第34話 憂慮

 

「……なんだこれ」


 そう呟いたのは、腕の中で疲れ切っているりず君だった。


 私は何も答えることが出来ず苦笑し、細流さんは目の前にかかっている植物の橋の強度を確かめていた。


 ……どゆこと


 私は首を傾げて、橋の出現に諸手を挙げて喜んでいるモーラさん達を視界に入れた。


 ――早蕨さんと鷹矢さんを林の中に吹き飛ばした後、早々にモーラ・シュス・ドライを出ようと決めた数分前。ひぃちゃん達に最後の力を振り絞ってもらうことを覚悟した時。


 何故か島に橋がかかっていたのだ。


 延々と続く植物の橋は微かに見える陸へと続いている。


 モーラさん達に植物を操る力は無いらしいし、私達の中にもいない。突如目の前に現れた橋は、本当に出処不明なのだ。


 私は楠さんと顔を見合わせてから、橋を渡り始めてしまった細流さんの後に続くことにした。腕の中ではらず君やひぃちゃんが静かに安堵の息を零しているのが聞こえる。


 何はどうあれ、もう飛ばなくていいし補助もしなくていいことに安心しているんだろう。私もです。


 思いながら微かに振り返る。


 そこでは、嬉しそうに手を振っているモーラさん達がいた。


 私の顔が引き攣って、流れるように笑ってしまう。


 遠くで鳥のいななきが聞こえた気がした。


 それを気の所為にしよう。


 進める足は徐々に明るい場所へと向かい、夜は終わった。


 植物の橋には橙色の陽光が射していて、もうすぐ帰らなければいけないのだと視覚的に判断出来る。


 体に光が当たる。暖かい光だ。


 夜来さんが灰になって消えるなんてことは、起こらなかった。


 *


 〈行方不明 夜来無月〉


 そのキーワードで私が検索をかけたのは、検定に向けて開放されている放課後のパソコン教室でだった。


 情報科の先生が一人ついて、数週間後にある検定の実技の補講。自由参加であり、私語も禁止されていない教室内はそこそこに騒がしく、私のように検定に関係ないことをしている人は少なくなさそうだ。


 湯水さんと小野宮さんは今週末に大会があるらしく、それに向けて今週の補講は不参加。楠さんは黙々と問題集とパソコンに目を向けており、私もマウスを動かした。


 楠さんと隣同士の席に座ったのは出席番号とかではなく、何も考えていない結果である。


 私の目は光る画面を見つめて、無料で掲載されている記事のリンクをクリックする。出てきた文面には〈夜来無月〉の名前があり、彼が梅雨の時期を境に行方不明になっていたとことを知った。


 もう何年も前の記事。十数年なんて時間では足りない。


 その間、彼は好きになってしまった人達を守りたい為だけに存在し続けた。


 誰にも見せたくない。自分以外を見ないで欲しい。本来の姿でいて欲しい。ディアス軍から守りたい。


 その感情は、私には分からない。そう想った相手がいないから致し方ないことだけれども。


 自分では守っているつもりで、愛していたつもりで、なのに相手にはその気持ちが一欠片も伝わっていなかったと知った時、彼は何を思ったのだろう。


 夜来さんの涙が思い出される。私は目を伏せて、夜来さんの記事を画面から消した。


 ……あれ。


 ふと疑問が湧く。


 夜来さんの行方不明の記事はあった。


 けれども、それ以外はなかった。


 同じ年代なら関連項目で出てきそうなものなのに。その年及び前後五年で、大量の行方不明者、もしくは不審死の記事はヒットしていなかった。


 私の指がキーボードを叩く。


〈集団行方不明〉〈集団不審死 全国〉


 関連がありそうなキーワードを入れた。それでも出てくる記事はきちんと原因が判明しているものばかりで、年代も二十歳以上が含まれている。


 おかしいだろ、なんでだ。


 私の指はもう一度夜来さんの記事を探し出して開き、年代を覚え、検索をかけた。けれどもその年に集団不審死も失踪も無い。


 それは何故だ。


 おかしい。だって、その年はアルフヘイムの競争が起こった筈なのに。夜来さんはルアス軍で、ルアス軍は勝って、ディアス軍が負けて……。


 何故、負けた軍の戦士の死が広まっていないのか。


 だってそうだろ。全国で一部の年代が数十人一気に死んだら、それはおかしいだろ。


 死亡記事は出てきた。けれど全て事故や事件だ。何人の戦士がその年に選ばれたのかは知らないが、少なくとも十人以上はいる筈だ。その人数、しかも中学生から二十歳の人が同時に死んだという記事はない。


 負けても同時に死ぬ訳では無い?


 そんなことがあるのか?


 電子文字を追っても答えが出てくるわけがなく、嫌な不安に襲われた。


 帰ってアミーさんに聞こう。私は、負けた軍の戦士は全員死ぬという所までしか聞いていない。


 


 決めて目を伏せた時、不意に机の縁をシャーペンで叩かれた。それに驚いて指は検定の模擬問題を開き、顔は呼ばれた方へ向ける。頬が上がってしまいながら。


「凩さん、今いい?」


 いたのは、雲居君。


 何でいるんだ。クラス違うのに。彼も同じ情報科だからか。私のクラスだけがこの教室にいる訳では無い。


 でもなんで話しかけられたんだ。


 それを今から確認するんだな。


 私は笑いながら頷いた。通路を挟んで隣にいた雲居君は、キャスター付きの椅子を滑らせてこちらへ寄ってくる。


 問題集を持っていると言うことは質問でしょうか。全く真面目にやっていなかったので不安ですが。頑張るか。


「質問なんだけどさ、この練習問題三って凩さんもうしてる?」


 あ、良かった、解き終わってるところ。


 私は見せられた問題を確認して安堵し「一応は」と、保存している練習問題のデータを開いた。


 うん、大丈夫、落ち着け。


 雲居君は「よかった」と微笑んで、テキストの挿入や表の作り方を聞いてきた。私も問題集の同じページを開いて、自分がメモしているものと操作を口頭で説明し、手はマウスを動かしていく。


「表は挿入の部分から必要な行数と列数を選んで……」


「あ、そこか。枠線を太枠とかに変更するのは?」


「変更は、枠線をポインターで選択すれば出来ますよ。上のタブにも出てきますし」


「あれ、じゃあ何で俺の出てこないんだ?」


「おぉ?」


 雲居君と顔を見合わせて彼のパソコン画面を覗きに行く。彼と同じように椅子を滑らせて。


 雲居君の隣の席では、舟見君が突っ伏して眠っていた。


「それはほっといていいから」


「ははは……」


 苦笑しながら雲居君の画面を覗く。なんで出てこないんだろ……。


「ちょっと、お借りします」


 許可を得てから色々操作してみる。


 表を図形で作っているという所から、ちょっと違う気がする。でもこれでも枠線とかは変えられるし……いや、うん、普通に図形クリックしたら出たわ。あれ?


 自然と首を傾げてしまう。図形の下に表を作って枠線をクリックしても普通にタブ出てくるし。うん、大丈夫です、はい。


「なんか、普通に、ぁの、出ましたね」


 笑いながら雲居君を見る。彼は机に頬杖をついて私を見ており、目が合うと「マジか」と恥ずかしそうに笑ってくれた。


「じゃあ、俺が変なとこ押してたんだろうな」


「どう、でしょう。その可能性も……無きにしもあらず?」


 返事に困って曖昧に笑う。雲居君は可笑しそうに笑ってくれた。


 あぁ、恥ずかしい、胃が痛い。


「凩さんって面白いね」


「いや、すみません、返事に困ってしまいまして……」


「いやいや、ありがと、助かった」


「や、ぁの、それなら良かったです」


 軽く会釈して自分の机に椅子を滑らせる。


 あぁ、緊張した。教えるって不得手だ。ちゃんと正しいこと教えたよね。大丈夫、落ち着け。私もちゃんとしよう。


 アルフヘイムのことばかり考えて検定落としたら洒落にならない。分からないことはアミーさんに確認するしかないだろ。


 不安がる自分を閉じ込める。すると「ごめん凩さん」と雲居君にまた呼ばれ、顔を上げた。


「まだ聞いてもいい?」


「あ、勿論、私でよければ」


 そう言って笑ってしまう。私に分かる範囲であれば頑張ります。


 雲居君は笑ってくれて、二人で一緒に練習問題の四を解いていった。


「うわ、グラフ出来た」


「出来ました、ね」


 完全に私が使っていたパソコンで作業する状態になり、りず君達が眠っている鞄を膝に乗せておいた。


「部活してたっけ?」


「体操服とか、入れる用なんです」


 雲居君からの質問をはぐらかしながら。本音に嘘を混ぜた言葉で。


 夜来さんが脳裏で笑う。


 雲居君は気にしないように問題に戻ってくれて、私は肩の力を抜いた。


 その後、先生は会議があるということで途中退場され、教室の施錠を何故か名指しで任された。


 はぁ、私ですか、頑張ります。


 補講終了の時間が来れば皆さん自主的に帰ってくださった。安心。


 開けることなんてないだろうけど、窓の施錠を確認して、寝ている人を起こして、動画を見ていた方々に声をかける。皆さんすんなり帰ってくれて胸を撫で下ろした。


 その時目が合った、楠さん。


 凄く見られていて、私は微笑んで首を傾けてしまいます。


 楠さんは鞄を持って近づいてきて、私を見下ろしてくる。どうされたのでしょう。


「帰りは?」


「あ、ぇっと、自転車です」


「そう、なら少し話せるかしら?」


「はい」


 笑いながら頷く。楠さんから声をかけてくれるとは驚きだ。あの初めてのお昼ほどではないけれど、最近ちょくちょくお弁当をご一緒している。感激。


「凩さん、今日ありがと。また分かんなかったら聞いていい?」


 楠さんの向こうから声をかけられる。見ると入口で雲居君が手を振っていて、私は反射的に頷いた。一応手も振っておく。


 彼は笑うと「鍵返しとこうか?」と聞いてくれた。嬉しいが、それは申し訳ないのでやんわり首を横に振る。雲居君は「そっか、ありがと、よろしく」と、笑いながら舟見君と帰っていった。お気持ちだけで、とても嬉しかったです。


 静かに息を吐くと、また楠さんと目が合った。


 綺麗な人だ。何故同じように夜寝る暇がないのに、彼女には隈とか肌荒れが起きないのだろう。最近保湿の大切さを学んだ私では到底考えつかない美容法をお持ちなんだろうか。


 ……阿呆なこと考えたな、やめ。


 楠さんは忙しない私の内情なんて知る筈もなく、首を微かに傾けていた。


「さっき、何を調べていたの?」


 おっとバレていた。


 私は笑顔を固めて首を傾げ、言葉を濁してしまう。


 私が見つけられなかっただけかもしれない不確かな問い。それを言うのか。余計なことではないか。言ってもいいのか。


 いや、情報共有は大事だ。そう、だから、言っても大丈夫。


 私は髪を引っ張りながら、肩を竦めてしまった。


「その、夜来さんの失踪記事と……負けた軍の戦士の死亡記事……集団不審死とかないかを、調べてました」


「集団不審死?」


「はい、その……夜来さんの記事を見た時、おかしいと思ったんです。夜来さんが祝福を受けたということは、ディアス軍が負けた訳で……だったら、一部の年代が大量に亡くなった日がある筈なのに、その記事が無かったので、気になってしまって」


 涼やかな声で質問され、私はしどろもどろに答えておく。


 うぅん、口下手過ぎて穴に埋まりたくなるぞ、これは。


「すみません、完全な蛇足です」


「そんなことないんじゃない」


 髪を引きながらと謝罪すると、意外な言葉が降ってきた。


 驚いて、下げていた視線を上げる。楠さんは教室の一つしかない出入口に鍵をかけると、私を見つめてきた。


 来い、と言われている気がする。


 私は小走りに自分の荷物を掴んで、楠さんの近くへ行く。


 一つの机の影にしゃがんだ楠さん。私も近くにしゃがみ、らず君達が入った鞄を自然と撫でた。


 楠さんが首元のリボンを解いて、シャツの中から銀色の鍵を引っ張り出す。彼女がそれを身につけていたことに驚いていると、楠さんは躊躇ちゅうちょなく鍵の宝石を三回叩いていた。


 え、ちょ、ここ学校、


 なんて野暮なことを言う前に宝石が光り、白い翼に金糸の髪を持った美しい男性が現れた。


 黒いタキシードに白い手袋。まるで天使のような彼は、低くよく通る声を発していた。


「お呼びかな? 紫翠」


「えぇ、取り敢えずしゃがみなさいヴァラク」


「分かった」


 従順。


 そんな単語が私の脳裏を通り過ぎ、私達と同じ目線にしゃがんだヴァラクさんを見つめてしまう。目が合った蒼眼から視線をずらして会釈すれば、彼は私を見つめたまま「あぁ、君は」と言われた。


「アミーの駒、凩氷雨だね」


「ぁ、は、はい、はじめまして」


 笑いながら頭を下げる。


 ヴァラクさんは私を穴が開きそうなほど見つめて、不意に髪の毛を一房掴まれた。細いと分かる指から私の髪が滑り落ちていく。彼は目を細めると、目尻を下げて笑ってくれた。


「君もまた、美しい」


 なんだ急に。


 私は冷や汗をかきながら微笑み続け、楠さんがヴァラクさんの頭を叩いていた。いい音がした。


 ヴァラクさんは「嫉妬かい?  紫翠」と微笑を浮かべ、とうの楠さんは冷え冷えとした声を吐いていた。


 慣れてるんだろうなぁ、こういう対応。


「無駄話は結構よ。質問に答えてさっさと消えて」


「飾らない君の言葉も美点だな。それで、どう言った質問だい?」


 楠さんが目を細める。彼女は一瞬私を見てから聞いてくれた。


「負けた戦士のその後についてよ。貴方達、敗者に一体何をしているのかしら?」


 ヴァラクさんの目が細められる。彼は私を見ると、「アミーを呼んでくれるかい?」と聞いてきた。


 私は頷いて、ひぃちゃん達に入ってもらっている鞄を開ける。その中のひぃちゃんの首にかけていた鍵を貰って宝石を叩くと、アミーさんが軽やかに登場してくれた。


「やっほー氷雨ちゃん! お呼びかな?」


 元気のいいアミーさんに「はい、すみません」と頭を下げ、彼は笑いながらしゃがんでくれる。ヴァラクさんを見たアミーさんは「やっだヴァラクじゃん!」と大袈裟に驚いていた。


「アミー、紫翠からの質問だ。敗者の死後について。これに答えるべきか否か、意見をくれないかい?」


 ヴァラクさんは、アミーさんの兎の顎を指先で撫でる。アミーさんは少し静かになって、私の方に硝子の瞳を向けてくれた。


「……知りたい? 氷雨ちゃん」


 確認。私にか。何故。


 分からなくて、微笑みながらアミーさんを見つめてしまう。彼の作り物の目は私を映して、こちらの本心を探っているようだった。


 この態度から見るに、きっと言いづらいことなんだ。


 私が聞きたくないと言えば、アミーさんは恐らく「じゃあ言わない方向で!」位の勢いではぐらかして終わらせる。


 無知は罪だ。


 そう、つい十時間ほど前に思ったばかりであって。


 だから私は――知りたがる。


「知りたい、ですね」


 笑いかければアミーさんはまた黙り、私の両目に片手を被せてきた。


 白い手袋の生地が目を隠す。右手も握られて、私は自然と「アミーさん?」と呼んでいた。


 静かな時間。アミーさんもヴァラクさんも、楠さんも喋らない。私も喋ることはせず、ただ光が戻ってくる時を待っていた。


 ふと、橙色の光が見える。視界が開けて、頬にはやんわりと手が添えられた。


「いいよ」


 静かな声だった。いつものアミーさんからは想像出来ないくらい、静かな声。


 彼は私の右手を握り締めて「ということで、話していいと思いまーす」とヴァラクさんに顔を戻していた。ヴァラクさんは頷いて、楠さんの手を優しく握る。


「紫翠、氷雨」


 ヴァラクさんの目が、楠さんと私を交互に見る。彼は一度目を伏せると、穏やかな口調で教えてくれた。


「戦士が死ぬと、その存在も――消えてしまうんだよ」


 落とされたのは、同じ言語に聞こえる筈の音。


 それを私の頭は理解せず、耳を通って言葉は抜けた。


 私はヴァラクさんからアミーさんを見て、楠さんへと視線を向ける。彼女も横目に私を見て、その目は微かに丸くなっていた。


「どういうこと?」


 楠さんがヴァラクさんに視線を戻す。彼は軽く首を傾けてから、子どもに言い聞かせるような口調で話した。


「そのままさ。タガトフルムの誰の記憶からも消えてしまう。その戦士がいたということが。形跡も、出生も、何もかも。相手軍の戦士と両軍兵士以外の、誰も彼もが忘れてしまう」


「楠紫翠ちゃんも凩氷雨ちゃんも最初から、何処にもいなかったことになるんだよ」


 アミーさんが私の頬を優しく撫でる。それでも言葉は残酷で「ふざけないで」と楠さんは語尾を強めていた。


「勝手に戦士に選んでおいて、負けたら死ねと言っておいて、死んだら誰からも忘れられるですって? 理不尽も大概になさい」


 静かに憤りを溜めた声が吐かれる。私はアミーさんを見つめて、彼らの答えを待っていた。


「それが、世界が繋がるという事だよ、紫翠」


 ヴァラクさんが楠さんの手に唇を寄せていく。それを払い除けた楠さんは、鋭い瞳で兵士さんを見つめていた。


「世界と世界の干渉は禁忌だ。それを犯して僕達は競争をしている。君達戦士を使って、中立者発案の元」


「その、中立者さんとは誰なんですか」


 理不尽を極めた人を私は知らない。「中立者」と言う呼び名しか教えられていないのだ。


 アミーさんは私の頬に微かに指を食い込ませると、兎の額を私の額に合わせてきた。視界一杯に、青が広がってしまう。


「アイツは、アルフヘイムの神様なんだ。アルフヘイムと言う世界を作った、絶対王者。ディアス軍とルアス軍に競走しろと持ちかけた張本人。タガトフルムを選んだ選定者。臆病で、傲慢で、アルフヘイムを愛する、ちっぽけな神様。それがね――中立者」


 アミーさんは穏やかに言い切って、私の髪に指を通してくれた。


「世界を繋げたアイツはね、タガトフルムで混乱が起きないよう、記憶を消してしまうんだ。それだけの力がアイツにはある。それが、中立者なりのケジメだって言ってね」


「ケジメって、」


「――残された家族が、悲しむでしょ?」


 息が、止まる。


 私はアミーさんの手を握り返して、口を閉じ、目を伏せた。


 瞼の裏に浮かんだのは両親の姿で、私が突然死んだ時、二人はどんな顔をするのかまでは想像出来なかった。


 額から微かな重さが消えていく。目を開けると、感情が読み取れない兎さんがいた。


「悲しませない為に、消すですって?」


 楠さんの声がする。彼女の棘を含んだ声は確かにアミーさんに刺さり、ヴァラクさんもしっかりと受け止めていた。


「神様らしい傲慢さね」


 皮肉んだ言い方で楠さんは鍵を揺らす。「もう戻って」と無感情にヴァラクさんに言った彼女の目は、夕焼けに染まる教室の床を見つめていた。


 ヴァラクさんは楠さんの頭をひと撫でして、消えていく。


 アミーさんは私の目尻を親指で撫でてから、元気に立ち上がっていた。


「それじゃぁまた夜に! よろしくね、二人共!!」


 明るく言い放って消えたアミーさん。残された楠さんと私はそれぞれ机に背中を預け、暫く黙りこくってしまった。


 夕日が沈んでいく。


 あぁ、帰って、今日も晩御飯を作らなくては。


「……死なないわ」


 静寂を割く言葉を聞く。


 顔を向けたら、私を見つめる聡明な瞳と目が合った。


 強い目だ。綺麗で賢く、揺るがない目だ。


 私は笑って、頷いた。


 あぁ、そうだ、悲観するな。


 死ななければいい、負けなければいい――勝てばいいのだ。


「勝ちましょう、楠さん」


 言えば彼女も頷いてくれて、私達は揃って立ち上がる。


 立ち止まる時間が無いならば、這いつくばってでも勝利を欲しろ、凩氷雨。


 そうでなくては、明日を掴むことなど出来はしない。


「殺して、生きるわよ」


 背中を軽く叩かれて、私は「はい」と笑うのだ。


 夕暮れの教室の鍵を閉めて。


 暮れる空を嫌悪して。


 脳裏には、泣いた夜来さんが浮かんで消えた。

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