来ないのだ。


「……祈、舌噛んでねぇといいな」


「……大丈夫だよ、きっと」


 * * *


「おはよう」


 朝の教室で完全に机に伏せて眠っていると、机の縁を叩かれた音で目が覚めた。


 目を細めながら顔を上げると楠さんがいて、彼女は私を見下ろしている。


 私は柔く笑って「おはようございます」と会釈した。


 楠さんは前の席に座って鞄を枕にうつ伏せになっている。


 流石にこの一ヶ月の間しんどいよな。明日からゴールデンウィークで、開けて数週間したら検定あるし。球技大会の次の日から放課後は検定補習続いてるし。


 勝手なことを思いながら枕代わりにしていたタオルを整える。最近は早く登校してホームルームまで寝るのが日課だ。


 小さく欠伸を零すと後ろから頭を軽く叩かれた。それに驚いて目を瞬かせ、明るい声に安堵する。


「おっはよー! 氷雨ちゃん」


「おはようございます、小野宮さん」


 今日も太陽のような笑顔をくれる小野宮さん。


 私も自然と笑ってしまい、隣の席に座った小野宮さんの方を向いた。彼女は鞄を机にかけながら元気に話をしてくれる。


 この土日に大会があるから頑張ること。ゴールデンウィークは休みもあるから部活仲間や湯水さんと予定を立てたこと。最近コンビニで買ったスイーツが美味しかった。今日の三時間目の小テストは自信あり。


 私は彼女の声を聞き、耳の奥では夜に聞いた泣き声が反響している。


 スクォンクさん。大丈夫、彼らはここにはいない。きっと今は眠ってる時間。大丈夫、落ち着け。もう悲しくて泣くのは終わった筈だから。


 小野宮さんの会話に相槌を打ちながら私は笑う。ふと小野宮さんは思いついたように言ってくれた。


「そう! 氷雨ちゃん、ゴールデンウィーク何か予定とかある!?」


「えーっと……何日かバイトが入ってるくらいですよ。それ以外は特には」


「わーバイトかー、お疲れ様〜! 図書館のスタッフさんだよね?」


「はい。でも、戻ってきた本を本棚に戻したりするだけですし、短い時間しか働かないんで。全然大変じゃないんですよ」


 本当はもう少し減らすと言うかいっそ辞めてしまいたかったが、居心地がいいバイトをアルフヘイムへの体力温存の為に辞めるのも癪なので現在も頑張っている。


 土日のどっちかと祝日だけの幽霊バイトだが、司書さんは喜んでくれたので大丈夫だと思わさせてください。


 小野宮さんは「それでも偉いねー!」とアルバイトに対する憧れを話してくれた。部活が今は大変で、引退するか大学進学をしたら考えているらしい。


 小野宮さんは接客上手そう、なんて言う勝手な推測をしてしまった。


 そうしていると湯水さんも合流してくれて「なずなうるさい」と息をついていた。


「氷雨ちゃん誘ったの?」


「あ!! しまっった! 話逸れてた!!」


「馬鹿」


「言い方!! ね、ね、ゴールデンウィーク、良かったら氷雨ちゃんも一緒に遊ばない? 栄と私と三人で!」


 急に提案された予定。私は目を瞬かせて、手帳を捲りながら「な、何日、でしょう?」と微笑んでみた。指定された日は一日空いている。


 遊びに誘ってもらえた。嬉しい。


 私は早くなった鼓動を落ち着かせようと、心臓の上を押さえて頷いた。


「是非、遊びたいです」


「ぃやった!」


「やったね」


 片手でハイタッチしてる小野宮さんと湯水さん。私は緩む頬を手の甲で押さえてから、ゴールデンウィーク最終日に予定を書き込んだ。


 大丈夫、この日までに決着なんてつかない。負けない、壊させない、絶対に。


 一瞬震えた指先を無視して、私は笑った。


「駅近くに美味しいクレープ屋さん出来たんだって! そこは絶対!」


「分かってるって。それより主は映画でしょ? 氷雨ちゃん「グルーミーの歌」って言うホラー映画観ようかってしてるんだけど、どうかな? ホラー苦手だったら別のにするけど」


「ホラー映画、大丈夫です。その映画気になってましたし、嬉しい」


「お、ちょっと意外」


 白い歯を見せて笑ってくれた湯水さん。気になっていた映画の題を聞いて私はまた気分が上がり、二人が恋愛映画よりもホラーやファンタジーの映画が好きだと知った。


 誰かと遊びに行くことなんて皆無で自分から誘うことも誘われることも無かったから、新鮮で楽しい会話に花が咲く。


 それでもふとした時にアルフヘイムを思い出して、私は私が嫌になった。


 明るい時間は直ぐに過ぎ、眠気に負けないように授業を受け、今日は教室で小野宮さん、湯水さんとお昼を食べた。


 平和だった。どこまでも。


 夜に怪我した腕は痛まないし掌に血はつかないし、泣き声も怒号も聞くことがない。


 それでも日が沈んで、時計の長針が一周する事に気分は下がった。


 放課後の補習では二年生の内に取れるだけ検定をとるのがいいと聞き、三年生は進路で忙しいとせっつかれる。


 今日の情報の先生はホワイトボードに二年生で取れる検定を書き出して、最初のこの検定から躓かないように、分からないところは聞くようにと話してくれた。


「まだ時間はあるし、今週は球技大会もあったから疲れてるのはよく分かる! だが、だからこそこの時間を有意義に使うんだぞ! 努力は実る! 無駄話はしないように! 教え合いは許すから!」


 耳が痛い。


 私は思いながらマウスに触り、見た目は体育会系の先生から視線を外す。言うこともそれっぽい為どこからか「先生の声が一番でかいっす」と言う笑い声が飛んだ。


 教室の空気は柔らかいし、先生も笑いながら注意してる。


 平和。


 思いながら私は模擬問題を開いた。


 隣の席の楠さんは携帯を見ていて空気がいつもと違うが、私が口出しすることでも無いだろう。


 そう一人結論を出せば、今日も机の端がシャーペンで叩かれた。


 見ると雲居君がいて私は笑い、今日も彼の質問を受けた。


「なんか、毎日ごめん」


「いえ、私も自分の確認になりますし、気にしないでください」


 雲居君は笑ってくれる。私も笑い返して、椅子を転がしてこちらに来てくれた彼と一緒に画面を見ていた。


 その後の補習時間は無事終了し、今日は先生が最後までいてくれたので施錠は頼まれずに席を立つ。


 雲居君はお礼を言ってくれて、私は首を横に振った。電子画面を見たせいか目が重い。はよ帰ろ。


 決めて、タイミングが一緒になった楠さんと一緒に教室を出る。


 彼女の機嫌は何となく悪そうで、それでもお互いに歩くペースを早めたりも遅くしたりもしない為、無言で下駄箱までご一緒した。


 ……うーん。


「……楠さん」


「……何」


「らず君、触りますか?」


 聞けば、黙ってしまう楠さん。私は頬が若干引き攣って笑い冷や汗が流れた。


 いや、きっと何か機嫌が悪いのには原因があって、それを私が解決出来る訳では無いけれど。らず君の補助は心に安定もくれるので、少しくらい楠さんも楽になるかなって思ったわけであって。


 あぁ、きっとまた余計なことを言ったんだ。楠さんには楠さんのペースがあるんだから無駄な口出ししない方が彼女も嬉しい筈だ。


 いや、それでも何か役に立てるかもって。


 馬鹿、人の役に立ちたいなんて思うのは私の勝手で嫌な善意の押し付けではないか。


 でも。


 うるさい。


「ぃや、あの、すみません、その」


 私は手を意味もなく動かしてしまう。


 楠さんは上履きを仕舞ってローファーを地面に置くと、私の鞄を触ってくれた。


 それに驚いて、彼女は何も言わなくて。


 私は急いでらず君達が入っている鞄を開けた。


 その中で待ち構えていてくれたらず君に楠さんは手を伸ばしてくれる。


 硝子の彼は淡く輝いてくれて、楠さんは目を伏せていた。


 ……傍から見たら不思議な光景だろうなぁ。


 蛇足な感想を浮かべつつ、少しすれば楠さんは手を離していった。


 らず君はやりきった感を出していて、それを見て私は笑ってしまう。硝子の額を撫でて「ありがとう」は忘れないぞ。


「ありがと、凩さん」


「ぇ、ぁ、ぃや……」


 お礼を言われて顔を上げる。楠さんの棘のあった雰囲気は落ち着いて、私は安心した。


「……余計なお世話では、なかったですか?」


「えぇ、助かったわ」


 そう言ってくれた楠さんはバス通学の為そこで別れ、私は駐輪場に向かった。


 緊張していた心臓は未だに早く鼓動を刻み、息が震える。


 余計なお世話かどうかなんて、確認されたら「大丈夫だ」とみんな答えるに決まってるのに。私はまた余計なことを聞いて気を使わせてしまったかもしれない。


 いや、本当に助かったって思ってくれたのかも。


 でもどう考えても確認はいらなかった。蛇足だ。私はいつも言葉がおかしい。


 気分が重たくなった私は、脱力気味に自転車のスタンドを外した。


 駄目だ、もう考えてもどうしようもないから忘れろ、馬鹿。


 校門まで自転車を押せば、真っ赤な夕焼けが視界を染めた。


 あぁ、くそ、夜がくる。


 名工さんを捕まえた。彼は上に立つべきではないと、彼の行動はデックアールヴさん達を苦しめる悪だったと、ドヴェルグさん達は言ったらしい。


 ベレットさんを解放したのは正しかったのか。彼はどんな理由があれ、スクォンクさん達を殺す発端を作ったのに。


 スクォンクさん達が許したとしても。


 いや、誰でもない彼らが許したなら私達は口を出すべきではない。


 あぁ、頭が痛いな。


 私は思いながら校門を抜けて、自転車に跨りかけた。


「よぉ」


 声がする。


 低い声。


 どこかで聞いた声がする。


 私は軽く上げかけていた足を地面に戻し、視線を上げた。


 そこには金の髪を一つに結って、赤いシャツを学生服の下に着ている男の子がいた。


 切れ長の目と怪我した拳。


 彼を私は、知っている。


 ベンチに座って天を仰ぐ彼と目の前の男の子が、私の中でダブってみせた。

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