百聞

「ここに来るのも久しいな」

 少女を眠らせた後、彼は城の蔵書庫に来ていた。天を衝く程の本棚にぎっしりとしまわれた本、本棚に入り切らず床に平積みになっている本、とにかく本だらけの場所だ。本の虫なら垂涎すいぜんの場所だろう。もっとも、この蔵書庫の本には虫がつかず劣化もしない細工が施されている。

 彼はここに、あの少女に関する情報がないか探しに来たのだ。外の世界に殆ど出たことの無い彼には本だけが知識や経験を埋めてくれる存在である。そして彼はこの蔵書庫の本を何度か

 ここにある本は、思想書、学術書、歴史的文献、魔導書、物語、童話など多岐にわたる。世界中どこを探してもここ程の蔵書量を持つ図書館や蔵書庫はない。外の世界であれば禁書になっている物や、失われた言語や技術、語られる事のなかった歴史までもがここにある。この城に訪れる者はこれを目的にするかもしれないが、残念な事にこの蔵書庫は存在すら全く知られていないのだ。

 そんな蔵書庫だからあの少女をどうすれば良いか、どうすれば疑問が解決するかという事も分かるかもしれないと思って彼は来たのである。

「何度か読んだが忘れたからな。また読むか……」

 彼は椅子に座り、桁外れの速さで片っ端から本を読んでいく。分厚い学術書ですら一分かかるかかからないかだ。一々取りに行くのも面倒なのか術で引き寄せたり戻したりしながら読み続ける。本棚に入っていた本は綺麗に戻すのが彼流らしい。

「あの様子じゃ、字も読めんだろうな。後で教えてやろう、読み書き出来なければやり取りが面倒だ」

 彼はまだ自分の少女に対する考え方がよく分かっていない。


――


「うわぁ! はぁ、はぁ。夢……?」

 少女は飛び起きた。余程悪い夢を見ていたのだろう。冷や汗で身体がじっとりとする程には。そして回りを見渡すがやはり誰もいない。しかし、奇妙な絵が宙に浮かんでいた。

「これは……服の絵、かな?」

 ベッドの横に浮かぶ絵、そして彼女から見て右向きの矢印が添えられていた。その先を見ると扉がある。少女がそっと開けるとそこには沢山の服やらドレスやらがあった。

「! これを着ろ、ってことなのかな?」

 闇がかかっているせいでよく見えないがそれでも良い物ばかりである事は間違いないと彼女は思い、自分がこれを着ても良いのかと戸惑った。だが汗で気持ち悪いのも事実である。

「うーん、ならこの白い服で」

 彼女が取ったのは白のワンピースの様な服。それに着替えて部屋に戻ると、今度は食べ物の絵と矢印が浮かぶ燭台があった。

「この矢印の先にもしかして食べ物が?」

 空腹の彼女は燭台に火を点けて矢印の示す先に行こうとしたのだが、その時ベッドに彼の上着がある事に気がついた。そして彼女は何故だが、その上着を羽織る。

「あったかい、のかな? 気のせいかな」

 彼女には大きすぎる上着をダブつかせて矢印の先へと歩いた。


――


「あいつが起きたらしい。まぁ取り敢えずは腹でも満たせば落ち着くだろう」

 暗い双眸で本を読みながら彼は呟く。


――


「す、すごい……」

 導かれた先で少女が目にした物、それは大きなテーブルいっぱいに並べられた料理の数々。

「食べていいのかな……」

 彼女は今までこんな料理を見たことが無かった。いつも粗末な食事、それすらあればまだマシだった彼女にはこの食事が眩しすぎる。しかし腹の虫は素直で見た瞬間からずっと鳴きっぱなしで、それだけで彼女は上着を脱ぎ捨て食事に飛びついた。

「!……っ! んむっ……!」

 行儀もへったくれも無く、恥も外聞もない様子で食事にがっつく。彼女には食器の使い方も何も分からない。ただただ空腹でとにかく食べて貪った。この少女の貪食を誰が責められようか、責める者がいるとすればそれはただの馬鹿者である。

「むぐっ! ゲホッゲホッ」

 むせても食べ続けた。そして封の開いたボトルに手を伸ばす。

「これは何? 飲み物? いい匂いがする」

 飲み物が欲しくなった彼女はボトルから直接、その飲み物を口に流し込んだ。果物の香りがする紫色の飲み物を。

「ふあっ……これ美味しい!」

 まだ何本かある同じボトルを次々と手に取り飲む。それからひたすら食べて飲んでを繰り返し、遂に腹は満たされた。ずっと長い間空腹だったそれは。

「お腹いっぱい……ぐぅ……」

 先程まで寝ていたのに、満腹になって彼女はまた寝た。今まで睡眠も足りていなかったのだろう。この城の闇は彼女の眠りに誘い、時に悪夢から守っている。


――


「ふーむ、それらしい本は読んだが……」

 ある程度読み進めたが彼にはどれもしっくりこないらしい。自分が少女に対して考えている事、それの答えが本の中には無かった。

「……やはり実際にやってみないと分からないという事か」

 彼は別に少女に対して考えている事が分からなくてもいい筈なのだがやはり何故か気になっている。永くこの城に住んで初めてとも言っていい。

「さて、あいつの食事も終わっただろう」

 そう言って黒い裂目に入り、彼女の前に出る。そこには満足そうに寝息を立てる少女がいた。そして滅茶苦茶になった食器達も。

「ここまでとはな……まぁいい。こいつコレを飲んだのか」

 彼は空になったボトルを見て言い、術で滅茶苦茶になった食器をまとめ、汚れたままの少女の口と手を拭いてやる。

「……外での仕打ちは相当だったんだろうな」

 ポツリと呟く。彼女を憐れんでいるのだろうか。そしてそんな気持ちになったのも彼は初めてだった。

 拭き終わると少女を抱きかかえ、上着を拾い部屋に裂目を繋げ、ベッドに彼女を寝かせる。

「起きたら話をするとしよう。ん? こいつ服を掴んで」

「い……かない……で」

「!」

 彼はこの言葉に自らの何かが揺れ動いたのを僅かに感じた。ずっと動く事のなかった彼の何かが。

「はぁ、横で寝てやるか」


 彼にはあまりにも多くの疑問がこの短い間にもたらされた。


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