浮かぶ疑問

 一体あの少女は何なのか、彼はそれを考えていた。長くの間、あまり考え事をしなかった彼が久々にするそれだ。

「何故私はあの小娘の考え事を? それに何故生かしている?」

 彼は自分の行動にも疑問を抱いた。この城に入った者は始末するか、始末せずとも闇に飲まれて死んでいった。自分で手を下さないならまだしもわざわざ助ける様な事をしたのだ。

 彼は少しだけ悩み、そして、

「ただの気まぐれだな」

 そう疑問を一蹴し、また独りでぼんやりと闇を眺め、眠った。彼は眠っている時間の方が長い。


――


 丁度彼が眠った頃、少女は目を覚ました。相変わらず夜より暗い灯りがともる部屋で。

「……! いけない! 店の仕事を……」

 彼女は血相を変えて飛び起きた。いつもなら店の仕事をしなくてはいけないだろう。身体に染み着く程、息が詰まる程に彼女はこき使われていた。

「あ、そうだ。私、お城に……」

 普通ならこの事実に落胆する。が、彼女は無意識に無自覚に安堵した。それもそうだろう、もうボロ雑巾の様に使われずに済むのだから。彼女にはそれだけでも十分だった。いや十分と思う程に摩耗していたのだ。明確に助け出された訳でもなく、ただ迷い込み、偶然も偶然に生き、闇の中に閉じ込められたというのに。紫水晶の主は傍目から見ればあまりに恐ろしく、少女は怯えきっていると思えるだろう。だがそれは少し違った。

「あの人はどこにいるんだろう? もう少しお話しないと……」

 彼女には彼をそこまで怖いとは思っていない様でまだ話をしたいとさえ考えている。いや、むしろある種の信頼も感じているのだろう。

「あの人は好きにしろって言ってたから出てもいいよね……?」

 恐る恐る扉を開けるが今回彼は現れなかった。少女は燭台の蝋燭に火をつけ、城内を歩き出した。辺りを見れば本当に闇しかない。蝋燭の灯りにぼんやりと浮かび上がるのは埃だらけの階段の手すり、蜘蛛の巣だらけの何かのオブジェ、千切れたカーテンに破れた絵くらいのものだ。歩いている床の絨毯もボロボロである。そうやってふらりふらりと何に導かれるでもなく、アテがある訳でもなく少女は進む。そうすると大きな窓の前に出て、そこから蝋燭で少しばかり外を照らすと酷い嵐が牙を剥いているのが見えた。

「外は嵐なんだ……」

 嵐、それは自らが逃げ出した日とそれまでを思い出させるもの。見ていると悪寒が走り、息が苦しくなる。

「おかしい……体がふるえる……」

 その場にいた時は感じなかった、今までの恐怖、嫌悪、悲しみ、そういった黒い感情が今になって溢れてくる。

「嫌だ……怖い……あんなのはイヤ……!」

 外で牙を剥く嵐が、今までの恐怖の塊になって彼女に襲いかかる。

「イヤ、イヤ、イヤ! ああ、ああ……!」

 声は形にならない。発狂しかけた寸前、彼女は震えの弾みで燭台を手から落とす。そうなると辺りは闇に包まれ、同時に嵐は見えも聞こえもしなくなった。

 完全なる暗闇。自ら声と鼓動、吐息の音程しか聞こえぬ静寂。通常なら恐怖を感じるより他ないだろう。仮に暗さや静かさを好む人間だとしてもこの暗闇と静寂は不気味すぎる。だがやはりこの少女は別なものを感じているようだ。

「フー、フー、はー、うう……」

 灯りが消えて暫くすると彼女の呼吸は落ち着き、震えも収まっていく。そしてそのまま眠ってしまった。


――


「む、どれ程寝たんだ」

 彼はそう呟いて文字盤の無い時計を見る。

「……騒がしい事があると熟睡できん」

 あまり長くは眠っていなかった様だが、特に不満そうな表情は無い。というより表情がまるで変わらない。彼は常に暗く沈んだ双眸そうぼうで何もかもに対して無表情だ。喜怒哀楽がないのだろうかと思わんばかりである。しかし今回の寝起きは普段と少しばかり違うらしい。いつもならまたぼんやり闇を眺め眠るだけなのだが、今はあの少女の事が頭を過ってしまう。

「一体何なのだろうか、これは」

 疑問を口にする。だがやはり、口にした言葉とは裏腹に疑問を疑問としていない彼もまた居る。彼はそれ程に出来事だの何だのに興味がない。しかしながらあの少女に関しては僅かばかりの何かを抱いているのも事実であった。

「あいつは何を……む、居ない」

 闇を瞬時に駆け抜ける、いや闇から闇へと移動する術、あの黒い裂目の術で少女の部屋に飛ぶ。だがいない。

「燭台が無い。何か面白くて城内を彷徨うろつくんだか……」

 彼は少女に聞く事がまだあった。いや、普段の彼ならそんな事は微塵にも思わない訳であるが、今回は特殊だ。

「探すか……」

 この城の闇は彼の一部でもある。少女の痕跡から居場所を辿れば一瞬で彼女の所に行ける訳だ。少し痕跡を読み取った後、大鎌で空を切り、その裂目から彼女の前まで移動する。

「眠っているのか」

 彼は少女を見下して呟く。

「人の眠りを邪魔しておいて自分は心地よさそうに寝るとは……呆れた奴だ」

 そう無表情に言い、少女を背負って裂目から部屋へ移る。こんな状態の人間を見ても彼は普段助ける様な事はしないが本当に何故か、この少女には特別であった。


――


「うう……」

 少女は目を覚ます。またしても同じ部屋で。

「あれ? 私は確か廊下で……」

「お目覚めか。全く」

 少女が声を出すとあの紫水晶の主がいた。彼女を見るその眼はやはり暗く沈み、少女を見ているのかも怪しいものである。

「お前、また彷徨うろついたのか」

「だめ……でしたか?」

「別に構わん。まさか話をしに来ようと?」

「はい……まだちゃんとお礼を言えてないので」

 彼女の言葉を聞くたび、彼には疑問しか生まれない。大概の事を一蹴してきた彼が、捌ききれない疑問だ。まず何故自分に礼などするのかが分からなかった。

「礼などされる憶えはないが?」

「いえ……あの……私を助けてくれたから」

「……助けた憶えもない。気まぐれだ」

「それでも、その……初めてだったから」

「何がだ?」

「私のお話、最後まで聞いてくれたのはあなたが最初なんです」

「は?」

 彼は呆気に取られた。あの身の上話の事以外ないだろうが、それにしたって話をまともに、いや最後まで聞いて貰ったのがこれで最初とはどういう事かというものだ。

「何を言っている? 確かにお前の身の上話からすれば酷い扱いだった事は分かるが会話すら無かったのか?」

「はい……一つもなかったんです……いつも、誰にも相手にされなくて……だからこうやってお話できるだけでも」

 少女は今にも泣き出しそうな、いや泣きながら話していた。更に彼女はまたしまったのか震え始める。

「あ、ああ、ああああああ!」

「なんだ!」

 流石の彼も驚いた。前兆なき震えに、叫びにも似た声。闇に飲まれた人間ですらこんな事にはならない。

「イヤ! イヤイヤ! ううううう!」

「おいやめろ! 何もないぞ!」

 自分の腕に噛み付き、掻きむしろうとする少女を彼は無意識に掴んで止めていた。

「くっ! 『黒落』!」

「あ……ぐっ……」

 強制的に眠らせる術を使い少女を落ち着かせる。その寝顔は何とも苦しそうだ。

「発狂持ちか? いや、それにしてもおかしい。本当に一体何なんだ? それに何故私はこいつを止めた? ダメだ疑問が多過ぎる」

 彼は疑問を掃き捨てられなくなった。それ故に一つの行動に出る。

「こいつに色々聞くしかない。だがさっきみたくなられてはらちが明かん。仕方ない、面倒みてやるか」

 本当に彼らしからぬ選択であった。

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