第33話 愛念

 

「氷雨さん!!」


 夜来さんに銃口を向けられて何も反応が出来なかった瞬間。


 ひぃちゃんの声がして、目の前がまばゆく輝いた。それに驚き目を固く閉じるが、与えられると思った痛みや熱さはやって来ない。


 不安になりながら目を開ければ、銃弾が地面にめり込んでいた。飛び上がったひぃちゃんの首輪が、輝いている。


 加護の環――フォーンさん


「ヘぇ、いいアイテム持ってるね」


 舌を戻して後ろに跳躍する夜来さん。


 私の心臓は痛いほど動いて脈が早い。目の前が発光して膝が震えた。冷や汗が流れ落ちて耳が熱い。


 目の前にある緋色の翼が、頼もしくて仕方がない。


「ひぃちゃん」


「氷雨さん」


 情けない声でお姉さんを呼ぶ。ひぃちゃんの赤紫色の瞳と目が合って、私は自分の足を叩く。口角を釣り上げて、足を止めるな。


 さぁ、笑え、弱虫。


「ありがとう」


「いいえ、貴方の為ならば」


「フォーンさんにも、感謝だね」


「そうですね」


 ひぃちゃんが笑ってくれて、その牙から液体が滴り落ちる。彼女は夜来さんへと目を向けると、翼を強く羽ばたかせて突進して行った。


 私も駆け出してりず君の元へ行く。一瞬目を合わせた結目さんと細流さん、楠さんは頷いて、私も頷き返した。


「やぁ、ドラゴン」


 夜来さんの舌がまた銃になる。発砲音と共にひぃちゃんの体が動き、壁に銃弾が炸裂した。


 ひぃちゃんの牙が夜来さんの肩口を噛み切り、彼の足がふらつく。お姉さんは噛みちぎった皮膚を床へと吐き捨て、再度力強く突進した。


 夜来さんはそれを躱し、肩を押さえながらひぃちゃんを避ける。痛みもなければ血も出ないのか。


 私はひぃちゃんを見て、お姉さんは夜来さんの斧を避けた。


 大丈夫。私の足は、走ることを思い出せてる。


「トライデント」


「おう!!」


 先が三つに別れた槍――トライデントに変形してくれたりず君。私はひぃちゃんの反対側、背後から夜来さんに接近し、鋒を彼の腹部に向けた。それを斧で弾かれる。


 ッ、関節は、そんな方に向かねぇだろ普通!


 私は後ろに距離を取り、ひぃちゃんが背中に戻ってきてくれる。「ありがとう」を伝えながらお姉さんを加護の環と一緒に撫でておいた。ひぃちゃんの喉が微かに鳴る。


 可愛い、いい子、やり返しありがとう。


 夜来さんは微かに溶けた自分の肩を見て、首を傾げていた。


「うわ、溶けるし。そのドラゴンの能力、飛行だとばっかり思ってたんだけどなぁ」


 飛行が能力とな。


 可笑しなことを言うもんだ。


 私は笑いながら、首を傾げてしまった。


「足があれば、歩きますよね? 動物であれば、大体」


「うん? まぁね」


「ひぃちゃんも一緒です。ドラゴンである彼女には翼がある。だから飛ぶ。それだけのことです」


 ひぃちゃんの飛行は私達の歩行と同じこと。それを能力だと言われてしまうことに、お姉さんは若干不服そうです。酸性の液体を出すのは嫌いだけれど、自分に飛ぶしか能がないと思われるのはより嫌いみたいなんですよ。


 だから、勘違いしないであげてください。


「で、本来の力はこの液体? 酸性っぽいね、こわーい」


「足を噛めばよかったですね」


「はは、止めてよ、そしたら俺も流石に動けなくなるからさ」


「動けなくなればいいと言っているんです」


 ひぃちゃんが冷え冷えと言い放ち、翼を広げて私を浮かせてくれる。視界に細流さんが映った。


 彼は頷いてくれるから、もう、大丈夫。大丈夫だよ、安心しろ、氷雨。


 ひぃちゃんが力強く羽ばたいてくれる。私は夜来さんに向かって体勢を整え、腹部に回ったひぃちゃんの尾に安堵した。


 夜来さんの右腕の斧とりず君がぶつかり合う。甲高い音がして、私は反動で上がった腕を力の限り振り下ろした。


 また、金属が混じり合う音がする。腕が痺れる。


 左腕。鎖鎌、違う、鉈っぽい。避ける。大丈夫、ひぃちゃん。動いてくれる。トライデント、変えるか。いや、これでいい。殺すわけじゃない。


 トライデントの真ん中の刃で、夜来さんの腹部を貫く。


 怖い、嫌だ、大丈夫、死なない。この人は痛くもない。逃げたい、逃げるな、踏ん張れ。


 私はそのまま体重をかけて、ひぃちゃんも翼をはためかせてくれる。


 夜来さんの背中から、りず君の鋭利な刃先が突き抜けた。


 あぁ、この不快感を、私は暫く忘れないんだろう。


 瞬間、向かって右側から鉈が来る。


 自分が貫かれてるのにまだ殺しにかかるのか。マジか、頭痛い、しんどい、避け、


 風が起こって、私に近づいていた鉈が止まる。竜巻。反対側から迫っていた斧は、大きな手が押さえつけてくれた。


 結目さん、細流さん。


 大丈夫、後はこのまま倒してしまえ。


 私はその時、自分の手が震えていると知り、目の前で笑っていた夜来さんの口から拳銃が覗いていたことにも気がついた。


 あ、


 鼓膜を揺さぶる発砲音。


 骨が折れる音。


 細い足が夜来さんのこめかみを蹴りあげる。


 楠さん。


 あぁ、今日だけで夜来さんは、何回首を折ったのだろう。


 私は息を止めて、勢いよくトライデントを床へ突き立てる。両脇の二本の刃が床に刺さり、夜来さんの背中から出ている刃も床にめり込む感覚がした。


 頬から汗が落ちる。赤い汗。違う、これ、血。何処から、私の顔。どこを怪我した、熱い、右の頬、目の縁、熱い、痛い、なにこれ、弾丸、掠めた、熱い、熱い、痛い。


「氷雨」


 肩を抱かれて、目の近くの傷口を押さえられる。息を呑みながら顔を上げると、無表情の細流さんが見えた。


 らず君は、近づいて来た結目さんの肩から私に飛び移ってくれる。泣きそうな顔で光って、私の頬の痛みが薄れていった。


 細流さんの手が離れる。傷があったであろう場所を触ると、そこは綺麗に治っていた。


 髪に指が差し込まれる。振り返ると、楠さんが私の右の耳を覆うように触れていた。細い指が私の髪を梳いてくれて、その動作に肩の力が抜けていく。


「お疲れ様」


 優しい声がする。無表情の楠さんは私の目の下を指で撫でてくれて、顔から力が抜けた。自然と笑って、「はぃ」と掠れた声が口から零れていく。


「あぁぁ……四体一は、流石にキッツいかぁ……」


 折れた首を戻しながら夜来さんが笑う。私は反射的に肩を跳ねさせて「もう動くなよ」とりず君が言っていた。りず君の持ち手を両手で握って、私は夜来さんを見つめる。


 彼の両腕が鎖になって振り抜かれたが、竜巻がそれを押さえつけてくれた。それに驚いて結目さんを見る。


 彼は夜来さんを見下ろしたまま「往生際悪いね」と笑っていた。


「諦めないさ。守るんだ、この手足がちぎれようが、首が折れようがなんだろうが、俺は女王様を守ってみせる」


 笑みを消した顔で夜来さんは私達を見上げてくる。その思いは揺るぎなく、私の中に無抵抗に落ちてきた。


 あぁ、息が苦しい。


 楠さんは何も言わずに夜来さんの鳩尾に触れて、花の形をした宝石を抜き取った。


 夜来さんの両手が武器から人の手へと戻り、首も真正面を向く。彼は首を傾げて、楠さんを見つめていた。


「……ねぇ、何したの」


「貴方の力を貰ったのよ」


 楠さんの手の中で花の宝石が輝く。


 夜来さんは目を見開くと何かを試し、それが駄目だと理解したようで「返せよ……」と今までで一番低い声を零した。


「返せ……返せ、返せよ!!」


 急に暴れ始めた夜来さん。私はりず君を握り締め、小さな竜巻が夜来さんの両手足を封じていた。


 目を血走らせた夜来さんは、楠さんだけを見つめている。


「返せッ、それがないと、いけないんだ!! あの子達を、あの人を、守らせろ!! 返せ、俺の力、ふざけんな!!」


「守る? 貴方が?」


 楠さんが首を傾げて夜来さんを見下ろす。


 私の両手は暴れる夜来さんの勢いに負けそうで、上から被せるように結目さんが手を押さえてくれた。


 横目に見た結目さんは、何処か楽しそうな目で夜来さんを見下ろしている。


 楠さんは綺麗な唇から冷たい声を落としていた。


「貴方は苦しめただけじゃない、好きだと叫ぶあの子達を」


 夜来さんの目が見開かれて、動きが止まる。「……苦しめた?」と彼は呟き、楠さんは続けた。


「食事を邪魔して」


「違う、俺は、戦士からあの子達を守りたくて、」


「戦士を殺して」


「見せたくないからって言っただろッ、好きな子を、誰にもッ」


「島から出られないようにして」


「ここが、ここが一番安全だから!」


「塔を壊して」


「自分を偽る必要なんてない。あの子達は、あのままで、あの姿こそッ」


「モーラがそれを望んだの?」


 夜来さんの言葉が止まる。彼は口を開閉させて、それでもその口からは何も出てこなかった。


 楠さんは続けていく。蔑む色を宿した目で。


「貴方の行動は自己満足よ。恋に恋したとでも言えばいいのかしら? 相手のことを考えない、暴力と何ら変わらないの。その証拠に、貴方は受け入れられなかったじゃない。この島のモーラの誰からも」


「違う……違う、違う、違うッ、俺の言葉が足りないだけで、俺が不完全なゾンビだからッ、だからッ、あぁ!! あの子達もいつか気づいてくれるッ、俺が正しいって、俺が必要だって、俺がいて、良かったって!」


 泣きだしそうな声だった。


 震えを押さえつけた声で夜来さんは否定する。楠さんは彼を見ることを止め、花の宝石を上着に仕舞っていた。


「愚かね」


 呟く彼女。夜来さんの目はこれでもかと見開かれ、揺れていた。それを見ながら結目さんは笑って、とても明るく言い放つ。


「さ、それじゃぁ生贄を連れていこうよ! 大乱闘終了!」


「!! 待て! 止めろ!! 連れていくなッ、あの人に、触るな!!」


 夜来さんがお腹の底から叫び声を上げる。彼が言うあの人とは、女王様のことだ。


 あぁ、訂正しなくては。


 嘘をついて――ごめんなさいと。


 結目さんの手が私から離れて、夜来さんを見下ろしている。私達の言葉を信じる元戦士さんを。


「はは、ごめんごめん、女王様を生贄にするってね、あれ嘘。街のモーラも連れていかないよ」


 夜来さんの目が驚きの色に染まる。それから一度瞬きをして、安堵の色を浮上させ、体からは怒りや緊張が抜けていった。


 好きな人を連れていかないと言う言葉を、貴方は信じますよね。


「なんだ……嘘って……」


 呟きながら、笑ってしまう夜来さん。結目さんも顔に笑みを張りつけて、言っていた。


「お前、言ったよね? 真実に嘘を混ぜた話が一番信じてもらえるものだって。あれね、俺も同意。だってお前は信じたんだもん。俺達の話を」


 チグハグさんはそう教え、夜来さんは微かに首を傾げる。


 その顔は一つの残っている可能性を見落としており、私はりず君を握り直した。


 結目さんは、続けている。


「俺達は悪を連れていく。そのシュスの誰もが悪だと言い、俺達の基準でも悪だと判定されたその人を。これは紛うことなき真実だ。だけど女王を生贄にするってのは嘘」


 夜来さんは結目さんを凝視する。私は鳩尾の痛みに襲われた。


 あぁ、告げてくれ。私に、その勇気はない。


 結目さんは平坦に、言葉を零していた。


「生贄はお前だよ、夜来無月」


 広がったのは――静寂。


 夜来さんは全ての動きと言葉を停止して、首を反対側へ傾けていた。彼の口角が引き攣るように上がる。


 その黒目は楠さんを見て、細流さんに移り、私を映し、結目さんへと戻って行った。


「……俺が……生、贄……?」


 掠れた声だ。聞き間違いを願うような、そんな声。私はりず君を握り締めて、夜来さんを見つめておいた。


「そ、喜べよ、夜来無月。あんたは俺達の生きる土台になれるんだ」


「ッ、ふざけッ」


「ふざけてねぇよ」


 結目さんの腕が揺れて、夜来さんの口を風が覆う。夜来さんの黒髪が揺れて、目は酷く血走っていた。体がまた暴れだそうとして、細流さんと私でそれを押さえ込む。


 両手足も、体も、口も。彼に今、自由な部位はどこにもない。


「おーい、オリアス」


「呼んだか、結目帳」


 そう、場に似つかわしくない穏やかな声がする。


 結目さんの鍵から浮かび上がったのは、濃い藍色の長髪を左の肩口から前へと流している男の人。穏やかな顔つきで、伏せられている両目の縁では髪と同じ色の睫毛が揺れていた。


 彼が、オリアスさん。結目さんの担当兵。


「呼んだよ。ねぇ、この夜来無月はさ、生贄候補にしていい感じ?」


 オリアスさんの片目が開いて、夜来さんを見下ろしている。深い青色の瞳は細められて、またゆっくりと伏せられていった。


「モーラ・シュス・ドライの、元戦士の子だね」


「そうだよ」


 夜来さんの首が微かに横に振られる。オリアスさんは両目を少しだけ開けると、微かに頬を緩めていた。


「構わないよ。彼は既に、アルフヘイムの住人だ」


 絶望の音がした。


 夜来さんから、確かに。


 指先が震えて、肩が揺れて、今にも発狂しそうな目と目が合う。


 鳩尾が痛み、彼を自由にしてあげたいと胸が痛む。らず君が肩で揺れて、ひぃちゃんが目を伏せるのが分かった。


 彼はただ純粋なまでに自分の心に正直だっただけだ。


 それでもその行動は、許されない。


 オリアスさんが消えて、結目さんが「だってさ」と心底楽しそうに告げる。それでもその顔は無表情に近く、楠さんが夜来さんの頭の近くに膝を着いた。


「私達はね、元々このシュスで悪だと言われる人が誰もいなければ、そのまま去るつもりだったのよ」


「けど、ここには、無月が、いた」


「……結目さんから女王様の話を聞いた時、決まったんです。貴方は悪で、この島のモーラさん達全てが喚き散らすほど恐れてしまう存在だと。そして……私達の尺度で測っても、戦士を殺す貴方は悪人だ」


 私達は順に言葉を連ねて、弱く首を横に振る夜来さんを見つめていた。楠さんの手が伸びる。


 あぁ、早く眠らせよう。彼に真実は……酷すぎる。


 勝手に判断して、私は目を伏せる。


 その時お城の壁に何かが激突し、粉塵と瓦礫の音が響き渡った。


 それに驚き、緊張が肌を刺激する。


「ッ、おい!! ディアス軍!!」


 見えたのは息を切らせた鷹矢さんと、上着を着ていない早蕨さん。微かに怪我をしている二人は大きくなったイーグさんの背に乗り、壁は鷲さんの激突で大破。マジかよ。


 早蕨さんと鷹矢さんの後ろには複数の背の高いモーラさんがいた。恐らく彼女達は、女王様の側近だ。


 その中でも、抜きん出て威厳あるモーラさん。落窪んだ大きな瞳に唇から覗く牙。朽ちた体に相反するほど美しい真紅のドレス。


 きっと彼女が、女王様。


 鷹矢さんと早蕨さん、女王様含めたモーラさん達はイーグさんから降りると、私達の状況を見て驚いていた。


「何、しようとしてる?」


 鷹矢さんに聞かれる。意識が戻った彼は記憶を弄られていた時とは違い、とても強い喋り方をする。


 早蕨さんは目を見開いて、結目さんを凝視しているようだった。結目さんは気づいていないのか、気づいていても無視しているのか分からないが、微笑んでいた。


「生贄を捕まえているところさ」


「生贄ッ!?」


 早蕨さんが弾かれるように駆け出して、その前を突風が吹き荒れる。早蕨さんは急いで止まり、風は直ぐにやんでいった。


「イーグ!!」


「分かってる!!」


 廊下に小さくなって滑り込んできたイーグさん。直ぐに巨大化した彼に向かって細流さんは跳躍する。握り締められた拳はイーグさんの額に炸裂し、私はひぃちゃんの首を撫でた。


 お姉さんは察して飛び立ち、細流さんの背中を掴んでくれる。細流さんは目を瞬かせつつもイーグさんを足止めし、鷹矢さんが奥歯を噛み締めているのが見えた。


「ッ、結目君!! どうして君がッ、夜来さんを生贄にってどういうこと!?」


 敬語が取れた早蕨さんが叫んでいる。それでも感情に任せたものではない。結目さんと会話をしようとしている。


 そのサインを結目さんは叩き落としてしまうわけだが。


「そのままだよ、コイツを生贄にするって俺達は決めた、以上」


「駄目だ、そんなの……ッ、行かせない!!」


 早蕨さんがまた、弾かれるように私達の方へと駆けてくる。脚力ではない。文字通り、彼は床に弾かれた。そんな走り。


 正しい彼は誰を救いたいのか。


 生贄にされそうな殺人鬼か。友達になりたいと願う同級生か。


 私には判断しかねてしまって。


 結目さんは息をつきながら夜来さんを押さえていた竜巻を消し、ピアスを触っていた。


「待ってッ」


 予想打にせず、早蕨さんを止めたのは女王様だった。


 干からびた腕が早蕨さんの前に出て、彼の行き先を妨害する。


 動きが早い。街のモーラさん達とは違う。あれが、モーラの女王様。


 止められた早蕨さんは「何を!?」と焦って、女王様は「お願いッ」と懇願した。早蕨さんと鷹矢さんはたじろいて、側近さん達はイーグさんと細流さんを止めている。


 おかしな状況に私は首を傾げ、女王様は私達の方へと振り返った。


 彼女の落窪んだ目は輝いて、縋るように聞いてくる。


「彼を、連れて行ってくれるの?」


 歓喜に打ち震えるような、そんな声。


 期待を孕んで輝く表情。


 その言葉が、言い方が、姿が。


 私の背中が冷えていく。下では夜来さんの体から力が抜けるのが伝わってきた。


 見る。


 夜来さんの目の縁からは、涙が零れ落ちていた。


 あぁ――折れた。


 どれだけ骨を折られても立ち上がっていた彼が、たった一人の言葉で、瞳で、折れてしまった。


 彼の体からりず君を抜く。


 夜来さんは起き上がらず、唇を噛み締めて、自分の両目を覆っていた。


「あぁ、連れて行くよ」


 結目さんが答えて、楠さんが夜来さんの頭に触れる。すると宝石が抜け出てきて、夜来さんの体からは完全に力が抜けた。


 落ちた手の下にあった目は閉じられて、涙の筋だけが残される。


「駄目だ、結目君ッ」


「うるさいよ」


 結目さんはそう言って腕を振る。すると早蕨さん、鷹矢さん、イーグさんが突風に飲み込まれ、風で割れた窓硝子から外へと吹き飛ばされた。


「ッ、くそ、イーグ!!」


「凩ちゃーん」


 呼ばれる。結目さんの茶色い瞳が私を見て、私はひぃちゃんを見る。お姉さんは細流さんから離れると私の背中を掴んでくれて、足が浮いた。


 外へ出る。体勢を整えたイーグさん。鷹矢さんと早蕨さんをその背中に乗せて。私の肩ではらず君が輝き、腕が疼いた。


 トライデントのりず君を構える。


 大丈夫、急所は外しますから。


「ごめんなさい」


 届かない謝罪を呟いて、りず君を投擲する。


 大きなイーグさんの翼は狙いやすく、彼の右翼をりず君が貫く。


 この高さなら、きっと死にませんから。


 だから、どうか私を恨んでください。


 イーグさんが呻いて落ちていく。


 鷹矢さんと早蕨さんが悔しそうな顔で叫んで、落ちていく。


 蹴れませんよね、早蕨さん。イーグさんを蹴って跳び上がるなんて、貴方は出来ない人だ。


 りず君は針鼠に戻って、空中へ飛び出す。ひぃちゃんは颯爽と彼に近づいて、私はりず君をキャッチした。そのまま私は結目さん達の元へと戻る。大きな音を立てて落下したイーグさん達を振り返ることはしないで。


「お疲れ〜」


 廊下に足を着く。労ってくれた結目さんは笑っており、私もゆっくり微笑み返した。


 泣き崩れる女王様。動かない夜来さん。


 あぁ、悲惨。


 思いながら私は女王様に確認する。全てのモーラの司令塔である、彼女に。


「連れて行って、構いませんか?」


「えぇ、えぇ、勿論」


 顔を覆って蹲っていた女王様が顔を上げる。その干からびた顔には満面の笑みが浮かび、何度も頷いてくれた。私の喉が苦しくなる。


 彼女の心の底から歓喜を表す声。その声と相反するように流れ続ける涙は、一体何の涙なのか。


 女王様は目を細めて笑い続けていた。


「やっと、やっと、いなくなる。私達の食事を邪魔する酷い人。塔も橋も壊した人。その人の言葉はいつも、分からなかった」


「分からない、言葉ですか」


「そう、そう、好きだと言われたの、一目見た時から。けどその気持ちは分からないし、彼の行動も、表情も、理解が出来ないの。それがとても、恐ろしくて仕方がなかった」


 分からないことは怖いこと。


 彼女はそう言って、夜来さんを連れて行くことに賛同してくれる。私は結目さんと顔を見合わせて、笑う彼は竜巻で夜来さんを包んでいた。


 細流さんは楠さんを抱えて、壊れた壁から外へと飛び降りる。結目さんと私も続き、宙へと体を投げ入れた。


 ひぃちゃんが翼を広げてくれる。微かに振り向いた廊下には泣いて喜ぶ女王様と、歓喜する側近さん達と、ぞんざいに捨てられた早蕨さんの上着が残されていた。


 街の中で、悲鳴はもう上がっていない。


 そこにあるのは、いなくなって欲しいと願った人を連れて行ってもらえる喜びだけだ。


 小さなモーラさん達が両手を上げて、街を走り去る細流さんや、空を飛ぶ結目さんに拍手をしてくれる。


 喜び一色に染まったシュスの中で、その空気を信じられないのは、早蕨さんと鷹矢さんだ。


 私は目を細めて、隣で結目さんが手を振った。風が巻き起こる。


 鷹矢さん達は竜巻に攫われて、遠くの林の中へと弾き飛ばされて行った。


「ッ、結目君!! 凩さん!!」


 そんな呼び声は、聞こえない。

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