第32話 改変


 人物が多く登場する回となっております。ご了承下さいませ。


 -----------------------------------


 かつて、まだモーラの孤島が陸と橋で繋がっていた頃のこと。何度目かも分からない変革の年となり、統治争いが始まった。そして、ある日三人のルアス軍の戦士と二人のディアス軍の戦士が、モーラの孤島にやって来たそうだ。


 島には空の光を集める塔があった為、モーラ達は愛らしい少女の姿で彼らを迎え入れた。陽の光があれば、モーラ達は可憐な少女に変身出来るのだ。


 金の髪に雪のように白い肌、愛らしい笑顔と鈴の転がるような笑い声。まるで人形のように可愛らしいモーラ達は、戦士達を歓迎した。


 その姿を見て安堵した子ども達。まだ競争に不慣れだった五人は暖かな歓迎を受けて、シュスに腰を落ち着かせてしまった。戦士ではなく、日本人としてお互いの状況を話す戦士達に、モーラは食事を与え、寝不足だった子ども達はいつの間にか眠りに落ちてしまった。


 それを見てモーラ達は光りを集める塔を止め、島を夜にした。


 そうすれば彼女達の肌はたちまち干からび、目は落ち窪み、醜い皺が寄り、口の端からは鋭い牙が覗いた。それこそが本来のモーラの姿であり、求めるのは甘美な戦士の血液。ただそれだけを望むモーラ達は、眠る子ども達を抱き締めて、心臓の上の皮膚を撫でるのだ。


 違和感に目を覚ました戦士達。だが、逃げるには遅過ぎた。


 モーラ達は戦士の心臓へと牙を突き立て、抵抗させない為の毒を流し込み、恐怖と痛みに泣いて絶望する子ども達の血を啜った。可愛らしい笑い声に交じる戦士の悲鳴。


 その中でたった一人、笑いながら、何の抵抗も見せない少女がいたそうだ。


 身の丈に合っていない服に、幸せ一杯と言わんばかりの恍惚とした表情。男子が二人と女子が三人だと把握していたモーラ達は、今では男子が一人に女子が四人となっている状況に首を傾げていた。


 しかし、そんなことは気にしないのがモーラという種族だ。腐った脳では深く物事を考えることなど不可能で、例外なく少女の心臓へと向かっていった。


 少女は自分に近づくモーラを抱き締めて、まるで夢心地と言わん表情で血を与えた。モーラ達はそんな少女の姿に疑問を抱きながらも、甘美な血の誘惑に勝てる訳もなく、その少女の血も飲み干した。


 モーラに殺された少女はモーラとなり、少年は灰となって空を舞う。


 ーー 美味しかった


 ーー 美味しかったね


 ーー 仲間も増えたね


 ーー 嬉しいね


 満足感と高揚感に包まれたモーラ達。死して脳が腐り、モーラとなった元戦士達もその輪に加わり、島はモーラだけとなった。


 筈だった。


 何処かで鳴り響く骨が変形する音。モーラ達が一斉にその音の発信源を見ると、あの笑っていた少女の体が歪に変形していた。


 干からびた肌が伸びて、小柄だった体が形を変える。髪は短くなり、身の丈に合っていなかった服は体に沿って違和感を消していく。


 ーー あぁ、成功した


 そう低い声で笑ったのは、確かに少年だった。干からびた肌に、落窪んだ目と鋭い牙を持つ少年。


 それは、異種。


 モーラ達は混乱した。その少年が何やら自分達に笑いかけたが理解することはしなかった。前代未聞の男のモーラ。モーラから生まれた戦士のゾンビ。


 彼は恍惚とした表情で、首から下げた鍵を捨てていた。


 その後、その少年は島と陸を繋ぐ橋を鋭く変形させた腕で叩き壊し、女王と話をした後に、光を集める塔まで壊してしまったそうだ。


 モーラ達は女王の命令で少年を林の奥へと繋ぎ止めた。鎖で何重にも拘束されている最中の少年は、抵抗せずに笑っていたそうだ。


 そして林を去ったモーラ。


 これで怖い者も死んでくれるだろう。死ななくても、縛っていればもう大丈夫。


 しかしそれは安易な思考だった。


 少年は壊したのだ。時間をかけて、自分の自由を奪っていた鎖を。そしてまた街へと戻ってくる。だが、恐怖はそれだけではなかった。


 彼は殺してしまうのだ。戦士である人間を。


 問答無用で、首を折って、体を切り刻み、海へと捨ててしまう奇行を見たモーラ達は絶叫した。


 そしてまた少年を繋ぎ止めた。より強固に、必死になって。


 それでも少年はまた鎖を切って、戦士を見れば殺していった。一人一人を確実に。同じ戦士だと偽って。既に彼はゾンビとなってしまっていると言うのに、その姿を生前のものに変化させて。


 モーラ達は彼を海へと沈めた。


 しかし、死んだ少年に呼吸など必要ない為、彼は鎖を解いて浮き上がってきた。


 モーラ達は彼を焼き殺したかった。


 しかし、火が大の苦手なモーラ達では出来なかった。


 モーラ達は彼を切り刻もうと試みた。


 しかし少年の肌は酷く柔らかくなって、致命傷を与えることが出来なかった。


 モーラ達は彼を林に幽閉し続けた。


 戦士が来たら島から出るように、林に近づかないように、早く離れるように伝えようと頑張った。


 それでも、やっぱり脳が腐り溶けているモーラ達。彼女達の言葉はいつも何かが足りないせいで、戦士達には上手く伝わらなかった。


 そんな彼女達を見て、少年の姿をしたゾンビは笑うのだ。


 * * *


 女王様が教えてくれた話を、私達は結目さんから聞いた。


 女王様は戦士の固有名詞を知らなかったそうだが、今は確証を持って「夜来無月」さんだと言える。


 夜来さんは鎖鎌に変形させた左腕を回しながら、楽しそうに笑っていた。


「まさか、俺の話を聞いていたとは驚いたなぁ。早蕨君の同級生がいるなんてのも想定外だし。あ、別に君の自己紹介はいらないよ。俺そういうの好きくないから」


「あっそ、俺も死人に名乗る名はねぇよ。土に還る手伝いはしてやってもいいけど?」


 コラコラやめてよ結目さん。聞いてるこっちの方が胃が痛くなるではないか。


 私は自分の鳩尾辺りを摩りつつ、笑顔を崩さない夜来さんに視線を向けた。


「おいおい、戦士としても年齢にしても、俺は君達の先輩だ。敬意を持って接しなよ?」


「はは、ほざけよ殺人ゾンビ。本物の早蕨光は海にでも捨てたわけ?」


 その質問に、私の胃だけではなく心臓までもが痛くなる。


 喉も締め上げられたように呼吸が苦しくなり、掌には冷や汗が浮かんだ。


 そんな症状も、夜来さんの「いいや?」と言う否定の言葉で落ち着くわけではあるが。


 夜来さんは早蕨さんのパーカーの裾を持ち上げて、楽しそうに笑っていた。


「この服が不思議なんだろうけど、これは早蕨君が快く俺に貸してくれたものだよ」


「へぇ、あいつ他人と上着を交換する趣味があったんだ。変な奴」


 結目さんが鼻で笑って、夜来さんはパーカーを脱ぎながら笑い続ける。彼がその上着の下に隠していたTシャツにはこれでもかと言うほど血がついており、元は白かったであろう服は赤黒く変色していた。


 その色は、彼のズボンの裾についているのと同じものだ。


 夜来さんがパーカーを床へと落とす。


「彼は優しいからね」


 そういう癖に、彼の足はぞんざいに早蕨さんのパーカーを蹴ってしまう。笑い続ける夜来さんは、楽しそうに話していた。


「話したんだよ、俺がもう死んでるってこと。細流君を見失った後直ぐね。死んでゾンビになって、好きな人の傍に居たいだけなんだって素直に伝えたんだ」


「好きな、人?」


 細流さんが首を傾げて復唱する。夜来さんは頷き、幸せそうに手を広げていた。


「君達はさ、好きな人はいる? 恋人は? 楠さんはいそうな雰囲気だけど」


「いないわよ」


 楠さんは端的に返答する。夜来さんは「残念」と首を傾けた。楠さんの目が鋭く細められる。


「俺はいるよ、この島のモーラ全てだ。干からびた肌に落窪んだ目。正に死した姿をした彼女達を見た瞬間、俺は雷にでも打たれたような衝撃を受けたね。だから俺は彼女達を俺以外の奴に見せたくないし、光を浴びて人の姿になんてなってほしくない。あの子達はありのままの姿こそが可愛いんだもの」


 饒舌に、夢心地で語る夜来さん。


 この島にあった光を集める塔と言うのは、モーラさん達を一時的に人間のような姿にする為のものだ。それがあることによって彼女達は私達戦士を油断させられる。


 その人の姿ではなく、彼はモーラさん本来のゾンビのような姿を可愛いと言うのか。それは私と違う感性で、反応を見るに楠さん達とも違う感覚だ。


 夜来さんは続けている。


「だから橋も塔も壊して、やって来る戦士を殺したのさ。この島の外は危険だろ? この島にいれば、俺がどんな脅威からも守ってあげられる。人の姿になんてならなくていいし、俺以外の来訪者があの子達と接するなんて許せない。生贄なんて、もってのほかだ」


 夜来さんの目が不意に私を射抜いてくる。彼の生気を持たない瞳は細められ、私の頬は反射的に引き上がった。


「早蕨君が俺に服を貸してくれた理由だったね。簡単だよ、俺が好きな人の為にゾンビになったって教えた後、君達が女王様を生贄にしようとしているって嘘を伝えたんだ。まさか本当に生贄にしようとしてるなんて思わなかったけど……そうしたら早蕨君は驚いてね、だから俺はお願いしたんだよ」


 夜来さんが手首の関節を鳴らす。その目は虚ろで、上がった口角は歪だった。


「まず俺の本来の力は改変能力で、イーグは心獣じゃない。この島に住んでいた鷲で、細流君に殺されたからもういないってね」


「お、」


 細流さんが声を漏らして首を傾げている。三手に別れた時、確かに細流さんを追っていたのは夜来さんとイーグさんだった。


 そのイーグさんを殺されたことにするだなんて、いい性格をしている。


「殺しては、いない、な」


「そうだね」


 細流さんに微笑む夜来さん。思考を読ませない彼は続けていた。


「俺は特異的に出来たゾンビだから女王様は俺に会ってはくれなくて、それでも俺はあの人を守りたい。でも改変能力だけじゃ君達を足止め出来ないから、早蕨君の姿を貸してくれ。そうすれば俺は、君の能力を使えるから、ってさ」


「能力が、使えるって……」


 呟いてしまい、夜来さんは満面の笑みを浮かべ続ける。


 成り代わった相手の力を使えるならば、それはとても恐ろしいことだ。


 頬を冷や汗が伝う感覚がする。夜来さんは肩を竦めると、右手の斧へと視線を向けた。


「早蕨君の反発能力。便利だけど制御が難しくてね。駄目だったよ。まぁそれはいいや。そこまで話せば後は簡単、俺は早蕨君に変身して君達の足止めに。本物の早蕨君は女王様をお城から連れ出して生贄にさせないように保護。最後に、俺は君達を殺して、女王様と一緒にいる早蕨君と、意識を取り戻した鷹矢君も殺せば、島には平和が戻りましたとさ」


 夜来さんは「めでたしめでたし」と笑い、斧を宙で振っている。


 それは、誰にとっての「めでたし」だよ。


「そんな話信じるとか、アイツ馬鹿かよ」


 鼻で笑った結目さん。彼は右腕を振って突風を吹かせたが、夜来さんは斧の右腕を床へと叩きつけて吹き飛ぶことを防いでいた。


「いい子だからさ、早蕨君って。意識もイーグも戻った鷹矢君が早蕨君の姿をした俺に、君達が生贄を女王様に決定したことや、俺が鷹矢君にしたことを教えてくれた時は笑っちゃいそうだったけど」


 夜来さんが何やら思い出しながら笑う。


 鷹矢さんは確か、早蕨さんに夜来さんが危険だと伝えに行った。私達が生贄を捕まえるのを邪魔するとも豪語していた筈だが……。


 早蕨さんは素直に夜来さんの変身の手助けをした。鷹矢さんが会った早蕨さんは変身していた夜来さんだった……。


「じゃあ今、鷹矢さんは?」


「本物の早蕨君と一緒に女王様を保護してくれてると思うよ。早蕨君を変身した俺だと思って同士討ちしてくれてたら嬉しいなぁ。女王様に怪我させてたら血祭りだけど」


 笑っていない目で答えてくれた彼は思い切り左腕を振り、鎌が変則的に結目さんを狙う。


 結目さんは右腕を振って鎌の進行方向を変えるから、私はりず君を右手に呼んだ。


「カエトラ!」


「よいしゃぁ!」


 円形の盾へと変身してくれたりず君を持って、ひぃちゃんに飛ばせてもらう。私は、細流さんに向かっていた鎌を勢いよく弾き飛ばした。


「助か、った」


「よかったです」


 床に足を着く。


 両拳を構えていた細流さんの前に飛び出す必要は、なかったようにも思えてしまうけれど。


 私の足は動く。手も口も動くし、戦うことが出来る。


 ひぃちゃんとりず君、らず君のお陰で。


 冷や汗は止まった。


 夜来さんは鎌を自分の元まで戻し、鎖を短く変形させた。


 彼の黒髪が風に揺れ、色の悪い舌が笑った口から覗いている。


「真実を全て話してもそれは嘘に聞こえるし、全てを嘘で塗り固めても何処かに絶対穴はある」


 彼の黒目は細められ、鋭い八重歯が見て取れた。


「真実に嘘を混ぜて話したことが、実は一番信じて貰えるものなんだよ」


 夜来さんはまた鎌を振り抜き、結目さんの風に弾かれていた。


「だから早蕨は信じたって?」


「そう言うこと。本当は俺が女王様の所に行きたかったけど……」


 夜来さんが言葉を止める。彼は目を伏せると、血色の悪い顔にまた笑顔を浮かべていた。


「それは、許してもらえないからさ」


 その声は、何処か哀愁漂う響きを持っていて。


「だから俺は、影でいい。あの人を守れる守護者でいいんだ。生贄になんてさせない。君達を殺す。この島の平和の為に。「祝福」で貰ったこの力で」


 また鎌が向かってくる。


 今度は私か。結目さんは自分に向いていない狂気は避けない人だ、きっと。だから対処しよう。大丈夫、頭は冴えてる、後は早鐘を打つ心臓が落ち着いてくれればいいだけだ。


 らず君が肩で光ってくれる。


 ありがとう。


 私は鎌をりず君で弾き上げ、その向こうで笑う夜来さんを見つめていた。


 戦闘。大丈夫、怖くない。


 今まで夜来さんが何人殺したかは知らないが、殺してきたのは皆戦士だ。私達と同じように力が付与された戦士を、彼は殺してきた。


 私達に与えられた体感系能力も心獣系能力も、死ねば同時に消滅する。だが夜来さんの場合、ゾンビになったと言うだけで


 それをアルフヘイムも「生きている」と判定し、その年の競争にルアス軍が勝っていたとすれば。


 負けた軍の戦士には、死という罰が与えられる。


 対して、勝利した軍の戦士には褒美が与えられる。


 それが――祝福


 与えられた能力の継続使用許可。


 結目さんで言うなら空気を操る能力を。細流さんは倍増化の力を。楠さんは結晶化の力を。私はひぃちゃん達が持つ三つの能力のうちの一つを、競争が終了した後も与えられる。


 夜来さんは、祝福を受けたから今も能力が使えるのだ。


 でなければ変身出来ることも、ましてや競争が終わったのに存在していることも説明が出来ない。


 私はハルバードになってくれたりず君を振り下ろし、夜来さんの斧と甲高く打ち合わせた。彼の鈍く光る目に射止められ、横からやって来る鎌を躱す。


 大丈夫、反応出来る。らず君ごめん、今日は疲れてるよね。


 らず君を撫でる。そうしたら鼻を擦り寄せて笑ってくれるから、私も頑張ろうと思うんだ。


 床が砕ける音がする。私の横を突風が吹き抜けたと錯覚した時には既に、細流さんは夜来さんの背後にいた。


 細流さんの拳が握られている。夜来さんは反応しきれず、後頭部に細流さんの鉄拳がめり込んだ。


 夜来さんが顔から床へと叩きつけられる。放射線状に亀裂の入った床からは夜来さんの笑い声が聞こえた。


「痛くないんだな、これが」


「それは、驚い、た」


 夜来さんの両腕が形を変え、細流さんに巻き付く鎖に変わる。


 細流さんは振りほどこうと動いたけれど、首に突きつけられた鋭い刃を見て目を瞬かせていた。


 それでも細流さんは動こうとするし、常人では不可能な体勢から起き上がった夜来さんは笑っているし。


 あぁ、細流さん、動いてはいけないッ


 私の心臓が冷えて口を動かそうとした瞬間、また私の横を突風が過ぎた。


「脳筋、動かない」


 楠さんの鋭い蹴りが夜来さんの顔に炸裂する。


 骨が折れる音が響いて、細流さんの首から刃が微かに遠ざかった。


 楠さんが立っていた床は、細流さんが動いた所と同様に砕けている。


 細流さんの倍増化。


 楠さんに適用したなんて信じられなかったけれど、彼女の動きや蹴りの威力からそう考えるしかない。


 驚いている間に細流さんの足が浮いて、夜来さんと一緒に壁に激突する。


 風が、吹いてる。


 反射的に見た結目さんは笑っており、前に出した掌を握りこんでいた。


 風の檻が細流さんと夜来さんを捕まえて壁へとめり込ませる。


「ッ、結目さん」


「やり過ぎだぞ、おい!」


「気絶狙ってんだもん。やり過ぎくらいが丁度いい」


 笑った結目さん。私は細流さんを見て、彼が涼しい顔で壁に押さえつけられている様を見た。


 え、大丈夫なのか。


 そう錯覚する顔で、楠さんも細流さんを見つめるばかりだった。


 あ、大丈夫かもしれない。


 思った時、細流さんの声がした。


「息が、しづらい、な」


 いや大丈夫じゃねぇな。


「結目さん!」


「しづらいだけで死なないと思いまーす」


 悪い笑顔だ。


 細流さんは確かに頑丈な体をされておられますが、その彼が息がしづらいと言うのは相当の状態だと思いまして。なので風で壁に圧縮するのではなく夜来さんを引き剥がすことを優先すべきだと思うわけですがッて頭痛いッ


「き、気絶狙いより、や、夜来さんを、引き剥がすことを、優先、すべきでは!?」


「えー、細かいことは苦手なんだよなぁ。おーい鉄仮面、その変形野郎引き剥せるー?」


「やって、みよう……あぁ、一度、風を、止めて、くれるか?」


 細流さんは黒目を頷かせ、結目さんは「はいはい」と右手を下ろす。


 細流さんはふわりと体が自由になり、そのまま背中側にいた夜来さんを一本背負いの要領で床へと叩きつけていた。


 夜来さんの鎖が緩む。その時を見ていたように細流さんは距離を取り、楠さんが歩き出した。彼女が夜来さんの頭に触れれば決着はつく。


 何とも無茶苦茶な攻防戦だったって言うか、私何もしてねぇな、すみません。


 らず君とひぃちゃん、りず君を順番に撫でながら息を吐く。楠さんは腰を屈めて夜来さんへと手を伸ばしていた。


「駄目だ、紫翠」


 不意に聞こえた細流さんの声。


 瞬間、発砲音が響いた。


 煙が上がるのは正しい方向を向いていない夜来さんの口の中。


 飛び散る赤は、楠さんを隠すように抱き締めた細流さんの肩からだ。


「ッ、細流!」


「梵!!」


 楠さんとりず君の声が反響する。発砲音は響き、楠さんを横抱きにした細流さんがこちらへ跳躍してきた。


 拳銃、何処に、口内、嘘だろ、防御。


 結目さんが腕を振って風を巻き起こしても弾丸の軌道は変わらず、結目さんの左足からも血が舞った。舌打ちが聞こえる。


 私は反射的に床を蹴り、りず君にスクトゥムへと変形してもらった。


「後ろに!」


「あぁ」


「どーも」


 りず君の後ろに滑り込んで来てくれた細流さんと結目さん。抱えられた楠さんの両手は、血が流れる細流さんの肩を止血しようと当てられていた。


 受けた玉の数は、血が出るのを見るに二人共一箇所。


 りず君に打ち込まれる弾丸は激しい音を立てはするけど、貫く程じゃない。


「ごめん、りず君ッ」


「だい、じょうぶ、だ!!」


「ありがとう、ッ、らず君!」


 りず君を支えることに神経を集中させつつ、らず君には結目さんの肩へと向かってもらった。輝きが視界に入る。


 細流さんは右肩を押さえて、彼の掌は淡く光を纏っていた。


 それを確認出来た時、弾丸の嵐が止まる。


 それに息をつき、手に込めていた力が微かに緩んだ瞬間。


 手の中からりず君が引き剥がされ、向こうの床へと投げられる。


 硬い金属音がして、目の前には、舌を銃へと変形させている夜来さんが笑っていた。


「氷雨!!」


 りず君の声がする。


 避ける、右、後ろ、楠さん達、飛ぶ、ひぃちゃん、駄目一緒、避け、無理、受け止める、無茶、首折る、既に折れてる、腕力足りない、しゃがむ、いけない、手ぇ冷た、目眩、しんど、


 発砲音が、間近でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る