第5話 進級
あの現実味のない出会いから約ひと月が経った今日。四月の頭に近い日。
私は何事もなく高校二年生に進級していた。
桜が咲き乱れる道を自転車で通過する。
他にも私と同じ制服を着た人が同じように進んでいるから、同じ目的地に行くんだとぼんやり知る。
桜と快晴なんて素敵な日だね。良い進級日和だ。
私は普通科、商業科、情報科がある公立高校に通っている。生徒数は多い学校だ。そこの情報科の二年生に今日からなるけど、実感ねぇなぁ。
無駄な事を考えていると学校が見えてきて、自転車を正門から滑り込ませる。
入ると直ぐに人の壁が出来ており、もう少し早く家を出ておけば良かったと着いて早々後悔した。多くの人が自分の新しいクラス分けを確認するこの状況。
まだ一年生は入学していないから二学年分だけだが、同学年で十二分に人数がいる為クラスの貼り紙が遠い。
最初から心が折れそうだ。
ため息を飲み込んで、自転車と体を出来るだけ密着させて掲示に近づいていく。
邪魔になっていないかな、少しでも自分の取る面積を小さくしたい。クラスを見ないと自転車置き場が分からないから早く見つけて退散しよう。
私は小股で進みながら貼り紙の文字を見つめた。
駄目だ、今の視力では判断出来ない。六、七、八のどれかなんだけど……凩、凩……凩は何処だろう。
私は籠のスクール鞄を少し開けて、手を入れた。
「――ごめんね、らず君」
呟くと、視界が明るくなる。貼り紙の名前が拡大されるように鮮明に見えるようになる。
視線を動かして名前を探し、今年の私のクラスは七組だと判明するまでそう時間はかからなかった。
鞄から手を出して目を瞬かせる。
そのまま方向を徐々に変えて人波を抜け、新しい置き場に自転車を押していく。
一番端が空いていたからそこに止めて、鍵を抜いてと。
少し力を抜いて息をついた。朝から何かをすり減らした気がするなぁ。来年は……生きていればもっと早く来よう。
思いながら鞄を肩にかけたら、中から「いでっ」と言う声がした。
一気に背中に冷や汗をかいてしまう。今日は汗もかかないような気候なのに。
私は一瞬鞄を見てから、足早に校舎に入って階段裏の小スペースにしゃがみこんだ。
息を吐いて指定鞄のファスナーを開ける。今日入れていたのはファイルと手帳と筆箱。
だけではない。
「お、開いた!!」
「こら! 静かにしていなさいりず!!」
「……?」
りず君と、ひぃちゃんと、らず君。
私は苦笑して、りず君の鼻を人差し指で撫でておいた。
この子達と出会ってから今日まで、あっという間だった。居心地の良い空間が出来ていくのを日々実感したっけ。
ひぃちゃん達のこともよく分かってきたし、アミーさんには時間がある時にアルフヘイムの事を教えてもらえた。聞けば聞くほど全てが違う世界に目を白黒させたけれど、全部飲み込んで消化した。
夢であれば良いと嘆くのはもう止めたんだから、全て受け入れるのは当然だ。
何より助かったのは、りず君達が私の性格を重々承知してくれているという点だった。私の心獣だから。
直ぐに気になって、見つけて、心配してしまう性分を彼らは分かってくれる。
ひぃちゃんもらず君も私に着いて来てくれて、「馬鹿野郎気にすんな!!」と怒ってくれるのはりず君だ。
―― ご、ごめんね、りず君
―― りず、貴方はうるさいんですよ
―― うるせぇ真面目ドラゴン!! 氷雨は何でどうでも良さそうなことを気にすんだ馬鹿!!
―― りず!!
―― ごめん、ごめんりず君、ひぃちゃん怒らないで。あ、らず君泣いちゃうかぁ~
りず君が私を怒って、そんなりず君をひぃちゃんが怒って、喧嘩をしそうな二匹に驚いて泣いてしまうのはらず君。
そんな関係がこのひと月に満たない間で形成された。三月の間は家で留守番をしていてもらったけれど、この新学期から我慢出来なくなったのはりず君だ。
―― 留守番飽きた!! 嫌だ!! 連れて行け!!
―― り、りず君
―― りず!!
スクール鞄に入って、針を全力で威嚇モードにしてしまっていた昨夜のりず君を思い出す。言ってはあれだが可愛かったなぁ。
取り敢えずみんな大きさを測ってみて、りず君とらず君は九.七cm。ひぃちゃんは尻尾を抜いて十九.四cmだったから鞄に入ってもらった。明日以降はもう一つ鞄でも持ってこようって決めている。
そして、らず君の能力も判明したことは良いことだった。
らず君の能力は「能力補助」とでも言っておこう。私に触れてくれている間、私の体力や視力を上げてくれて、時には心にも落ち着きをくれる。セラピーのような能力だ。
ひぃちゃんは「酸性液」牙から出せる酸性の液体は机とかにつくと、ゆっくりとではあるが溶けたような状態にしてしまう。
ひぃちゃん的にこれはあまり好きではないみたいで、私の背中を掴んで空を飛ばせてくれる方に主軸をおくことにしてくれたらしい。深夜の空を徘徊した時は少し肌寒かったけれど、とても高揚してしまう体験だった。
りず君は「変形」私が形を知っている物ならば何にでもなってくれる。大きさの制限は未だに見つけられていないが、薙刀や私の身長分の盾等には変化出来るようだ。硬さも変えられるから、りず君曰く「俺は剣であって、鎧なんだ」らしい。可愛いくて心強い子だ。
アミーさんは、基本一人につき三つの力を有した一体の心獣が普通だと言っていた。けれども硝子のハートを一個体の心獣にしてしまうと壊れやすくなるからと言う理由で等分したそうだ。
過去に選抜された戦士の中にも、硝子のハートで三体の心獣を引き連れていた子がいたらしい。その子がどうなったかは、はぐらかされてしまったけれど。
私はひぃちゃんとりず君に落ち着いてもらい、らず君もどうにか泣き止んでくれたのを確認して、苦笑いした。
「ごめんね、今日は始業式だけだからそんなにかからないと思うけど……我慢しててね」
「おう」
「はい」
「らず君、さっきは力を貸してくれて、ありがとう」
お礼を言ってらず君の頭を撫でてみる。そうすれば彼は幸せそうに顔を綻ばせてくれるから、私も釣られて笑ってしまうんだ。
腕時計で時間を確認すると、廊下の方も騒がしさが増していたことに気がついた。
そろそろ行かなければいけないな。
「それじゃ、教室行くから、静かに、ね……ごめん」
「謝ることねぇぞ、氷雨」
「私達が着いてきたいと言ったのですから」
みんな笑ってくれるから、私はなんだか弱くなってしまいそうだよ。
「……ありがとう」
伝えてファスナーを締める。階段裏から出る時は誰もいなかったようで、良いタイミングだった。
そのまま階段を上がって教室に入ると、既に何人かの人が席を確認したり、友達と話したり、うるさくない程度の騒がしさで満たされていた。
私も黒板の掲示を確認して席に着く。横六列。縦は廊下側が一列だけ五人で、後は六人の三十五人クラス。
私は窓側から二列目の一番後ろ。
鞄を置いたら、隣に座っていた女の子に声をかけられた。
一年生の時は顔を見た事がない子。初めましてだ。
呼ばれた瞬間、私の顔は笑ってしまう。
「はじめまして! 私、
「はじめまして、凩氷雨です。よろしくお願いします」
小野宮さん。名札を読みながら音を頭の中で確認する。ふんわり柔らかく笑う、可愛らしい女の子だ。
両手を握られて上下に振られ、私の顔は笑い続けている。印象は、快活な子。
「氷雨ちゃん! 変わった名前だね~」
「ぁー……よく、言われます。なずなって名前、可愛いですね」
「え、やった! ありがとう!! 褒められちゃった!」
綺麗に結われた小野宮さんの茶髪が揺れる。私は椅子に腰掛けて、首を傾げながら微笑んでみた。
この言葉で良かったですか。当たり障りなく、思ったことを言っただけでそんなに喜ばれたら、逆に不安になってしまいます。胃が痛い。
どうにも幼い頃から人と喋るのは不得手で、言葉を選びすぎてしまう。しかし決定した台詞は考えすぎたせいか的外れのものが多くて、よく正しい受け答えマニュアルが欲しいと思ってしまうんだよな。そんなものないけれど。
小野宮さんはよく笑ってよく喋ってくれる子だった。身振り手振りがあって、去年のクラスや春休みのこと、バドミントン部のことや、今日の予定のこと。
楽しそうに言葉を紡いでくれる彼女の声は、心地良いものだった。
相槌を打つくらいしか出来ない私が聞き役で、ごめんなさい。
「なずな、おはよ」
「おっはよー!
不意に声が入って来て驚いてしまう。
見るとボーイッシュな見た目の女の子が立っていて、小野宮さんに挨拶していた。二人はハイタッチして、栄と言われた子が私を見てくる。
切り揃えられた黒髪と焼けた肌がボーイッシュな印象を与える女の子だと、勝手に観察をしてしまった。
「おはよう、はじめまして。
「は、はじめまして。凩氷雨です、おはようございます」
流れる動作でハイタッチをするよう示され、湯水さんと手を合わせてしまう。恥ずかしいような、むず痒いような感覚に襲われて、私は眉を下げて笑ってしまった。
湯水さんは憐れむような目で私を見つめて、言ってくる。
「氷雨ちゃんか、なずなが朝からうるさかったでしょ」
「何で~!? 私うるさくないよ!」
「面倒くさくなったら無視しちゃっていいからね」
「酷くない!?」
目の前でやり取りされるのは気の置けない会話。それを聞いているだけで仲がいいんだと分かって、私は微笑んでしまった。
教えてくれた。二人は幼馴染みと言うものなのだと。小野宮さんがやんちゃばかりするから、湯水さんは頭痛が絶えないと。そんな関係が少し羨ましくて、笑ってしまう。二人が話し上手で聞き上手でもあった為、思ったより緊張せず話に混ぜてもらえた。少しだけ、息が出来る。
その時、私の前に座った女の子。ウェーブのかかったセミロングの茶髪が綺麗な、美人さん。
「あ、
楠さん。
それが彼女の名字だと勝手に知る。
小野宮さんが声をかけた楠さんは、こっちを少しだけ見て「おはよう」と呟き、耳にイヤホンをしてしまった。
小野宮さんと湯水さんは「あ、」と声を零して、残念そうに眉を下げている。私は楠さんの後ろ姿を見つめてしまった。
楠と言う名字を一年生の時から何度か聞いたことがあった為、私の頭の中では「楠さん」という単語と、目の前の彼女の姿が揃って記憶されていく。
楠さんは一年生の頃から学年で一番頭が良くて、入学式では新入生代表挨拶をした人。
顔立ちも可愛いと言うよりは美人な部類で、運動も出来るっていう凄い子、らしい。でも我が強いせいで友達がいなくて、愛想も無く、浮いている存在、だとか。
年上の彼氏さんがいて時々怪我をして登校してきたこともあるから、暴力を振るわれているのではないかって、噂。職員室に何度か呼び出しもされていた、とか。
クラスが違った為、新入生代表以外は風に流れてきた情報だけれど。
噂は噂で耳にするだけで、それを判断材料にはしたくない。その人の事を何も知らないのに、他人の言葉でその人を評価するのは失礼だ。
同じクラスになれたっていう繋がりをもって、少しだけでも楠さんについて知ることが出来る機会があったらいいとは思っている。無かったら無かっただ。
もし本当に怪我をしてきたら、その時は流石に声はかけてしまうんだろうな。声をかける切っ掛けが怪我でなければ良いと思う。
そんな事を考える前に、私は明日の命を掴まなければいけないのだけれども。
―― 明日の夜から、スタートだ!
昨日のアミーさんが浮かんでくる。私は口を噤んで、頷くことしか出来なかった。
やるしかない。やらなければいけない。そうしなくては私がやられてしまうのだから。
今はそう思えるけれど、本番になったらどうだろう。きっと右も左も分からなくて、無駄に時間を食っていくんだ。それは本当に合理的ではない。私がすることは、まず何だ。
最終選抜によってディアス軍、ルアス軍それぞれ、三十三人の戦士を選んだと聞いた。
先行はディアス軍。ルアス軍より一日早くアルフヘイムへ行き、生贄を集めず祭壇だけ作り、明日からルアス軍がそれを探して壊しにかかる。
お互いに祭壇の残数は担当兵さんに聞くことによって把握出来るが、場所の特定は出来ないようになっているらしい。
だから今日は、最悪行きさえすれば死にはしない。
けれどそれは不利な選択。
今、アルフヘイムはルアス軍に統治されており、ルアス派とディアス派の派閥が出来ているとも聞く。
また、私達戦士は他次元の存在として大分「希少」な扱いをされるともアミーさんは言っていた。内容はその地域によって様々だそうだし。
戦士として崇めるもよし。異端児として無下にしてもよし。
そう言った困難を一人でどうにかしてこの競走に勝つというのは中々厳しい。だとすれば、やはりアミーさんが言っていたようにチームを作る必要が出てくるのか。
だからといって人数を多く集めるのもまとまりが無くなりそうだし、少数精鋭と言うのが望ましい。
いや、私が精鋭になれるかは努力次第だけれども。と言うより、私とチームを組んでくれる人はいるのだろうか。体感系の人みたいに、漫画で言う所のスキルが使える訳でもない。ひぃちゃん達は強いけれど、使わせてもらう私の力が劣っているのでは話にならない。
うわ、心配になってきた。
始業式の間、話を聞かずに今夜のことばかり考えて息をつきたくなる。
不安しかない。どうしたもんか。自分を売り込んでいける材料が無い。らず君達は凄く良い子なんです。
いや、今日絶対にチームを作るべきだとは思わないから、それ以上の優先を考えよう。祭壇作りだ。相手に場所が分からないのであれば、見つかりにくい場所がいい。
アルフヘイムの住人さんを六人も祀る祭壇って言うことは大きいと思うし。まずは壊されてもいいダミーの祭壇を作っておこう。
壊す行為だって容易だとは思えない。全ての祭壇の破壊がルアス軍の行動だと分かっているならば、壊したくなくても壊す必要があるようにすればいい。
そこまで考えて、私も人間だと実感した。
自分の命が可愛いただの人だ。
負ければ死んでしまうのはルアス軍も一緒だと言うのに、彼らに勝たせない方法を模索するなんて。
醜いな。
内心で自分を嘲て、私は始業式終了の号令を聞いた。
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