その六 ぶらり旅:ミッドガルド・シュランゲ

 ガンマが首を少し捻る。小さなコリッという音がした。

「下からくるね」

 けたたましい金属音と破砕音が響き、またも車体が揺れる。

「おう! 後ろの車両が吹っ飛んだぞ」


 ジャンの声にマヤはぴょんと顔を上げ、ドアから顔を出した。

 後ろの車両に通じるドア、その覗き窓から漏れていた隣の車両の明かりが消えていた。

 ついで、ぎしぎしと鈍い音がし、後ろの壁全体が歪んで内側に盛り上がった。


「す、すっごい! ねえ、この車両じゃなくて前の車両に逃げた方がいいんじゃないの?」

「前から来てる奴は更にヤバいんだよ」

 ドアが回転しながら歪み、ねじれて吹き飛んで天井に刺さり、マヤの個室の壁までが、巻き込まれて、木っ端みじんになった。


「うおおおおおっ!?」

 マヤの驚愕の声と共に、土煙を巻き上げながら、銀色の回転する巨大なドリルが車内に侵入してきた。それが発する、こわんこわんという音にマヤは機械特有の冷たさを感じた。

 ガンマが冷静に呟く。

「土蛇、正式名称はミッドガルド・シュランゲ。ドイツ軍関係者のお出ましか」


 マヤは目を凝らす。後部車両は屋根や壁は吹き飛んでいるが、床は無事らしく、そこに自動車くらいの大きさの戦車らしきものが乗り上げていた。

 奇怪なのは、それが3台ほど連結されているらしいということだった。

 先頭の車両には未だにゆっくりと回っているドリルが多数取り付けられている。

「もしかして、地面を掘ってきたのか! ジュール・ベルヌの地底世界みたい!」

 ジャンがむっと唸る。

「お前、読書家だな。おっと、出てくるぞ」


 先頭二両の車両の上に取り付けられたハッチが開き、二人の人物が現れた。

 ドイツの軍服に身を固め、黒光りするヘルメットを被っている。

 兵士たちはさっと飛び降りると、肩に下げた機関銃をマヤ達に向け、叫んだ。

「マヤ・パラディールをこちらに渡せ!」


「そうはいかない」

 壊れた木枠の上に、ふわりとの登ったガンマが冷静に返す。

「そちらがマヤ・パラディールを拉致する理由を教えていただきたい。

 我々は彼女をある場所まで移送する依頼を受けている。

 商売だ。

 そちらに正当な理由があり、幾ばくかの金銭が動くなら平和的に解決したい。

 彼女を幾らで買うかな?」

 マヤが驚き、抗議の声をあげようとしたが、何とか自制した。

 軍人二人から見えないドア枠の裏で、ジャンの手が蜘蛛のように動いている。

 時間稼ぎってやつか! こいつら、こういうのに慣れてんのか……。


「猿芝居はやめることだな」


 およそ場違いな人物――茶色のトレンチコート着た老人が最後尾の車両のハッチから出てきた。

 長身で猫背気味。髪は白髪で、ポケットに手を入れ、不機嫌で眠そうな顔をしていた。

 よろよろとした足取りで、土蛇から降りあぐねている。

 マヤは思わず走って行って手を貸したい衝動に駆られた。

 ジャンが舌打ちをし、わざとらしく明るい声を出す。


「いやあ、教授プロフェッソア! お久しぶりですね! 

 今日の講義はこんな場所で行うので?」

 教授と呼ばれた老人は、心底面倒くさそうな、倦み疲れた声で答える。

「お前か、ジャン・ラプラス。つまらん手品をするんじゃないぞ。おい、坊やたち」

 教授は軍人達を手招きし、手を借りると、ようやく床に降り立った。

「二人とも、連中から離れていろ。手を出すんじゃないぞ」

 憮然とする軍人二人の横を通り、教授はよろよろと車内に入ってきた。

「そこの女性を渡したまえ」


 ガンマが背もたれの上で、姿勢を低くする。

「断ればどうなるのかな?」

 教授は驚きもせず、淡々としゃべり続けた。

「君達が依頼を受けているように、私も依頼されていてね。

 彼女を某所に連れて行く。それを妨害するとなれば、君達には一年位の休養をとってもらうことになるね」

 ジャンがせせら笑った。

「教授、あなたに倍額払うと言ったら我々につきますか?」

 じっとりとした目で教授は答えた。

「この商売は信用が第一だ」

「交渉決裂というわけで?」

「無駄話は嫌いでね。彼女に自分で動いてもらおうかな」


 マヤの目の前のドア枠に何かがとまった。

 蛾だった。

 それはビロードのような琥珀色の毛がびっしりと生え、羽に巨大な目の模様が浮かんでいた。蛾は羽を二度三度震わす。

 マヤの頭に突き刺すように思考が閃く。


 ――あ……リンゴが食べたい!


 汽車を降りて、レストラン、いや、果物屋でリンゴを買ってむしゃむしゃ食べたい!


 それには汽車を降りなきゃならない。だから降りるには、立ち上がって――


「おい、その蛾を見つめるな!」

 ジャンの声にマヤは目を瞬かせた。蛾はまだ羽を震わせていたが、さっと飛び立つと、ひらひらと教授の方に飛んで行った。

「……え? 何だ今の? もしかして、蛾に催眠術をかけられたの?」

 マヤの独り言に、教授はポケットから手をだし、揉み手をした。

「頭の回転が速い子だ。それに蛾を気持悪がらないのは嬉しいね……」

 教授のトレンチコートが見えない手に上から引っ張られるように、持ち上がり始めた。

 と、それが弾けて、琥珀色の細かな破片――蛾の大群になる。

「でも、これは気持ち悪いだろう?」

 蛾の大群は一斉にこちらに向かってきた。

 ガンマは姿勢を低くすると唸る。と、周囲にいた蛾が千切れてぼたぼたと下に落ちた。

 一方、ジャンはタバコを取り出すと口に咥え、ズボンのポケットを叩いたりしている。

「ど、どうしたんだよ!? うわあ、こっちにわさわさ飛んでくるぞ!」

 マヤの悲鳴じみた声にジャンは眉をひそめながら、ブツブツとこぼした。

「いやね、マッチがあったと思ったんだが、さて何処に入れたか……」

「うひょおおお、背中に入った! あー! 胸に潜り込んでくる!」

「なに! よし、取ってやろう! 動くな危険だ!」

「ば、こら、きゃあ! そんな場合か!」

 ガンマが溜息をつく。

「二人とも面白いよ。ところで、そろそろお暇したいんだが」

 ジャンは肩を竦めると、右手を教授に向け、指をスナップさせた。


「アブラカタブラ!」


 途端に、マヤの目の前に炎が現れた。それは四方八方に飛び蛇のように長くのたうった。

「下に!」

 教授の叫びに蛾の群れが一斉に羽を止め、下に落下した。床に落ちる寸前に羽根を震わせ、軟着陸するともぞもぞと動き回る。

 マヤは目を凝らし、納得した。

 いつのまにか空中に糸のようなものが張ってあったのだ。逃げ遅れた無数の蛾が絡め取られ、もがきながら燃えている。


 軍人二人が機関銃を構え、教授の前に割り込んだ。

「貴様ら動くんじゃない! その女を渡せ!」

 撃鉄を起こす音に、教授が険しい声を出した。

「おい、撃つんじゃないぞ! 対象が死ぬぞ!」

 軍人の一人が振り返ると、教授に向け発砲した。

 けたたましい音と共に、教授は吹き飛ばされ、捻じれたドア枠に打ち付けられた。

 マヤが声をあげる。

「え! おい、その人は仲間じゃないの!?」

 こちらに銃を向けていた軍人が笑う。

「『我々』の任務はお前の確保だが、関係者は全員殺すように言われている。この男も例外じゃない。更にはお前が五体満足の必要もない」

「このっ……」

 一歩踏み出そうとするマヤをジャンは手で制すると、指を天井に向けた。


 糸の火はまだ消えておらず、天上まで達していた。と、それらは四方に跳び、天上の縁に沿って火花が炸裂する。瞬間、爆発が起き、天井が完全に吹き飛んで、夜空が見えた。


 ジャンは素早かった。マヤを左手で抱き寄せると、右手を振る。袖口から飛び出したワイヤーは前方車両の屋根に跳んでいき、ぴんと張る。

 ジャンは飛んだ。爆発で尻餅をついていた軍人二人が発砲した。

 すでに屋根に足をかけていたマヤの頬を銃弾がかすめる。

「危ない!」

 ジャンのズボンに捕まっていたガンマが、さっと二人の前に飛び出し――下半身がはじけ飛ぶ。

「あ!」

 絶句するマヤの前で二つに別れたガンマは、二度三度屋根の上で跳ねると、走り続ける列車から落ちていった。

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