第39話 潜考

 

「で、どういう状況か説明してくれるかしら? 凩さん」


「えーっと、ですねぇ……」


 楠さん、細流さん、ひぃちゃんとも合流出来た現在。先程の雨が嘘のように吹き抜ける青空が綺麗な今。


 私は結目さんの風に髪を引かれつつ、フードを被り直して明後日の方を向いてしまった闇雲君についての説明を求められていた。


「……ぁー……その、紹介しても、いいですか?」


 闇雲君の方に何とか顔を向けて確認する。彼は私を見ると少し停止してから頷いてくれて、反応を貰えることにまず安堵した。


 胸を撫で下ろしてルタさんも見ておく。彼も闇雲君の肩で頷いてくれて、ひぃちゃんとらず君は私の腕の中に帰ってきてくれた。


 私は微笑みながら息を整え、順を追って話すことを心掛ける。


「ぇっと、まず彼は闇雲祈君。ふくろうさんは闇雲君の心獣のルタさんです」


「あぁ、その戦士蝸牛かたつむりか何かじゃないんだ?」


 違うから、断じて違うから結目さんやめて。出鼻くじかないで。


 頭が冷え始めていた闇雲君が結目さんを睨むのが分かる。とうの結目さんは何処吹く風で私の心苦しさは増大中だわ。胃薬欲しい。


 いいや負けるな、努めて笑えよ凩氷雨。


「結目さん、違いますから……闇雲君は麓の祭壇におられて、私が泣き声の出処を探索しに行った時にお会いしたんです」


「結局行ったんだ」


 髪の一部が風に引かれて頭皮が痛む。私は口角だけ上げて頷き、彼に止められていたことを思い出した。


 ……大目に見てください、結目さん。


 結目さんは黙って笑うだけだから、私も笑い返すしか出来なかった。


「行ってくればいいと私達が言ったのよ。凩さんは、ドヴェルグ・シュス・エルフの人波が苦手なようだったから」


 ありがとうございます楠さん。


 私は心中で、助け舟を出してくれた彼女を盛大にたたえてしまう。そんなことには気づいていないであろう楠さんは私に先を促し、何とか首を縦に振った。


「それでその、雨が降り出した時に雨宿りも兼ねて、闇雲君とは色々と話をさせてもらったんです。私が山頂まで戻ろうとした時には、気を利かせて送ってくれて」


 闇雲君の方にまた顔を向けてお辞儀する。彼はフードを引っ張りつつ応えてくれて、安心した。


 善意で運んでくれたのに嫌な思いをさせてしまったからな。ほんとにごめんなさい。


 いや、私が悪いのか。お言葉に甘えた私が悪いのか? ……考えても不毛だ、やめよ。


「ごめんなさい、闇雲君。運んでくださってありがとうございました。とても助かりました」


 頷いてくれた闇雲君の目はもう見えない。フードと帽子の奥に隠された目は私を一瞬見てから逸らされてしまい、どうしようもない申し訳なさに襲われた。


 もうちょっと私のメンタル強くならないかな。いや、自分で強くしなくてはいけないんだ。勝手に強くなんてならねぇよ。


 一人脳内会議をしていると、結目さんが「それで」と私の髪を引いた。


「ここまで運んでもらった時に俺が落としたわけだ」


「そうだよ腐れヤンキー」


「黙っとけよジメジメ蛞蝓なめくじ君」


「あぁ!?」


「だーもーやめろお前ら!!」


 りず君が私の肩で叫んでくれて、闇雲君はまた顔を逸らしてしまう。結目さんは「はいはい」とりず君をデコピンしてるし。何してるんですか止めて。


 私は手でりず君を覆い、そうすればまた髪を引かれた。


「大体分かったわ、凩さん。泣き声の原因はどうだったの? あと彼女を虐めるのやめなさいエゴ」


「凩ちゃんはいつまで我慢出来るかの耐久レースしてるから口出すな、毒吐きちゃん」


「そんなレースに申し込んだ覚えが全くないんですが……楠さん、ありがとうございます。泣き声の元はスクォンク・シュス・アインスと言うシュスでした。泣き続けることが宿命のスクォンクさん達がおられたんです……」


「泣き続ける宿命」


 楠さんは呟いて、結目さんは「俺が独断と偏見で申し込んだレースだよ」と笑ってから髪を自由にしてくれた。


「泣き続ける宿命なんて馬鹿みたいだね、さっさとそんな宗派止めればいいのに」


「……まぁ、難しい問題なんじゃないでしょうか」


 頬を掻きながら苦笑する。


 彼らには彼らなりの考えがあっての事だ。


 ディアス軍の勝利を願われた言葉を思い出すが、それはなかったことにしてくれとも言われたから、そうしなければいけない。


「じゃあ、俺……戻ります」


 闇雲君の声がする。見ると彼の腕が再び翼になり、大きく飛び上がっていた。


「ありがとうございました、闇雲君」


 絞り出した声は彼に届いたのだとは思う。一瞬だけ目が合って会釈してくれたから。


 それから前方に向き直った彼は、振り返ることなく下山して行った。


 私は静かに目を伏せる。細流さんがゆったりと質問をしてくれた。


「何処に、戻るん、だ?」


「麓の祭壇だよ。祈はそこで、一つの祭壇を守り続けてるんだ」


 りず君が説明してくれて、横で笑い声がする。見上げた結目さんの目は冷え冷えとしており、口角だけが緩やかに上がっていた。


「番人をしてるわけだ」


 結目さんは「それじゃあ行こうよ」と私を見下ろす。私の頬も勝手に上がり、ひぃちゃんが背中で翼を広げてくれた。


 そのまま足は地面から浮き、ふと、手を繋いだ細流さんと楠さんが気になった。


 ここに来た本題。


「楠さん、武器はどうでしたか?」


「ドヴェルグに注文してきたわ。私が求める武器を作ってくれるそうだから」


「それは、良かった」


 安心して二人を持ち上げる。


 よしよし、楠さんの武器も確保確定。嬉しい、良かった、顔がにやけるぜ。どんな武器を注文したんだろう。聞いてみたいような。でも出来上がった時に教えてもらおうか。


 でも、私なんかが聞いても申し訳ないし鬱陶しいかな。でもな、でもな。


 きっとアルフヘイムの武器ということは私が知らないもので、タガトフルムの本には載ってなくて、それを楠さんが使いこなす。駄目だニヤける楽しみだ。


「……どうしてニヤけてるのかしら」


「え、あ、お」


 楠さんに指摘されて肩が揺れる。私の口角は引き攣って「えっと、ですね」と声がどもった。


「氷雨は紫翠の武器が出来上がるのが楽しみなんだよ」


「凄くワクワクされてますものね」


「アルフヘイムの武器はタガトフルムじゃ見れねぇし」


「それを紫翠さんが使いこなすとなると、さぞ素敵でしょうしね」


「りず君ひぃちゃんストップ待って黙ろう感覚受信止めて。あと想像で私の思考を話さない」


 顔に血が集中するのが分かり、私の気分から考えを予想して喋るりず君とひぃちゃんに焦る。そりゃもう心臓破裂するんじゃねぇのかって勢いで焦る。


 冷や汗が出てきて「すみません……」と絞り出すと、楠さんが目を瞬かせているのが視界に入った。


「……凩さん」


「……はぃ」


「貴方って、面白い子ね。驚いたわ」


 ……顔から火が出るとはこのことだ。


 * * *


 空中でゴタゴタしながら辿り着いたポレヴィークの野原。


 そこには茶色い鉱石で出来たシュスが点在し、柵で円形に囲まれたシュスの地面は八割畑と言っても過言ではなかった。


 遠くから発見出来たポレヴィークさん達は岩がくっついて人型を形成しているような見た目で、灰色の肌には苔や植物が豊かに生えていた。手には立派なくわやスコップを持って土を耕し、種を撒き、水をやり。


 彼らの宿命は畑を耕し続ける守護者であること。使命は良質な食べ物を育てること。


 乱れることなく一律に畑で食べ物を栽培し続ける彼らはよどみなく、農具を最大限に使い続けていた。


「あれが、ポレヴィークさん」


「だね。ツェーンだけじゃなくて、どのシュスも畑命って感じだけど」


「戦士には友好的なのかしら?」


「友好的……と言うよりは、無関心な方々だとアミーさんからはお伺いしています」


「無関、心」


 宙をゆっくり移動しながらシュスを観察する。


 確かツェーンは一番大きなシュスだと聞いた。どれだろう。


 視線を動かすがどのシュスもサイズ感は変わらないように見える。どれも大きい。アミーさんに聞こうかな。


 りず君に鍵を叩くようにお願いしかけた時、私は野原を駆ける馬車を見た。馬はいないから馬車と言っていいかは分からないが、三輪の荷台が荷物と走者を乗せて動いてる。


 乗っているのはデックアールヴさんっぽい。彼は何処かに向かっていて、私は結目さんを見た。


 彼もデックアールヴさんに気づいていたらしく、笑顔で「どうぞ」と言ってくれる。私は微笑んで頷き、ひぃちゃんは高度を下げてくれた。


「ちょっと、話しかけますね」


「あぁ」


「いいわよ」


 細流さんと楠さんからも了承を頂き、私達は馬車に並ぶ。デックアールヴさんは驚いたように目を見開いて「ディアス軍の!?」と慌てていた。あ、ごめんなさい。


「すみません、あの、ちょっとお尋ねしたいことがあるんです。ポレヴィーク・シュス・ツェーンは何処でしょう?」


「あ? ツェーンなら俺がこれから行く場所だが……」


 デックアールヴさんはいぶかしみながらも答えてくれて、楠さんが「着いていってもいいかしら?」と確認していた。


 細流さんと楠さんの方がデックアールヴさんとは横位置にいて距離が近い為、お二人が会話する方がいいんだろうな。


「構わねぇけど、俺は仕事したらすぐ帰るからな」


「結構よ。私達はシュスに行けさえすればいいから」


「そうかい」


 デックアールヴさんは頷いて、細流さんが平坦に質問しているのが聞こえた。


「不思議な、馬車、だな」


「おぉ! お目が高いね兄ちゃん! これは鉱石を原動力に動く「ラートライ」なんだ!! 便利だぜ!」


「らーと、らい」


 つたなく繰り返した細流さん。デックアールヴさんは三輪馬車――ラートライに関心を向けてもらえたことが嬉しいらしく、とても饒舌に性能を語ってくれ始めた。


 喋りたかったんだなぁと思わず苦笑する。


 私達はそのままデックアールヴさんと並走し、ポレヴィーク・シュス・ツェーンへと向かった。


 空を見上げると結目さんがいつの間にかいなくなっており、どこに行かれたのか謎である。


 どうしよう、彼ならツェーンの場所くらい直ぐにオリアスさんに聞いて分かるんだろうけど、それでも置いていく形になっていいのかな。


 私が顔を色々な方向に向けていると、楠さんには「大丈夫でしょうよ」となだめられた。


 はい、すみません。


「ほら、あれだぜ戦士さん達、ポレヴィーク・シュス・ツェーンだ」


 教えられたのは一つのシュス。他のシュスよりも気持ち大きいかなと思われるそこはやっぱり低い柵で囲まれて、柵が無い場所が入口になっているようだった。


 デックアールヴさんはその入口にラートライを止めて、荷台に乗せていた大きな袋を肩に担ぐ。「じゃぁな」と彼はそのまま駆けて行ってしまい、私達はその背中にお礼を言った。


 小柄なのに凄いなぁ、あんなに大きな荷物持てるなんて。


 地面に足を着いた私達は、畑で作業をするポレヴィークさん達へと目を向けた。


 ポレヴィーク・シュス・ツェーン。


 ――断罪のシュス


 とは言われたが、そんな風にはとても見えない場所だった。


「耕してるわね」


「ですね」


「あぁ」


 全ての動きが均一に揺らぐことなく、まるで生産工場の機械のように動き続けるポレヴィークさん達。


 彼らは私達に気を止めることも無く、延々と働いていた。


 土を耕し種を植え、灰色の肥料のようなものを撒いて水をやる。


 私は視線を動かして、足を引きずりながら畑の苗を見る一人のポレヴィークさんを見つけた。手には筆記具とバインダーのような物を持って、なんだか記録係さんっぽい。


「選別をしましょ、情報がなければ悪が決まらないわ」


 そう提案してくれた楠さんに頷いて、楠さん、細流さん、私はそれぞれ別方向へ進んでいく。


 私は記録係さんに近づき、彼の目も私を見たようだった。だが手が止まることは無い。


 話しかけていいのかな。あぁ、いや、話しかけなければ先に進まない。勇気を灯せ、凩氷雨。これは生贄探しに必要だ。


「ぁの、すみません、今お時間よろしいでしょうか……?」


「……」


 よろしくなかったらしい、ごめんなさい。


 私は「すみません」と頭を下げてその場を離れる。仕事の邪魔だったよな。


 一番働いた者を断罪する。


 ふと言葉が頭を回って胃が痛くなる。


 何で働いた人を断罪なんてするんだろう。普通は働かなかった人にするべきことなのではないのか。まるで断罪することがご褒美みたいではないか。


 私の視界には沢山のポレヴィークさんが映る。誰も彼もが畑について、食べ物を育てる為に働き続けている。休んでいる人はいない。


 これを崩してまで話しかけなければいけないのか。


 私は目眩を覚えて天を仰いだ。


「やぁ、凩ちゃん」


 まさか仰いだ先から結目さんが降ってくるだなんて、誰が思ったよ。


 私は「ひぇッ」と情けない悲鳴をあげて、目の前で止まった結目さんを見る。彼は宙で逆さまを向いて、上を見ている私の顔と彼の顔が近い状態にある格好だ。


 何この状況どうしたのこの人。


「どうも、結目さん」


 私は引き攣りながらも口角を上げる。彼は笑顔で私の横に降り立つと、首フックを決めてまた浮き上がった。


 待って首締まるッ


「むす、びめ、さッ」


「はいはいこっち来てねー」


「首締まってんだよ何してんだてめぇ!?」


「見せたいものがあるんだよ、あと叫ばないでくれる? 茶色い方」


「りずだっつってんだろ!?」


 空中でひぃちゃんが羽ばたいてくれて、結目さんは腕を離してくれる。


 飛んでいく彼について行ってもらうと、どうやらシュスの反対側に行きたいのだと分かった。


「大丈夫ですか?」


 ひぃちゃんが心配してくれる。私は笑って頷き、結目さんに続いた。


「結目さん、見せたいものとは?」


「あれだよ」


 お城の上を通過して結目さんが指した先を見る。


 あったのは大きなうすのような道具が六つと、真ん中に立てられた鉱石の台。


 結目さんはそれに近づき、私も腕を振ってひぃちゃんに近づいてもらった。


 地面に足を着く。結目さんは台の上に立って何か見ており、私は一つの臼へと近づいた。


 縁に触れると指先に砂のような物がつく。灰色の軽い感触で、私は急激に背中が冷える感覚に襲われた。


「さて凩ちゃん、ここで問題です」


 弾かれるように台を見上げて、結目さんを視界に入れる。


 彼は台の縁に座り、足を揺らして笑っていた。


「ここは何でしょう」


 冷や汗が頬を伝う。


 私の首にひぃちゃんは尾を巻いてくれて、私は自分の髪を引いた。


 大きな臼。鉱石の台。石のようなポレヴィークさんの体。


 ここは、断罪のシュス。


 多分、そうだ。間違ってない。


 ここは、この場所は、


「――処刑場」


 呟けば、結目さんは口角を吊り上げた。


「その通り!」


 指をさされた私は生唾を飲み込み、喉の渇きを癒そうとしてしまう。それでも嫌に喉は渇き続けて、私は髪を強く引いた。


「他のシュスを確認したけど、こんな場所があったのはこのポレヴィーク・シュス・ツェーンだけだ。そしてポレヴィークの十あるシュスの中で断罪なんてしているのもツェーンだけ、おかしいと思わない?」


 結目さんが台から飛び降りて笑っている。その顔は至極楽しそうなのに、他人事を安易に語る声色は、やっぱりどうしてチグハグだ。


 私の頬を風が撫でる。


 ポレヴィークさん達は規律に厳しい。その規律と言うのは畑の耕し方とか作物のでき具合とかに関するもので、その厳しさは畑の守護者たる為の責任感だとアミーさんは言っていた。


 責任感が強い彼ら。だがこのシュスの責任感は他のシュスとは違っている。断罪しているのはこのシュスだけ。


 落ち着け氷雨、単純に整理しろ。


 どうしてこのシュスだけ断罪なんてするのか。


 悪を探す為にはどうしたらいい。


 髪を引いていない方の手が指を擦り合わせる。


 さっき触った灰色の砂。


 私はそれに視線を向けて、鳥肌が立った。


 ――灰色の肥料のようなものを撒いて


 あぁ、待って。


「肥料……」


 零した自分の言葉が恐ろしくなる。「肥料」と結目さんは繰り返し、私は彼に視線を向けた。


「……仮定、なんですけど」


 前置きをする。


 私の頭の中には、灰色を畑に撒くポレヴィークさんが浮かんでいた。


「ポレヴィークさん達はさっき、灰色の何かを畑に撒いていたんです。この臼についている砂はそれによく似ている気がして……肥料みたいだって、最初見た時に感じて……」


 結目さんは黙って私を見つめる。無表情の彼を見ていられなくて、先に視線を逸らしたのは私だ。


「ポレヴィークさん達の宿命は畑の守護者であること。そして使命は、良質な食べ物を育てること、です」


 臼に触れる。また指先に灰色の砂がついて、そこには緑色の何かも混ざっていた。


「どんな肥料よりも……ポレヴィークさん自身を粉にした物が、良質な作物を育てる結果を生んでしまっていたとしたら」


 私は両手を鳩尾の前で握り締める。頭が、痛い。


「彼らは、のではないでしょうか。宿命の為、使命の為。ルアス派として、迷いなく。それでも、肥料がありすぎることもまた問題だから、彼らは一番働いた人を肥料にするのではないでしょうか。断罪という名目で。自分の体全てで使命を果たせるのだとしたら、それは彼らにとって至上の幸福だ」


「なら、どうして断罪のシュスなんて呼ばれてるんだろうね?」


 結目さんが無表情に聞いてくる。私の頭はフル回転して、心臓は破裂しそうなほど早くなっていた。


 噂や呼び名は、自分が発信源であることは少ない。だいたい言い始めるのは他者ではないか。


 だから今回も、きっと。


「断罪のシュスだと言い始めたのは、ポレヴィークさん達ではないのでは?」


 自分の曖昧な仮定を話すことが苦しくなってくる。しんどくて、それでも考えることを止めたら分からなくなりそうで。


 風が私の髪を引く。下げていた視線を向けると、そこには無表情の結目さんがいた。


「凄いね、流石だ」


 私の中に言葉では言い表せないほどの吐き気が溜まって、胸が苦しくなる。外れていればいいと思っていた嫌な仮定が――否定されなかった。


 結目さんは無表情に私に言う。


「まず、このシュスには不満っていうものがない。毎日一人を殺すのに誰も不満を抱かないのは、全員がそれに心から同意しているからだ」


「作物を育てる為の死に、全員が……?」


 そんなこと、信じられないと思う。


 自分で言った仮定を否定することになるが、例え話、四十人のクラスで四十人全員が一つの案に心から同意するなんて有り得ない。


「あぁ、有り得ないよ、普通なら。けどここはアルフヘイムでルアス派のシュスだ。しかも同族の中で一番規律が厳しい奴らだときた。可能性はゼロじゃない」


 結目さんは私の横に並ぶ。私とは反対側を向いている彼は臼を撫でたようで、ふっと何かを吹く音がした。


「次に、ドヴェルグの鉱山で色んな住人にポレヴィーク達のことを聞いたけど、一番の良作だと名高いのがこのツェーンだった。けどそれは数年前から。それまでは他のシュスと大差なかったらしいんだよね」


 ドヴェルグの鉱山で彼が情報収集をしていたことに私は驚き、目を伏せる。


 彼は私を賢いと評価してくれるが、私に言わせれば結目さんの方が断然頭がいい。策士と言っても間違いではないだろう。


 彼は気づけば情報を得て、確かな悪を探そうとしてくれる。


 今もそうだ。彼の言い方からして、彼は確信を持って、私が知らない何かを知っている。


「結目さん、何かご存知なのではないですか?」


「どうして?」


 肯定でも否定でもない答えが返ってくる。私は肩のらず君の額を撫でて前を向いた。


「私の勘違いかもしれませんが、結目さんの言い方を聞いていると思うんです。。そう感じるのは……私の考え過ぎでしょうか」


 言葉を吐いて、彼の方を向いてみる。結目さんは無表情で、ピアスを撫でながら臼を見つめているようだった。


「このシュスに悪はいないと思ってはいたよ。根本である悪の検討もついてはいる。けどどっちも確信はないんだよね。集めた話による、それこそ推測だ」


 彼が私の方を向く。その顔には笑みが浮かんで、私を物が如く見下ろした。


「さぁ、凩ちゃん、しっかり動いてね」


 そう言って彼は私の髪を引くから、私はゆっくり笑ってしまうんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る