闇静

物書未満

迷い込んだ先

 言い伝えがある。

「荒城に近づく事なかれ」

 大昔からこれだけが伝わる。

 内容は分からない。

 だが遠くに見えるそれはいつも不気味だ。


――

――――


「ご主人様、今日も静かですね」

「……ご主人様呼ばわりはやめろ」

「なぜです?」

「……永い仲なんだぞ」

「ふふ、そうでした」

 煌めく八重歯の従者は優しく微笑む。


――

――――


 嵐のある日、小柄な少女が一人息せき切って森を駆ける。何かから逃げる様に。走りに走って行き着いた先には荒城。

「どうしよう……でも戻れない……」

 彼女は街から逃げていた。もう耐え切れなくなってしまったから。風雨に打たれ、弱りきった少女は力なく城の門に手を伸ばす。近づいてはいけない筈の城だが、ここに入る以外手はなかった。


「……誰か来たのか、珍しい」

 椅子に深く腰掛けた青年は大儀そうに腰を上げ、禍々しい大鎌を持ってゆっくりと歩き始めた。

 闇に包まれた城を彼は灯りもなく進む。彼にとってはこの闇など闇ではない。常人が昼間に歩くのと大差ないのだ。暫く歩いた先、彼の眼は少女を捉える。

「おい」

「……」

「気絶している様だな」

「助け……て……」

「なんだと?」

「……」

「うわ言か」

 彼にこの少女を助けてやる義理など無かった。だがしかし、何故か分からないが、放っては置けないと感じたのか何なのか彼は少女を助ける事にした。


「ここに来た事を精々後悔するんだな」


 彼は少女を抱き上げ、城の一室へ運んだ。

 思えばこれが転機であったのかもしれぬ。


――


「う、ここは?」

 目覚めた少女は火のともる暖炉を見た。周りを見渡すが誰もいない。

「一体誰が……」

 そう口にして、ベッドから起き上がり、部屋から出る。廊下はとても暗い。月明かりすら入らぬそれは正に暗黒の世界だった。少女は闇に怯えたものの、部屋にあった燭台の蝋燭ろうそくに火を灯して廊下を歩き始めた。

「あの……どなたかいらっしゃいませんか」

 震える声で闇に問い掛ける。あの部屋があった以上は誰か居るはずだ。少しづつ歩を進めていると、暗闇にぼんやりと光る紫水晶を見つけた。

「これは……」

 少女がその紫水晶に手を伸ばす。その時だった。


「それに触るな」


 暗闇から声がした。少女が固まりながら後ろを見ると紫水晶と同じ眼の色をした青年が立っている。

「ここに何の用だ。助けてやったが返答次第で始末する。仮にそうでなくともここからは出られんがな」

 彼は少女の首に大鎌をかけ、暗く沈んだ双眸そうぼうで問う。普通なら恐怖で声も出ないだろう。だが少女の反応は予想外だった。

「うっぐ、ひっぐ、うう……」

 少女はいきなり泣き始めた。彼にはこの意味がまるで分からなかった。泣き方が彼への恐怖ではなかったからだ。

「なんだお前は? 変なやつだな」

「助けてくれる人なんて今まで居なかったから……うう……」

 少女は泣くばかりで話にならない。だが少女の事が何故か気になった彼は少女をどうするかを後回しにした。

「落ち着いてから話を聞く。あの部屋からは出るな。必要な物は大概ある」

「……」

「返事は……またか」

 少女は泣き疲れたのかまたしても眠ってしまった。彼は仕方なく少女を抱き上げ部屋に連れて行く。

「一体何なんだこいつは」


――


 嫌に静かな部屋、薪のない暖炉に揺らめく火。ここは湿気も無いのにやけにじっとりとした、灯りすら闇をもたらしているような場所だ。そして少女はまた目覚める。

「あの人は?」

 目をこすり、辺りを見るが誰もいない。

「……」

 少女は何をするべきか分からなかった。だが傍から見れば息苦しい部屋から出る気もあまりしなかった。いや、むしろ彼女はこの部屋に安堵すら覚えている節もあるのだろう。確かに人はいないが大概何でもあると言われたのを僅かに覚えている通りここから出ずとも困る事はない。本も山程ある。乱雑に積まれているが。

「本……でも私、字は読めないし」

 少女は字を読めなかった。それ故、本で退屈をしのぐ事は出来ない。しかし彼女は退屈もあまり感じていなかった。この城に入った後、退屈する暇はある意味ない。が、街に居るよりはよっぽどマシな感覚がした。

「出るな、って言われたけど……」

 少女は紫水晶の主が言った事を思い出す。ここから出るな、と。

「でも、あの人とお話しないと何も分からないし」

 青年と話をする為、彼を探しに行こうと扉に手をかけた。

 その瞬間、


「出るな、と言った筈だ」


 後ろから暗い声。並の人間なら震え上がる程に恐ろしい声だ。そして後ろを見れば紫水晶の主がくうを断つ黒い裂目から現れてきた。その眼はやはり暗く沈んでおり、表情も何もない。感情すらあるのか怪しいのだ。だが、先程の様に大鎌を向ける事はしなかった。

「あの……ごめんなさい。でもお話したくて……」

「私と、か? おかしな奴だ。その為に出るなと言われた部屋から出ようと?」

「はい……」

「まぁいい、話くらいしてやる。だが一つ聞く、何故ここに来た?」

「それは……」

 少女の口は重かったが何とか開いた。ここに来た明確な理由など彼女には無い。ただ逃げ出して、がむしゃらに走った先にこの荒城があっただけなのだ。理由とすれば、それは逃げ出した理由を語る事になる。それを聞いた紫水晶の主は特段驚きもしなかった。

「成程、昔からあらゆる所にたらい回しにされ、挙句に訳も分からないまま働かされ酷い仕打ち、自分の名前すらなく、耐え切れずに逃げ出した。と言ったところか」

「はい……」

「なら残念だったな。城からは出られんし、ここには闇しかない。お前は精々闇に沈んでいろ」

 彼がそう言い放つと少女は視線を落として呟いた。


「私はここにいてもいいんですか?」


 彼には理解出来ない言葉だった。外に出る事はできず、ただあるのは闇ばかりのこの城に、居ても良いのか、と聞いてくるのだ。

「良いも何もない。ここからは出られん。私はお前をどうする気もない。好きにしろ」


 それだけ言って彼は闇の裂目に消え、少女はその場にへたり込んで泣くばかりであった。

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