その七 ぶらり旅:熱唱!カストラート!!
「が、ガンマさーん!」
下を覗き込もうとするマヤにジャンが飛びつくと、屋根に押しつけた。再び発砲が始まり、二人の頭上を銃弾がかすめていく。
「ガンマさんが! 助けないと!」
「今は逃げる方に集中しろ!」
「でも――」
車体が揺れ、爆発音が轟いた。
二人は一瞬空中に跳ね上げられ、慌てて屋根にしがみついた。と、マヤの耳に甲高い音が響く。思わず片方の耳を塞いだが効果は無い。
沸騰した薬缶が立てる音よりも、高くて凶悪な音が脳にギリギリと食い込んでくる――
「な――んだ、こりゃあぁぁ!」
「くそっ! カストラートのお出ましだ! 罠ごと吹っ飛ばしやがったな」
再び射撃音。だが、こちらに弾は飛んでこないようだった。
マヤは中腰になると、さっきまで自分達がいた車両を覗き込んだ。
壁も椅子も、飛び込んできたあの土蛇も無くなっていた。ただ床があるのみで、軍人二人が腹這いになって発砲している。
「なんだあれ……」
教授以上に場違いな人物の後姿が現れる。
オペラの世界から抜け出してきたような、羽飾りのついた白黒のだぶだぶの衣装。
「そのまんま、
「ふほっ、説明が省けて助かるよ!
行くぞ! あいつは虐殺兵器って呼ばれてる。敵も味方も木っ端微塵にされちまうぞ!」
カストラートは両手を広げた。ジャンがすかさずマヤの耳を両手で塞ぐ。マヤは屋根に必死にしがみついた。
それでも聞こえてくる声。これだけ離れていても、目の前の空気が歪んで見えるくらいの声。目で聞こえる、とマヤが錯覚するような地獄の声。それが軍人二人を床半分ごと吹き飛ばした。
「走れ!」
キンキンとする耳のまま、マヤはジャンに手を引かれて屋根の上を走り始めた。
前方に鉄板を組み合わせた甲冑のような、軍用機関車が見えてきた。
黒煙が風になびき、二人は姿勢を低くする。
「どうするの! この汽車を止めるの!?」
マヤの質問に答えず、ジャンは足を止める。
前方に教授が立っていた。脂汗を垂らし、押さえた右脇腹から血が滴っていた。
「おやおや……あの程度で怪我をしなすったか? 老いましたあ教授!」
ジャンの挑発に、教授はくくっと笑うと片膝をつく。
「まったくだ。引退を考えていたが正解だったよ。おい、手品師。私を殺せ」
「……いいでしょう」
マヤは慌ててジャンと教授の間に滑り込んだ。
「お、おい。この人は放っておけばいいじゃん!」
「いや。この人はもう動けない。放っておけばカストラートに――」
何度目かわからない爆音が響き、マヤは身を乗り出すと、車両の後ろを窺った。
機関車の速度が落ちたのか、それとも自身の速度を上げたのか、ともかく、糸車とジャンが言っていた物達が車両に殺到しつつあった。
凄まじい勢いで回転する糸巻き機のようなそれらは、同車両同士で近づくとぼんやりと光を放っていた。
「あれが魔術の光……」
マヤは息を飲むと眼鏡を押し上げた。教授の苦しげな声が風に乗って流れてくる。
「ああ、手品師。早くやってくれ。なるべくなら苦痛は無いほうが良い」
「ま、待て待て待てぇい! あんた! 教授さん! えーっと……一緒に降りよう!」
マヤの提案に教授が訝しげな顔をする。
「この娘は、何を言ってるんだ?」
「ほら、あれだ! 捕虜!」
ジャンが呆れた声を出した。
「この人は回復したら、お前を攫うぞ!」
「じゃあ、回復する前に簀巻きにして、どっかに捨てよう!」
「……あのなあ」
「あー、もう! ……あ! 依頼! ジャンさんに仕事を依頼するぞ! 捕虜をとれ!」
「……はあ?」
マヤに指差され、ジャンは間抜けな声をだし、教授をちらりと見ると溜息をついた。
「……金持ってるのか?」
「ちょっとだけ、遺産がある!」
「それはお前の今後の生活資金だろうが。他に使い道が――」
「人の命を助ける以上の使い道なんかない!」
マヤは腰に手を当て、言い切った。
ジャンは体をギクッと震わすと、マヤをまじまじと見つめた。
ごうごうという風の音と共に、警笛の音が響いた。糸車が再びぶつかってきたのか車体が爆音とともに揺れまくる中、ジャンは首を振って肩を竦めた。
「……了解した。だが、俺は前金を貰わなければ仕事はしない主義――」
「えぇ、参ったな。あ! む、胸をちょっと触らせてやるのが、前金……ってのはダメ?」
ジャンはあんぐりと口を開け、ややあって笑い出した。
「はっはっは! いいだろう! よし、集中しなければな! これは難事業だ!」
ジャンの手がじわじわと歯を食いしばったマヤの胸に近づく。たまらず教授が叫んだ。
「お、お前ら、ふざけてるのか!?」
「ああ、教授。あなたは助かったんです。ま、これを機に引退することです、な!」
な! の辺りでジャンはマヤの胸を鷲掴みにした。
マヤがぎゃあっと叫ぶとジャンの顔面に拳を叩きこむ。
「痛っ! 何をする! お前が揉んでいいと――」
「何時言ったああぁああぁ!? 触ると揉むは違うだろうがぁ! 依頼料は半額だぁぁ!」
「汚いぞ、田舎娘っ!」
と言いながら、マヤの胸を更に一揉みしたジャンは、うむと真面目くさって頷いた。
「いい張りじゃないか」
「うっわ、おっさん臭い! 顔が老けてて、それじゃあ人生真っ暗だろ……ってああ、ヤバいのが、来た!」
カストラートがふわりと車両の屋根に降り立った。
風に吹かれ、禿頭の周りの羽飾りと豪奢な衣装が揺れる。後方から迫る糸車の青白い魔力の光に照らされた丸い顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
マヤは教授に走り寄ると、手を差し出した。
「さ、教授!」
教授はその手を払うとマヤを睨む。
「貴様、私を辱める気……」
不意にカストラートが移動し始めた。滑るように、音もなく進みながら上半身をのけぞらすと息を大きく吸い込み始める。
「機関車まで走れ!」
ジャンの叫びにマヤは走り出そうとし――風が唸りを上げているのに、気が付くと振り返って眼鏡を外し、教授の前に立った。甲高い声と共に衝撃波がカストラートから放たれた。客車の屋根がささくれ立ちながら吹き飛び、渦を巻きながら三人に迫る。
「おい、馬鹿! 伏せ――」
ジャンは途中で声を止める。
マヤの目が赤く光っていた。
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