第3/8話 史実の裏には言えねぇことも御座います。 

化かし、化かされ、馬鹿を見る。そんなこの世は、狐と狸。「あんさん、その話、尻尾が見えてますぜ」 信じた者が馬鹿なのか、信じれぬ者が馬鹿なのか。知らぬが仏。知らぬは損。無関心なら怪我はしないって。そりゃぁ、勿体無い。気づけば、身包み剥がされて丸裸。世間とはそう言うもので御座います。


 信じる、信じないは、あんさんの勝手だす。裏アカ❶❷の裏側を少しずつ剥がして参りましょう。お代は結構、生きていればのことですがね。く・く・く・く。


「光秀様ぁぁぁ~」

 悲痛な叫びは、雨音と共に闇夜の山あいに吹き消されていった。


 時は、天正10年6月1日、本能寺の変、前日のことで御座います。

 不穏な空気を肌で感じ、闇深く動き始めていた者が御座います。


 ここからは首謀者のこの越後忠兵衛が語り部を引き継ぐことに。後々、予告なく龍玄に語り部を代わることがありましょうが、ご勘弁を。


 茶会は、信長はんと縁のある堺商人のそりゃ~強い勧めもあって、信長はんの宿泊先である本能寺で開催されたんだす。新しい物に目のない信長はんは、鉄砲にえらいご執心。それに応えて独自の物を製造した堺商人は大層、気に入られましてな、色々とご尽力くださったんだす。


 その鉄砲を売る際も信長はんの口利きは、絶大でおました。お陰さんで諸大名への武器販売は絶好調。巨万の富が転がり込んできましたわ。それを元手に、裏ではちゃっかり諸大名はんらに金を貸し、ついでにそ弱みも握り、高飛車の諸大名はんらを牛耳るまでに。権力と恐ろしいもんだす。立場は逆転。正義も悪もありまへん。力を持った者の勝ちでっせ。虚しすぎまんなぁ。ははははは。


 堺商人の中には、強欲と冷酷さから、死の商人と囁かれ、中には、闇将軍と称される者も現れる始末。世間とはそんなもんでしょう。でもそれが、信長はんの勘に触ったんでしゃろなぁ。わてらの利権を奪おうと企みやはって。溜まりまへんがな、そんな事されたら。せやさかい、邪魔なお人は消えてもらおうと。でも、信長はんでしゃろ、一筋縄ではいきまへんがな。そこで、一世一代の大芝居の筋書きをよういしたわけですわ。その舞台のひとつがお膳立てした茶会だす。


 最初、信長はんは、茶会に乗り気でなくてねぇ。こら釣り上げるための餌をと探している頃にあの茶器を見つけたん出す。三大茶器の内、信長はんが、二つを持ったはる。あの人のことやし欲しがらはに決まってる、なんせ、強欲なお人ですから。でおますからな。その茶器は博多の茶人、鳥井宗室はんが持ってはった。大変でおましたわ手に入れるのは。


 そもそもこの茶会は、イエズス会と光秀はんの企てをここに集中させるために催したものでね。おのおの勝手にやられてはこっちの身が持ちまへんがな。放っとけばいいと思たはります?。甘おまっせ。欲をださはらんへかったら問題なく上手くいってましたんや。諸大名もわてらの後ろに信長はんが見えてはる。それが信長はんがおらんようになったらまた最初からやり直しですわ。しかも、秀吉はんがひとつもふたつも抜け出てはる。あの人はあきまへんは、算術で攻めてくるよって。そこで、家康はんと繋がりを持とうと画策してたんだす。


 そこへ、信長はんが家康毒殺をこの茶会に企てると言うやおまへんか。ついてましたなぁ。神や仏はんに感謝でしたわ。これでやっと、家康はんとの関係を築ける。もし、失敗したら、秀吉はんが、天下を取らはるまでに、稼いで稼いで稼ぎまくって、後は知りまへんってことに。その後に繋げられるか否かの催しだす。

 お陰はんで茶会には、京都の公家や高僧はんら、40名程が集まり大盛況。あとは、情報線ですわ。いつ、誰が仕掛けるか、それを見極めて動くだけでした。


 「のう、家康。この世で私に逆らう者などおると思うか。いるはずもない。誰もいなければ警護など無用の長物よ、そう思わぬか。どうだ、ここは互いに気軽に楽しもうではないか、この茶会をな」

 信長様がこの私を信じて下されている、と家康は大喜び。無防備な状態で京都に宿泊。そんな家康はんを言葉巧みに大坂・堺への遊覧に連れ出したんだす。


 茶会は、何事もなく、平穏に終わった…かのように思えました。


 イエズス会は光秀の出方を見定めて動く。「家康は体調不良で出席できない」との口実で家康はんを信長から逃した。それを聞いて信長はんは、家康暗殺隊を堺に送り込まはった。そこまでしゃはる。慌てましたわ、なんせ、人手が足りてまへんかったから。直様、半蔵はんに頼んで、伊賀者を追加徴集してもらうなど大変でしたわ。


 その頃、明智軍は、備中高松城包囲中の羽柴秀吉を救援しようと進軍し、京都・桂川を越えていた。「家康討つ」の朗報を待つ信長は深夜まで、囲碁の名人、本因坊算砂と囲碁を嗜んだ。一方、光秀は、信長を討つ決意表明を、明智秀光・光忠、藤田行政、斎藤利三、溝尾茂朝ら五人の重臣のみにしていた。

 「光秀様、謀反など…お考え直しを」

 「利三、もう、決めたことだ」

 「上手く行くはず御座いませぬ」

 「上手くいく、いや、必ずいかせてみせる」

 「では…では、仮に信長を討てたとして、秀吉らが黙っておりますまい。追手に討たれるのが関の山で御座いまする」

 「それでも、やる、やらねばならぬのよ」

 「なぜに…」

 「このまま暴君信長を許さば、この国の明日はない。私に続くが良い」

 明智軍13.000人、馬首が信長のいる本能寺を睨み、東向きに立ち並ぶ。

 「皆の者、聞けぇーぃ。敵は、本能寺にあり。いざ、出陣じゃー」

 「今日より、天下様に御成りなされ候」光秀の号令に続き、溝尾茂朝が言った。

 明智軍は、光秀のもと一枚岩の結束だった。光秀が決意した以上、それに逆らう者はいなかったのです。


 天正10年6月2日の明け方4時頃、前列に鉄砲隊を配備し、信長の眠る本能寺の包囲を終えた。信長は、周囲の騒動しさ、馬の嘶きに目を覚ました。


 「何事ぞ、蘭丸、蘭丸はおらぬか」

 「ここに、ここにおりまする」

 「これは、謀反か?攻めては誰じゃ」

 「敵旗に桔梗の紋が…明智が者と見え候」

 信長は、女人に逃げるよう指示をした。蘭丸は、信長にも退去を勧めたが、兵力、光秀の能力を考え、それは適わないことだと悟っていた。

 光秀は主君を討つ、因果な役回りを嘆きながら、意を強く持ち、深く息を吸った。

 「撃てー」

 時の声が上がり、四方から怒涛の一斉射撃が放たれた。射撃後、光秀軍が一斉に本能寺に流れ込んだ。信長は、弓で応戦するも、弓が折れ、槍で対抗した。

 パーン。明智軍が放った鉄砲の玉のひとつが、信長の左肩を撃ち抜いた。

 信長は、障子を締め、蘭丸に火を放たせ、自刀すべく座り、刃を腹に当てた。その瞬間、信長と明智軍の狭間に炎が舞上がった。紅蓮の炎に包まれる本能寺。ただ火を放ったとは思えない勢いで炎は、一気に広がった。

 逃げ出してくる、女人たちにまみれて、信長が出てくるのではと、明智軍は、注視しながら、見定めていた。炎が収まったのは、午前6時頃だった。

 信長の遺体を探す、しかし、見つからない…、情報は先走る。


 「信長、光秀の謀反に合う」は、早急に、備中高松城にいた羽柴秀吉、堺にいた徳川家康に伝わった。

 羽柴秀吉は、信長横死を隠し、毛利方との講和を取り付ける。その後直様、主君の仇討ちに、全軍、京都へ急ぐ。備中高松城から京都・山城山崎までの、56里程を約10日間で踏破。世に言う、中国大返し、備中大返し、と呼ばれる軍団大移動だった。

 一方、徳川家康は、戦々恐々な思いで、狼狽えていた。

 大坂・堺を遊覧中のことで、脆弱な小姓衆の供のみの無防備状態だった。家康はある信頼のおける人物から茶会の真相を聞かされていた。信長からの刺客が迫ってくる、狼狽のあまり、自害すら考えていた。それを、本多忠勝に説得され翻意した。

 家康の信頼のおける人物とは服部半蔵だった。半蔵の誘導で、伊賀国の険しい山道を超え、加太超えを経て、海路を使い、三河国に辛うじて、辿りついた。俗に言う、神君伊賀越えである。


2019/02/25 投稿分

 毎月5の付く日はポインデーならぬ投稿日⇒次回は2019/02/25

 予告編

 渡る世間は鬼ばかり、と誰かが言ってやした。鬼ばかりならば、他に何もないってことで問題ないんじゃねぇですかねぇ。鬼と言っても色々御座います。仕事の鬼、戦の鬼、将棋の鬼。一生懸命、努力して強くなった。この鬼の怖さは違うんじゃねぇですかねぇ。見方を変えれば善にも悪にもなる。毒のようなもので御座いましょうか。さて、今宵は、どこのどなた様に、この毒を召し上げって頂きましょうか。

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