第4話 命名

 

 晩御飯は予定通り、ハンバーグとサラダにした。


 ポテトサラダにマカロニを混ぜて、レタスとトマトを添えて。ハンバーグは掌半分位の大きさの物も作ってタッパーに入れて保存。お母さんとお父さんの晩御飯分はお皿に盛り付けてラップをかけた。〈お弁当用のハンバーグを置いています〉と、冷蔵庫の扉にメモを貼っておく。


 両親は毎日会えば「ご飯美味しかった、ありがとう」と笑ってくれるから、料理は好きだ。


 そして、一人で言う「いただきます」こそ私の日常だ。


 予定していたよりも遅れた晩御飯を完食し、片付けも終えてお風呂に入り、息をつく。湯船に浸かって浴室を満たす湯気を見つめると、ため息が出かけたので飲み込んだ。


 これ以上幸せに逃げられたらどうしようもない。多分二足歩行が出来なくなる。死ぬか殺すかと言う選択で既に幸せなんて失せているんだから、しっかりしろ。


 しっかりなんて出来ないよ。しっかりするってなんだ。


 うるさい黙って受け入れろ。


 そんなの無理だ、あぁ、泣きたい。


 泣くな弱虫。


 青い兎さんを思い出す。それに言い知れない嫌悪感が沸き起こって、掌ですくったお湯を力加減も考えずに顔にかけた。


 息を深く吐き出して自分の頬を挟む。それから指先で髪を引き、頭皮に走った痛みを感じた。


 駄目だ、駄目だ、落ち着かない。不安だ、苦しい。吐き出せない煙が喉の奥に溜まっているように息がしづらい。


 死ぬ。死にたくない。殺さなきゃ。殺したくない。祭壇てなんだよ。生贄なんていつの時代だよふざけんな。苦しい。


 結果が変わらない我儘に頭の中が埋め尽くされる。


 だから、湯船の中に頭の天辺まで沈めた。


 心地良い温かさに全身を包まれ、口から気泡を吐き出す。


 何も考えるな。考えたら歩けなくなる。しっかりしろ。私が何を考えたって、何も変わりはしないんだ。


 お湯から鼻より上だけを出す。


 私に何が起ころうとも世界が変わらないのはテレビを見て実感した。私なんて何億人分の一なんだから。当たり前だけれども。


 お母さん、お父さん。私、訳が分からない競争に選抜されました。


 なんて言えるわけもなく、お風呂を出てから〈お仕事お疲れ様です、ご飯は台所にあるので温めて下さい〉と両親にメッセージを送った。


 片付けはしたし戸締りもした。一つ一つ部屋の電気を消して、私は自室に入る。


 そこにいる、心獣だと言われた三匹と目が合った。中央のクッションに座っているのは緋色のドラゴンさんと茶色い針鼠君、透明な針鼠君だ。


 三匹は私を見ると、嬉しそうに名前を呼んでくれた。


「おう!! 氷雨!!」


「おまたせ」


 茶色い針鼠君の元気な声がする。私は自然と笑い、彼らの前に座った。膝を抱えて体育座り。クッションに座って私を見ている心獣君達が起きたのは、夕食を食べ終わった時だった。


 ソファーから急に声が聞こえたから危うく食器を落としかけたっけ。


 ―― あ、氷雨だ


 ―― 氷雨さんですね


 ―― お、はよう、ございます……?


 ドラゴンさんの声は女性のようだと思わされる高さだった。喋り方も凛として、落ち着いたお姉さんのイメージが短時間で出来上がっていく。


 茶色い針鼠君は元気一杯な男の子の声。高い訳では無いけど低いと言うものでもない。こちらが元気を貰えるような、そんな声。


 硝子の針鼠君は未だに喋らず怯えてるようだ。だから抱き上げて、小さな頭を指先で撫でてみる。そうすれば、この子は喜ぶように目を細めてくれると知ったから。


 顔を緩ませていると、茶色い針鼠君に聞かれた。


「なぁなぁ氷雨、競争に参加して本当にいいのかよ」


「……断る術がないからね」


 自分で言って苦しくなる。体の中に発散出来ない毒が溜まっていくようで、指先が痺れている気がした。


 それでもやっぱり、仕方がない。選ばれた自分の運が無さ過ぎたのだから。


 面白そうに見えてしまった私が悪い。


 そんなの相手の感性のせいだ。


 ならば尚更責められない。


 ふざけんな無理だよ。


 諦めろ。


 アルフヘイムに行こうとしなければ殺されて、負けても死ぬ。


 ならば行って勝つしかない。祭壇を建てて生贄を集めて、殺すしかない。


 目を伏せると夕暮れの対話が思い出されて、奥歯を軽く噛んだ。


 決める度胸なんてない癖に。


 それでもらなきゃころされる。


 弱虫。


 分かってる。


 自分を否定して叱咤して、口を真一文字に結ぶ。


 私がすることは何だ。


 アルフヘイムへ行って、祭壇を作って、六人の生贄を集める。


 言葉にしたらたったそれだけの事。


 大丈夫、難しく考えてはいけない。簡単に解読して、心は静かに潰しておこう。内心でしたくないと叫んでも、動作を一致させなければいいだけだ。


 大丈夫、問題ない。感情は飲み込むものだ。そうすれば誰にも届かないから、迷惑をかけないよ。


 私は目の前にいる心獣くん達それぞれの目を見る。顔はやっぱり笑いながら。


「ひぃちゃん」


「……ひぃちゃん?」


 ドラゴンさんは、ひぃちゃん。


「りず君」


「りず?」


 茶色い針鼠君は、りず君。


「らず君」


「……?」


 硝子の針鼠君は、らず君。


 私のセンスゼロな名前を受けて、彼らはどう反応してくれるんだろう。顔が心配で笑い続け、ひぃちゃんとりず君は顔を見合わせて聞いてくれた。


「……名前か?」


「うん」


「何故、私はひぃちゃんなのですか?」


「緋色の、ひぃちゃん」


「俺は?」


「針鼠の、りず君」


「……」


「硝子と、針鼠の、らず君」


 説明して顔が赤くなる気がする。頬が熱いのは確かだ。


 昔からネーミングセンスが無く、何かに名付けると言うのが不得手だった癖に。ドラゴンとか針鼠とかが言い難いから名前を考えてしまった。


 笑顔のまま、口は忙しなく言葉を吐き出し始めてしまう。


 あぁ、馬鹿やった。ちゃんと名付けて良いか確認してから言葉を出せよ。


「ご、ごめんなさい。名前、嫌なら言ってください。ぁの、私は昔からネーミングセンス無くて、ほんとごめんなさい。ごめんね。全然良いのが思い浮かばなくって、勝手に付けちゃって。りず君とらず君なんか変な略し方だし、ひぃちゃんなんかドラゴン一切関係ないし、色から取っちゃって、はは、ごめん……」


「いいえ、素敵です。ありがとうございます、氷雨さん」


 そう、穏やかな声がするから。


 伏せていた目を上げて、忙しなく動いていた手を止める。


 見ればひぃちゃんが尻尾を揺らしながら笑ってくれて、私も情けなく笑ってしまった。


 りず君は私の足の先に来てくれたから、らず君と一緒に抱いてみる。茶色い鼻を引くつかせて、りず君は言ってくれた。


「いいぜ、気に入った! 特に氷雨のネーミングに期待はしてなかったが、なかなか良いと思うぜ!!」


「ぁ、ありがとう。よかった」


 肩から力を抜き、指先でりず君とらず君を撫でる。ひぃちゃんは私の肩に乗ってくれて、ちょっと心臓が高なった。


 彼女達はとても温かい。


 ちゃんとここに居て。


 ちゃんと――生きているんだ。


「お使いください、氷雨さん。私達は貴方の手となり足となり、矛となり、盾となりましょう」


「死なせねぇからな!! 勝つぞ、氷雨。俺達はお前を生かす為に生まれてきたんだから!!」


 ひぃちゃんとりず君に言われて。目の前が微かに滲んでしまう。ぼやけた視界を、私は瞬きで誤魔化した。


 泣いてはいけない。泣く理由がない。大丈夫、涙は堪えるものだ。だから質問しよう。大丈夫だと自分にうそぶいて。


「ひぃちゃん達は、どんな事が出来ますか?」


「私は、牙から酸性の液体を出せます」


 ひぃちゃんが私の肩で口を開けて鋭い牙を見せてくれる。それから翼を広げて、「勿論空も飛べますよ」と笑ってくれた。


 大きく逞しい翼は、空を駆ける自由の象徴。触れば硬い感触で、牙は鈍く光っていた。頼もしい。


「俺は姿を変えられるぜ!!」


 床へ降りたりず君は、体が微かに光って変形する。大きく布のように伸びたかと思ったらナイフになったり、予想外の力に目を見開いてしまうではないか。


「らずは……分かりませんね」


 ひぃちゃんが翼を畳み、らず君は首を傾げている。私も同じ方向に首を傾げて笑ってしまった。


 直に分かると信じてる。いや、分からなくても良いのかな。硝子で出来ているらず君は、つつくだけでも割れそうだ。


 りず君は私の足をよじ上って、また手の中へ帰って来てくれた。


 この三匹が私の心の具現化だとは未だに思えない。今にも砕けそうだった硝子のハートが私の心だとも思えない。あれが本当に私のならば、一体いつ、あんなに傷ついてしまったのだろう。


 分からないし、分かろうとも思わない。私は頑張ってなんかいないし傷ついてもいない。可哀相だと思われるなんてごめんだ。他者に何が分かると言うんだか。いや、私も私を分かっているわけではないけれど。他の人の物差しで私を測らないで頂きたい。


「ひぃちゃんもりず君も、凄いね。らず君も一緒に、戦士になってくれますか?」


 らず君は少し首を傾げた後、頷いてくれた。私も頷いて笑ってしまう。


 直ぐに笑ってしまうのは、私の悪い癖その一。笑顔がデフォルトのようになってしまって、笑っていないだけで体調が優れないのではと学校では心配されてしまう。


 流石にアミーさんと対面した時は笑えなかったけれど。


 あぁ、絆創膏を渡したあの子は大丈夫かな。焦りながら笑う姿は、さぞ滑稽だったでしょう。


 急に瞼が重たくなる。欠伸をしてカレンダーに目を向けるが、明日は日曜日だ。少し寝坊をしても許される。いや、私が私を許さない。眠って時間を消費することは、怠惰でしかないのだから。早起きは三文の徳ですよ。


「寝るか? 氷雨」


「うん、そうする」


 そうりず君に返事をして、眠ることにする。


 もしかしたら朝起きたらこの子達が消えているかもしれないなんて思って。


 鍵やチョーカーも消えているかもしれない。なんて願って。ひぃちゃん達と一緒に布団に入る。


 電気を消して目を閉じると、私は直ぐに意識がなくなった。解いていたと思っていた緊張は解けてなくて、疲れが酷く溜っていたとその時知る。


 やっぱり私は、私の事が分かってないな。一度向き合う為に、自分の取扱説明書でも作ってしまおうか。


 馬鹿な事を考えて「おやすみ」と呟けば、「おやすみ」と貰える返事が嬉しくて、明日に向かう。


 来なくてもいいと思ってしまう明日へ。


 私の意識は、暗い微睡みの中へ沈んで行った。


 * * *


 次に目を開けた時、数分しか眠っていないようで、それでも何時間も寝ていたような感覚に襲われる。


 今が何時か判別出来ない。体は何となく重い。それでも目は凄く冴えていた。カーテンの隙間からはまだ淡い光も射し込んでいない。起きるにしては早い時間なんだろう。枕元の時計を確認して、予想は確信に変わった。


 ふと腕の中で眠っている三匹を見て、やっと私は現実を飲み込んだ。


 ひぃちゃん達を起こさないように布団を抜けると肌寒さに少し身震いし、低い本棚の上に置いているアクセサリースタンドを見る。


 鍵にピアスにチョーカーに、横に置いた目薬も昨晩と変わらずそこにある。


 鍵に指先で触れると冷えており、少し揺らしてみた。今まで髪ゴムをかけておくだけだった場所が、正しい使われ方をしている。


 私は鍵から指を離して、もう一度ベッドを見た。段々とカーテンの向こうに弱い光が見え始める。


 その光を受けるのは、緋色のドラゴンと、茶色い針鼠と、硝子の針鼠。


 ひぃちゃんと、りず君と、らず君。


 規則正しい寝息が聞こえる。


 何も夢ではなく、あれはやっぱり現実で。


 私は鍵の宝石を三回叩いて、アミーさんを呼んだ。


「はいはい、お呼びかな〜?」


 優雅に手足を動かして登場してくれたアミーさん。


 触れられる距離に現れてくれたことに驚いたけれど、直ぐに笑ってしまった。髪を手ぐしで直しながら。


「ごめんなさい、朝早くに」


「いえいえ、アルフヘイムじゃ夕方だったからね、気にしな~いで!!」


 アミーさんは嬉しそうに私の両手を握ってくれる。直接対面するならジャージにTシャツなんて言う寝巻きではなくて、ちゃんと着替えるんだった。


 後悔しつつも、私は口を開く。


 全て夢ではないならば。


 覚悟をしなくてはいけないならば。


「アミーさん」


「はぁい?」


 私は笑って、自分の命を掴み取ろう。


「アルフヘイムの事を、また時間がある時でいいので……教えていただきたいです。地形でも風習でも、何でもいい。貴方の世界のことを、教えてくれませんか?」


 聞けばアミーさんは手に一瞬力を込めて、兎の頭を傾けてくれた。


「勿論!! ありがとう氷雨ちゃん、アルフヘイムを知ろうとしてくれて! 僕は今、嬉しくて仕方がない!! 今日一番の幸せだ!」


 アミーさんは私の両手を持って踊るように動き出す。寝起きのもつれそうな足で彼に合わせていると、りず君達も起き出してしまった。寝ぼけた顔の彼らも私の肩によじ上り、笑っている。


 あぁ、おはよう。アミーさん。騒いではいけないんです。お母さんとお父さんが起きてしまいますから。


 指を口に持っていく。アミーさんは私を見ると、同じように人差し指を兎の口元に当ててくれた。


 静かに生きよう。


 知らないことは学んでいこう。


 分からないことは聞いていこう。


 不安を残さないように。


 全てを知って、見て、考えろ。


 大丈夫。


 大丈夫だよ。


 大丈夫、問題ない、心配ない。


 だから、早鐘を打つ心臓よ、どうか落ち着いてくれ。


「何から教えようか。美味しい食べ物、民族衣装に季節に習慣なんでも聞いちゃって!」


「はい」


「ルールも注意事項も、もっとちゃんと説明するね!!」


「……よろしく、お願いします」


 笑ってアミーさんを見上げる。彼は手袋をつけた両手で私の頭を撫でてくれた。


「ディアス軍は力が強い者が正義であり、ルアス軍は〈宿命〉を全うすることが、幸せなんですよね」


 昨日のやり取りを思い出して聞いてみる。アミーさんは「そうさ」と抑えた声量で頷いてくれた。彼は「ルアス軍はね」と静かに続ける。


「宿命の他に、生きている間に付加された〈使命〉をとても重視してやがるんだ。農家の生まれなら農家として生きることが宿命で、美味しい食べ物を作り出すのが使命って感じ。それを成せない奴は生きることを許されない」


「……分かりやすい」


 本当に。今の例えで、私のどこかぼんやりとしていたルアス軍の思想が形を為した。


 決まった道を歩むルアス軍と、自分で開拓するディアス軍。分かりやすい構図だ。この両軍の意見が交わることも、理解し合うことも、きっと出来はしない。する必要が無いからだ。


 ディアス軍から見たルアス軍が、生まれた時から問題を起こさないように宿命に手を取られている存在ならば、あちらから見たアミーさん達は傲慢で粗悪な存在だろう。


 私はどちらがいいだろう。


 ……あぁ、考えなくても、答えは出てたか。


「ディアス軍についても」


 私は、朝日が射し込む部屋で笑った。


「教えて、くださいね」


「勿論!」


 アミーさんは歓喜して、けれども直ぐに「あ! お鍋の火消してない!!」と慌てながらアルフヘイムへ帰ってしまった。


 私はそれを見送って、カーテンを開ける。


 ひぃちゃんとりず君とらず君と目が合って、私は微笑んでみせるんだ。


「おはよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る