第12話 提案
グウレイグさん達と別れた後、私は祭壇を建てる作業を再開した。一人で黙々と。
空の色が変われば黒い手に強制送還され、太陽が昇るタガトフルムで学校へ行き、家に帰れば零時に備えた。
そんなサイクルが日常となりつつある今日この頃。
私は一人でアルフヘイムの空を飛び、鍵を回し続けた。造った祭壇の数は着実に増加し、美しい世界を汚していく。
アミーさんに確認すると、既に生贄を捕まえたディアス軍の人もいれば、祭壇を壊し回っているルアス軍の人もいるそうだ。
順応が早い人。適合が遅い人。自分が成すべきことを受け止めている人。優柔不断に足踏みしている人。
それはただの個人差で、いずれみんなこの状況に慣れてしまうのだろう。
慣れてきたベッドに放り出される体験をして、息を吐く。
アミーさんは未だに祭壇を建てるだけの私を責めなければ煽りもしなかった。「今日もお疲れ様ー!」なんて、毎日帰り際に声をかけてくれる。
私はベッドに仰向けに倒れたまま、目の上に腕を置いた。
「……疲れたな、氷雨」
「……そうだね」
胸の上にいるりず君とらず君の頭を交互に撫で、翼を畳み直したひぃちゃんを腕の下から見る。
私は自然と呟いた。
「――弱くて、ごめん」
窓の外で小鳥が
この数日で嫌というほど分かった。
私は誰も選べない。選ぼうとしていない。覚悟が足りていない。
駄目だ、これでは駄目だ。生きていけない。勝てはしない。あぁ、くそ、くそ、くそッ
「そんなことありません、氷雨さん」
ひぃちゃんが私の額に口付けをしてくれる。
りず君も「そうだそうだ」と賛同してくれる。
らず君が淡く輝いてくれる。
私は腕を体の横に下ろし、みんなを見る。
そこには見慣れてしまった笑顔があって、体の芯が温まる気がした。
「どうかご自分を責めないでください。まだ始まって十日ばかり。焦りは禁物です。氷雨さんの優しく、慎重な姿勢は自信を持っていいことです」
ひぃちゃんは的確だ。それでいて冷静で、直ぐに注意散漫になる私を支えてくれる。
「氷雨は何でも悩んで、考えて、正しいかどうか心配するだろ。それは良いことだと俺は思う。命は何よりも重たいんだから、簡単に選べるわけがねぇよ」
りず君は正直だ。思ったことを真っ直ぐに言えて、悩み過ぎる私の背中を押してくれる。
らず君は臆病だ。だがその臆病さは悪いものでは無い。それは誰よりも温かい優しさを与えてくれる。
「……ぁりがとう」
私はそう、お礼を絞り出すことしか出来はしなかった。
「さ!! 風呂行くぞ氷雨!」
「朝食も作らねば、ですね」
「うん」
頷いて体を起こす。
熱いシャワーを浴びて身支度を整え、台所に向かった。窓から射し込む朝日は寝不足気味な私には眩し過ぎて、目を瞬かせてしまう。
おはよう世界。
こんにちは日常。
私は目を擦って「よし」と制服の裾を捲った。
* * *
「氷雨ちゃん、今日はお顔にクマさんを飼ってるんだね!!」
そう朝一番に小野宮さんに指摘され、私は苦笑してしまった。
完全に目の下に出来てしまっている隈。朝食の時お父さんにもお母さんにも心配された。
私は肩を竦めて笑い、両親についたのと同じ嘘を小野宮さんに伝えておく。
「実は、図書館で借りたシリーズものの小説が面白くて。ついつい寝不足になってしまいました」
「文学少女だ〜」
小野宮さんは「私も携帯弄るのが止まらない時がよくあってさ!」と話を少し変えてくれて、私は安堵する。そのまま彼女の話に耳を傾けていると、朝練を終えた湯水さんも合流して挨拶してくれた。
「ぅわ、氷雨ちゃん隈!」
「ははは……」
「本読むの止めらんなくて寝不足なんだって!」
「理由がらしいなー」
湯水さんが叩くように頭を撫でてくれて、それだけで眠たくなる。
絶対これは授業中に船こぐやつだ。今日の一時間目は社会か。駄目だ寝る。
湯水さんが「今のうちに寝ときない」と背中を叩いてくれたので、お言葉に甘えておいた。体育用に入れていたタオルを出して机に置き、顔を伏せる。
私はそのまま、ホームルームのチャイムが鳴るまで微睡みの海に沈みこんだ。
「熟睡だね」
「熟睡だわ」
そんな小野宮さんと湯水さんの声が聞こえた気がして、頭も撫でられた気がしたが、もしかしたら夢だったのかもしれない。
少しの仮眠は私の瞼を余計に重たくしてしまい、午前中の授業は全て顔を伏せて受けた。髪で顔が隠れている筈。
すみません先生。聞く気はあるんです。ノートも取ってるし、課題も忘れていません。ただ純粋に眠たいのです。
その日の休み時間、私は全て眠って過ごした。
お弁当は食べた気がするが、食欲も湧いていないからほぼ詰め込んだ感じになった。味は覚えていない。
今日おかずとか何を入れたんだっけ。それも覚えてないな。残念。
湯水さんに「読書もほどほどにね!」と言われ、髪をぐしゃぐしゃに撫でられたのは覚えている。苦笑したのも覚えている。
五時間目は古文で、六時間目は体育。体に悪い時間割だ。
そんなことを初めて思いながら体育の時間に体力測定をした。長座体前屈、握力測定、反復横跳び、上体起こしを行い、去年より伸びた記録は複雑だ。
少しは戦士らしくなりつつあると喜ぶべきなのか、体調不良ではなかった去年の方が結果が悪いと残念がるべきなのか。
分からないまま、私はペアだった楠さんの長座体前屈の記録を記入していた。
今日も楠さんはとても可愛らしい。授業中も背筋が伸びて、運動神経も良い。素敵だ。
出席番号的に体育や他の授業でもペアになれる機会が多くて、ちょっと、いや結構、嬉しいです。
「お疲れ様です、楠さん」
「えぇ」
喋ることはそんなに無いけれど、噂をされるほど楠さんの言葉に棘はないと思う。私の感覚的にだが。
素っ気ない物言いかもしれないが、変に場を繋ぎとめようとしない彼女の喋り方は好きだ。呼吸が楽になる。何か話さないといけないとも不思議と思わなくて、私は楠さんが記入してくれた記録表を見つめた。
授業が終わって更衣をし、ホームルームも終わる。
今日も、今日が終わってしまう。
空が橙と紫色に染まっていく。
窓の外を見つめた私は鞄の紐を握り締めた。
「夕焼けって寂しいよね」
小野宮さんが声をかけてくれる。見ると、私と同じように夕焼けを見つめていた彼女がいた。
小野宮さんはバドミントンのラケットが入った袋と鞄を肩にかけながら、笑ってくれる。
「私はね、あんまり好きじゃないんだ。だって、今日が終わっちゃうんだもん」
「そうですね……私もです」
「やっぱり? 氷雨ちゃん話が合うな〜」
嬉しそうにハイタッチしてくれた小野宮さん。彼女は満面の笑みを浮かべて「部活いってきます!!」と敬礼してくれた。私も軽く敬礼を真似て「いってらっしゃい」と伝える。
茶髪を揺らして走り去った小野宮さんは、どこか太陽のように思えてしまった。
私は彼女を見送って、掃除当番として箒を握る。
あぁ、また夜がくる。
零時が来てしまう。
――暗くした自室で、光る電子時計の数字が全て揃う瞬間を私は見つめた。
「ディアス軍、凩氷雨、アルフヘイムへ」
黒い穴が現れて私を飲み込む。この気持ち悪さも既に慣れてしまうなんて、人の順応性とは恐ろしい。
考えていれば空から吐き出され、ひぃちゃんが翼を広げてくれた。
私が昨日居たのは「アルミラージの林」
白い体毛に一本角を持った大きめの兎さん――アルミラージさんが住む所であるが、会う度に「戦士!!」と突撃されるのはよろしくない。とても心臓に悪い。「綺麗な薔薇には棘がある」では無いが、可愛い兎さんには角があると警戒しなくてはいけなくなった。
ここでも芝生を歩けば光の粒が舞って、その光と足音のお陰でアルミラージさんの接近に気づけたんだよな、本当。
アルミラージの林に祭壇を建てる。
そろそろ本当に生贄をどうするか決めなくてはいけない。
いや、別に私が捕まえずとも、他の三十二人の戦士の人が捕まえてくれればいいのでは。
一人だけ責任放棄をするなよ。
私には何も出来はしない。
逃げるな臆病者。
祭壇だけ建てていれば負けはしない。
それでは勝てない。
勝つことは殺すことだ。
それでも生きる為だから仕方が無い。
私は――誰ならば殺せるんだ。
考えて、考えて、ずっと考え続けてきた。私が殺せる人。殺してしまいたいと思う人。
冷たい祭壇に手を添えて目を伏せる。左腕で、りず君とらず君を抱き竦めて。
どこかで私は答えを出せている気がした。出しているのに認めていないだけ。
そう、だってそうだ。
私に、優しい人は殺せない。
「だから……」
呟いてしまいそうになった時、人の喋り声がして振り向いた。草を踏み歩く音が止まって、私の視線は五人の黒の集団を見つける。
男の子が四人と女の子が一人。
その中の黒髪の男性と目が合った私は、固まった。
「あ、女の子がいたー!!」
黒い髪の毛先を明るく染めた女の子が叫ぶ。目が大きく整った顔立ちで、可愛いという姿を体現したような印象だ。
その子は私の元まで駆け寄ってくると、違和感のない動作で両手を握られてしまった。顔が反射的に笑ってしまう。女の子も近づく時から笑ってくれて、喜々とした雰囲気だ。
「貴方もディアス軍の人だよね!」
「は、はい。貴方も、ディアス軍の……」
分かり切ったことを聞き返してしまう。この場にチョーカーとピアスと鍵を身につけた黒い服の人間がいるならば、それは十中八九同軍だ。
女の子は満面の笑顔で頷いてくれた。可愛い。
「うん!
「ぁー……凩氷雨と、申します、高二です。よろしくお願いします」
「二年生!! 先輩なんだね!! 今ディアス軍の人を探しててね、会えて良かった~」
安心したように笑ってくれる彼女は、本当に愛らしい。輝いているようにも見えて、私は目を瞬かせてしまった。
眩しい。駄目だ。直視出来ない。
視線を下げて口は笑う。アルフヘイムで初めて会った同軍の方を前にして、私の口は上手く動いてくれなくなった。
握られていた両手は離してもらえず、私は綿済さんに男の子達の方に連れて行かれる。その中によく見かける人がいて、私は喉が余計に貼り付くのだ。
「はじめまして、
笑って握手を求めてくるのは、テレビでよく見るモデルさん。細く引き締まった体躯に人形のような顔立ちの、男性。
学校でも彼の名前はよく聞くし、礼儀正しく意見もしっかり言えると噂の出来た人、らしい。これ以上詳しい噂は知らないが、顔くらいはテレビの向こうで見たことがある。
そんな人を選ぶなんて、中立者さんも良い性格をしているな。
首を傾げつつ握手する。
何というか、こう見ると同じ人なんだなって思ってしまった。勿論纏う空気は比べ物にならないけれど、そこに居て会話を交わせるところを伺うに同種らしい。
直ぐに手を離して、私の顔は引き攣ったように笑い続けた。
「凩氷雨です、高二です……よろしく、お願いします」
「氷雨ちゃん! よろしく、頑張ろうね」
「……はい」
あぁ、駄目だ、この人の笑顔も輝いてる。
冷や汗が頬を伝った気がした。
「麟之介君にこんな所で会うなんて、驚いちゃうよね~!!」
笑う綿済さんは海童さんの隣に移動しているが、正直何でもいい。興味が無い。恐らく海童さんよりも、私の兄や父の方が顔は整っているんだろう。
……家族贔屓か。嫌だな。止めよう。
「次俺ね~!!」
そう陽気な声がして海童さんの後ろから顔を見せたのは、私と余り身長が変わらない男の子と、眼鏡をかけた男の子。彼らともそれぞれ握手して、私は笑ってしまう。
綿済さんとも海童さんとも違う、人懐っこそうな笑顔と穏やかな笑顔には肩の力を抜くことが出来た。
「
「俺は、
「凩氷雨です、高二です。よろしくお願いします」
挨拶だけで、和真君は溌剌、紫門さんは冷静と言った印象を受ける。
いや、印象判断はやめよう。失礼だぞさっきから。軽率に人の判断をするんじゃないよ自分。
内心で自分を叱咤しながら挨拶して、最後の人を見る。
背は海堂さんより少し低く、ピアスが両耳合わせて何個ついているか分からない方。暗い茶髪と目をした男の子。
物凄いピアスの量ですね。担当兵さんから貰ったピアスが霞んで見えます。勿論言いませんけど、そんなこと。
視線が合った彼は笑ってくれたが、特に握手をする流れにはならなかった。良かった。
「俺は
指されたのはひぃちゃんのようで、私は左腕に抱いていたりず君とらず君の額を撫でながら頷いた。
彼らの中で誰も動物を連れていないと言うことは、皆さん体感系なのだろう。
「可愛い針鼠だね~、ねぇねぇ、名前は!?」
綿済さんに聞かれて、私より先に答えてくれたのはりず君だ。
ごめんよ、不甲斐ないパートナーで。
「俺はりず。こっちの硝子がらずで、ドラゴンはひぃだ」
「よろしくお願いします」
ひぃちゃんとらず君が頭を下げてくれるから、私も会釈をしておく。綿済さんは「可愛い」を連呼しており、りず君を抱っこしようと動かれた。
それを私のパートナーは嫌がって肩に移動する。らず君も一緒で、綿済さんは目を瞬かせていた。
半歩下がった私は、謝罪する。
「ごめんなさい。その、この子達、ちょっと人見知りで……」
「そうだったんだね。気にしないで! ごめんね~」
綿済さんは笑ってくれる。私は視線を斜め下に向けて、ひぃちゃんを抱いた。硬い翼と鱗が私に安堵をくれる。
大丈夫、呼吸しよう。初対面の人との会話が苦手なのは今に始まったことではない。
話を変えよう。それは、逃げる手段のひとつだ。
私は微笑みながら、言葉を吐いた。
「ディアス軍の人達を、探しているそうですね」
「まぁね」
頷いてくれたのは海童さん。彼の喉に視線を向けた後、私はより奥の木の幹に焦点を合わせた。
「こんな変な競争に付き合わされて、勝たないと死ぬなんて脅されて、一人だとみんな心細いと思ってね……。だから団体を作って、ルアス軍の人達ともちゃんと話し合えば良いんじゃないかって思ったんだ」
笑うように言った海童さん。
それを聞いて、私は疑問で頭が埋まった。
「――話し合い?」
単語を無意識に繰り返してしまう。
話し合いって、誰と誰が、何を話すって言うんだ。
「そう。ディアス軍もルアス軍も、戦士はみんな僕達日本の人間だから、ちゃんと言葉を交わして、こんな競走には付き合えないって進言すればいいと思うんだ。全員が反旗を
拳を握った海童さんは目を輝かせている。
話し合いで方がつくと、私達が軍の隔たりなど無くしてボイコットすればいいと、彼は言う。
和真君と紫門さんも頷いて、海堂さんに続けるように同意の言葉を連ねていた。
「そうだよね!! こんな戦争みたいなのに勝手に選ばれて、死ぬなんて嫌だし」
「誰かを生贄にってのも無理がありますよ」
「そうそう! 流石麟之介君!! みんなのリーダーになる素質があるよ、やっぱり!」
綿済さんも満面の笑みで賛成している。海童さんの台詞を受け止めて、名案だと言わんばかりに。
海童さんも笑い、何も障害は無いと言うように目を輝かせていた。
リーダーたることが当たり前で、自分の案に淀みなく全員が着いてくると信じた顔で、彼は笑っている。
頭の中で――タキシードの裾が揺れた。
私はまた、足を後退させる。今度は半歩ではなく一歩。
草を踏む音がして、ひぃちゃんが首に尾を巻いてくれた。
ありがとう。
腹部の前で組んだ指に力が入る。
「ありがとう、みんな」
笑顔の海童が私を見てきた。
嫌だ。見ないで。そんな真っ直ぐな瞳で、私に声をかけないで。
「氷雨ちゃんもそう思うよね。このまま同じ軍の人達を集めて、近いうちにルアス軍の人達とも協定を結ぼう! 大丈夫!! みんな一緒の気持ちだよ!!」
やめろ、気持ち悪い。
言うか、言った方がいいのか。蛇足ではないか。無駄ではないか。
この人達には伝えるべきだ。同じ仲間であるならば、私は口を閉ざしてはいけない。
それでもやっぱり。
うるさい、答えは明白だ。迷ってはいけない。
ふざけるな無理だ。
この口は何の為にある。
意を決した私は、震える声を吐き出した。
「――駄目だと、思います」
頭の中では――青い兎の頭が浮かんできた。
「それは無理だと、危険だと、思うんです」
どうか伝われ、私の言葉。
視線を上げた先で見た海堂さん達の顔は――まるで異種を見るような、形容しがたいものに変わっていた。
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