その八 ぶらり旅:マヤ、下車する

「うらぁぁぁぁあああっ!!!」

 叫びと共に突き出されたマヤの拳は、破片を巻き込んだ渦のような衝撃波の中心を捕えた。

 屋根が弾け、鉄片が舞う。

 ついで鈍い銅鑼のような連続音が鳴り始め、マヤの腕周辺の空間が、陽炎でもあるかのように歪んでいく。

「くぅぅぅっ……ずぁああぁぁっつつっっ!!」

 マヤの気合いと共に、ごぉんという音が響く。

 歪みが弾け、衝撃波がかき消された。

 カストラートは、先ほどの表情そのままに首を傾げ固まっていた。

 ジャンはマヤに駆け寄った。


「大丈夫か!?」

「だだだだ、大丈夫じゃな―い! くぅぅぅぅっ、いてぇぇぇえぇっ!!」

 マヤの右腕は捻じれ、滅茶苦茶に折れ曲がっていた。原形を留めていない手の指と思われる部分から、骨が何本も突き出している。

 ジャンは顔を顰めると、上着を脱ぎ上に放り投げた。それは風に舞い上がり、上空で蝙蝠のような凧に変形した。


 カストラートが再び息を吸い込み始める。

 ジャンは銃を構えた。

 カストラートが、ふるふるふると笑い声をあげる。

 ジャンはにっこりとカストラートに笑い返すと、その足元を撃った。カストラートは突如もんどりうって、ささくれた屋根に倒れ伏す。

 ジャンは凧を引いているワイヤーを腰のベルトに繋げる。


「逃げるぞ!」

 よろよろとジャンに近づいたマヤは、振り返ると大丈夫な方の手を教授に差し出した。脂汗を垂らしながら笑顔を作る。

「ほ、ほら行くぞ、毒蛾じいさん!」

 教授は唾を屋根に吐く。

「偽善者めが。お前のやったことは私の誇りを傷つけたぞ!」

 マヤは唾を吐き返した。

「うるせぇ! 老人福祉だよ! ふぅ、くそっ、いてぇ! 早く来やがれってんだ!」 

「ガンマ!」

 いらだったジャンの声に、カストラートの足元から細長い紐のようなものが飛び出した。それはジャンとマヤ、教授の体に絡みつく。

「うわわ!? ガ、ガンマだって? 何これ――」

「口を閉じてろ! 飛ぶぞ!」


 驚くマヤを無視して、ジャンがベルトに手をかけ屋根を蹴る。ワイヤーが巻かれ、三人は空を舞い、あっという間に列車から離れていく。


 カストラートが立ち上がった。

 血まみれの顔に変わらぬ表情を浮かべ、のけ反りながら息を大きく吸い込む。

「捕まってろ! 揺れるぞ!」

 カストラートの大きな一撃が放たれる刹那、糸車が列車に殺到した。

 爆発が起き、列車が脱線する。

 だが、バランスを崩しながらもカストラートは衝撃波を放った。

 それは周囲を薙ぎ払い、木を震わせ、凧にぶら下がった三人をもみくちゃにする。


「ガンマ! なんとかしろぉぉぉっ!」

 ジャンの叫びに、何処からともなくガンマの声が聞こえた。

「やれヤレ、扱いガ酷いナア」

 三人に絡みついていた紐が、離れると、一部分が寄り集まって網状に変形する。そして残りの部分は四方八方に拡がり木に絡みついた。

 三人はその上に落ちた。

 数度跳ねると、網がゆるくなり三人を包み込み静かに地面に降ろす。

 ジャンがぐったりとしたマヤを抱えると、地面にそっと横たえた。列車は脱線しながらも走り続け、今や遠く離れていた。

 ジャンは一息ついた。


「なんとか下車はできたな。……教授、この近くに医者は?」

 網から降りた教授は俯いたまま何も喋らない。ジャンは舌打ちをする。

「ガンマ! この近くに医者は?」

 木に絡みついた紐がほどけ、するすると寄り集まってきた。

 荒い息を吐くマヤの前で、紐は籐細工とうざいくのように交差し複雑な文様を描きながら猫の姿を成していく。

「セツ備が整ってナイ――医者しかないな。町――出て大きな病院行――ダメだ、巧くシャベレナイ……」

 マヤはホッと溜息をついた。

「はは……無事で嬉しいよ、ガンマさん……」

 ガンマは不完全に寄り集まった首を傾げ、空洞の目を瞬かせた。

「イヤイヤ、ダメージが大きいからね。しばらくは休眠し――ャな――ない。僕はセンセンリダツさ。シャベルノモ、ムズカシイ……」

 ガンマはそれが限界だとばかりに、ばらりと解けた。そのまま、するするとジャンに絡みつくと袖口に入って行く。


 ジャンは再び舌打ちすると、マヤを抱きかかえた。

「おい、ガンマ、報酬は等分するんだから、ちゃんと手伝えよ。しかし……でかい病院は再び襲撃されるな。さて、どうするか……」

 マヤは弱々しく囁く。


「……あのさ、競馬場とか、酒場とか……にぎやかな場所に連れてってくれない?」

「どういう意味だ?」

 ジャンの問いかけに、マヤは眼鏡を指で押し上げた。

「心当たりがある……ってやつかな?」

 ジャンはしばし無言の後、頷いて歩き出した。襟から、先端に結び目を作ったガンマがひょろりと顔を出す。

「ドコに行くんだい?」

「ヴェルサイユで聞いたが、カブールに小さいが闇ボクシング場がある。そういうのでいいんだよな?」

 マヤは頷くと、くくっと笑い、ああ痛いなあとこぼした。

 ガンマがゆらゆらと揺れる。

「海沿いにドーヴィルに行ける――ツゴウがいいけど、ホント――ナオルのかい?」

「俺は知らんよ」

 ジャンが呟くと同時に、背後から教授の声が追いかけてきた。


「何故助けたんだ!」

 マヤは既に意識を失っていて、答えられなかった。

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