第44話 約束

 

 シュスに住む誰もが悪だと言い、私達の尺度で測った時も悪だといえるその人。それが私達の生贄の条件だ。


 それともう一つ、大切な前提条件がある。


 それを守ればシュスの悲しみが少なくなると、信じている条件が。


 * * *


 名工さんの部屋の鎮火は直ぐに終了し、闇雲君と私はスクォンクのシュスに戻って行った。


 それと入れ替わるように結目さん、楠さん、細流さんがドヴェルグの鉱山の各シュスに向かい、先程の会話を聞いてどうだったかを探り回る。


 それらは一時間と少し程でまとまった。


 待っている間の闇雲君と私は、泣きまくるスクォンクさん、縄で縛られたベレットさんと別れの挨拶を着々とするデックアールヴさん、その光景を静かに見ている名工さんに囲まれ、酷く居た堪れない空気を噛み締めていた。


 端的に言えば胃が痛い。


 私は胃を擦りながら、帰って来られた楠さん達に会釈する。


「おかえりなさい、楠さん、細流さん、結目さん」


「ただいま、凩さん」


「ただいま」


「どもー」


 名工さんを捕まえたりず君ネットの端っこを持ったまま、楠さん達に挨拶する。すると大きな手に頭を撫でられ、風に髪を引かれた。


 目を瞬かせて笑えばデックアールヴさん達やスクォンクさん達が集まってきて、私は闇雲君と顔を見合わせてしまうのだ。


 喋り出してくれるのは結目さんだ。


「はーい、ドヴェルグの鉱山の各シュスの大職人の所と、職人のドヴェルグ達の所に寄って名工の評価を頂いてきましたー」


 笑顔でどうでもよさそうに、結目さんは言葉を紡ぐ。


 両手をゆったり広げたり指を立てたりする彼はとても話し上手で、私の髪の一部はずっと宙に浮いていた。


 それを掴みながら結目さんの声に耳を傾ける。


 まず、名工さんの腕は長いドヴェルグの歴史の中でも随一だということ。


 同時に、デックアールヴさん達に対する風当たりが最も強い人であったということ。


 デックアールヴさん達がドヴェルグさんのお店に滞在出来る時間を制限し、やってくる注文者と親しくしてはいけないと言い、武器だけ運び続けるように厳しく制御し続けた。


 いつも彼は言ったそうだ。「デックアールヴだから」だと。


 りず君のネットの中にいる名工さんは何も言わずに目を伏せて、結目さんは続けていた。


「あんたさ、自分ではドヴェルグから信頼されてるって自負してたよね。あれ過大評価だったよ。ドヴェルグの特に大職人達は、ドヴェルグとデックアールヴの隔たりばかり作るあんたに嫌気がさしてたし、必要以上にデックアールヴを格下扱いする名工のやり方は納得なんてされてなかった」


「はっ、あいつら、そうか、そうかよ」


 名工さんは鼻で笑ってベレットさんを見る。


 縄で縛られているベレットさんは静かに名工さんを見つめているようだ。


 二人の間に冷たい空気は流れていない。それでも関係は、確かに良好ではなさそうだ。


「さっきのあんたの演説であんたはスクォンクを嘲笑あざわらった。それがきっかけで大職人及び、ドヴェルグ達はあんたを悪でいいと言ってくれたよ。他種族までもを下に見るあんたは上に立つべきじゃない」


「それで? 俺の受けている注文はどうする気だ? 注文者が黙ってねぇぞ」


 名工さんは結目さんを見上げ、顎を上げて笑う。


 結目さんも笑顔のまま朗読でもするような平坦さで伝えていた。


「それはもう話がついてそうだよ。大職人一人じゃ、確かにあんたの技術には及ばない。けど数人集まれば出来上がるそうだ。いつかはしなければいけなかったって、任せてくれって言われたね」


「あいつらが? 俺の注文を? は!! 出来るわけがねぇだろ!! 大職人の上をいく名工への注文だぞ! 全員失敗して断罪されちまえよ!! そんときゃ首を飛ばせよ、デックアールヴ共!」」


 名工さんがベレットさん達の方を向く。


 その目は自分より下の人をさげすむ色をして、細流さんは聞いていた。


「どうして、そんな、言い方、を? デックアールヴ、は、ドヴェルグと、近しい、筈だ」


 片言な問いを名工さんは鼻で笑う。全てをどうでもいいと言うように、隠す意味がなくなったとでも言いたげに。


 細流さんの目はとても穏やかで、純粋な疑問だったんだろう。そしてそれは私も抱いた疑問で、名工さんは嘲笑あざわらう。


「俺が名工で、あいつらがデックアールヴだからに決まってるだろ。運ぶだけの俺達の亜種が。武器を運ぶか首を刎ねることしか出来ねぇ奴らが、俺と同等か? 答えは否だ!! あいつらは俺の足元にも及ばねぇ、命令されるだけの使いっ走りでしかねぇよ!」


 デックアールヴさん達が暴れだしそうになり、それを結目さんの風とベレットさんの「おい」と言う声が抑えてくれる。


 開きかけていた口は閉じていき、挙がりかけた腕は降ろされていった。


 あぁ、気持ち悪い。


 私の中で溶けて、混ざって、行き場を無くした感情が口から溢れ出そうになり、らず君が微かに光ってくれる。


 それに安心して、頼って、私は目を伏せた。


「そう、か」


 細流さんは虚空を見つめる。名工さんは笑っていて、ふと泣いているスクォンクさん達に顔を向けた。


「あぁ、スクォンク、お前ら的にされてたんだってな」


 スクォンクさん達の肩が揺れる。私は反射的にりず君を引いて、ルタさんが翼を広げてくれた。名工さんの高笑いが洞窟に響く。


「良かったじゃねぇか、泣くだけの人生に意味が出来たな! お前達の存在意義が出来たってもんだ! これからもそうやって、泣きながら死んでいけよ、負け犬共!」


「ッ、この!!」


 闇雲君が腕を振るより早く、私はりず君をより強く引いてネットを締め上げ、楠さんの手が名工さんの頭に触れた。


 すると名工さんの体から力が抜けて、りず君はネットから針鼠へと戻ってくれる。


 地面に倒れる名工さん。それを細流さんは肩に担ぎ上げて、またいつものように虚空を見つめた。


 担がれた名工さんはもう笑わないし、喋らない。静かに眠りについたわけだ。言いたいだけ言って。


 あぁ、何故、名工さんはあんなことが言えるのか。


 どうして泣くだけのスクォンクさん達を下に見るのか。


 デックアールヴと言うだけで、どうして自分より弱いと思えるのか。


 私にはやっぱりどうして分からないし、分かりたくもない。


 嫌悪感が胸を埋めて、らず君が痛がり輝いてくれる。私は息を静かに吐いて、小さなりず君とらず君の額を撫でるんだ。


「皮肉よね」


 楠さんが意識の宝石を見下ろしている。彼女の手の中で光を反射する宝石は、相も変わらず綺麗な色をしていた。


「どんな奴の宝石も、同じように綺麗だなんて」


 彼女の茶色い目に見られて、私は苦笑してしまう。ひぃちゃんは首に尾を巻いてくれて、私の心音は落ち着いた。


 ベレットさんに目を向ける。


 彼は静かに私と目を合わせると、頭を下げてきた。その姿に胃が締め付けられたように痛くなり、私の口角は上がり続けてしまう。


「ありがとう、戦士達」


 その言葉が、とても穏やかだから。


 私は楠さん、細流さんと目を合わせてから、結目さんに視線を向けた。


 彼は微笑んだまま私の髪を風で引く。私の足は自然と歩き出て、首の後ろから腕が勢いよく回された。


 肩を組んできた結目さんの顔は、笑みが張り付いてしまったような状態だ。かく言う私も笑っているが。ひぃちゃんにりず君、らず君が慌てて腕に降りてきてくれる。


「凩ちゃん、生贄が一人決定したね」


「そう、ですね」


「じゃぁさ、あれはどうする?」


 結目さんが指すのはベレットさん。頭を上げた妖精さんは首を傾げて、私は微笑んでしまった。


「ベレットさんは、ドヴェルグ・シュス・アインスのご出身ですよね」


「……そうだが」


 静かに頷くベレットさん。楠さんと細流さんを確認すると、先は任せたと言わんばかりに合図をされた。


 そうだ、決まってる。彼の行く末は決まってる。


 名工さんを捕まえた時から。物言いたげなスクォンクさん達の目を見た時から。


 不意に闇雲君が結目さんの前に出て、ベレットさんを指していた手を叩き落とそうとした。


 それより前に結目さんが手を避けて、その手でフードを被った闇雲君の頭を叩いていたが。


 あぁぁぁぁ……闇雲君……。


「いッ!!」


「何? 邪魔すんなよ雛鳥君」


「ぅ〜〜……なんだよ、連れていくなら、ベレットもさっさと連れていけよ!」


 闇雲君は訴えて自分の指を噛み始めてしまう。その関節は直ぐに赤くなって、ルタさんは闇雲君の周りを心配そうに飛んでいた。


 反するように結目さんは笑い続けてるし。この人は……。


「どーしよっかなー」


「あぁ?」


「や、闇雲君、結目さん」


 灼熱しゃくねつ雑言ぞうごんバトルを始めそうな二人を落ち着かせようと、努力はしてみる。りず君も「阿呆共、止めやがれ」と言い方は悪いが止めてくれた。


 ありがとう、りず君。結目さん、あのですね……。


 闇雲君は納得出来ないように指をまた噛み始めてしまい、フードを深く引いていた。


 あぁ、闇雲君ごめんなさい。ぇっと、ですね、


 私が口を開くより早く声を上げたのは――スクォンクさんだった。


「ぁ、あの、戦士様!」


 結目さんの腕に若干力が入り、顔が強制的にスクォンクさん達の方に向けられる。結目さんは私の肩から腕を外し、私も何とか自立出来た。


 楠さんと細流さんも近づいてくれて、闇雲君は緊張するように口を結ぶ。その顔はスクォンクさん達の方を向いていた。


 スクォンクさん達は自信がなさそうに、涙を零しながら見上げてくる。


「……生贄の件、なのですが……」


「あぁ、ベレットを連れて行って欲しいってやつでしょ?」


 結目さんが笑顔でつまらなさそうに言っている。スクォンクさん達は震えながら私達を見上げ、何人かは私達とベレットさん達の間に入ってきた。


 その光景に安堵して。


 私は、泣いている彼らを見つめていた。


「ベレット……を、連れて行くのを……」


「止めて頂くことは、可能でしょうか……」


「え……」


 驚きで声を零したのは、闇雲君だった。


 彼は、赤く血が出そうだった関節から口を離している。


「なんで……?」


 スクォンクさん達は涙で潤いすぎている目を右往左往させると、自信がなさそうに言っていた。デックアールヴさん達も微かにざわついてしまっている。


「彼は……私達の仲間が死んだ要因ではあります」


「けれども、彼には彼の理由があったわけで」


「私達は彼を……悪だと、思えなくなってしまったのです」


 スクォンクさん達が泣きながら両手を組み、頭を下げてくる。その後ろにいるベレットさんは目を丸くして、デックアールヴさん達のざわつきも音を増した。


 闇雲君が口を開閉させて、けれどもそこからは何の音も出てこない。


 結目さんも何も言わずに笑い、私も微笑み続けてしまった。


 楠さんは静かに息をつき、細流さんは「そう、か」とだけ呟いている。


「止めろ、同情はいらん。お前達の仲間を殺してきたのは俺の罪だ。俺のせいだ。許すなスクォンク、頼むから」


 ベレットさんが言う。低い声は色々な感情を噛み締めているようで、私の心臓は痛みを訴えた。りず君とらず君が腕の中で小さく呻いてしまう。


 スクォンクさんの一人はベレットさんを見ると、涙を流しながら首を横に振った。


「許した訳では、ないんだ」


「ならば」


「だから、共に墓を作ってくれ」


 ベレットさんの言葉を遮って頭を下げるスクォンクさん。ベレットさんの目は見開かれて、スクォンクさんは言っていた。


「死んだ仲間の墓を、見て欲しい。共に墓を掘って欲しい。貴方に、誰でもない貴方にだ」


「嫌なんだよ……もう、私達は。ボロボロになった彼らを、埋葬し続けたくない」


「なぁ、ベレット、デックアールヴ。一緒に掘ってくれ。そして、祈ってくれ。彼らの冥福を」


「もう、私達を殺さないでくれ」


「それでいい、そうしてくれれば、私達は前へ進めるんだ。だから、だから、あぁ、頼む」


 涙を拭いて、それでも泣いて。泣きじゃくるスクォンクさん達はデックアールヴさん達に懇願する。


 ベレットさんは奥歯を噛み締めてその姿を見つめ、デックアールヴさん達は顔を伏せていた。


 スクォンクさん達はベレットさんを悪だと言って、けれども今はその取り消しを望んでる。


 私はスクォンクさん達を見つめて、彼らの声を聞いていた。


「泣くだけの私達を――許してくれ」


 あぁ、それに許しはいらないさ。


 思って、ベレットさんに視線を移す。


 彼は何も言わない。口を結んで、後ろのデックアールヴさん達は心底心配そうで。


 赤いスカーフを巻いた彼は、ただ一言を口にした。


「今まで――すまなかった」


 スクォンクさん達の泣き声が止まる。


 かと思えばまた泣いて、地面には沢山の涙のシミが出来ていた。


 大きな泣き声は震えていて、色々な感情を乗せて吐き出されたそれは空気を揺らす。


 手を握り合って、肩を寄せ合い泣きじゃくるその顔は、それでも悲しそうではなかった。


「はーい、じゃぁ解放」


 空気なんて気にせずに、軽く言ったのは結目さんだ。彼はベレットさんと地面に打った杭を繋いでいた縄を風で解いてしまう。


 両手が自由になったベレットさんは勢いよく結目さんを見上げて、デックアールヴさん達は息を呑んだ。


「ッ戦士、俺を生贄に……!!」


「おい!!」


 ベレットさんと闇雲君の驚きの声がする。私は闇雲君の肩に軽く触って苦笑し、帽子の奥の見開かれた目を見つめた。


「私達には、生贄を連れていく前提条件があるんです」


「前提条件?」


 いぶかしんだ闇雲君とルタさん。私は頷いて、りず君とひぃちゃんが言ってくれた。


「生贄の条件は、シュスで罰せられてなくて、それでも誰もが悪だと言って、俺達も悪だと思ったそいつだ」


「けれどもそれ以前に、私達は決めているんです。生贄は各シュスで一人までだと」


 それを聞いた闇雲君は酸素を求める魚のように口を開閉し、ルタさんが「な、なんで……」と翼をばたつかせてしまう。


 フードの上から頭を抱えた闇雲君は、掠れた声で聞いてきた。


「なん、で、ッ、なんで! そんな、ベレットをスクォンク達は悪いって言って……それは取り消されたけど、でも……ッ!! 元々ディアス軍のルールは二人までで、別に一人に絞らなくてもッ!」


 闇雲君が関節を噛んで「なんで、分からない、なんだ、なんだよそれ」と繰り返し始めてしまう。


 私は彼の背中に恐る恐る手を伸ばして、摩ってみた。そうすれば震えていた彼の体が止まっていくから。浅い呼吸が深くなるから。


 彼に理解出来ないこの決め事。


 そう、これは私達のルールだ。私の独断と偏見による、苦しくないを探した結果だ。


「一人にした方が、シュスの悲しいが減るかなって思ったんです」


 息を吸って、言葉を止めてしまった闇雲君。彼は目を見開いて指の関節を噛んでしまう。


 私は彼のフードを指先で撫でることにし、細流さんは彼の背中を撫でてくれた。


 結目さんは笑いながらベレットさんに言っている。


「そーゆーこと。俺達は名工を連れて行くって決めちゃったしさ。既に上限人数なんだよね。ベレットはスクォンクから取り消し要請来たし、自由の身でーす」


「そんな……」


 自由になった両手を顔に当て、下を向いてしまったベレットさん。


 彼の肩は震えていて、それに縋るように他のデックアールヴさんが背中を叩きに行っていた。


 歓喜の声がする。洞窟に響き渡るほど大きな声が。


 震える泣き声もする。そこには肩を抱き合って泣く、スクォンクさんとデックアールヴさんがいた。


 墓を作ろうという声がする。


 謝罪の声が上がっている。


 私達は顔を見合わせて、何もう言うことなく洞窟を後にした。


 闇雲君は、喜びに湧いた洞窟内を見つめていた。


 私はその背中から目を背けてしまう。


 ひぃちゃんは翼を動かそうとしてくれたが断って、私は自分の足で歩くことにした。


 楠さんは小さく欠伸をして、細流さんは名工さんを担ぎ直している。結目さんも珍しく徒歩で、私達は出口へと向かった。


「結局、ポレヴィークのシュスについては未解決だね」


 結目さんに言われる。横目に見ているのは私のようで、だから苦笑してしまうんだ。


「ポレヴィークさん達とデックアールヴさん達は、Win-Winの関係でしたし……私達が口出す域じゃないってことで」


「ま、そうだけどさ。結局理解は出来なかったな」


「そう言いながら、貴方に理解する気なんてなかったでしょ?」


「あぁ、バレた?」


 楠さんがため息混じりに結目さんを指摘し、指摘された彼は適当に笑っている。


 私は微笑んだままりず君とらず君を肩に誘導した。「凩さんが」と言う言葉を聞いたので、楠さんの方へと顔を向ける。


「ポレヴィークを心配しないのは、意外だわ」


 言われて「あー」と曖昧な声を出す。


 ポレヴィークさん達の心配。


 それは、そう、それは、ですね。


 私は笑って、肩を竦めて見せた。


「私には、どうしようもないので」


 りず君に強い武器になってもらおうと、メガホンになってもらおうと。


 ひぃちゃんに飛び回ってもらおうと、ポレヴィークさん達の足を溶かしてもらおうと。


 らず君に補助されようと、声を大きくしようと。


 どうしようもない。


 聞く耳を持たないあの人達にどれだけ叫んだって……どうしようもないんだ。


「届かない声を押し付けたところで、受け入れられることなんてありませんから」


 首を微かに傾ける。楠さんは私を見つめると手を伸ばしてきて、その手は額に近づいてきた。


 ベチッと。


 額が弾かれて「いッ」と零してしまう。彼女からのデコピンを受けたら手が額を押さえるように習慣づいてしまった。


 微かに熱くなった額を掌で押さえると、楠さんに言われてしまう。


「貴方はそう言って、飲み込むのね」


 心臓が痛くなる。


 私は頬を引き攣らせて「ぇ、っと」と呟いてしまう。楠さんは私の頬を片方引っ張り、離して、ため息をついていた。


 地味に痛いやつでしたがどうなさったのでしょうか。私は額から手を離して、自分の頬を摩ってしまう。


「溜め込み過ぎて爆発する前に、吐き出す方法を見つけた方がいいわよ」


 彼女に言われ、後ろからは頭を撫でられる。見上げると細流さんの手があって、私は目を瞬かせてしまった。


「氷雨は、いい子、すぎ、かも、しれない」


 言われてしまい、私は笑う。


 りず君も笑って、ひぃちゃんが静かに目を伏せる横顔が視界に入った。


 出口までの階段に辿り着き上り始める。泣き声の発生源は遠い筈なのに大きく聞こえて、結目さんは笑っていた。


「俺的には、凩ちゃんが救えなかったスクォンクを嘆かなかった方が意外だよ」


「……ほぉ」


 スクォンクさんを思い出す。


 血溜まりの中で抱き締められて、間に合わなくて、間に合っていたかもしれないのに助けられなくて。


 考え出せば胃が痛くなって、手が微かに震え、階段を上る足が重たくなった。


 私は呼吸が苦しくなって、足を止めてしまう。


「氷雨」


 数段先で立ち止まった細流さんの声がする。楠さんと結目さんも止まって、私の視線は斜め下に向いていた。


 ひぃちゃんの尾は首に回って、らず君は微かに輝いてくれる。


 救えなかった。間に合わなかった。殺してしまった。殺させてしまった。


 固くなっていた。冷たかった。生きていたかもしれないのに。


 嘆いて何か変わるか。本当に救えたのか。その確証はどこにもない。


 それでも、だって。


 うるさい。


 嫌だ――思い出したくない。


 血がついた掌を、思い出したくないんだ。


 逃げるな弱虫。


 どうしろって言うんだ偽善者。


「嘆いて、泣いて、謝って、命が戻るならそうします。けど、そんなことは有り得なくて……私がどうこうしようが、結果は変わらなくて。忘れたくても、それはまた悪いことのようで。だからって引きずって歩いても、私にはやっぱりどうしようもなくて。その、だから、進もうとして、気にしないようにして、考えないようにして、」


 冷や汗が流れて口角が引き攣る。ひぃちゃんは翼を広げて、私の顔を隠してくれた。


 駄目だ、気持ち悪い。


「……ごめんなさい、まとまってなくて。わざと考えないようにしてました。すみません。ほんと、結目さん、嘆いてます。結構、これ……しんど」


 翼に隠して自嘲じちょうする。今にも口から零れそうな懺悔の気持ちが体を蝕み、私の足を地面に縫い止める。


 ふと視界が開ける。


 ひぃちゃんの翼が、結目さんに素手で開けられた。


 目を丸くすると、そこには無表情の彼がいる。


「……しんどい?」


 聞かれてしまう。


 私は結目さんから楠さんに視線を移して、細流さんを見て、また結目さんを見た。


 しんどい。


 そう、さっき口にしてしまった。出た言葉は取り消せないのに。


 あぁ、馬鹿やった。


「すみません」


 私は、はにかんでしまう。


 そうすれば結目さんの手が私の頭を撫でてくれて、彼は無表情に言ってくれるんだ。


「いいよ」


 ……あぁ、鼻の奥がツンとした。


 何度か瞬きして笑っとく。そうしたら肩を持たれて、反対を向かされた。


 シュスの中を見る。


 そこには、泣いているスクォンクさんとデックアールヴさんがいて。


「あの泣き顔見れば、ちょっとくらい楽になるんじゃない?」


 結目さんの言葉は的確だ。


 私の目には、泣いているスクォンクさん達が映る。


 それでも彼らは……笑っていて。


 あぁ、大丈夫。


 大丈夫だよ。


 私は笑って「はい」と絞り出していた。

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