第3話 荒涼

 

「それじゃぁ説明するよ!! 氷雨ちゃん!!」


 突如、心臓に悪いほど溌剌とした声を上げた兎さん。


 私は肩を揺らし、ドラゴンさん達を抱き締めた。


 微かに茶色い針が腕に刺さったが、その痛みが現実逃避をしそうな私を引き戻してくれる。兎さんは嬉々とした雰囲気で両手を広げ、語り始めた。


「僕はアミー。アルフヘイムって言う世界に住んでる存在だよ。人間に姿を似せてはいるけど人間じゃない。こっちの方が話しやすいと思ってこの格好をしているんだ。言語も違うけど、僕の口と耳に細工をしてるから氷雨ちゃんにはきっと僕が日本語っていうのを話してる風に聞こえてるね。逆に僕には氷雨ちゃんが、僕の言語を話しているように聞こえるよ!」


 まず一旦そこで説明を止めさせたい。


 既に何を言っているのか分からない。私が馬鹿だから理解が追いつかないのか。いやそんなことも無いだろう。こんな始まり誰にだって理解されないだろう。「あ、そうですか」なんて言える人は絶対天才だ。そして私は凡人だ。


 だから、疑問はちゃんと聞いていこう。聞かないなんて不安すぎる。胃が痛い。


 貴方の名前は、アミーさんと言うのですね。


「ぁの、アルフヘイム……とは?」


「アルフヘイムって言うのは、こことは別次元にある僕達の世界のことさ。氷雨ちゃんから言わせたら異世界なんて言われる場所かな! 僕から言わせたらここの方が異世界だがね!!」


「異世界……」


「そうそ、世界は無限にあるからね。たまたま別次元にある中で近い位置にあったのがアルフヘイムとここってわけさ。まぁ普段は干渉なんて出来ないんだけど、今はちょうどアルフヘイムが変革の年って言う時期でね。ちょっとしたゲームを始めるんだ。だから参加者に選ばれた君に声をかけに来た!!」


 アミーさんは身振り手振りを交えながら話していく。全ては既に決定事項だと言って。


 まるで誰しも憧れるファンタジーのような話。私の理解は追いつかないが。


「変革の、年、って言うのは……」


 聞けばアミーさんは手を打って、私を指さしてきた。


「よくぞ聞いてくれたね! 変革の年って言うのは、アルフヘイムを統治する集団を選ぶ年のこと! 集団は二つあってね、一つはディアス軍、もう一つはルアス軍って言うんだ! 何十年かに一度の周期で変革の年は来るから、その時勝負に勝った軍が次の変革の年までアルフヘイムを統治するって言う伝統さ!!」


 私は首を傾げながら笑ってみる。


 選挙みたいなものだろうか。二つの軍があって、どちらがリーダーになるか決める年が変革の年。


 理解は出来たが疑問が残る。何故私がその変革の年のちょっとしたゲームと言うやつの参加者に選ばれたのか。


 アミーさんは明るい声で話し続けた。まるで何かに酔うように、歓喜する雰囲気で。


「で、アルフヘイムを今はルアス軍が統治してるんだけど、それを交代させる為のゲームがこれから始まるんだ。ルアス軍対、僕らディアス軍!! これに勝てば次の変革の年まで僕達がアルフヘイムを統治出来る!! あぁ素敵だなぁ!! アルフヘイムに平和を!! 平穏を!! 平等を!!」


「ぁ、の……ゲームって……投票とか、そう言ったものですか?」


「あはは! そんな生易しいものじゃないよ!! するのは命を賭けた競走さ!」


 心臓が跳ねる。顔から血の気が引いて、命と言う単語が肩に重く伸し掛る。


 命って何だ。それは何よりも大切なものだろ。それを賭けるって。競走って何をするんだ。駄目だ、また頭が散らかっていく。


 今まで与えられた情報を掻き集めて、その中で「命」と言う単語だけが色濃く私の頭で主張した。


 喉が渇いて、私は自然と生唾を飲み込んでいたらしい。


「ぇ、ちょ、っと……命って、何ですか……それを賭け始めることは、言い方を変えたら、戦争って言うんじゃ……」


「似て非なるものさ!! 別に殺し合う訳じゃないし、ルアス軍の兵も、僕達ディアス軍の兵も戦わない。動くのは君達〈戦士〉であり、するのは本当に競走なんだから!!」


 戦士という単語が私を指していると分かり、息を呑む。


 アミーさんは酷く楽しそうに話し続けるのだ。両手を広げて高らかと。誇り高く宣言するように。


 彼の口から滝のように溢れ続ける言葉が、私の理解を遅らせた。


「氷雨ちゃん達ディアス軍の戦士にしてもらうことは超簡単!! 六人の生贄を決めて祭壇に祀ってくれたらいいんだよ!! 祭壇もアルフヘイムの中で君達が好きな場所に作っていいし、作れるだけ作っていい!! ルアス軍に作った祭壇を壊されないように工夫して、生贄を捧げておくれ!! それだけでいいんだ!! なんて簡単なんだろうね!!」


「生贄……?」


「そう、生贄!! そういうルールなんだ!! ディアス軍が祭壇を作って六人の生贄を先に集めるか、ルアス軍が作られた祭壇を壊して生贄を救い出すか!! どちらが早いかで次の統治軍が決まる!!」


「な、んで、そんな……もっと、別の決め方がッ」


「はは!! 無理無理! 思想が違う奴らとはぶつかり合わなきゃいけないさ!!」


 私の顔が薄ら笑いを浮かべて硬直する。これは夢だと思いたいのに、腕に刺さる針と温もりが現実だと突きつける。


 今の私の状態、アミーさんに見えているのかな。


 夕焼けの色が濃くなった気がする。


「君には毎日こちらの時間で、零時にアルフヘイムに来てもらう!! 何処でも良いから「ディアス軍、凩氷雨、アルフヘイムへ」って呟けば来れるようになってるからね! アルフヘイムに来たら祭壇を作って生贄探しだ!! 心獣達が君の力になってくれる!!」


「……ディアス、軍」


「うん!! あぁ、不参加っていう選択肢はないからね!! 心獣系だろうと体感系だろうと、力を保持した君達の命は僕達が握ってる。来ない日を作ろうとしたって、零時を過ぎた瞬間にアルフヘイムにいなかったら力を砕いて殺すから!! 力を砕くってことは心を砕くってこと!! 意味分かるよね!! 戦士が逃げるなんて許さない!!」


「……砕、く……」


「あ!! 安心していいよ氷雨ちゃん!! 何も戦士は君一人じゃない。他にも僕と同じディアス軍の兵士が日本人の子ども達を選んで戦士にしてるから!! 日本人限定なのはアルフヘイムの創始者で、権力者で、絶対中立者であるゲームの発案者がこの世界の日本が好きでね!! そういう趣味ってやつ!! 子どもの範囲は十二歳から二十歳だよ!! この時期の心の方が力を付与しやすいんでね!!」


「……戦士、」


「あと注意ね!! アルフヘイムで死んじゃったら本当に死んじゃうし、怪我も治せる人じゃないとその場で治療出来ない!! 氷雨ちゃん達にも生活があるからこっちの夜明けには強制送還してあげるけど、氷雨ちゃん達がいない間もアルフヘイムの時間は進むからね、そこら辺を考慮するのは大事だぜ!!」


「……昼間はここに、夜中は、アルフヘイムに」


「そうそ! こことアルフヘイムはちょうど時間が逆でね。零時にアルフヘイムに来たら、僕達の世界はお昼の時間なんだ! 不思議だけど慣れてね! 時差ボケってやつはないと思うよ良かったね!!」


 そこまで聞いて、ゆっくり目を瞑る。


 意識をして呼吸を繰り返し、ドラゴンさん達を抱き締め、それから瞼を再び開ける。


 誰もいなければいいと願ったそこには、やっぱり変わらずアミーさんがいた。


 これが現実なのだと思うほどに目の前が歪んでいく。体の軸もぶれたように安定しなくて、口角が引き攣ってしまう。


 考える事をやめる時間をやめて、現実を見つめようと努力する。努力しなくては崩れてしまう。


 たった十六年しか生きていないちっぽけな小娘にとって、この数分間は劇的過ぎだ。


 私は自分に言い聞かせ為に、確認する。


「……次の、アルフヘイムの統治者達を決める為に、私は六人の生贄を集めて、祀って、殺せってことですね。この子達を使って。ルアス軍に壊されないように。夜中に、昼であるそちらに行って。下手を打てば、死ぬことだってある、条件で……」


「そうだよん! 理解が早くて助かるなぁ!!」


 顔を伏せて、状況を理解していく。嫌がる自分に言い聞かせるように。


 アミーさんは不意に静かな声を出した。雰囲気を変えるような、穏やかで、それでも芯のある声だ。


「命は尊い。だからこそ命の上に進化があるんだ。改革は起こるんだ。血の流れない変革なんて停滞と一緒なんだよ、氷雨ちゃん」


 その声に釣られて顔を上げ、アミーさんは首を傾げる。大きな両手は私の頬を挟み、親指が皮膚に微かに食いこんだ。


 赤い作り物の瞳と視線が合う。


「アルフヘイムに平穏を、平等を、恩恵を。さぁ動け、僕の駒。君に拒否権はない。生贄を集めて、晒して、捧げて、民に知らしめるんだ。力こそが正義だと。命を踏み越えて皆生きるのだと。下の者は上を殺す権利があると。上の者の地位は絶対では無いのだと」


 赤い硝子の目が、私を飲み込む。


 浸透するようにアミーさんの言葉が入り込んでくる。


 私の喉が鳴り、アミーさんは明るく言い放った。


「死なないように頑張ってね!! 凩氷雨ちゃん!! 最後まで生き残っても、競争に負けた軍の戦士は全員死んじゃうから!!」


 再び思考が止まる。


 何だ、何て言った、この別次元の誰かは。


 負けたら――死ぬ?


 油の切れかかったブリキ人形のように私は首を傾げる。口は笑って、目を見開いて。


 あぁ駄目だ。もし今この笑みを落としてしまったら、きっと私は崩れてしまう。目眩がした。頭が、痛いよ。


 アミーさんの有無を言わせない声が、降り注ぐ。


「負けとは死と同義。敗者に生きる価値はない。それが中立者のアイツの言葉で、ディアス軍とルアス軍の間で唯一合致した意見だ」


 全身が熱くなり、一瞬で冷えていく。


 勝手に選ばれて、勝手に他人を生贄にしろって言われて、あまつさえ勝てなければ死ねなんて。


 横暴だ。これこそ不平等だ。


 叫びそうになって前髪を握り締める。誰しも行き着く死の終着点はまだ先だと思っていたのに、今目の前に完全な分かれ道が見える。


 拒んで死ぬか。


 負けて死ぬか。


 勝って生きるか。


 単純明快だけれども、その道はどれも険しすぎる。


 駄目だ、踏み出せない。


 踏み出す決意が私には足りない。


 震えた唇は、どうしても聞きたいことを聞いてしまう。


 この答えが私に何かをくれると信じて。縋って、懇願して。


「何故……何故、私は……選ばれたんです、か……?」


 何故。どうして。何の取り柄も無い私なのか。


 長所もなければ特技もない。自分が居ても許される席さえあれば良い、誰の力にだってなれない私なのだろう。


 それが不思議で仕方ない。


 どうか私が納得出来る答えをください。私でなければいけなかった理由を、教えてください。


 そう、祈っていたのに。


 アミーさんはさも当たり前と言わん態度で――望んでいない答えをくれるのだ。


「理由なんてないよ? 中立者のアイツがこっちを覗いてる時、面白そうだって思う子を選んだから」


 音が無くなる。


 空気の流れる音や外を車が通過する音。


 うるさいほど耳の奥で響いていた血液の流れる音や、不規則だった呼吸音。


 全てが消えて、耳鳴りも何も起こりはしない。


 肩から力が抜けて震えが止まり、口角が上がっていくのが理解出来た。


 これは、理由のない選抜。


 私でなければいけないという訳では無い。私で無くてもいい人選。


 頭が冴える感覚がして胃が痛む。


 私でなくてもいい戦いを、面白そうだってだけで私はしなければいけない。


 なんて滑稽なことだろう。


 気づけば、気の抜けるような笑いを零してしまった。


「分かり、ました」


 答えた私は、一体何を掴んだのか。


 アミーさんはこちらを見つめているから、私は腕の温もりを逃さないように抱き締めた。


「……ルアス軍とディアス軍の思想を、教えていただけますか? アミーさん」


「うん!! 勿論!! それじゃぁまずルアス軍ね!! ルアス軍は生きるものには皆宿命があり、それを遂行することこそ幸福であるっていう考えの奴らだ!! むかつくね!! 生まれた時から一生が決まってるなんてクソ喰らえ!! 生まれた時から決まった人生なんてごめんだよ!!」


 怒った仕草をアミーさんはするから、私は微笑んでしまう。彼は広げていた掌を握り、固く拳を作っていた。


「僕らは違う!! ディアス軍は力こそが正義であり、世界は弱肉強食であるっ知ってるんだ。強く賢い者こそ上にのし上がり、幸せは自分の手で掴んでこそ!! 不平等を覆し、他者も蹴落とし光を奪え!! 自分を救うのも落とすのも自分自身なのだから、自分を曲げること、偽ることはしちゃいけない!!」


 大きな身振り手振りをするアミーさん。


 影が濃くなった。もうすぐ夜だ。


 呟いた私の「分かりました」は、ちゃんと感情が乗っていただろうか。


「今晩からですか? 競争は」


「いいや、まぁ約ひと月後かな!! まだまだ選抜途中でね!! それまでに心獣くん達と仲良くなってくれればいい!!」


 あぁ、二年生に進級するな。その頃には、誰かを殺せるようにならなければいけないんだ。


 私の影が揺れる。頭が痛い。耳鳴りがまた始まった。


 おかえり、私の音。


 そこでアミーさんは思い出したように手を打って、上着のポケットに手を入れた。私はその動作を見つめて、目の前に出された装飾品に視線を向ける。


 黒い革性のチョーカーと、紅色の宝石がついたピアス。銀色の鍵と、透明な目薬。


 アミーさんは軽やかに説明してくれた。


 最初はチョーカー。中心に赤い宝石がついて凄く綺麗だ。


「これは首に巻くことによって、氷雨ちゃんの喋る言葉がアルフヘイムの言葉に変換される物だよ。聞いてる人には氷雨ちゃんがアルフヘイムの言語を話しているように聞こえるんだ。氷雨ちゃんと同じ戦士には聞こえないけど!!」


 次にピアス。雫型の揺れる装飾品がまた綺麗で、だけど私の耳に穴は空いていない。


「次は耳につけることによって、アルフヘイムの言葉をこっちの言葉に変換して聞かせてくれる物だ。これで相手が何を言ってるか理解も出来る! 尖った部分が耳に埋まる仕組みでね、穴はいらないし痛くもないし、落ちもしない! 素敵でしょ!!」


 三つ目は目薬。透明な入れ物に透明な液体のせいで、触らないとそこにあるか分からなくなってしまいそうだ。


「こっちは目に入れるとアルフヘイムの文字をこっちの文字に変換して読めるようにしてくれる薬!! 喋れて聞こえても、読めないと不便だよね! 流石に何かを書くってことはないと思うけど、もしもの時は相談してね! 変換してくれる筆記具をあげるから!!」


 なんて、楽しそうな声が私の鼓膜を揺らしていく。これで見る、聞く、話すは揃っているのだから、書くまで強請ねだる事が無ければいいと祈っておこう。


 最後は赤い宝石が持ち手に装飾された銀の鍵。不思議なマークが赤の中に浮かんでおり、細いチェーンもついている。


「最後は超重要!! これは祭壇を作る鍵であり、僕との通信機だ! この鍵を好きな所にさして回したら祭壇が出来るよ! 凄いでしょ!! あとこの宝石を三回叩いたら僕と通信だって出来る! 僕達兵士は見守ることしか出来ないから、氷雨ちゃん達の近くにはなかなか行けないんだ!! でもこれがあればいつでも僕を近くに感じられるね!! 嬉しいね!!」


 私は片手に乗せられていく装飾品を見つめて頷く。アミーさんは満足そうに肩を揺らして笑っていた。


「何かあれば鍵を使って、アミーさんに相談すれば良いんですね」


「そういうこと!! 氷雨ちゃんだけじゃ難しいことも僕が調べてあげる!! 全身全霊でサポートしてあげるから安心しなさい!!」


 アミーさんは陽気に喋り、私は笑いながらも目を伏せた。


 彼は言う。自分の駒だと言った私を見ながら。


「一人じゃ勝てないかもしれないからね、チームを作るのオススメしとくよ!! 」


 チームか。何も知らない人達と徒党を組んで人を襲う。


 最低だ。


 それでもやらなければ私が死ぬ。


 私は、自分を犠牲にしてまで誰かを生かそうと思えるような――聖人君子ではないんだ。


 アミーさんは私の顔を見つめる仕草をした後に「じゃ!!」と立ち上がった。


「これからよろしく、凩氷雨ちゃん」


 私も彼を見上げて、ふらつきながらも立ち上がる。アミーさんと握手をする為に。装飾品はポケットに押し込んで。


「……よろしく、お願いします。アミーさん」


 ルアス軍よりディアス軍の思想の方がまだ飲み込める。


 生まれた時から宿命を背負うより、自分がいる意味を自分で作った方が良いと思うから。


 るしかない。


 生贄を探すしかない。


 勝つしかない。


 そうしなければ、私に明日は無いんだから。


 私は私が、一番可愛い。


 夕焼け色の中、青い兎の被り物をした彼は楽しそうに肩を竦めていた。

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